
キーを回す音が、旅の合図だった
1988年8月のお盆、北海道の朝は不思議な透明感をまとっている。
空気は涼しく、陽射しはやわらかいのに力強い。
ガレージでNSR250Rのキーを回すと、乾いた2ストロークの排気音が胸の奥を揺らした。(2日前、達也から突然の電話「お盆襟裳岬行こうぜ!宿とったから」)
「ああ、始まるな」
そんな予感が、エンジンの振動と一緒に身体へ伝わってくる。
今回の旅は7人。
私と、タンデムシートで背中を預けてくれる由美(ユミ)。
達也はRZ250Rで、後ろには恋人の瞳ちゃん。
俊夫はCBR400F、徹子(テッコ)を乗せて相変わらず余裕の表情だ。
そして単独参加の美優(ミー)CBR250F。年上の会社の男性と付き合っている彼女は、どこか大人びて見えた。
中学からの同級生、高校からの仲間、恋人同士、片想い、そして言葉にしない感情。
全部まとめて、札幌を出発する。



札幌から苫小牧へ、風に身体を預けて
札幌を抜けると、道は次第に広くなり、NSRは本来の顔を見せ始める。
回転数を上げるほどに軽くなるフロント、甲高く澄んだ排気音。
由美の体重移動が背中越しに伝わり、タンデムとは思えないほどリズムが合っていく。
苫小牧手前、ウトナイ湖に立ち寄った。
湖面は朝の光を受けて淡く輝き、マガモとアオサギがゆっくりと近づいてくる。
パンを投げると、水面に広がる小さな波紋。
エンジン音のない世界で、時間が少しだけ緩んだ。


「こういう時間も、バイク旅だよな」
誰かの呟きに、全員が静かに頷いた。
ホッキカレーと太平洋の青
苫小牧で昼食。
名物のホッキカレーは、貝の甘みとスパイスの刺激が混ざり合い、走ってきた身体に一気に染み込む。
汗をかいた後の一口が、こんなにも旨い。

午後、太平洋沿いを南下する。
静内へ向かう道は、空と海の境界が溶け合うような青に満ちていた。
陽射しは斜めから差し込み、路面に白い光の筋を描く。
風は乾いていて、ヘルメットの中まで澄んでいる。
静内では馬の牧場に立ち寄った。
穏やかな目をしたサラブレッドたち。
この土地が、アイヌ文化とともに生きてきた歴史の厚みを、風が語っているようだった。

襟裳岬、風がすべてをさらっていく
襟裳岬が近づくにつれ、風の質が変わった。
強い。でも、心地いい。
岬の突端に立つと、太平洋から吹き上げる夏の風が一気に身体を包み込む。
女性たちの髪が風になびき、光を受けてきらめく。
その一瞬が、なぜか胸に刺さった。
この時間が、永遠じゃないことを、どこかで分かっていたからだ。


夜は岬近くの民宿。
素泊まりの気楽さが、かえって旅を自由にする。
居酒屋で囲む海鮮料理。
えりも昆布の昆布巻き、煮つぶの滋味深さ。
ビールの泡越しに見る仲間の笑顔が、やけに眩しかった。


翌朝、そしてその先へ
翌朝はコンビニのサンドイッチ。
簡単だけど、走る前には十分だ。
帰路は浦河町を抜け、日本有数のサラブレット牧場の中を走る。
草原の匂い、太平洋の風、雪の少ないこの土地が育んできた文化。
バイクは、それらを肌で感じさせてくれる。
昼は三石牛のステーキ。
噛むほどに溢れる旨味に、誰かが「贅沢だな」と笑った。

札幌に戻り、エンジンを切る。
NSRの熱がゆっくりと冷めていく。
この後、達也と瞳は結婚し、俊夫と徹子は別々の道を選んだ。
私と由美は友人としてシングルライフを楽しんでいた。
それでも、あの夏の風は、今も記憶の中で吹いている。
バイクは、場所だけじゃなく、時間までも運んでくれる。
だから私は、また次の休みも、キーを回す。


15,000回転の










































