風はまだ、あの夏の匂いを運んでくる ――NSR250Rと7人で走った襟裳岬、青春の最終コーナー

 

キーを回す音が、旅の合図だった

1988年8月のお盆、北海道の朝は不思議な透明感をまとっている。
空気は涼しく、陽射しはやわらかいのに力強い。
ガレージでNSR250Rのキーを回すと、乾いた2ストロークの排気音が胸の奥を揺らした。(2日前、達也から突然の電話「お盆襟裳岬行こうぜ!宿とったから」)
「ああ、始まるな」
そんな予感が、エンジンの振動と一緒に身体へ伝わってくる。

今回の旅は7人。
私と、タンデムシートで背中を預けてくれる由美(ユミ)。
達也はRZ250Rで、後ろには恋人の瞳ちゃん。
俊夫はCBR400F、徹子(テッコ)を乗せて相変わらず余裕の表情だ。
そして単独参加の美優(ミー)CBR250F。年上の会社の男性と付き合っている彼女は、どこか大人びて見えた。

中学からの同級生、高校からの仲間、恋人同士、片想い、そして言葉にしない感情。
全部まとめて、札幌を出発する。


札幌から苫小牧へ、風に身体を預けて

札幌を抜けると、道は次第に広くなり、NSRは本来の顔を見せ始める。
回転数を上げるほどに軽くなるフロント、甲高く澄んだ排気音。
由美の体重移動が背中越しに伝わり、タンデムとは思えないほどリズムが合っていく。

苫小牧手前、ウトナイ湖に立ち寄った。
湖面は朝の光を受けて淡く輝き、マガモアオサギがゆっくりと近づいてくる。
パンを投げると、水面に広がる小さな波紋。
エンジン音のない世界で、時間が少しだけ緩んだ。

「こういう時間も、バイク旅だよな」
誰かの呟きに、全員が静かに頷いた。


ホッキカレーと太平洋の青

苫小牧で昼食。
名物のホッキカレーは、貝の甘みとスパイスの刺激が混ざり合い、走ってきた身体に一気に染み込む。
汗をかいた後の一口が、こんなにも旨い。

午後、太平洋沿いを南下する。
静内へ向かう道は、空と海の境界が溶け合うような青に満ちていた。
陽射しは斜めから差し込み、路面に白い光の筋を描く。
風は乾いていて、ヘルメットの中まで澄んでいる。

静内では馬の牧場に立ち寄った。
穏やかな目をしたサラブレッドたち。
この土地が、アイヌ文化とともに生きてきた歴史の厚みを、風が語っているようだった。


襟裳岬、風がすべてをさらっていく

襟裳岬が近づくにつれ、風の質が変わった。
強い。でも、心地いい。
岬の突端に立つと、太平洋から吹き上げる夏の風が一気に身体を包み込む。

女性たちの髪が風になびき、光を受けてきらめく。
その一瞬が、なぜか胸に刺さった。
この時間が、永遠じゃないことを、どこかで分かっていたからだ。

夜は岬近くの民宿。
素泊まりの気楽さが、かえって旅を自由にする。
居酒屋で囲む海鮮料理。
えりも昆布の昆布巻き、煮つぶの滋味深さ。
ビールの泡越しに見る仲間の笑顔が、やけに眩しかった。


翌朝、そしてその先へ

翌朝はコンビニのサンドイッチ。
簡単だけど、走る前には十分だ。
帰路は浦河町を抜け、日本有数のサラブレット牧場の中を走る。
草原の匂い、太平洋の風、雪の少ないこの土地が育んできた文化。
バイクは、それらを肌で感じさせてくれる。

昼は三石牛のステーキ。
噛むほどに溢れる旨味に、誰かが「贅沢だな」と笑った。

札幌に戻り、エンジンを切る。
NSRの熱がゆっくりと冷めていく。
この後、達也と瞳は結婚し、俊夫と徹子は別々の道を選んだ。
私と由美は友人としてシングルライフを楽しんでいた。

それでも、あの夏の風は、今も記憶の中で吹いている。
バイクは、場所だけじゃなく、時間までも運んでくれる。
だから私は、また次の休みも、キーを回す。

絶唱の15,000回転:ZX-4RRという名の「正解」

15,000回転の絶唱。ZX-4RRが証明した、カワサキという名の「正解」。

序章:時代の肖像

いつからだろうか。私たちが「効率」や「実用性」という言葉で、自らの情熱に蓋をするようになったのは。 かつて、日本の道には400ccの4気筒バイクが溢れていた。空気を切り裂く高回転型のエキゾーストノートは、若者たちの鼓動そのものであり、自由へのパスポートだった。しかし、時代の潮流は残酷だ。環境規制の荒波と、コスト重視の合理主義によって、多気筒マルチエンジンは次々と姿を消し、街は静かな並列2気筒の音に支配されていった。

「400マルチは、もう絶滅する運命なのだ」 誰もがそう諦めかけていたその時、ライムグリーンの閃光と共に、沈黙を破る咆哮が聞こえてきた。カワサキZX-4RR。それは、合理主義という名の眠りに落ちたバイク界を揺り起こす、文字通りの「衝撃」だった。

核心:エンジニアの咆哮

ZX-4RRのスペックシートを眺めるとき、私たちはそこに並ぶ数字以上の「熱量」を感じずにはいられない。 ラムエア加圧時に達成される「80馬力」。この数値は、単なるカタログデータではない。400ccという限られた排気量の中で、どれだけ濃密なドラマを描けるかという、カワサキエンジニアたちのエンスージアズム(熱狂)の結晶である。

あえて250ccや400ccという、世界的にはニッチとも言えるクラスでマルチシリンダーを開発し続ける。そこには、採算性だけでは語れない「エンジンの本田」ならぬ「エンジンのカワサキ」としての、血の滲むような矜持があった。16本のバルブが、超高回転域で精密なダンスを踊り、ピストンが目にも止まらぬ速さで往復する。それは、効率を最優先する現代において、あえて「手間のかかる宝石」を磨き上げるような行為だ。 「中型免許で乗れる最高峰を、我々が作らずに誰が作るのか」 エンジニアたちのそんな独白が、スロットルを開けた瞬間に解き放たれる野生となって、ライダーの全身を突き抜ける。

宿命:ライバルとの邂逅

ZX-4RRの孤独な戦いは、もはや400ccという枠組みには収まらない。 現在、このクラスにおいて、このマシンと真っ向から刃を交えられるライバルは存在しない。そのため、ZX-4RRが対峙すべき宿命の相手は、必然的にCBR600RRやZX-6Rといった、一クラス上のミドルスーパースポーツへと向けられることになった。

それは、軽量級のボクサーが、あえて階級を上げてヘビー級に挑むようなものだ。しかし、ZX-4RRには勝機がある。それは「回し切る喜び」だ。リッターバイクでは公道で到底辿り着けないレッドゾーン付近の官能。600ccクラスのスーパーマシンたちを相手に、15,000回転を超える超高回転域のスクリーム(絶唱)で追いすがる。その姿は、かつてのTT-F3レースを彷彿とさせる熱気を帯びている。孤高であることは、最強であること以上に美しい。それを、このマシンは証明してしまったのだ。

共鳴:市場が震えた日

ZX-4RRの登場が予告された日、市場には震源地不明の地響きのような熱狂が広がった。 特に、80年代から90年代にかけてのレーサーレプリカ・ブームを肌で知る世代にとって、このマシンの登場は奇跡に近いものだった。かつてのZXR400に憧れ、その戦闘的なスタイルに胸を焦がしたあの頃の情熱が、現代の洗練されたテクノロジーを纏って蘇ったのだ。

カワサキは、本当にやってくれた」 そんな歓喜の声が、SNSやショップの店頭で溢れかえった。80馬力という驚愕の数字に、誰もが耳を疑い、そして確信した。カワサキというメーカーは、ライダーが心の底で何を求めているかを、経営陣までもが理解している「硬派」な集団であることを。経営判断として「マルチを売る」という決断を下したトップの勇気に、世界中のファンが、言葉を超えた敬意を持って拍手を送った。

終章:今、ハンドルを握るということ

ヘルメットの中で、自分の荒い呼吸が聞こえる。 ZX-4RRのスターターボタンを押すと、4つのシリンダーが即座に同期し、密度の高いアイドリングを刻み始める。軽くレーシング(空ぶかし)をすれば、タコメーターの針は生き物のように跳ね上がり、官能的な高周波が鼓膜を震わせる。

このバイクに乗るということは、単なる移動ではない。それは、カワサキが守り抜いた「4気筒の火」を、自分の手で繋いでいくという儀式だ。スロットルを開け、10,000回転を超えたあたりから景色は一変する。世界は色彩を失い、ただ目の前の道と、咆哮を上げるエンジンだけが真実となる。

「我々ライダーなら、この感覚を理解できるはずだ」 かつて私たちがバイクに求めたのは、単なる速さではなく、心が震えるような「生」の質感だったはずだ。ZX-4RRは、その感覚を現代に呼び戻してくれた。

読み終わった今、もしあなたのガレージにライムグリーンの獣が待っているのなら、迷わず鍵を手に取ってほしい。まだ手に入れていないのなら、一度でいいからその咆哮を耳にしてほしい。 人生は短い。だが、15,000回転まで回し切るあの数秒間、私たちは確かに、永遠という名の自由をその手に掴んでいるのだから。



翼の逆襲:CB1000Fと新たな伝説

蒼い翼の逆襲。CB1000Fが「数字」と「情熱」で塗り替える、新時代の伝説。

序章:時代の肖像

ガレージのシャッターを開けるたび、私たちは自問する。今、本当に乗りたいバイクは何か、と。 振り返れば、近年のネオレトロ・ブームは一つの頂点に達していた。その中心にいたのは、常にカワサキZ900RSという巨大な太陽だった。かつての熱狂を知る者も、現代の洗練を求める若者も、等しくその輝きに吸い寄せられた。

しかし、その影で静かに、だが確実に「本田の4気筒」を待ちわびていた魂がある。1980年代、ナナハン(750cc)という言葉が、単なる排気量を超えて「強さの象徴」だった時代。あのCB750Fが放っていた、研ぎ澄まされた日本刀のような鋭さを、もう一度その手に握りたいと願う人々だ。静寂を切り裂く「エンジンの本田」の咆哮を。伝統と革新の狭間で揺れるライダーたちの期待は、いつしか臨界点に達しようとしていた。

核心:エンジニアの咆哮

新型CB1000Fに跨り、サイドスタンドを払った瞬間、確かな「答え」が脳を突き抜ける。軽い。 ホンダの技術陣が課した使命は、冷徹なまでの「超克(ちょうこく)」だった。ライバルを徹底的に研究し、その全項目を数値で凌駕すること。彼らが求めたのは、単なるノスタルジーではない。4ストローク4気筒という、ホンダが世界に知らしめた形式において、一切の妥協を排した「現代の最高傑作」を作り上げることだった。

解き放たれる野生――馬力、車重、そして足つき性。そのすべてにおいてZ900RSを超えようとする執念は、スペック表の一行一行に刻まれている。しかし、このバイクの真骨頂は「140万円以下」という戦略的な価格設定にある。 昨今のバイクが高嶺の花へと変貌しつつある中、この驚異的な数字は、エンジニアたちが経営陣と戦い、勝ち取った「プライド」そのものだ。「誰もが、最高の4気筒を楽しめるべきだ」。その意地が、鉄の塊に血を通わせ、このバイクをただの工業製品から「魂の機械」へと昇華させている。

宿命:ライバルとの邂逅

宿敵、カワサキZ900RS。それは美しき王者である。空冷風のフィンを纏い、アナログ二眼メーターに宿る伝統の様式美は、多くのライダーの心を掴んで離さない。 それに対し、ホンダが提示したのは「機能という名の美学」だった。

ここで一つの議論が巻き起こる。コックピットに鎮座する、フルカラーTFTデジタルメーターだ。 「アナログ二眼でなければ、レトロではない」。そう嘆く層がいることは、ホンダも承知していたはずだ。しかし、彼らはあえてデジタルを選んだ。それは、過去の模倣に終始することを潔しとしない、ホンダの意地だろう。CB750Fがかつて、当時の最先端デザインで世界を驚かせたように、現代のCBもまた、最新のデバイスを纏い、未来へ向かって走らなければならない。その機能性がもたらす利便性と、走りに集中できるインターフェースは、ライバルとは異なる「走りの純度」を物語っている。

 



共鳴:市場が震えた日

市場の反応は、まさに大喝采だった。特に、CB750Fに憧れ、スペンサーの走りに胸を熱くした世代にとって、このマシンの登場は「失われた季節」を取り戻すための号砲となった。 「ホンダが本気になった」。その噂は瞬く間に広がり、予約リストを埋め尽くした。

多くのファンが、そのフォルムに往年のスペンサー・レプリカの影を重ね、エンジンの造形にホンダの誠実さを見出した。デジタルメーターに対する否定的な意見さえも、このバイクがいかに愛されているかという「期待の裏返し」に過ぎない。実際に走り出せば、その精緻なエンジンフィールと、意のままに操れるハンドリングが、あらゆる異論を黙らせてしまう。かつての少年たちは今、大人の余裕と少年の心を持って、この新しい「F」を迎え入れたのだ。

終章:今、ハンドルを握るということ

ヘルメットを被り、Dリングを締める。指先に触れるスイッチ類、微かに香るオイルの匂い。 CB1000Fのスターターボタンを押すと、目覚めるのは1000ccの直列4気筒だけではない。それは、あなたがかつて夢見た「最高の自分」だ。

時代がどれほど移り変わろうとも、ライダーが求める根源的な喜びは変わらない。スロットルを開けた瞬間の、内臓が置いていかれるような加速感。コーナーの出口で地面を蹴り出すときの一体感。そして、夕暮れのサービスエリアで、愛車を振り返ったときに見せる、凛とした佇まい。

デジタルメーターが映し出す数字は刻々と変わるが、そこで感じる風の熱さ、胸の高鳴りは、あの頃のままだ。さあ、今すぐグローブを嵌めてほしい。ライバルが何であろうと、伝統がどうあろうと、この「蒼い翼」はあなたの意志に応え、まだ見ぬ道の向こう側へと連れて行ってくれる。 人生は、たった一回のツーリングで変わることがある。そして、その旅を共にするのに、これほどふさわしい相棒は他にいないのだから。

 

原付で人生初ツーリング

蒼穹を駆ける「50cc」の唄。――17歳、僕らが2ストの煙に預けた夏


プロローグ:机上の空論を脱ぎ捨てて

19XX年、7月。高校3年生の夏。

教室の黒板に踊る数式も、模試の判定に一喜一憂する日々も、その日はすべて「昨日までのこと」として置いてきた。

午前5時、余市の港。朝霧がまだ街を薄く覆う中、僕のヤマハ・RZ50が目を覚ます。「パラン、パンパンパン……」という、水冷2ストロークエンジン特有の弾けるような高音。続いて親友・Tのホンダ・MT50がオフロード車らしい野太い音を立てスタート、小樽に住む同級生・Iのカワサキ・AR50と合流する。

これが、僕たちの「逃避行」の始まりだった。

前日突然Iが「明日洞爺湖行こうぜ!勉強ばかりじゃつまんねーよ」と言い出し、春先バイトで稼いだわずかな所持金を持っての旅だった。当時空手を習っいたTは木刀を、Iはヌンチャクをバックパックに入れての、奇妙な旅の始まりだった。(結局使わなかった)

排気量はたったの50ccの原付。だけど、17歳の僕らにとって、この三台の小排気量スポーツは、世界をどこまでも広げてくれる魔法の翼だった。




第一章:ダム湖を抜けて、峠の頂へ

小樽から朝里ダムへの登り。標高が上がるにつれ、空気はみるみる透明度を増していく。

ダムを越え、さっぽろ湖の脇を駆け抜ける。湖面は鏡のように静まり返り、夏の陽光を跳ね返して眩しい。

小排気量車での峠越えは、まさに「格闘」だ。少しでも回転数を落とせば失速する。パワーバンドを維持するために、左足で頻繁にギアを叩き込み、アクセルを全開にする。

「パーン!」という甲高い咆哮が森に反響し、2ストオイルの焼ける甘い香りがヘルメットの中に流れ込んでくる。

中山峠の頂上にたどり着いたとき、僕たちは勝利者のような気分でいた。

休憩はもちろん、名物の「あげいも」だ。

「熱っ!」と笑い合いながら、サクサクの衣を頬張る。

「受験勉強、全部この煙に巻いて捨ててきた気分だよ」

Tがヘルメットを脱いで、汗で張り付いた髪をかき上げながら言った。その顔は、模試の結果を見ていた時とは別人のように輝いていた。




第二章:昭和新山、夜の連帯感

峠を降り、洞爺湖へ。

バイクを停め、ヘルメットを脱いで湖畔のベンチに座る。風が心地いい。湖面を渡る風は、アスファルトの熱を帯びた体に最高の贅沢だった。

夕食は、湖畔の店で見つけた「ホタテ丼」。

ぷりぷりのホタテに箸を伸ばしながら、これまでの道のりを振り返る。たった数十キロの移動が、これほどまでにドラマチックに感じるのは、僕たちがまだ「自分の力で遠くへ行く」ことの喜びに震えていたからだろう。

その夜の宿は、昭和新山ユースホステル

全国から集まった旅人たちが集う場所。相部屋の二段ベッド、少し古びた廊下の匂い。

消灯後、暗闇の中でひそひそと話すのは、将来のことでも進路のことでもなく、「明日のルート」と「あのコーナーの感触」のことだけだった。


第三章:神仙沼、ジンギスカンの煙に巻かれて

二日目の朝、空は雲ひとつない快晴。抜けるような青空が、僕たちの旅を祝福してくれていた。

目的地はニセコ。ここから先は、山岳地帯特有のワインディングロードが続く。

RZ、MT、AR。性格の違う三台が、コーナーごとにそれぞれのラインを描く。

軽量な車体を活かし、ヒラリヒラリと曲がる感覚は、まるで自分の体に翼が生えたようだ。

ニセコ町、神仙沼。

原生林に囲まれた静謐な沼を散策した後は、お待ちかねの昼食だ。

木々の間を抜ける涼やかな風を感じながら、鉄板の上でジンギスカンを焼く。

「これだよ、これ。北海道の夏は!」

Iが満足げにタレに肉をくぐらせる。肉の焼ける匂いと、2ストエンジンの匂い。それが僕たちの「夏」の香りだった。





結び:余市へ続く「帰還」の光の中で

倶知安、仁木を抜け、夕暮れが近づく頃。

僕たちは出発地点である余市へと戻ってきた。

メーターのトリップ計は、大人から見れば微々たる距離だったかもしれない。

けれど、ガレージにバイクを収め、キーを抜いた瞬間の達成感は、何物にも代えがたかった。

受験勉強からの「解放感」という名のガソリンで走った二日間。

旅を終えた僕の目には、いつもの見慣れた街並みが、少しだけ違って見えた。

「また、明日から頑張れる気がする」

誰かがそう言った。

RZ50のエンジンが冷えていく。たった50ccのエンジンで僕らの旅に応えてくれた頼もしい相棒だ。

僕は誓った。大人になっても、どんなに忙しくなっても、この「風の感触」だけは忘れないでおこう、と。ツーリングの楽しさを。

さあ、あなたのガレージで眠る相棒はどうしていますか?

あの頃のような、理由のないワクワクを求めているのなら。

次の休み、迷わずキーを回してみてください。

そこには、あなただけの「夏」が、今も待っています。

 

碧い夏、三つの鼓動

碧い夏、三つの鼓動。――甥と弟と、真夏の風を追いかけて。

2025年7月12日、土曜日。

札幌の街を包む朝の光は、すでに「最高の旅」を約束するかのように澄み渡っていました。ヘルメットを被る前の、あの独特の静寂。グローブをはめ、ベルクロを留める音。それだけで、日常のすべてが背後に遠ざかっていくのがわかります。

今回の旅は、私にとって特別な意味を持っていました。共に走るのは、気心の知れた弟と、そして24歳になったばかりの甥っ子。かつて弟のバイクにタンデムし目を輝かせていた小さな少年が、今、リッターバイクを駆って隣に並んでいる。その事実に、エンジンに火を入れる前から胸の奥が熱くなるのを感じていました。


第一章:合流のシンフォニー ―― 三台三様の個性が揃う時

札幌を発ち、まずは余市で待つ弟と合流。彼の愛車はBMW R1250RS。水平対向ボクサーエンジンの、低く、しかし野太い「ドッドッドッ」という鼓動が、静かな朝の空気を震わせます。

そこからさらに西へ。岩内で待っていたのは、甥っ子とその相棒、ヤマハ FZ-1000R。

「おはよう!」と、夜勤明けでも疲れを見せず、ヘルメットを脱いで笑う彼の顔には、幼い頃の面影がありつつも、一人のライダーとしての凛とした佇まいがありました。

私のBMW F800GSを含め、三台のエンジンが揃った瞬間、この旅の旋律が完成しました。パラレルツインの軽快なビート、ボクサーエンジンの重厚な響き、そして直列4気筒の澄んだ咆哮。私たちは、抜けるような青空の下、一路南を目指しました。

 


第二章:風の回廊 ―― 岩内〜寿都、海岸線の輝き

岩内から寿都へと続く海岸線。ここは、まさに「風の回廊」と呼ぶにふさわしい絶景ルートです。

シールドを少し上げると、さわやかな潮の香りがヘルメットの中に飛び込んできました。右手に広がる日本海は、夏の陽光を浴びてエメラルドブルーに透き通り、波打ち際が白く光っています。

五感で感じる「走り」の瞬間

  • 視覚: 巨大な風力発電の風車が、青空に向かってゆっくりと翼を広げる壮観。

  • 聴覚: エンジン音を切り裂く、風の抜ける音。

  • 触覚: タイヤがアスファルトを捉える微細な振動と、夏の乾いた風がウェアを叩く感触。

甥っ子のFZ-1000Rが、長いトンネルの直線でシフトダウンし、猛烈なスピードで消えていく。甲高いインライン4のエグゾーストがひと際響き渡る。軽やかなバンク角でコーナーを抜けていく背中を眺めながら、「あぁ、こいつも本当にバイクが好なんだなぁ」と、ヘルメットの中で独り言。彼は小さな頃から、私が昔乗っていたNSR250Rの話を面白そうに聞いていた。今、彼が見ている景色は、かつて私が見た景色よりも遠く高い風景を見ているのだろう。

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第三章:真夏の祝祭 ―― 大沼国定公園とBikeJinの熱狂

八雲町でブラックコーヒーを喉に流し込み、ひと息ついた後は、この旅のメインイベントの一つである「大沼国定公園」へ。この日はバイク雑誌『BikeJin』のイベント開催日。会場には、全道・全国から集まった無数のバイクが並び、ライダーたちの熱気で溢れていました。甥の学生時代の函館在住の友人とここで合流し4人へ。

緑豊かな森と、夏の太陽を乱反射してキラキラと輝く大沼の湖畔。そこで食べる「外飯」は、どうしてこれほどまでに格別なのでしょうか。

  • ホタテ串: ぷりぷりの身から溢れる、海の滋味。

  • 鹿肉ステーキ: 野性味溢れる力強い味わい。

  • イカコロッケ: サクッとした衣の中に閉じ込められた函館の香り。

  • ガラナ: 北海道の夏には欠かせない、あの弾ける刺激。

私たちは、たこ焼きを突きながら、並んだバイクたちを眺めて語り合いました。メーカーも排気量も違うけれど、ここにいる全員が「風を愛する」という一点で繋がっている。その一体感が、旅の没入感をさらに深めてくれました。






第四章:函館の夜 ―― 異国情緒と、更けゆく部屋飲み

夕暮れ時、私たちは異国情緒あふれる函館の街へと滑り込みました。

宿泊先はビジネスホテル:kokotel。バイクを停め、重いライディングスーツを脱いだ時の解放感。これもまた、ツーリングの醍醐味です。

夜食は駅前の居酒屋へ。運ばれてくる海鮮料理、透き通ったイカ、脂の乗ったサバ。函館の海の幸に舌鼓を打ちながら、お互いの近況や家族の話をする。

しかし、今回の「こだわり」はここから。

ホテルに戻った後、ドンキで買い込んだ酒を片手に、部屋でリラックスして語り合う時間。甥は箱館の友人と行きつけの飲み屋へと。

「FZの加速スゲーな、150馬力、音に関しては4発はやはり官能的でいいな」

「R1250Rの前のXJ1300もいい音してたよ、このバイクにタンデムしてあちこち連れてった息子とツーリングこれるなんて、不思議な気分さ」

かつての「おじさんと甥っ子」の関係が、今は「対等なライダー同士」の言葉として交わされる。幼少期から現在までの時間が思い出されて愛おしい。それを肴に飲む酒は、どんな銘酒よりも深く心に染み渡りました。


第五章:帰還の余韻 ―― 胃袋と心を満たす、国道5号線

翌朝、函館の空気はどこまでもクリアでした。

まずは「山岡屋」で朝ラーメン。ライダーの定番とも言えるこの力強い一杯が、帰路への闘魂を注入してくれます。

復路、七飯町を抜け、再び八雲町へ。昼食に立ち寄ったのは**「ドライブイン金太郎」**。

ここでのチョイスが、三人の個性を物語っていて面白かった。

メンバー 注文メニュー 感想
甥っ子 刺身定食 「最後まで函館の余韻に浸りたいっす!」と完食。
ホルモンラーメン ボクサーエンジン並みのスタミナを補給。
あんかけ焼きそば 具だくさんの餡が、疲れた体に優しく絡む至福の味。

家族へのお土産に「ラッキーピエロ」のハンバーガーをしっかりとパニアケースに詰め込み(この香りがまた、帰路の食欲をそそるのです)、私たちは小樽、そして札幌へとハンドルを向けました。


結び:また次の風の中で

札幌の自宅ガレージにバイクを停め、エンジンを止めた瞬間。

「カチ、カチ……」というエンジンが冷えていく金属音が、静かな夜に響きます。

総走行距離、約600km。

今回の旅で私が得たものは、美しい景色や美味しい食事だけではありませんでした。それは、小さな頃からバイクを愛してくれた甥っ子が、立派なライダーとして成長し、共に同じ風を切れたという、何物にも代えがたい「幸福」です。

バイクは、単なる移動手段ではありません。

それは、世代を超え、時間を超え、人と人を結びつける「情熱の架け橋」なのです。

このブログを読んでくださっているあなた。

ガレージで眠っている相棒のカバーを、今度の休みに外してみませんか。

そこには、走った者にしか見えない、新しく、そして懐かしい景色が待っています。

さあ、次はどこへ行きましょうか。

48年の刻(とき)を超えて

48年の刻(とき)を越え、二つの翼で津軽を渡る。再会と、風と、BMW


プロローグ:前泊の夜と、48年越しの決意

旅の始まりは、実際の出発よりも少し前から始まっていた。 前日の夕方、私は札幌から余市にある弟の家へと愛車を走らせた。今回の旅は、ただのツーリングではない。私たち兄弟にとって、それは一つの「祈り」に似た、重い意味を持つ旅だった。

目的は、青森に住む叔母に会うこと。 かつて叔父と離婚し、家を離れてから48年間。幼少期に優しく接してくれた彼女との縁は、大人の事情という深い霧の中に消えていた。半世紀近い歳月を経て、ようやくたどり着いた再会の約束。

「明日、本当に会えるんだな」 弟の家で明日のルートを確認しながら、私はそう呟いた。 「ああ。バイクで行くっていうのが、また俺たちらしいだろ」 弟が笑う。 ガレージには、彼のBMW R1250RSと、私のBMW F800GSが、静かにその時を待っていた。

 


第一章:午前4時の静寂と、指先に刺さる冷気

午前4時。余市の朝は、まだ深い藍色の闇に包まれていた。 気温は10度前後。シールドを下げると、鼻腔を抜ける冷たい空気に意識が研ぎ澄まされる。 「ドッドッドッ……」 弟のRSがボクサーエンジン特有の重厚なビートを刻み始める。続いて私のGS。パラレルツインの軽快ながらも力強い鼓動が、静まり返った住宅街に響かないよう、私たちは静かに、しかし確かな意志を持ってクラッチを繋いだ。

最初の休憩地、岩内のローソン。 走行風が体温を容赦なく奪い、かじかんだ指先を温めるために使い捨てカイロを買い込んだ。ジャケットの胸元に忍ばせると、じんわりとした温もりが広がり、強張っていた体が少しだけ解ける。

黒松内を抜け、八雲へ。 セブンイレブンで手にしたホットコーヒーの熱が、五臓六腑に染み渡る。 「北海道の朝をなめてたな」と笑い合うが、ヘルメットの中の目は、既にその先にある「海」を捉えていた。

 


第二章:青き海岸線と、津軽海峡への没入

八雲から函館へ向かう道中、奇跡のように空が晴れ渡った。 右手に広がる内浦湾。その青さは、言葉を失うほどに深く、澄んでいた。 太陽の光が海面で砕け、無数のダイヤモンドを散りばめたように輝いている。

弟のRSは、その低重心を活かしてオンザレールの安定感で海岸線をなぞっていく。対する私のGSは、しなやかな足回りで路面の微細な表情を伝え、まるで大空を滑る鳥のような軽やかさで走る。

函館港から大間行きのフェリーに乗り込むと、潮の香りが一気に強まった。 船のデッキで、遠ざかる北海道と近づく本州を眺める。 48年という時間は、この海峡よりも深く、遠かったはずだ。それを今、私たちは自分の足で、自分のエンジンで越えていこうとしている。

大間に上陸した頃、空からは優しい小雨が降りてきた。 むつ市へと向かう山間部。そこには、今回の旅で私たちが楽しみにしていた**「4つのヘアピンカーブ」**が待っていた。 雨に濡れたアスファルトは慎重さを要するが、逆に集中力が極限まで高まる。 RSの太いトルクがコーナーの立ち上がりを力強く押し出し、GSのワイドなハンドルが鋭い切り返しを自在に操る。バイクと一つになり、遠心力と重力を手懐ける感覚。雨音さえも、旅のBGMのように心地よく響いた。


第三章:18時の奇跡――窓辺に揺れた面影

むつ市でガソリンを給油し、立ち寄った定食屋で「バラ焼」を頬張る。甘辛いタレの香りが、冷えた体にエネルギーを再充填してくれる。 浅虫温泉の道の駅で小休止を挟み、いよいよ青森市内へ。

約束の18時が近づくにつれ、胸の鼓動がエンジンの回転数よりも高く跳ね上がるのが分かった。 雨に濡れた街路樹を抜け、ナビが指し示す場所へ。

「あそこだ」

バイクを止めると同時だった。 家の窓辺。そこには、私たちが来るのを今か今かと待ちわびていた叔母の姿があった。 ヘルメットを脱ぎ、雨滴を拭う間も惜しんで駆け寄る。

48年。 幼かった私の記憶にある優しい微笑みが、そこには確かに残っていた。 窓越しに目が合った瞬間、胸の奥から熱いものが一気にこみ上げてきた。 叔母さんの顔が、喜びでくしゃくしゃになる。 「よく、よく来てくれたね……」 その声を聞いた瞬間、1,000キロ近い道のりの疲れも、冷たい雨の感覚も、すべてがどこかへ吹き飛んでしまった。 会えた。本当に会えたんだ。 弟と顔を見合わせ、二人で深く頷いた。その目には、雨のせいだけではない光が宿っていた。


第四章:雨音と酒盛り、そして絆の再確認

2日目。青森市内は激しい雨に見舞われた。 「今日はバイクはお休みだ」 私たちはビジネスホテルで朝食バイキングを楽しみ、昼には青森名物「味噌バター牛乳ラーメン」を求めて街を歩いた。濃厚なコクとバターの香りが、昨日までの緊張を優しく解きほぐしてくれる。

夜。叔母さんの家に、なんと20人もの親戚が集まってくれた。 「48年ぶりの再会に乾杯!」 次々と注がれる酒。大皿に盛られた地元の料理。 叔父さんとの別離、空白の時間。そんなものを一瞬で埋めてしまうような、温かく、騒がしく、愛おしい時間。 バイクという鉄の馬を駆って、海を越えてきた私たちを、親族たちは「現代の武士だね」と笑いながら歓迎してくれた。 孤独に風を切る時間があるからこそ、こうして誰かと触れ合う温かさが、これほどまでに心に染みるのだろう。

※写真はイメージです。


第五章:快晴の帰路、中山峠の試練

最終日。空は嘘のような快晴。 青森フェリーターミナルを後にし、私たちは再び北海道の大地へ。 函館で「ラッキーピエロ」に立ち寄り、巨大なオムライスとカツ丼を完食。 「よし、帰ろうか。札幌へ!」

しかし、北の大地は最後まで私たちに試練を与えた。 洞爺湖を過ぎ、中山峠に差し掛かる頃、気温は一気に9度まで急降下した。 快晴ゆえの放射冷却か、それとも峠の気まぐれか。 あまりの寒さに、中山峠の頂上でホットコーヒーを握りしめる。 「あんなに暑い宴会をしてたのが夢みたいだな」 弟が白い息を吐きながら笑う。 その顔は、出発前よりもどこか逞しく、充足感に満ちていた。


結び:旅を終えて――風が教えてくれたこと

札幌の自宅に到着し、愛車をガレージに収める。 エンジンの熱が冷えていく「キン、キン……」という音が、静寂の中に響く。 トリップメーターは1,000キロを超え、車体は雨と泥で汚れていたが、それは勲章のように誇らしく見えた。

48年という、途方もない時間の断絶。 それを繋ぎ止めたのは、一通の連絡と、そしてこの二輪の相棒たちだった。 自分の手でハンドルを握り、自分の全身で風を受け、一歩一歩路面を噛み締めて進む。 そのプロセスがあったからこそ、あの窓辺で見た叔母さんの笑顔が、これほどまでに深く魂に刻まれたのだと思う。

旅は、目的地に着くことがすべてではない。 そこに至るまでの寒さ、雨、風、そして隣を走る仲間の鼓動。 そのすべてが、日常で凝り固まった私たちの心を柔らかくし、大切なものを受け入れる準備をさせてくれる。

さあ、あなたのガレージで眠る相棒はどうしていますか? もし、ずっと会えていない誰かがいるのなら。 もし、心のどこかに置き忘れた記憶があるのなら。 次の休み、そのキーを回してみてください。

そこには、地図には載っていない、あなただけの「再会」が待っているはずです。


今回の旅の備忘録

  • 走行車両: BMW R1250RS (弟) / BMW F800GS (私)

  • 走行距離: 約1,100km

  • 最高の一杯: 中山峠、気温9度の中で飲んだホットコーヒー

  • 心に残った景色: 青森の叔母さんの家の窓辺