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答えを知らないということ

「答えを知らない」という言葉がキラキラしなくなるのは、いつの頃なのか、気づかないうちに段々と色が変わっていくのか、意味合いが変化していくのか。


不安な僕たち

「答えがわからない」
例えばこの先がどうなるのか見通せない、理由がわからないことが起こっている、そういうとき足元がおぼつかない気持ちになる。はやく安定した立ち位置を確保したくなる。

大人のほうがこの傾向は強いなぁと思っていて、探求学習を企画しているときも先生の方が「この先はどう進めたらいいんでしょうか」「(こどもたちの)どういう反応があれば良いですか」と、不安そうだ。

最近の2倍速で話題の映画を見たり、書籍の要約だけを読むようなことも、みんなが知っている共通解をなるべく早く知りたいという不安が根底にあるのかな?とふと思った。タイパ的なもの。

ネガティブ・ケイパビリティ

わからない状態は怖いが、それに耐える力のことをネガティブ・ケイパビリティというらしい。
色々調べて、咀嚼した自分なりの解釈でいうと、
「わからないことをわからないままでいられる力」

用語の起源は19世紀のイギリスの詩人、ジョン・キーツという人が弟に書いた手紙らしい。

自分の意見や道徳観を押し付ける詩人ではなく、シェイクスピアのように「自分という存在を空っぽにして、善人にも悪人にもなりきれる受容性」が素晴らしい、と。

なんか無我の境地的な意味合いも感じる。ありのままを受け取るみたいな。

その後20世紀にイギリスの精神分析医 ウィルフレッド・ビオン(Wilfred Bion) がこの概念を臨床に適用。

患者を治したいという「欲望」や、過去の知識に基づく「記憶」を捨て、「記憶なく、欲望なく(without memory or desire)」患者と向き合うべきだ

こちらはこう「今ここにあるもの」みたいなニュアンスなのかな。予断を持たないこと。

ビジネス界隈も調べると、「Adaptive Leadership(適応型リーダーシップ)」みたいな文脈で欧米のビジネススクール関連で少し出てくるね。
わからないことを認め、安易な解決策に飛びつかず、そこから考えるスペースができて創発的なアイディアが生まれる、的な。

うーん、これは少しずれてる気もするな。創発的なアイディアを生むのが前提ならそれはもうわからないことに耐えてない気もするが。

わかっているとは

そもそも「わかっている状態」ってなんだろう。
理解していること、予測ができること、認知していること。

理解していること。何かの枠組みを使って説明ができることとすると、こう完全な理解は難しいね。どうやったって人は自分の視覚の、言語体系のフィルターを通してしか物事を理解できないから。僕の悲しいと君の悲しいは違うし。

予測ができること。これも難しいよなぁ。絶対はないのだよ。完全な予測は難しい。限られた時間の限られたフラスコの中とかならできるかもしれないけど。

認知していること。これも難しいよなぁ。認知できていないことを認知できないし。我々がもしマトリックスの世界に生きていたとしても、認知できない限り、この世界はこの世界だ。

ってなると、そもそも完全にわかってる状態なんかないから、それを理解しているってことなのかな。無知の知的な。
そしてそれをベースにずっと考え続ける、大分きついけど、それをわくわくしながらできる能力。

探索者?


ただこれって人間の進化からは反している気もする。
だって、多分まだ狩猟をしていたころにいちいち考え事してたら殺されちゃうし、だからこそ不確実な状態に不安を覚えるようになったんだろうし。
あと、単純に考え続けるのってめちゃくちゃコストだもんね。

だとするとなぜ子どもは、ネガティブ・ケイパビリティが強めなんだろう。
まぁ子どもは守られているからとか、まだ判断機能が未発達(これからの出来事で作られていく)ってのはあるんだろうけど。
子どもが世界の探索者なんじゃないかなぁと思うんだよなぁ。

仮説)
大人が決まった地図で無駄を排除して、食料を調達する、生きるためのあれこれをする。
けど、これだと、適応できないことが起きると詰む。
子どもは、未熟さを活かして、色んな疑問を謎を追い続ける。もしかしたら危険があるかもしれないが、思ってもみなかった道があるかもしれない。
そういう人間代表の探索者の役割なんじゃないかな。


我ながら雑に書いちゃったな笑
そしてまた全然関係あるかないかのことを思い出したが、ピカソの台詞。

「ラファエルのように描くには4年かかったが、子どものように描くには一生涯かかった」

なるべく、子どもの探索者の火を消したくなくし、なんなら自分の胸にも小さくていいからいつも持っていたい。







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