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「動的平衡生命観」に生物学的根拠はあるのか – 問われる日本の科学リテラシー

福岡伸一氏が提唱する「動的平衡」は、多くの人にとって「身体の組織や細胞が常に作り変えられ、更新され続けている」という現象を表す比喩的な表現にすぎないと理解されているかもしれない。しかし、「動的平衡」に基づく生命観は、現代生物学の知見や理論とは整合しない。さらに福岡氏は、その生命観をもとに、生命に関するさまざまな誤った説明を広めている。
 本稿では、この「動的平衡生命観」の内容を解説するとともに、その問題点を指摘する。なお、問題点を詳しく論じているため、やや長い論考となっている。概要を知りたい方は、各項目の要約や最後の「動的平衡がもたらす問題」から読み始めていただきたい。


本記事の要点を絞り図を用いて簡略化したダイジェスト版。


 はじめに

 福岡伸一氏の提唱する「動的平衡」による生命観は、多くの一般読者や一部の人文系学者に受け入れられている。特に、2025年、大阪・関西万博において、《いのち動的平衡館》が建設され、注目を集めている。
 「体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新されつづけているのである。だから、私たちの身体は分子的な実体としては数ヶ月後の自分とはまったく別物になっている」というフレーズは、一種の新鮮な見方を提供し、そのことが、一般の人を惹きつけるのかもしれない。
 しかしながら、この現象を思想的に解釈し、合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ことであるとする「動的平衡生命観」は、現代生物学や進化学における理解に基づいているとは言いがたく、疑似科学的な色彩を帯びた思想といえる。この生命観を基にした様々な誤った解釈を、福岡伸一氏は生物学者の肩書とともに書籍やウェブ上の記事など多くのメディアで広めている。そのため、多くの一般の人々に、生命や自然に対する誤った理解が広がっている可能性が懸念される。
 福岡氏以外の生物学者によって「動的平衡生命観」を高く評価する公の言説や記事は、ほとんどみられない。一方で、生物学者からの明確な批判もほとんどなく(批判としては、文献1など)、多くの生物学者は、「動的平衡生命観」は、単に「生命は、分子が絶えず入れ替わり、細胞が作り変えられている」を表す現象と理解しているか、科学の土俵に上がっていない個人的な思想として捉えて無視している。一方、生物学の理解が必ずしも正確ではない一部の人文・社会学・哲学者に好意的に支持され、システム論・組織論、環境思想、西田哲学などの分野で、有効な思想として議論されている。また、多くのメディアは福岡伸一氏の発言を肯定的に紹介している。
 「動的平衡生命観」が広まることで、一般の人々に正確ではない生命観が浸透したり、教育に取り入れられたり、科学的根拠に乏しい自然観に基づいた環境対策が唱えられる可能性があることは、看過できない課題である。本稿では、「動的平衡生命観」に内在する具体的な問題点と、それが実際の生物現象に根ざしていない思想であることを明らかにしたい。

「動的平衡生命観」とは

 福岡氏は、これまで様々な著書や記事において「動的平衡生命観」について論じてきた。その文章は文学的な表現に富む一方で、論理的な展開が明確でなく難解な箇所も少なくない。実際に、科学的に「なにをいっているのかよくわからない」ということもあり、具体的にどこがおかしいかを指摘しづらい。そこで、ここでは、彼の主要な著作である『生物と無生物のあいだ』(2)、『新版:動的平衡―生命はなぜそこに宿るのか』(3)、『動的平衡は利他に通じる』(4)、『ポストコロナの生物哲学』(5)を取り上げ、福岡氏の主張する「動的平衡生命観」の中の記述を引用しながら、福岡氏のいう動的平衡とは何かを解説したい。(以下、[生物と無生物]、[新:動的平衡]、[利他に通じる]、[ポストコロナ]と略す。括弧内の数字は、末尾の引用文献の番号に対応)。
 動的平衡生命観は以下のようなターンオーバー現象が元になっている。

ターンオーバー現象: 生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新されつづけているのである。だから、私たちの身体は分子的な実体としては数ヶ月後の自分とはまったく別物になっている。[新:動的平衡](3)

 実際に私たちの細胞や組織は常に作り変えられている。これは、実際の生物の体で起こっているターンオーバー現象を記述しているにすぎない。このプロセスは、生物の体内で絶えず起こっている代謝の一部である。この現象自体を指して福岡氏は「動的平衡」といっているのではない。

動的平衡による生命とは: そこには、分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」分子が、一時的に作っているにすぎない。この流れ自体が「生きている」ということなのである。合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命はそのバランスの上に成り立つ効果である。「生命とは動的平衡にあるシステムである」[新:動的平衡](3)

 この記述では、「動的平衡」とは何かが説明されている。分子、細胞、組織は合成と分解によって常に置き換えられているが、それらが一時的に平衡状態にある身体という「容れ物」(生物個体)を作る。しかし、それはまた消滅し、その後、新たな「容れ物」が作られる。このような合成と分解との動的な平衡状態(あるいは動的平衡状態にある流れ)が「生命」である。これが、動的平衡生命観の概念である。
 しかし、この記述で、福岡氏のいう生命とはなにかを理解するのは難しい。この概念を理解するには、まず、エントロピーの法則によるエネルギーの流れと秩序の崩壊から説明が必要である。

熱力学的秩序維持: 生きている生命は絶えずエントロピーを増大させつつある。つまり、死の状態を意味するエントロピー増大という危険な状態に近づいていく傾向がある。生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生き続けていくための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである。
 生物は、その消化プロセスにおいて、タンパク質にせよ、有機高分子に含まれているはずの秩序をことごとく分解し、そこに含まれている情報をむざむざ捨ててから吸収しているのである。
 食べるということが、エントロピー増大に抗する力を生み出す。[生物と無生物](2)

 生命は、エントロピーの増大つまり熱力学的な秩序の破壊(物質やエネルギーの状態のランダムさ)を、「外部から食べ物を取り込む」ことで、自らの内部の秩序を維持している。そのために生命の内部では、合成と分解を繰り返しながら、形や機能を「動的状態」として維持している。一方で、もともと食べ物に含まれる有機高分子の秩序を分解し、秩序を壊しているとも福岡氏は述べている。

生命の維持:生命を構成するタンパク質は作られる際から壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。 [生物と無生物](2) 
 
絶え間なく壊される秩序はどのようにしてその秩序を維持しうるのだろうか。それはつまり流れが流れつつも一種のバランスをもった系を保ちうること、つまりそれが平衡状態を取りうることの意味を問う問いである[生物と無生物](2)

  福岡氏は、合成と分解で、絶え間なく壊されて、エントロピーの法則に抗している流れのなかで、一種のバランスを保った系(平衡状態)を取るのはなぜか、ということを問題にしている。ここで、バランスを保った系が平衡状態であり、生命体である。この平衡状態をとっているものを「容れ物」と福岡氏は表現しているが、主に生物個体を意味している。生命は、形や機能がまとまり、恒常性が働き、個体として維持される。
  福岡氏は、このまとまりが維持されるための「物理的原理」が存在すると主張している(2)。

相補性による動的平衡状態の維持: なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。その答えは、タンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で動的な平衡状態を保ちえているのである。[生物と無生物](2)

 生命の動的平衡状態(生物個体)が維持される機構は、異なるタンパク質間の相補性であるという。福岡氏は、電荷の結合、親水性と親水性、疎水性と疎水性などの類似した性質間の親和性など、科学的な諸条件を総合したものを相補性と定義している。それぞれのタンパク質はジグソーパズルのピースのように、相補的に組み合わさり、統一のとれた全体を形成するという。ジグソーパズルが完成したときの全体の絵は統一がとれ、調和的である。しかし、それを構成する一個一個のピースは、周囲のピースとの相補的な関係によってのみ決定されるという比喩を用いている(2)。
 福岡氏は、外部からの直接的な指示や設計図なしに、系を構成する要素が自律的に相互作用することで、より高次の秩序ある構造や機能が自然に形成される自己組織化が重要であるといっていると思われる。

要約

福岡氏による動的平衡生命観とは: 身体のあらゆる組織や細胞の中身は、分解と合成によって常に作り変えられ、更新されつづけてる。この、合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ことである。生命は、外部から食べ物をとりいれることで、エネルギーを産生し、熱力学的な秩序(エントロピー)の崩壊に抗している。合成と分解を繰り返し、生命の内部の秩序を維持していくなかで、生命体として、形や機能が統一された動的な平衡状態(生物個体)が維持されている。その平衡状態が維持されるのは、ジグソーパズルのようにピースが組み合わさることができるタンパク質の相補性や自己組織化といった物理的原理によるものである。

「動的平衡」概念の歴史的背景

「動的平衡」は、福岡氏が独自に提唱した概念であると認識されているかもしれない。しかし、福岡氏の生命観のほとんどは、過去の物理学者や生化学者による概念を基にしている。
 熱力学第二法則によると、外界と物質やエネルギーのやりとりがない系では、エントロピー(無秩序さの度合い)は常に増大し、無秩序な状態へと向かう。しかし、生命は外部から自由エネルギーを取り込み、ATPを合成することで秩序を維持し、余剰なエネルギーを排出する。このエネルギーの流れが続く限り、生命は非平衡定常状態として内部の低エントロピーと秩序を維持することができる。L. v. ベルタランフィとI. プリゴジンらは、このエネルギーの流れの中で生命は内部の低エントロピーと秩序を維持することができることを示し、この状態を非平衡定常状態と呼んだ。外界との間でエレルギーをやりとりしており非平衡であるが、外部からのエネルギーと内部で消費・放出するエネルギーがつり合っているので定常状態にあるということである。さらに、プリゴジンは、非平衡開放系においてエネルギーや物質の流れがあると、自発的に秩序あるパターン(散逸構造)が生じるという自己組織化の概念を提唱した。ここでの秩序とは物理化学的(対流、化学振動、波など)な自発的パターンのことである。
 時代を遡って、20世紀前半、R. シェーンハイマーは、生体分子が常に合成と分解を繰り返すことで全体として安定な状態を維持していることを「動的状態」と表現した(15)。 シェーンハイマーがこれを提唱した当時は「非平衡定常状態」という概念は確立していなかったが、この動的状態を、生命がエネルギーを取り込み代謝(合成と分解を繰り返し)を行うことで維持される非平衡定常状態のことであると解釈できる。福岡伸一氏の「動的平衡」の概念は、このシェーンハイマーの考え方に大きく影響を受けており、生命体の形や機能を維持している平衡状態を「動的平衡」と表現しているようである。
 また、このような流れとは別に、「動的平衡」という言葉も使われていた。20世紀前半、生化学者F. G. ホプキンスは、生きた細胞を、動的平衡にある相互依存的な過程からなる、組織化され高度に分化したシステムとした(6)。つまり、生命体は「代謝の流れがありながら全体として一定に見える状態」にあり、これを動的に均衡がとれている状態としたのである。また、W. B. キャノンは、ホメオスタシス(恒常性)を「動的平衡」と呼んでいた(7)。当時、すべての自然系がエントロピー増加の法則に従うという熱力学の必然性に対し、生物はどのように内部秩序を生成・維持するのかという問いに対して、「動的平衡」という概念が用いられていた(6)。
 つまり、福岡氏の「動的平衡」の概念は、非平衡定常状態という考えを追加して、20世紀前半の生命観を用いて表現し直したものである。ただし、より文学的な表現を用いることで、論的展開を曖昧にしているといえる。

「動的平衡生命観」の問題点は何か

 生命の維持と変化

 動的平衡生命観の最大の問題は、合成と分解の流れの中で、どのようにして生命が維持されているのかについて、適切でない説明がなされている点にある。福岡氏によると、生命の「まとまり」(生物個体)が生まれ、維持されるメカニズムは、タンパク質の相補性といった物理原理に還元されている。仮に「相補性」が部分的に関係しているとしても、何に基づいてそのような相補性のあるタンパク質が合成されるのかについては記述していない。
 福岡氏は、「生命とは動的平衡にあるシステムである」と生命を定義している。「生命とは何か」という問いは、生命科学者の中でも意見は一致しておらず、正しい定義というものはない。しかし、「生命科学」の教科書などでは、生命は、外部との境界をもち(細胞)、代謝(食べ物を分解し、エネルギーを得る)を行い、外部と応答し、自己(個体)を維持し、「生殖する(子孫を残す)」ということが必要であるとされる。それに対して、生命科学者であるポール・ナースは、「生命とは、自己を維持し、複製し、進化できる物理・化学的情報的な機械である」としている(8)。
 一方で、福岡氏は「生命とは何か?それは自己複製するシステムである」(2)ともいっている。しかし、一方で、「DNAの内部に情報が保存され、これが生命の永続性を担保している。しかし、私たちが生命の営みを感じるのは、DNAが複製される自己複製能を感じるからではない」(2)とも述べ、自己複製能では生命は説明できず、「合成と分解が繰り返される流れの中で生命が維持される」動的平衡にあるシステムであると主張しているわけである。
 生物は、物質の流入と流出によって作られるエネルギーを使って維持されるような仕組みを、なぜ生み出したのだろうか?その重要なメカニズムは、異なる遺伝情報をもつ個体の中で、生命を維持できて、繁殖できた個体の遺伝情報だけが、次世代に引き継がれるという進化のプロセスにある。生物個体の中で、異なる細胞や組織が、たとえそれを構成する分子が入れ替わっても、自己を維持するように働く。それは、個体がもつ遺伝情報(生物がもつ遺伝情報の全体はゲノムという)をもとに、様々なタンパク質が作られ、細胞や組織が構築され、個体は維持されているからである。さらに、神経活動、代謝、行動などが遺伝情報をもとに制御されている。個体の中で、細胞や組織は常に作り変えられるが、共通の遺伝情報をもとに作られているので、物質としては入れ替わっても、個体として維持される。
 「動的平衡生命観」の根源プロセスのキーワードである「合成と分解」は、個体のもつ遺伝情報をもとに行われているので、一つの生命として維持されるように制御されている。もし、個体の一生のなかで、体細胞の遺伝情報に変異が生じ、うまく遺伝子が働かなくなると、病気になったり、生存できなくなる。
 福岡氏は、生物個体(容れ物)の秩序維持は、物理的法則で説明できるとしている。その主要な原理が、タンパク質がお互いジグソーパズルのピースのように相補的に組み合わさり、全体としての統一が維持されているとする「相補性による生命秩序維持」 である 。また、生命の構造は、全てが遺伝子によって決められているわけではなく、物理的制約があり、様々な形や結合には物理的法則によって決まっているとしている(2)。つまり、遺伝子は生命体をつくるのに不十分であり、物理的制約などの物理法則が生命を決めるという思想である。そのため、突然変異(遺伝情報の変化)と自然選択(生存が低下する個体の淘汰)によって、現存する生物の特性は、すべては説明できないとしている(2)。

遺伝情報による制御と進化

 福岡氏は、遺伝子による制御や進化を全く無視しているわけではない。福岡氏は、遺伝子は音楽における楽譜のようなものであると述べている(9)。「楽譜は同じであっても、演奏者によって音楽が千変万化するのに似ている。遺伝子に「自由であれ」という司令が含まれているというのはそういう意味である」とも言っている。つまり遺伝情報が同じでも、あとはタンパク質の相互作用や自己組織化、環境、エピジェネティクスなどによって個体の性質は変化するとしている。そのために、福岡氏は、遺伝情報が選択されていくという自然選択の役割を疑問視している(9)。
 生物の構造や機能が、ゲノム上の遺伝子によってすべて決定されるわけではなく、物理的制約や物理的法則が関わっていることは、どの生命科学者も否定しない。また、すべての生物の特性を突然変異と自然選択で説明できるとは現代進化学は主張していない。生物個体を構成する分子は様々に相互作用し、入れ替わる。それらすべてのプロセスが遺伝子によって制御されているわけではない。しかし、生命が、代謝(食べ物を分解し、エネルギーを得る)を行い、外部からの刺激に反応し生理や行動を変化させたり、生殖をして、子どもをつくるという「生命の本質」は、遺伝情報(ゲノム配列)に基づいて個体が形成され、機能していることである。この遺伝情報なければ、福岡氏のいう「合成と分解」もうまく働かない。
 生物個体のもつ遺伝情報の進化が、生命の維持や変化という流れを形成してきた。遺伝情報であるゲノム配列は、変化しても影響を及ぼさないこともあるし、たとえば、分解や合成などの代謝に影響を与え、生物個体の生存や繁殖に正の影響や負の影響を及ぼす。そのように変化した遺伝情報をもつ個体の遺伝情報の中から、より多くの子どもを残すことに寄与した遺伝情報が集団中に増加する。生存や繁殖の増減に関与しなかった変化は、ランダムに伝えられていく。これが進化のプロセスである。
  この進化の仕組みによって、食べものを取り入れエネルギーを産することで物理的なエントロピーの法則による秩序の崩壊に抵抗して、「合成と分解」のプロセスの中で生物個体が維持されるのである。決して相補性や自己組織化といった物理法則のみによって、生物個体が維持されているのではない。
 合成と分解という繰り返しが生命であるという福岡氏の主張は、合成と分解が遺伝情報をもとに行われるという点を軽視した議論である。タンパク質を合成し様々な細胞や組織をつくるのは遺伝情報である。実際に、遺伝情報(ゲノム配列)の違いで合成と分解の様々な側面が影響を受けることは、多数の研究で明らかになっている。また、細胞の中で、不要になったタンパク質や小器官を分解・再利用する仕組みの一つであるオートファジーの発見を、福岡氏は「合成と分解」を繰り返す動的平衡を支持する仕組みであるとたびたび紹介している。しかし、この分解のプロセスも、ゲノム上の遺伝情報によって、コントロールされている。
 福岡氏は、遺伝子が重要でない理由を、一つの遺伝子をノックアウトしたマウスが、何の変化を示さなかったことを根拠に述べている(2)。遺伝子を一つノックアウトしても、影響のない現象はよく知られ、他の遺伝子が補償したり、代謝経路の柔軟性によって維持されたり、いくつかの原因によることが明らかになっている。また、生物が実際に生活する野外でどのような影響があるのかは、実験室ではわからないこともある。それは、遺伝子が重要でないということを意味しているわけではない。
 また、福岡氏は、複雑な性質の獲得や遺伝子によらないエピジェネティクスなどを持ち出して、自然選択などの進化の仕組みに疑問を呈しているが(9)、その疑問はほとんどが的外れである。福岡氏の進化についての疑問のほとんどは、拙著ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか』で答えている。

まとめ

「絶え間ない分子の入れ替わりが生じても維持されている」という現象の解説にとどめておけば、それは生命の一部を示す単なる表現(すなわち代謝のこと)として問題はなかっただろう。多くの人は、この文学的な表現を科学的説明ではなく比喩として理解している。
 しかし、動的平衡生命観は、「生命がどのように、なぜ生命体(主に個体)として維持されているのか」という生命の根本問題に正しく答えていない。生命の維持は、代謝・応答性・生殖が遺伝的な制御を受けていること、そして個体を生命として存続させる遺伝情報が次世代に伝えられるという進化の仕組みに基づいている。動的平衡生命観は、こうした現代生物学や進化学の知見・理論に意図的に触れないように見える。合成と分解を語るのであれば、それが遺伝情報に依存していることを正面から説明すべきだが、それを避けて「合成と分解の絶え間のない流れ」として生命を描くため、誤解を招く不適切な解説になっている。
  結局のところ、福岡氏の主張は「遺伝子やタンパク質を調べても生命の状態は説明できない」という、還元主義批判に基づく古典的な全体論にすぎない。福岡氏は、生命を静的な存在ではなく、常に流動し更新され続ける川にたとえ、水は絶えず入れ替わるが川の形や流れの様式(せせらぎ、淀みなど)は一定に保たれる、という巧みなレトリックで表現している。
  しかし、この比喩を正しく展開するならば、次のようになるべきだろう。遺伝情報が流れる川では、川の形などの物理的要因だけでなく、遺伝情報そのものが流れの方向や様式を規定し、一定のパターンを維持させている。また、多様な要因によって、遺伝情報の流れはせき止められたり、消失したり、変化したりする。生命も同様に、遺伝情報を基盤として維持され、環境や進化の作用によってその姿を変えていくのである。

要約

動的平衡生命観の誤り:「体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新されつづけているのである」という生命の現象を表現していること自体は、間違っていない。しかし、動的平衡生命観は、生命の秩序や生物個体の維持を相補性などの物理的原理で説明しようとするもので、遺伝的制御や進化といった知見が軽視されており、その説明は、現代生命科学や進化学の知見や理論では支持されるものではない。

「動的平衡」から広がる生命観の誤り ― 利他性から生態系まで

利他とは何か

 福岡氏は、この動的平衡生命観を、単なる現象としてではなく、生命を理解・解釈する原理として用いている。上で議論してきた「生命とはなにか」という問題にとどまらず、様々な生命現象に自分の思想を拡げ、誤った理解を拡散している。特に「動的平衡は利他に通じる」という説明は、現代の生物学や進化学が解明してきた理解と真っ向から対立するものである。
 福岡氏は、どのように「動的平衡が利他に通じる」と説明しているのかみてみよう。

長い間、「エントロピー増大の法則」と追いかけっこをしているうちに少しずつ分子レベルで損傷が蓄積し、やがてエントロピー増大に追い抜かれてしまう。つまり秩序が保てない時が必ずくる。それが個体の死である。現に生命はこうして地球上に38億年にわたって連綿と維持されてきた。
 ただ、その時にはすでに自転車操業は次の世代にバトンタッチされ、全体としては生命活動が続く。だから、個体がいつか必ず死ぬというのは本質的には利他的なあり方なのである。[新:動的平衡](3)

 この説明によると、生物個体は、エントロピーの増大によって分子レベルで損傷が蓄積して、死ぬ。個体が死んだあとに、新たな個体が生まれ、引き継がれて行く。だから、死ぬということは、次の世代が生きるための、利他的行為であるという説明である。
 生物個体は、生きているあいだに代謝をしたり、細胞が複製したりしていく間に、次第に消耗し、有害物質などが蓄積していく。その結果、老化し、死亡するという考えがある。この考えが仮に正しいとしても、他の個体が生きる機会を与えるために(たとえば、自分が占有していた資源を手渡す行為)、生物は死ぬのではない。
 基本的には、死なない個体あるいは寿命を延長する個体は、死ぬという性質をもつ個体よりも、次世代に多くの子どもを残せないのである。実際の生活環境では、寿命を延ばす変異個体は淘汰されてしまうことが実験でも示されている(文献は以下のnote記事参照)。また、条件によっては、ほとんど死なない生物も進化する。「死がなぜ進化したか」については「老化の進化:なぜ老化しない生物がいるのか?」で解説した。
 そもそも「利他的」とはどういう意味だろうか。生物学では「コストをかけて他者の利益になる」行為、社会学・心理学などでは、「他者の利益になる」行為が「利他的」行為である。人間を対象にした社会学などでは、実際に他者に利益にならなくても「他者の利益を意図する行動」と定義されることもある。しかし、たまたま、偶然の結果によって、他者に利益を与えてしまった行為を「利他」とはいわない。たとえば、ある人が落としたお金を、他の人が拾ってそのまま使ってしまう場合、それを利他的行為とはいわないだろう。

もし植物が、利己的に振る舞い、自分の生存に必要最低限の光合成しか行わなかったら、我ら地球の生命にこうした多様性は生まれなかった。一次生産者としての植物が、太陽のエネルギーを過剰なまでに固定し、惜しみなく虫や鳥に与え、水と土地を豊かにしてくれたからこと今の私たちがある。生命の循環の核心をここまで過不足なく捉えた言葉を私はしらない。生命は利己的ではなく、本質的に利他的なのだ。この利他性をたえず他の生物に手渡すことで、私たちは地球の上に共存している。動的平衡とは、この営みを指す言葉である [利他に通じる](4)

 この福岡氏の説明は、「偶然の結果として他者に利益を与える行為」を「利他的」と呼んでいるにすぎない。植物が固定した炭水化物や糖は、植物自身の維持や生存に使われたり、次世代のための貯蔵栄養として蓄えられる。それを、虫や鳥は利用しているに過ぎない。実際、植物は虫に食べられないように様々な防御機構を進化させている。また、果実な種子を作り、鳥を利用して、種を運ばせている。植物は、個体維持のために光合成を行い炭水化物や糖を蓄えているのであり、むしろ「利己的」といえる。植物が惜しみなく虫や鳥に与えているわけではない。

植物は、自然界の「食う・食われる」という関係においては「食われる」側です。……「食う・食われる」関係は共存関係にあるということは明らかです。このような共存関係がなぜ成立したかということを考えてみましょう。もともと限られた環境の中にAという生物とBという生物がいたとします。そのAという生物とBという生物が、たとえば「食う」という生態学的な要求を同じようにしたとすれば、両者は競争関係に陥り、共倒れになってしまいます。しかし、Aという生物とBという生物が「食う・食われる」という関係を取ったらどうでしょうか。食われるものなしでは食うものは存在できませんし、食うものがいるからこそ、食われるものはある一定のポピュレーションで維持されることが可能になる、そして両方が栄えることができるのです。ですから、「食う・食われる」という関係は、実は、全体の生態系にとっては、より有利な進化形だと考えられます。そして、それは互いに他に利を成すことによって共存する関係なのです。[ポストコロナ](5)

 生態学を少しでも学んだ人は、この説明が、レトリックで、間違いであることはすぐ理解できる。食う・食われるの関係は、被食者の個体数が減ると、捕食者も餌が減少し、個体数が減少する。それによって、被食者の個体数が増加する、という具合に維持されている。あるいは、食う・食われるとは別の要因で捕食者の個体数が制限されており、被食者には影響与えないなどの理由で、維持されている。食う側・食われる側は、互いの利益になるように相互作用し、維持されているのではない。実際、捕食者の影響が強すぎて、被食者が絶滅する場合や、逆に捕食が困難になって捕食者が絶滅するようなことが頻繁に起こっている。生態系全体にとって、有利になるように「食う・食われる」という関係があるのではない。

適者生存や弱肉強食、優勝劣敗などいう言葉に代表されるように、勝ち残った者だけが生き残ってきたとは限らない。むしろ私は、生命の進化は、協力や共生といった「利他的なふるまい」によって大きくジャンプしていることに気づいたのです。たとえば、生物進化の最初の大きなジャンプとして、いまから十数億年くらい前に、大腸菌のような原核細胞から、ミトコンドリアや葉緑体などを持った真核細胞へと進化した出来事がありました。それまでは大きい細胞が小さい細胞を食べていたのですが、あるとき、食べて消化してしまうのではなく、細胞のなかに小さい細胞を温存し、共存したところ、互いにとって良いことが起きたんですね。小さい細胞(ミトコンドリア)はエネルギーの生産効率が高く、過剰なエネルギーを大きい細胞に供与できるようになり、逆に大きい細胞は小さい細胞を外敵から守る役割を果たした。[万博《いのち動的平衡館》で伝えたかったこと(9)]

 古細菌が真正細菌と共生することで、真正細菌であるα-プロテオバクテリアがミトコンドリアに進化したことは事実である。このような「共生」や「協力」は、他者に利益を与える行為ではあるが、同時に、自分にも利益をもたらす行為であり、純粋の「利他」とはいえない。共生関係にある種の個体が他種の個体と共生することで、お互いに自分に利益があることから、共生関係が進化し、維持されたといえる。このような共生関係において、相手が裏切り他個体に利益を与えなくなるように進化することも多く、そのような場合、共生関係は崩壊したり、寄生や競争関係に進化する。
 福岡氏は、進化が「適者生存や弱肉強食、優勝劣敗などいう言葉に代表されるように、勝ち残った者だけが生き残ってきたのではない」という昔から使われてきたお決まりの進化論批判のフレーズを用いている。しかし、ダーウィン進化論を含め、現在の進化学は、このような単純な「弱肉強食、優勝劣敗」で進化を説明していない。競争して勝ったものが生き残るというプロセスだけが自然選択ではない。より多くの子どもを残すことに貢献した生物個体の遺伝的性質が集団の中で増えていくプロセスが自然選択による進化である。共生、協力、利他も、自然選択によって進化していくのである。現代の進化についての理解は、『はじめての進化論 [2025年注釈付]』、『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか』で解説している。

利己的遺伝子と種の保存

 福岡氏による「利他」の説明は、生物の相互作用の中で、相手に偶然の結果として相手にプラスになっていることや、結果的に自分にプラスになっている行為を、単に「利他」と呼んでいるに過ぎず、本来の意味での「利他」ではない。また、福岡氏が利他といっている現象は、「個体にとって有利な性質(利己的な性質)」に働く自然選択によって進化した結果として進化してきたものである。
 その議論とは別の観点で、福岡氏は、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』に言及している。利己的遺伝子の見方とは、「生物は、遺伝子がみずからのコピーを残すように進化した」という生命観である。
 ドーキンスの利己的な遺伝子について、福岡氏は以下のように解説している。

遺伝子は徹底的な利己主義者である。自らを複製するため、遺伝子は生物の個体を乗り物にしているすぎない….と。
 ….ドーキンスが『利己的な遺伝子』を書いてから、はや40年余り。私たちはもう少しリラックスして生命を捉えなおすべきではないだろうか。[新:動的平衡2](9)

  この記述から、遺伝子にとって有利な性質(利己的な遺伝子の性質)が進化するというドーキンスの考えを、認めた上で、捉えなおしたらどうか、という福岡氏の利己的遺伝子への反感の姿勢が読み取れる。

遺伝子の束縛とは何か。それは、争え、奪え、縄張りを作れ、そして自分だけが増えよ、という利己的な命令である。これに対して、争うのではなく協力し、奪うのではなく分け与え、縄張りをなくして交流し、自分だけの利益を超えて共存すること、つまり遺伝子の束縛からの自由にこそ、新しい価値を見いだした始めての生命体がヒトなのである。言葉をかえていえば、種に奉仕するよりも、個と個を尊重する生命観。 [利他に通じる](4)

 この記述によると、人間以外の生物は利己的な遺伝子の束縛によって進化している、というふうに主張しているようにみえる。それならば、生物は"遺伝子にとって"利己的に進化しているということを福岡氏は認めていることになり、生命は利他的であるという生命観と矛盾することになる。また、別のとこでは、以下のような発言がある。

人間は、「産めよ、増やせよ」という遺伝子の強力な束縛に気がつき、そこから自由になることを選び取りました。種の存続よりも、個の生命を尊重することに価値を見出した。これが基本的人権の起源です。個は、種のためにあるのではない。種の保存のために貢献しなくてもいい。産んだり増やしたりしなくても罪も罰もない。個の自由でいい。そう気づき、個を基本とすることを約束したわけです。なぜ人間だけがこんな境地に達することができたのか。それはとりもなおさず人間が、言葉というロゴス(論理)をつくり出したからです。制度や論理や社会規範もすべてロゴスと言っていいでしょう。[ポストコロナ](5)

 この福岡氏の発言は、別の矛盾している点がある。福岡氏によると、「遺伝子の束縛」は、ヒト以外に強力に影響していているということであるが、それは「種の存続」に貢献しているという。実際、以下のようなweb上の発言がみられる。

「昆虫や魚類では、数千個の卵を生んで、そのうちのわずか数匹が子孫を残す、なんてことがざらにあります。でも、それで種が保存されるなら構わない。それが基本的な[生命の掟]なのです。」 (11)

 福岡氏は、種の保存が生物の最大の目的であるかのような主張をしている。おそらく、福岡氏は、個体レベルでの消失と生成は、それは種という大きなシステムが、その動的平衡(種の存続という安定した状態)を維持するための手段であると考えているのだろう。
 一連の記述から、福岡氏は、利己的遺伝子の考えや自然選択の働き方をよく理解していないことが伺える。1960年から70年代の行動生態学という分野の中で、「種にとって有利」な性質は進化しないという考えが定着した。それは、進化の多くは、個体の生存や繁殖に有利な性質が自然選択によって進化するので「個体にとって有利」な性質が進化すると理解された。その流れの中で、ドーキンスは、さらに、「遺伝子にとって有利」な性質が進化するとする「利己的遺伝子」という見方を提唱した。どちらの考えにしても、種を維持するのような仕組みは進化せず、利己的遺伝子の見方は「種の保存」の考えを否定するものである。
 利己的遺伝子論は「視点」であり、実際にどのように自然選択が働いているのかを適切に表現しているわけではないし、現代進化学で自然選択の理論として一般的に受け入れられているわけでもない。生物個体がより多くの子どもを残すことに貢献するような性質(個体にとって有利な性質)が自然選択によって進化するが、場合によっては、遺伝子にとって有利な性質が進化することもあるし、限的的には小さな集団にとって有利な性質が進化することもある、と考えるのが現代進化学での見解である。いずれにしても、福岡氏は、進化のメカニズムに関する理解がないか、無視していると思われる。種の保存のために進化するという考えが誤りであるという理由は「種の保存のための進化」はどこが誤りなのか」の記事で解説した。また、利己的遺伝子をどう考えればよいかについては、「「利己的遺伝子」の誤解を招かない使い方」で議論した。
 生物は、多くの場合、生物個体にとって有利な性質が進化するので、「利己的」といえる。しかし、自らはコストを払って不利になっても、他個体に有利になるような行動が進化することがある。このような利他行動の進化については、多くの研究が行われている。たとえば、血縁選択、集団選択、互恵利他性、間接互恵利他性などの利他行動の進化を説明する理論がある。それらは、結局のところ、利他行動をした個体(あるいは個体がもっている遺伝子)に利益をもたらすから進化するというものだ(集団選択では、小さな集団にとって有利な性質が進化する)。
 ヒト(ホモ・サピエンス)の場合は、他の生物とは違った利他的性質を示すことは知られている。ヒトは、言語を獲得し、制度や規範、他者の評判などをもとに利他行動をする。また、ヒトは、同じ集団内のメンバーには利他行動が向けられやすいが、集団外のメンバーには、差別や排他的な傾向を引き起こす特性ももっている。利他行動をするかどうかの判断は、教育や文化的背景などにも影響される。しかし、利他行動をとりやすいかどうか、あるいは利他的な心の状態を生みやすいか、規範に従いやすいかどうか、などは遺伝的な影響を受けていることが知られている。ヒトだけが、「進化した遺伝情報」の影響から完全に逃れられているわけではない。実際に、ほとんどの人間の性質に遺伝が影響を及ぼしていることが示されている(12)。利他行動や利他的な心を引き起こす脳の機能は、ホモ・サピエンスが進化する過程で、遺伝情報(ゲノム配列)が変化することで、獲得されたものである。利他行動の進化については、「ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか」を、ヒトの向社会的行動の進化については「ヒトの向社会的行動の進化:なぜ人は利他的に振る舞うのか」で解説した。
  福岡氏は、利己的な遺伝子について、万博の《いのち動的平衡館》の思想について以下のように述べている。

生命の利他的なふるまいは、イギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンスが『The Selfish Gene(利己的な遺伝子)』(1976年)のなかで述べたような、自己複製だけを目的とする利己的な生命の姿、すなわち20世紀型の生命観へのアンチテーゼと言えます。そこで私は、「利他的共存」を生きる生命の姿こそ、この万博で描くべきテーマだと考えたのです。[万博《いのち動的平衡館》で伝えたかったこと(9)]

 つまり、遺伝子の自己複製だけを目的としているというドーキンスの生命観は、20世紀型で、そのアンチテーゼが「利他的共存」であると福岡氏はいうのだ。ドーキンスの利己的遺伝子生命観が正しいかどうかは関係なく、多くの場合、生物個体の生存と繁殖に有利に働く性質が進化したものと考えて一切矛盾がない。他者ではなく、自己にとって有利な性質が進化するという「利己的」な性質が生物では進化してきたといえる。
 利己的な見方のアンチテーゼである「利他的共存」が生命観であるとする福岡氏の主張は、論理的な整合性もないし、実証的な支持もない。福岡氏による「利他的共存」思想は、単に生物の実際の仕組みや原理を心情的に拒絶し、自分の気持ちにとって心地のよい「見方」を採用するという恣意的理由による思想であるといえる。

要約

生命は基本的に利他でない:「動的平衡による生命は基本的に利他的である」とする生物学的な根拠は全くない。単に、偶然の結果にって他者に利益を与える場合や自然選択によって個体にとって利己的な性質が進化した結果、利他的になる場合も含め、「利他的」といっているにすぎない。生物が利己的遺伝子によって束縛され、種の維持に働いている、という理解など、現代進化学の知見を福岡氏は理解できていないか、無視している。

動的平衡生命観がもたらす問題

一般への誤解を招く生命観・生態学・進化学の理解

 本稿で述べてきたように、福岡氏の「動的平衡」に基づく生命観は、科学的根拠に乏しく、現代の生命科学とは整合しない部分が少なくない。多くの生物学者は、「身体の組織や細胞が常に作り変えられ、更新され続けている」という現象を示す表現として「動的平衡」が使われているだけで、特に問題はないと考えているかもしれない。しかし、福岡氏の議論を丁寧に見ていくと、そこで提示されている「生命の捉え方」は、現代の科学的知見や理論と相容れない生命観であることがわかる。
 さらに、この生命観をもとに、生物・自然・進化についての誤解を招きかねない発言が様々なメディアで発信されてる。その結果として、生物学や進化学、環境学に関する正確な理解が一般社会に広がることを妨げている面は否定できない。専門知識を持つ人にとっては誤りがすぐに分かるとしても、多くの人々にとっては誤った生命観が「もっともらしい知識」として浸透してしまう危険がある。
 また、福岡氏は、教育の場にまでこの「動的平衡」生命観を持ち込もうとしており、実際に一部の教育関係者がその導入を検討している(13)。実際に、大修館書店、光村図書の国語科教科書に福岡氏の文章が掲載されている。科学的に妥当性が認められない生命観を子どもたちに教えることは、教育といえない。

自然のしくみの理解や環境対策の妨げ

 世界的な生物多様性の減少は、人間への恩恵(生態系サービス)の低下をもたらし、経済的にも大きなリスクとなっている。生物多様性による生態系サービスの減少を食い止める対策には、生物間の相互作用や生態系のしくみを科学的に理解する必要がある。たとえば、食う・食われる関係は、かならずしも一定の数で維持されるものではなく、頻繁にどちらからが絶滅し、関係が崩壊している。人類の影響がない時代から崩壊はある頻度で生じていたが、人類によって崩壊のスピードが増加していることが示されている(14)。食う・食われる関係を崩壊させているのは何かを理解し、多様性保全の対策に活かすことが重要である。食う・食われる関係が利他的関係であるというような思想は適切な理解の妨げとなる。自然界が利他的な関係であるという思想は、「飼育生物も生態系にとって利他的に振る舞うので、野外に放してもよい」とか「問題のある生物の個体数をコントロールするための駆除に反対する」といったような感情的に自然との共存を主張する人を増やす結果となる。
  国外でも類似した現象が問題になっている。樹木は「友情を育み、互いに養分を与え合う能力がある」と主張する本や「共通の菌根ネットワークを通じて、利他的に互いの必要性を伝え、エネルギーや栄養素を送り合っている」と主張する本が一般で人気を得ために、科学的に適切な森林管理が阻害されているという(15)。この問題を取り上げた論文の著者は「確立された植物科学者がこうした疑似科学的な解釈の出版に迅速に対応していれば回避できたかもしれない」と述べている。福岡伸一氏の生命観でも同様の問題が生じることが懸念される。
 環境省は、大阪・関西万博において、福岡氏がプロデュースする「いのち動的平衡館」と連携したり(17)、「EXPO2025 いのち動的平衡賞」を新設したりしている(18)。このような環境省の動向は、環境政策(たとえば地域循環共生圏)に生物学的根拠のない「生命観」が影響を及ぼし、科学に基づかない政策が紛れ込む余地を生んでしまうのではないかと危惧される。

適切な文理融合への障害

 福岡氏の動的平衡生命観を高く評価しているのは、多くのメディアの他、人文学者や思想家、哲学者、教育学者の一部である。これらの人々は、自分の主張や思想、その生命観が生物学的に正しいかどうかとは関係なく、自らが主張したい考えや思想に合った生命観を高く評価する傾向にある。このような傾向は、思想や社会が科学的見解を否定したり、利用したりしてきた構図と同じである。たとえば、マルクス主義思想のソビエトが、思想と反するということからメンデル遺伝学を否定し、弾圧したのと同じである。また、今西進化論が、自らの思想をもとに、ダーウィン進化論を否定したのも同様である。多くの人文学者は、ダーウィン進化論を社会に悪用することに対しては厳しい批判をするが、科学的に間違った理論や思想を、社会に適用することに対しては推奨したりすることもあるし、沈黙したりする。福岡氏の動的平衡生命観を高く評価する一部の人文系の学者の方々は、その生命観の妥当性を科学的に説明できるのだろうか。
 進化学から捉えた生命の実像は、必ずしも人間社会にとって都合のよいものではない。そういった「生命の実像」を受け入れないで、心地の良い生命観を採用する傾向がある。たとえば、『ポストコロナの生命哲学』で、福岡氏と対談した藤原辰史氏は、「福岡さんが「利他」という言葉を使ってウイルスを説明されたことにも非常に感銘を受けた」と述べている(5)。これは、自分がすすめる「利他」の研究に共鳴したからであり、生物学的な正しさからではない。また、哲学者の池田善昭氏は、福岡氏を高く評価しているが、西田哲学との整合性がよいという理由であり、生物学的な根拠はない(19)。
 文理融合の重要性が幾度となく強調されている。実際に、人間社会の様々な問題は、生物学を含めた科学だけでなく人文系の学問分野との連携が必要である。少なくとも生命に関する現象や問題について、生命科学以外の分野からの視点で議論するためには、福岡氏の「動的平衡生命観」を感覚的に受け入いれてしまうような態度は問題が大きく、最低限の科学リテラシーが必要である。

最後に

  本稿で述べてきたように、福岡伸一氏の動的平衡による生命の解説は、現在の生物学的知見を無視した根拠のないものである。最初の著書『生物と無生物のあいだ』では、20世紀初頭に考えられていた生命の原理を、生命のしくみの原理として、比喩的で文学的な表現として説明を試みていた。また、巧みなレトリックを使って、あたかも過去に議論されていた物理化学的な秩序を生物個体の仕組みの維持にすり替えて解説したものである。さらに、後続の著書では、「生命観」の科学的根拠はほとんど述べず、自らの思想を表明するために「動的平衡」を持ち出しているとしか思えなくなっている。『動的平衡は利他に通じる』では、生物学ではなく、ほとんど思弁的な思想を語る書となっている。
 福岡伸一氏の思想は、 個々の分子や細胞はあくまで入れ替わるピースにすぎず、重要なのはそれらがつくる全体の持続的な秩序である、という古典的でナイーブな全体論の一種であるといえる。このようなナイーブな全体論は、新しいものではなく、現代生物学を批判するお決まりの哲学思想である。
  福岡伸一氏は、生物学者の肩書を付して、純粋な思想や宗教として自らの考えを表明するのではなく、「生命科学の新しい見方」として提示し、動的平衡生命観を世間に拡げている。これは、まさに疑似科学的な思想といえる。こうした思想に対し、これまで十分な批判が行われてこなかったことは、私自身を含め、生物学者にとって問題であった。できるだけ多くの方に本稿を読んでいただき、動的平衡生命観の問題点について知って頂ければ幸いである。また、福岡氏の解説は、レトリックに冨み、論理的に展開されていないために、理解に難しいところが多い。動的平衡生命観に対する私の理解の間違いを含め、本記事の論考についての賛同および反論があればご指摘ください。

謝辞と賛同者

  本稿は、以下の方々に読んでいただきコメントを頂き、修正すべき点などを指摘して頂いた。また、同時に、福岡伸一氏の「動的平衡」の思想が広がることに関する懸念に、賛同して頂いた。ただし、本記事の内容については、著者である河田雅圭にすべて責任がある。

土松 隆志 (東京大学)、佐倉統(東京大学)、深野祐也(千葉大学)、末次健司(神戸大学)、千葉聡(東北大学)、辻和希(琉球大学)、細将貴(早稲田大学)、桑江 朝比呂(ジャパンブルーエコノミー技術研究組合)、宮下直(東京大学)[順不同]

引用文献

  1. 八代嘉美 (2010) 科学者が発言するということ. https://synodos.jp/opinion/science/1578/

  2. 福岡伸一 (2007) 生物と無生物のあいだ。講談社現代新書

  3. 福岡伸一 (2017) 新版:動的平衡ー生命はなぜそこに宿るのか。小学館新書

  4. 福岡伸一 (2025) 動的平衡は利他に通じる。朝日新書

  5. 福岡伸一, 伊藤亜紗, 藤原辰史(2021). ポストコロナの生命哲学。集英社新書

  6. Kamminga, H. & Weatherall, M. W. (1996)The making of a biochemist. I: Frederick Gowland Hopkins’ Construction of dynamic biochemistry. Méd. Hist. 40, 269–292.

  7. Libretti, S., & Puckett, Y. (2023). Physiology, homeostasis. In *StatPearls from https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK559138/

  8. ポール・ナース (2021)WHAT IS LIFE? 生命とは何か. ダイアモンド社

  9. 福岡伸一 (2018) 新版:動的平衡2ー生命はなぜそこに宿るのか。小学館新書

  10. 福岡伸一、万博《いのち動的平衡館》で伝えたかったこと #1 思想篇.https://distance.media/article/20250707000487/

  11. 生物学者・福岡伸一×為末大対談 (AGUAR I-PACEINNOVATORS’ TALK「遊びやゆらぎ」を許容する生物は淘汰されない. https://www.jaguar.co.jp/jaguar-range/i-pace/special-contents/hukuoka-tamesue.html

  12. Polderman, T. J. C. et al. (2015) Meta-analysis of the heritability of human traits based on fifty years of twin studies. Nat. Genet. 47, 702–709.

  13. こどものともひろば、福音館書店。https://www.kodomonotomo-pr.com/2024/08/10256/?utm_source=chatgpt.com

  14. Fricke, E. C. et al. (2022) Collapse of terrestrial mammal food webs since the Late Pleistocene. Science 377, 1008–1011.

  15. Robinson, D. G. et al. (2024) Mother trees, altruistic fungi, and the perils of plant personification. Trends Plant Sci. 29, 20–31.

  16. R. Schoenheimer (1942). The Dynamic State of Body Constituents. Harvard University Press.

  17. 環境省、大阪・関西万博2025特設ページ. https://www.env.go.jp/policy/expo2025.html

  18. 環境省グッドライフアワード。https://www.env.go.jp/policy/kihon_keikaku/goodlifeaward/

  19. 私たちは常に自分を壊し続けている––生物学者・福岡伸一氏が読み解く、生命の矛盾 https://logmi.jp/knowledge_culture/culture/231876?utm_source=chatgpt.com

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