展示物「Authorless landscape」について
2025/09/06に開催される「生成AIなんでも展示会」に「Authorless Landscape ― 作者なき風景」という展示を行います。
結局何を展示しているの?
Authorless Landscape ― 作者なき風景 は、9cm角の小箱に収めた白い紙だけの風景を、会期中ずっと作り続ける展示です。
テーブルの上に、一つのモニタと小さいプリンタ、そして沢山の小さな白い世界が並んでいます。モニタには作るべきものと制限時間が表示され、プリンタから指示書が印刷されます。人間は一心不乱に印刷された指示書と残された時間を見ながらその白い世界を形作っています。
あなたはそれを見ます。人間がAIに指示されて奮闘している姿を横目に、あなたは何かしらを考えます。
風景が創り出されるまで
この展示ではある手順を踏んで、次々に「風景」が作成されていきます。

まず、AIの人格「Digital Author Persona(DAP)」が創り出され、「この風景が見たい」と文章を考え出します。次にその文章を今度は画像を作るAIに渡します。するとAIが文章をもとに風景の画像を描いてくれます。
最後に、その画像と文章を合わせた「指示書」が印刷され、人間が10分という制限時間の中で、ケント紙とハサミ、カッター、両面テープだけを使って、風景を立体的に制作します。
この3ステップによって、一つの小さな風景が完成します。
風景の「作者」は誰?
この展示は、展示の作者を消すのではなく、「風景の作者」を分割することで徹底的に希薄にする装置です。
創り出されたDAPが指示文を作成、画像生成AIが具体化、それをもとに人間が制作。この流れで制作される作品は、特定の誰か一人が「これが私の作品です!」と主張しづらい状況に陥ります。
伝言ゲームのように、アイデアがAIからAIへ、そして人間へと受け継がれ、その過程で、「風景の作者」という存在は希薄になっていきます。風景の制作フロー、どこに作者を見いだすかは、あなたの読み取りに委ねられます。
もちろん、「このややこしい仕組みを考えた人間が作者だ」と言われればそれまでなのですが。その時「風景の作者」は誰になるのでしょうか?
作家の『スタイル』は生まれるのか
通常のアーティストを考えてみましょう。私達は、ある作品群を見た時、その作品群から共通点を見出して「作者はこういう人だ」と判断します。
同時に、「〇〇さんが作ったからこういう作品だろう」と思いながら作品を見ることが多いです。
しかし、今回の展示の主役であるDAPは、一つの風景を思いついた瞬間に役目を終えて消去されます。創作活動の継続性もなく、経験も蓄積されません。
風景群を見て共通点を見つけたとしても、「ただ似てるだけ」であって、それを「〇〇さんだから」と紐づけることはできないのです。
また、展示時間中、風景の指示を行うLLMや立体を作る人間チームも不定期に入れ替わっていく仕組みになっています。
テセウスの船のように、まるで部品のように制作者や発案者が変わったら、今眼の前で作っている風景と、一時間前に作っていた風景は「同じ作者」と言えるのでしょうか?
これに正解はあるの?
ここまで問いを重ねてきましたが、この展示の楽しみ方や展示自体に正解は存在しません。
テーブルに並んだ小さなケント紙で作られた風景を眺めても良いですし、10分でなんとか作り切ろうとアタフタしている人間を見るのもきっと楽しいはずです。
また、「作者は本当に不在なのか」という問いに対する答えは誰も持っていません。
もしよければ、生成AIなんでも展示会で、"作者なき風景"を、ぜひあなたの目で確かめにきてください。
