山崎春美インタビュー
山崎春美はガセネタ・TACOのボーカルであり、またライターとして、日本のアンダーグラウンドミュージック界では半ば伝説とされている人物である。この「文化ポータル」主催である私、千川新はcomputer fightというバンドでギターを弾いているのだが、ガセネタからの影響を繰り返し公言してきた。2023年10月にcomputer fight + 山崎春美という形でガセネタの曲をライブで演奏、同年12月にはcomputer fightとTACOの2マンライブを主催。2025年5月にはcomputer fightのメンバーがガセネタに加入する形でcomputer fightとガセネタの2マンライブを開催。そういった縁もあり、2025年9月にインタビューを決行した。

春美少年の生い立ち
千川:本日はよろしくお願いします。
山崎:よろしくお願いします。
千川:今回は山崎春美さんがガセネタを始めるまでと、あとは近年の活動、主にcomputer fightとの関わりについてお聞きしたいなと思います。じゃあまずですね、出身はどちらですか?
山崎:出生地は(大阪市の)東淀川というところで、そこから西淀川に(引越して)住んでたんだけど西淀川で育ったような記憶がある。
千川:それは物心つく前?
山崎:7歳ぐらいまで。近くの小学校に入って、転校したような形で北の方へ、豊中の北の方へ移ったから。 大阪の。
でまあ、弟がいるんだけど。4つ下の。だから、弟の記憶では弟はせいぜい3つぐらいまで(西淀川に)いるんだよ。だから、それと比べると7つまで行くと相当強いんだよ、印象がね。だから北の田舎にこんな田舎に来て。その頃さ、地名が少路だよ。少路、字(あざ)。字(あざ)とかついたらもう田舎だと思ってて。実際、そこからどんどん人口が増える地域だったけど。
千川:いわゆる郊外ということですか?
山崎:そう、 千里ニュータウンの横ぐらい。
千川:千里ニュータウンですか?大阪を観光しに行くと万博公園に行くときに乗り換える。
山崎:そうそう、万博に俺出てるからね地元の小学生として。合唱隊、太陽の広場で。当時あの大阪の公立小学校でそれぞれ歌わせていた「チコタン」という変な曲。で、今見ると資料として出てくるんだけど、「大阪弁のイントネーションを上手に使ったメロディで変わった曲である」って書いてある。チコタンという少女がいて、この歌は最後に交通事故で「チコタン死んじゃった」って。死んじゃうんだって。まあ、交通事故が社会問題化してたから。
千川:そういうちょっと啓蒙的な……
山崎:もちろん学校が推薦してやってる曲だから。
名門、甲陽学院への入学
千川:少し話が戻るんですが、春美さんは何年生まれですか。
山崎:1958年生まれです。で、65年に豊中に引っ越してくる。万博があったのは70年。万博は小学校六年。
転機としては、(豊中への)引っ越しが一つの転機で、そのあと70年万博でしょ、71年に中学受験して西宮に行くから、そこが二つ目の転機。
千川:それは『ガセネタの荒野』にもちょっと書いてあるような気がしますね。結構、進学校にいたとか。
山崎:はい、進学校です。当時京都大学の進学率が全国トップだった甲陽学院。
(甲陽学院出身者で)この界隈的に有名なのが、だいぶ上に柄谷行人さん。4つぐらい上に鈴木創士。3つか4つ下に柳下毅一郎。
千川:西宮の甲陽学院に大阪から通っていたと。それまでの小学校生活とはだいぶ周りの環境が違ったと思うんですけど、どういう雰囲気でしたか?
山崎:俺、小さい時は大阪の市内にいて、 郊外の豊中行って、そこの小学校にも6年いるわけでしょ。それで、やっぱりある程度地方だなとは思うから、大阪市内に比べると、その街中のガチャガチャしたお店屋さんの子とかは(豊中には)いなくなるわけで、当然。
千川:下町みたいな。
山崎:そう。俺、幼稚園も4年行ったんで、親が商売してるから。どっか預けたいから。幼稚園も普通3年までだから、1年保育、3年幼稚園という感じでもうくっついてて同じ場所だから4年行って小学校に入る。だから、そうすると周りは、十三とか街中だったから、街の子が多いわけよね。街の子と比べると(豊中は)郊外の人たちだから、引っ越したときはサラリーマンはあまりいなかったけど、(豊中にいた)6年間は60年代の高度成長とちょうど重なるから、サラリーマンが増えていくようになってくる。
三島由紀夫が自決した次の年に(甲陽学院に)入っている。三島由紀夫が自決したのは1970年の11月25日。
千川:それは全国的にすごいニュースになったわけですよね。
山崎:もちろん、もちろん。覚えているのは、夕刊に三島由紀夫の自決が出てるのよ。それをパッと一番見出しを読んでたら、天ぷらを揚げている母親が、え?って言って振り返ったから。天ぷら揚げてるとき、ヨソ見は危ない。母親とか父親とか、もう文化へのコンプレックスは多少はあるけど、教育を受けていないとか、そういうコンプレックスが強くて。母親が引き上げの人で、生まれたのは今の北朝鮮の平壌で。日本人が向こう行って、一旗あげようと思ったわけで。終戦になっちゃったから、引き上げないといけないっていうので、(母親が)裸に現金を晒しで巻いて、命からがら帰ってくる。
千川:すごいですね。
山崎:すごいそういう話があって、根性が入っているわけです。 それでまあ、いろいろあるんだけどね。あまり広げるとややこしいから。
千川:では中学の話を聞きたいです。
山崎:文芸部はなかったんだけど、学報部、要するに新聞部みたいなものはあったから、それを文芸部的に直してやろうと思って。
だから、三島由紀夫の自決の次の年なんだけど、三島をテーマに書いたりしてるやつがいて。彼の影響をずいぶん受けるわけですよ。要するに三島由紀夫の自決はああだこうだ書いてあって。最終的な結論は中年太りを恐れて自殺したんじゃないかと。
そこまで皮肉っぽい表現とか批評性は触れてこなかったから。小学校のときはスクスク育っている感じだから。
ロックマガジンとの出会い
千川:それは春美さんの書く文章に繋がっている感じはしますね。
山崎:それはあるよね。高三のときにロックマガジンというのが出たから、大阪で。大阪で出たから行けるわけよ。今の子だと大阪から東京まで行くのは、お金はそれなりにかかるけどなんとかしたら行けるじゃない。でも当時まず考えられないことで。今、北海道の人と電話したからってそんなに電話料金は変わらないんじゃないかな。それが全然違うからね。大阪同士ならちょっとぐらい長電話しても大丈夫だけど、東京の人と電話で話すと、公衆電話に行くと100円がどんどん落ちていくから大変だよね。
そういう世界だったから、東京に行くってことは考えにくいから。そういった出版系の会社はほとんど東京にあるので。それがパンクロックが出る直前くらいかな。1976年。
今はネットの世界でみんなこうやって(文字を)打ってて、すぐ活字化されるじゃない。そういうものは一切ないわけで。(学校では)ガリ版刷りで手書きの原稿を刷って。配布しようにもそういうものしかないから。自分の書いたものが活字になるとこう……自己満足もあるし、他人も羨んでくれるしみたいな世界がある訳だから。ロックマガジンに行ったときに最初に原稿持ってくるでしょ。「いやーこれは」って言うから、次の日別のやつ持ってくるよね。で、3日目に行ったときに「お前また来たのか」って言われて、「こいつのページやれ」って言われて、やったあ、と思うんだけど。で、そのときにスタッフの人が「じゃあ君ここに名前書いておいてよ」って言うから、その時にパッと「山崎春美」と思いついて、そのまんま書いて。
千川:なるほど。「山崎春美」は、そのときに名前書いてって言われて、思いついた名前をずっと使ってるんですね。
山崎:もうちょっと言うと、男のなのに「春美」ってつけてるわけじゃん。江戸アケミっているでしょ。あれも同じだと思うんだけど、どっからつけてるかって、要するに戦後落ちぶれた日本で、今で言うとスナックみたいなところで、女性が働いて源氏名をつけるでしょ。それでじゃあ「春美ちゃん、第3テーブル」とかそういう世界。だからまさにそうだなと思うのは江戸アケミ。俺が知っているのは。
それで、男子中高で一番そういう女性の関心があるときに、6年間男ばっかりいるわけで。高3のときにその辺に唯一いる11歳年上の人と懇ろになって。そうすると、学校なんかどうでもよくなって。彼女がいて、なおかつ雑誌の編集部に出入りできるようになったから。その2つは別の話だけど、俺の中では転機という意味ではまあ同じタイミングであって。
千川:ロックマガジンではなく、学校では自主的にどういうものを作っていましたか。
山崎:「少女流謫(るたく)」という。2、3号は作ったのかな?ルイスキャロルが撮った少女の写真なんかを最初は持ってきて。デザインも考え始めて。中身は小説や詩の批評だったりとか。さっき言った彼と二人で作って。
それで、高校1年の時に文化祭みたいのがあって。文化祭だからでかい模造紙にマジックで「三大特集」というのを書いて(掲示して)。第一特集が宮沢賢治、第二特集が育児。育児において人は間違って育てられるから、大変重要である。当時の流行もあるけどね。第三特集はナロードニキ。めちゃくちゃなんだけど。
千川:『ガセネタの荒野』にも大里俊晴が、春美さんのことを、文章を書いている人として出会う前から既に知っていたとありますね。それはロックマガジンの話ですか?
山崎:ロックマガジンにも書いていたし、76年が高三だけど、77年になったあたりでは別のことも始めて。月刊OUTというアニメーションの雑誌が創刊して。ロックマガジンのメンバーの中にその創刊をやるという人がいて。
それで、俺が受験のために東京行くから(その人が作った)版下を持っていくことになって。新幹線の京都駅で版下をもらってそれを月刊OUTの創刊のときの編集長に渡すために、渋谷のハチ公で待ち合わせて渡した記憶がある。そうすると、野球帽を被っている編集長が帽子をくるっと後ろに回して、「じゃあゴーデン街行くよ」って連れて行ってくれたことがある。その頃のゴールデン街がどんなものか、よく覚えてないけど。
千川:それで大里俊晴は新潟の田舎出身で、春美さんを一方的に知っていたんですね。ものすごい文章を書くやつがいると。
山崎:(大里が自分を)知っていたとか聞いたことないけどね。
千川:多分あれは、大里の内心にあったんじゃないですか。
山崎:俺、読んだとき、へーっと思った。
千川:それで受験のために上京して。高校は卒業したんですか?
山崎:卒業してる。大阪の編集部に入り浸っていて、彼女もいて幸せは幸せなんだけど、学校はあんまり行ってなくて。でも、俺の一つ下、乾純の学年が高三になる頃には学校が移転することになって。
それで教師に「単位が足りないと思うんですが」と言って。受験しないことには東京行けないし、 東京行くのは絶対だと思ってるから。田舎に行ってもしょうがないと思ってるから。だから多分学校も移転するし、色々あって忙しいからそこはもうええからという感じで卒業して。
それで、予備校に入らなきゃいけないって言われて。駿台に枠があるからお前行くか、とか言われて、あ、行きますって。で、駿台入ったはいいけど、ほとんど行ってないからね。
千川:駿台は東京のお茶の水の?
山崎:そうそう。
ガセネタ結成
千川:それこそ『ガセネタの荒野』に書かれている明治大学の現音ゼミの話に繋がってきますね。
そこらへんはちょっと『ガセネタの荒野』を読んでとしか言いようがないですけど。では、浜野純との出会いについて教えてください。
山崎:まるで大里の話だと、現音ゼミで出会ったように書いてあるけど、その前に浜野とは既に会っています。
山本哲(あきら)という早稲田の法学部の教授の息子がいて。物凄い軽い奴で。浜野純と出会ったのは山本哲の家。俺が東京行って、山本哲と知り合って、彼の家に入り浸っていて、そこへいろんな奴が来て。ロリータ順子もそのとき来てるし、石田(ECD)も来てるし、浜野も来てる。
そこで会った印象は、山本哲が常にジョークのように馬鹿なことしか言わないから、「かたせ梨乃と自分はデキている」とか。(自分も)ヘラヘラ笑っていて、浜野も同じような感じで応対しているから。明大でいきなりギター弾き出す浜野を見ているわけじゃん、大里は。『ガセネタの荒野』によれば。その印象とは全然真逆だよ、俺が見ているのは。ヘラヘラみんなで笑っているみたいな。
千川:(浜野の第一印象は)大里がめっちゃショックを受けたような天才ギター少年ではなくて、みんなでヘラヘラ笑っている中の一人だったと。
山崎:ヘラヘラ笑ってる中で、(浜野は)皮肉とか痛烈なことをときどきポツンと言うとか、そういう世界。そういう人間性とすごいギターが、俺の中では表裏でそういうことはあるだろうと思っているから。
結局、現音ゼミといったって話し合ったりしてるだけで、今みたいに(ギターを)弾いてみせるとか、そういうことはありえないし、弾いた録音を聴かせるということも出来ないし、ありものの、売ってるものしかかからないわけだから。
千川:その中の何人かで気が合えば、バンドやるなり……
山崎:でもそれ別の場所でやるしかないから。結局集まっても話をしてるだけだよね。そうなるとポツンと皮肉っぽいこと言ったり、変なこと言ったりする浜野の方が(印象に残ってる)。というか、浜野と俺とは、そこにいた変なロック少年みたいな奴がバカな話をしているのを、横からからかって話をすると。
千川:そこで仲良くなったと。
山崎:そうそう。皮肉っぽさでは仲良くなれると。そんな感じが先だから。
大里も似たり寄ったりだと思うんだけど。話をしているだけだから。実際に(バンドを)やったらそのときは大変だったっていう話が書いてあるけど。なるほどねとは思うけど。
でも、あれは面白かった。自分の中にそのような肉体を使って何かする衝動みたいなのがあるとは思ってなかったから。
千川:だからその、物書きとして生きていくみたいな。
山崎:音楽とかできるとは思ってないから。
千川:僕の中では春美さんは結構ミュージシャンというよりは物書き、言葉の人だなっていうか。例えばボーカルをやるのもそれの延長。
山崎:俺を知っている人はみんな同じような印象だと思う。
あそこ(『ガセネタの荒野』)書いてある通りなのは、ドラムみたいにそこら辺のあるものを叩いてたら、ずっと俺はわめていると。それでボーカルをやるという。
千川:『ガセネタの荒野』だと大里俊晴の視点なので、浜野純の文化祭だかの演奏にものすごい衝撃を受けて、なぜか浜野に(バンドに)誘われて、そのときは春美さんがまだ混ざっていなくて。
山崎:誰が言い出したか分かんないけど、廊下で会ったときに誘われたから何でもいいよって。ドラムは無理だなと。楽器なんかは俺はできないよってことで。で、ボーカルってことになって。
たださっき言ったように、自分の中にそういう衝動があるとは思わなかったから。ただ言葉を発するわけだけど、なんか怒鳴ってたって聞こえないしね。大音量でギターが(鳴っていて)。
この間のcomputer fightとやったやつだって、俺が何歌ってるかわかる人はほぼいないよね。いないですね。すでに覚えてる人はそれは 聞いたらわかる。
「お風呂に入れば弥勒になれる」
千川:春美さんの中では結構明確に歌詞はあるんですよね。
山崎:あるよね。適当なことはその当時だとできないよね。言葉になったものしか。
巻上公一みたいに、意味がない言葉をずっと言ってろって、今はできるけどその当時はできないよね。
千川:春美さんの歌詞はすごい面白いと思うんですけど。「お風呂に入れば弥勒になれる」ってのはこれは引用じゃないですか。あれはアドリブ的にパッとこう出てきた感じですか?
山崎:引用と言っても、風呂に久々に入った稲垣足穂が「弥勒」って言葉が浮かんだ、という長い文章があって、それを恐ろしく縮めてるもんだよね。「お風呂に入れば弥勒になれる」という文章があったわけじゃない。
千川:なるほど、そういうことだったんですね。じゃあそれはオリジナルといえますね。
山崎:編集とも言えるよね。見出しの付け方とも言える。
千川:歌詞にちょっと絞って聞こうかなと思うんですけど、ガセネタってバンドはまず音源を残さなかったですよね。誰か勝手に録音したカセットとかが、どらっぐすとぅあでしたっけ。関西で売られてたとか。
山崎:カセットに録音しないと、歌詞なんかつけられないから。普通に考えたら、あれぐらいのフレーズは覚えれば終わりだろうって気もするけど。
千川:例えばこれをレコードにして出そうとか。
山崎:そういう話はまずないよね。
千川:レコードを出すのが資本的に難しくても、じゃあカセットも売ろうともならない。
山崎:それもならない。社会的に数年の間にものすごいいろんなことが起きるので。EP-4の佐藤薫がカセットレーベルをつくるとか。ほんの短いスパンの中でそんなことが世の中で起きて。そういうのがあるなら自分らもやろうかみたいな発想になる時代の前ぐらい(に活動していた)。
千川:僕の中では、リリースしないのは何か物を売るみたいなことを否定してるという思想に基づいていたのかとずっと思っていて。そういう美学ももちろんあると思うんですけど、一方で単純に出さなかったのは金銭であったり当時のテクノロジーが理由だったと。
山崎:浜野の方が「いやこんなんじゃダメだ」ってずっと言ってるわけだから。「今日のは良かった、OKだね」って言うんなら、商品化もあり得るけど。そこにいかないよね。これじゃ全然ダメだって言ってんのにそんなもん作ろうとは思わないから。
やっぱり練習の時の方が(録音を)やっぱり後で聴いてもいい感じがあるね。実際のライブになると緊張するから。
千川:そうですか?
山崎:ガセネタの10枚組ボックスあるけど、あれもちゃんと全部聴いたかどうか怪しいと思ってんだけど。
うごめく・気配・きず
山崎:ガセネタの最後は吉祥寺マイナーで「うごめく・気配・きず」っていうイベントがあって。そのとき思ったのは、「うごめく」っていうのは動詞で、「うごめく気配」て言葉はあり得るんだけど、「うごめく・気配・きず」というのは、「気配」と「傷」がさ、名詞なんだからなんとかしろよと。
千川:「うごめき」とかだったらよかった。
山崎:「気配・きず・うごめく」だったらまあ大丈夫か。とか言っても誰もそんなこと聞いてなくて。
あれはなんでかというと、「気配」って灰野(敬二)さんが言い出して、そしたら(工藤)冬里の方が「きず」といって、「きず」と「気配」があって、そこで、いやちょっと待って れって、俺らはちょっと違うとか金子(徳寿)が言い出して、「うごめく」とかか言い出したんで。
それで一番最後に来た「うごめく」から順番になって、「うごめく・気配・きず」って。
「うごめく・気配・きず」ってガセネタだけじゃなくて。工藤冬里がいるでしょ、灰野敬二がいるでしょ、いろんなバンドが(表の)左側に書いてあって、右側に日付が書いてあって、自分たちが出れる日付に丸をして、ということで。そしたら、じゃあ全部に丸をつけろって(メンバーが)言うから、ガセネタだけ全部に丸がつく。で、毎日のように(吉祥寺マイナーに)行くわけだよね、毎日あるから。
千川:ああ、なるほど、「うごめく・気配・きず」は一日だけじゃなくて、バイトのシフトみたいな。
山崎:そうそう。
要するにその最後の日に(浜野が)「ガセネタは解散しました」って言ってんだから。
千川:そういう意味じゃ、ちゃんとやり切ったんだなっていうか。「うごめく・気配・きず」を。
山崎:確かに一カ月以上にわたって、そういう企画をやろうってことがあったのね。
もう既に間章と知り合っていて、ずっと(一緒に)色々やってて。阿部薫が78年の9月9日に死んで、間章が12月12日に死んで、次の3月3日に誰が死ぬんだって言ってたんだけど、誰も死んでない。
で、79年の頭に「うごめく・気配・きず」だから、3月の終わりくらいに解散をして、そこでガセネタが終わって。
その頃に工作舎が遊塾募集っていうのがあって、阿木さんが遊に書いていたから、阿木譲のところにいて、間章と知り合いで、みたいなこと書いて応募したら、松岡(正剛)さんが、「お前、髪の毛切れるか」って言うから、「切れますよ」って言って。まあそういう風に言うんだから、髪の毛切れば入れてくれるんだろうと思って、(その場で)髪の毛切ったら、入れたと。
遊塾って音楽の人はあんまり採ってないんだよ。持続するのもアップアップしてるような会社が遊塾みたいなのをやったら、営業も必要だけど具体的にはもっと目先のデザイナーとか、ライター、編集、これが必要な訳で、音楽のやつは別にいらない。
普通に考えると音楽の人はほとんど採ってないってよくわかるんだけど、でも入ったら編集に回されたから、編集でちょうどいいかなと思って。ライターとして書いてたからね。音楽の人はほとんど入れてもらえなかったっていう怨嗟の声が当時あったんだけど、しょうがないよ本当は。大体出版社が募集してるんだから。
まあ何の話だっけガセネタの解散ね。その辺でガセネタ解散はするからね。
ガセネタの歌詞
千川:あとはちょっと、ガセネタの曲名と歌詞について……
山崎:要するに1曲目も2曲目も同時に持ってきたの、浜野がね。最初の曲はこれだって言って、「雨上がりのバラード」のフレーズを弾いてみたけど、「これはあるけど」とか言い出して、ベースのフレーズで始まる「父ちゃんのポーがきこえる」 をやって「これだな」って言って。同時に2つ持ってきて、で、片一方は歌詞も乗せられそうなの。
千川:はい。それが「雨上がりのバラード」の方ですか?
山崎:そうそう。後の方(「父ちゃんのポーが聞こえる」)はさ、俺何するんだよ、みたいな曲じゃんって。
千川:ずーっとワンコードで。
山崎:そう、ベースでずっとやってるから。なんでその2曲を同時に持ってくのか、不明じゃん。
で、書き方としていいかなと思ったら、だからもう、雨が降った日に葬式があると、「雨が降りましたね」みたいなことがあるね。涙、涙と。
千川:勝手に意味を見出す。
山崎:そうそう、なぞらえると。だからまあ、雨上がりでしたね。雨上がり。かなりいい加減なことです。
千川:曲をもらった印象で。
山崎:そう、「父ちゃんのポーが聞こえる」はもう大事そうだから、俺はもうタッチしないようにして。で、なんか俺色々言ったんだと思うけど、 そしたら「ロックっぽいの作ってきた」って浜野が言って。確かに「宇宙人の春」はロックぽくて、歌詞もつけやすいよね。だからあれは、その日に歌詞をつけたんだけど。あの歌詞は悪くないと思うんだけど、浜野が普段言ってるようなこととか、そういうのを1番と2番入れてるからね。そこに3番を付け足して。
千川:現在廃盤になっている『ガセネタの荒野』なんですが、2023年の年末にTACOと対バンしたとき、春美さんのあとがきをつけて再版するという話をしていましたが。
山崎:書いておかないといけないことが何かあるはずだから。どこをポイントにしていいかわからないけど。それより先に、あれもこれもと(原稿が)あって。
それがいつ出るかっていう話でしょ、これは。大した話ではないんだよ、それは。
千川:もちろん僕としては、それはすごい楽しみだし、(出版されたら)新品で皆さん買えるので買って読んでほしいなという感じなんですが。
computer fightと山崎春美
千川:ちょっとガセネタの話は出来たので、 現代にうつろうかなと。
山崎春美さんに出会うちょっと前から話を始めたいと思うんですが、痛郎という人に僕は出会うんですね。僕は一緒にmotherというバンドをやっているんですけど。
簡単に言うと痛郎さんが知り合いのバンドを見に来ていたところにたまたま僕らが対バンで出ていて、すごく気に入ってくれて。で、僕と痛郎さんでLINEを交換したわけですよ。
ライブを終えてくたくたで帰ってくるじゃないですか。で、次の朝起きたら通話しないかって言われていきなりびっくりしたんですけど、まあいいかって思って。要は、ライブ終わった後に痛郎さんと話していて、何が好きなの?と聞かれてガセネタと答えたら、TACOと対バンさせようと思っていると。それですぐ動いてくれたんですよ。2021年の話なんですけど。ただ当時は痛郎さんも春美さんにコンタクト取れなかったみたいで。
僕自身も共演したい思いはありましたが、当時の春美さんの動向が分からなかったし、春美さんは同年代のコミュニティを中心に活動しているイメージだったので、僕らのような若い演者とやらないだろうと思っていたんですよね。
それで、2023年の春くらいに痛郎さんから、10月にMOZU(痛郎さんのバンド)とcomputer fightとSPOILMANの企画をやるから出てくれないかと言われて。そこに春美さんが出てくれたらcomputer fightと一緒にやってほしいと。とりあえずメールでは連絡が取れたと。

覚えているのは、僕と痛郎さんと春美さんの3人で企画の二週間くらい前に初めて打ち合わせをしたときですね。僕は痛郎さんと2人で上野のNEW DAYSの前で待ち合わせして、「春美さん今日くるんですかね?」と聞いたら、「もう椿屋珈琲店にいる」って言われて。わーってびっくりして。行ってみると山崎春美がいて。3人で話して決めたのが、なるべく4曲全部やりたいけど、もう2週間前で、多分当日しか練習入れないから、「社会復帰」と「父ちゃんのポーが聞こえる」は必須にしますか、ということでまとまって。
山崎:俺の方は若い人とやってるから、刺激を受けるけど。老人が与える刺激は(あるのか)。
千川:もちろん僕らもやりたくてやっているわけですから。
山崎:そりゃそうだろうけど。楽曲として見せられれば、そういう楽曲だから、 それをやるのは(computer fightとでも)かまわない。
千川:一つ思うの浜野純のガセネタは79年解散しましたけど、そこからはギターは成田さんがやったり、タバタ(ミツル)さんがやったり、山本精一がやっていたときもありますね。
そこら辺は春美さんと同年代の人脈ですよね。僕らだけ30個下の、ある意味そういう人脈から完全に途切れたところからポッと出てきた存在なわけですよ。だから全然文脈のない僕らみたいな若い人とやるのに抵抗はなかったのかなという。
山崎:TACOと違って、TACOはずっとやめてもいないから、TACOのアイディアだけ出してこんなバカなことやらないかってことでやったとしたらやろうって言ったらできるわけじゃない。ガセネタってもう出来上がって終わってるって言うニュアンスがあるじゃん。
千川:そうですね。もう曲はあの4曲しかない。
ガセネタの新曲
山崎:中央線の電車に乗っているとき、俺、タバタ(ミツル)、亀川(千代)、乾(純)の4人で電車の中で新曲を作るかどうかっていう話になって。多分亀川の奥さんが今も西荻でやってる店があって、そこに向かってるときだと思うんだけど。車両の戸口に4人立って喋っていて、阿佐ヶ谷から伊藤篤宏が乗ってきて、みんな知ってるから「あっ」とか言って、彼は荻窪で一駅で降りたのね。彼が降りてしまってから、「一体今のは何だったろう?」って言いながら、「新曲はいらない、4曲でいいと思う人」って聞いたら全員手を挙げて。
千川:(笑)
山崎:話題としてそれが挙がっただけで、全員それを否決してるから。
新曲といっても、アルバムが一枚出来るぐらいにたくさん作って出せば……まるで違ったものになるけど。
千川:それも面白いですけど、一ファンとしては「それだったらTACOでやればいいじゃん」と思いますね。
山崎:そうでしょ。そうなるよね。
千川:TACOはこれからも変容していく可能性はありますか。
山崎:83年に『タコ』というレコードを出した段階で、一番最後の曲がガセネタの「宇宙人の春」を入れているんだから何がなんだか分からない。あれが(ガセネタの曲が)世に出た一番最初。『Sooner or Later』の10年以上前。
『Sooner Or Later』の由来

千川:『Sooner or Later』はボブディランの曲が由来ですよね?
山崎:アルバム『Blonde on Blonde』の曲「One of Us Must Know (Sooner or Later)」、遅かれ早かれみんなそうなる。
千川:なんでここからタイトルをとったんですか。
山崎:歌い方の、例えば「do」だとしたら、「ドゥーーー」と引き伸ばすところが面白いなというのと。時間が経ってしまったけど、録音としてはそのときのものじゃない?昔の名前で出ています、みたいなことだけど、そう言うよりは「Sooner or Later」と言う方が面白いかな、という感じで。「遅かれ早かれみんなそうなるよ」というニュアンス。
ガセネタの場合、当時の世の中はインプロヴィゼーション自体に理解がないから、いろんな人から「何だこれは」と言われたもんだけど、(時代が進んで)普通になってきた。「前衛だね」と言われたりしなくなった。「時代の方が追いついた」という言い方もあるけど、「遅かれ早かれそうなったでしょ」と。
パレスチナについてのMC
千川:2023年に初めて春美さんと共演したとき、僕はすごい印象に残ったことがあって。当日リハをしたとき、「社会復帰」と「父ちゃんのポーが聞こえる」の曲間に何か喋ると言われて、何喋るんですかって聞いたら、パレスチナについて喋ると。
正直ちょっと意外だったんですよ。ちょっと失礼かもしれないですけど、そのときまだ会って2回目ですから、結構いろんな本なんかに、いろんな人の印象とか書いてあるから、ものすごいひねた人だと思っていて。
だからイデオロギー的なところはちょっとわからないですけど、人前でそういう戦争反対みたいなことを言う人だとは思っていなくて。けど、すごいやっぱりあの語り口調っていうのは非常に怒りがこもってて、伝わるものがあったんですよ。単純に。
例えば普段恋愛の歌とか歌ってるのに、こういうことが起こった時だけ発言するっていうのは結構僕の中では不誠実だなと思っていて。だけど春美さんのあの言葉っていうのは具体的な事象について、ちゃんと「ここで起こってることはおかしなことだ」と言っていて。国家間の戦争ではなくて一方的な侵略、ジェノサイドだと。やっぱり言葉の人だなと。
山崎:一般的な日本人はあの襲撃から知ったわけだけど、ずっと続いていることなわけで。それを俺は知っているし、具体的には数年前に足立(正生)さんが呼んだパレスチナのラッパーがいて、色々あって、実はその人はパスポートの有効期限が切れていて。家族とは二度と会わないと別れの盃を交わして日本に出てきて、「俺は(パレスチナに)行ったら殺される」と。結果的には何らかの形でマレーシアに行ってまだ生きていると。この前NHKの番組に出ていて。
千川:僕が言葉の人だな、て思ったのもそうなんですけど、この年代の知識人はちゃんと戦争には声を上げるんだなって。
それで、2023年の年末に「終わりなき日常を生きろ」というcomputer fightとTACOの2マンがあって。アンコールで「社会復帰」を一緒にやりましたけど。
よく覚えているのが、春美さんの(TACOでの)パフォーマンスですね。SM用の拘束具を付けて、目隠しをして、うちのボーカルに導かれて出てきて、そのまま演出として蹴飛ばされて、演奏が始まって。
山崎:彼がいたから、上手に蹴飛ばしてくれて。
千川:あの拘束具というのはやはりパレスチナのことを表現したんですか?
山崎:そう見えるだろうとは思ったけど、「これはパレスチナのことを模している」と言っちゃったらそれで終わっちゃうじゃない。
千川:特に音楽だと明確に全ての意図を伝えるというのは野暮ですよね。
山崎:もうちょっと言うと、言葉で説明しちゃうと意図が死んじゃう場合があるから、パフォーマンスだけやって。
千川:今年の5月にcomputer fightとガセネタの2マン企画に「正しい 傷つき/傷つけ 方」というタイトルをつけて。これは宮台真司が「芸術は傷をつけることである」と言っていることから引用したんですけど。
どういう傷かは分からないけど、春美さんがパフォーマンスすることでざわめきのようなものが生まれるというか。
山崎:一言だけ言っていい?「正しい 傷つき/傷つけ 方」と言うと断言性が強いから、「正しく」くらいの感じの方がいいかなと思ったけど、さすがにそこまで言うと細かすぎるかなと。
千川:「正しく」より「正しい」の方が響きがいいと感じたのと、僕が強い言葉で言い切るというのが好きというのもあるんですけど。ただ、フライヤーに企画の英訳も載せるたんですど、それが「How to hurt myself/yourself correctly」で、"correctly"は副詞ですから、「正しく」は確かに正確かもしれませんね。
最後に
千川:あとは『ガセネタの荒野』に向け、あとがきを書いてると。
山崎:あとがきを書いてるって変だから。俺の本じゃないんだから。書いた人が書くんだよ、あとがきは。解説に近いかな。
千川:月曜社の人頼まれたんですか?
山崎:もちろん。浜野純は生きてるけど、俺が残っているメンバーの一人だから。
千川:あと『Sooner or Later』とかをみんな聴けるような環境があると良いなと。
廃盤というのもありますし、普通にプレミアが付いていて手に入りにくいので。
山崎:今だって(現物)のCDがあれば(配信等)出せるような音は作れるんじゃないかな?音自体は。権利関係はもうないので。
千川:じゃあ出しましょう。
山崎:うん、出せる。出すならcomputer fightの一曲くらい足したほうがいいね。
千川:いや、『Sooner or Later』はあれで完成されてると思うんですよ。だから、足すんだったらブックレットとか。
だから、一ファンとしては是非、『Sooner or Later』をできればサブスクリプションサービスにも出してほしいと。
だから1/7のガセネタのライブ、『ガセネタの荒野』の再版、『Sooner or Later』と……
山崎:たくさんあるよね。
千川:それではこんなところで……だいぶ膨大な量のインタビューになったと思います。
info
1月7日(水) 東高円寺UFOCLUB
UFOCLUB30周年記念 "ろくろ企画「海馬の蹄」"
LIVE
ガセネタ(山崎春美+computer fight+アバラ[support bass])
原マスミ
ろくろ
DJ
トマトざえもん

