
2020年に公開されたアメリカ映画です。
この映画、ジャンルとしては何でしょう。
“アクション” というには全編沈み込んだような暗いトーンで、スピード感も華々しさもありませんし、“サスペンス” というにはストーリーにこれといった鋭さや捻りがありません。
出所して10年ぶりに街に戻ってきた主人公の救われないエピソードを描いた作品ですが、わざわざこういったスッキリしない物語を観ることはなかったですね。

2020年に公開されたアメリカ映画です。
この映画、ジャンルとしては何でしょう。
“アクション” というには全編沈み込んだような暗いトーンで、スピード感も華々しさもありませんし、“サスペンス” というにはストーリーにこれといった鋭さや捻りがありません。
出所して10年ぶりに街に戻ってきた主人公の救われないエピソードを描いた作品ですが、わざわざこういったスッキリしない物語を観ることはなかったですね。

いつも利用している図書館の「新着書」の書架を眺めていて目についた本です。
阿川佐和子さんの最近発行されたエッセイ集ですが、季刊誌の人気連載を書籍化したものとのこと。テーマは「老い」です。
阿川さんは、私より6歳年上なので、“高齢者?”の先輩としての経験が、老年期新参者(私)の参考になるのでは?と手にとってみた次第です。
さて、読み通しての感想ですが、エッセイの名手阿川さんの語るエピソードは流石にどれも微笑ましいものでした。
ただ、当初期待していたような “高齢者入門” といった感じのユーモアとウィットに富んだアドバイスにはお目にかかれませんでしたが・・・。
内容としてインパクトがあったのは、お父様(阿川)弘之氏の思い出を紹介しているくだりでしたね。
弘之氏は、言うまでもなく、日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章という輝かしい功績を残された有名な小説家、評論家ですが、その旧態然とした行状はまさにありがちな “昭和の頑固おやじ” のそれでした。正直、私は、そういったタイプの振る舞いを見聞きするのは苦手なのです。
阿川さんの感性も、思いの外一歩下がって “引き気味” のところが感じられて、今のご時世、ちょっと意外な印象を抱きました。
季刊誌への初掲載の時期が数年前ということもあるのかもしれません。

このところ気分転換に読んでいるミステリー小説は、読破にチャレンジしている内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” と以前よく読んでいた大沢在昌さんの作品に偏っているので、ちょっと趣向を変えて、今まであまり読んだことのない作家の方々の作品にトライしてみようと思っています。
ということで、いつもの図書館の「返却棚」で目についた本を手にとってみました。
奥田英朗さんの著作は初めてです。奥田さんは私と同世代で、2000年代には、大藪春彦賞をはじめ直木三十五賞、柴田錬三郎賞等、大きな賞の常連だったのですね。
この作品は、直木賞を受賞した「空中ブランコ」と同じく「精神科医・伊良部シリーズ」の最新刊とのことです。
エンターテインメント小説ですからネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、つくりとしては「短編の連作」なんですね。基本は短編なので、ストーリーの起伏を楽しむというより、読者に与える直截的なインパクトがポイントです。
その点では、“精神科の治療” という舞台構成と、独特の雰囲気を纏った奇天烈な精神科医とぶっ飛んだ看護師というキャラクタ設定は目論見どおり成功していますね。
とはいえ、正直な感想では、載録の5作品ですが、私の好みでいうと “2勝3敗” でした。
ただ、奥田さんの作風はちょっと気になるので、もう一冊ぐらいはトライしてみようと思います。

2025年に公開されたアメリカ映画です。
メル・ギブソンが監督と製作をマーク・ウォールバーグ主演を務めたサスペンス作品ですが、正直な感想では、観る前の予感どおりに今一つの出来栄えでしたね。
物語自体一本調子で面白みがなく、主要な登場人物のキャラクター設定も、演出のせいもありますが意味不明でした。
特に主役のマーク・ウォールバーグの役どころはまったく理解できませんでしたね。
唐突な登場や奇天烈な台詞回しも何か然るべき背景があるのなら許せるのですが、それも見当たらず、あっけない幕切れも何とも欲求不満が募ります。

いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみた本です。
「大村はま」さんのことは、かなり前に読んだ「教えることの復権」で初めて知り、その業績や人となりについてはとても興味を抱いていました。
本書の著者の横山英行さんは、小学館勤務時代の2003年から2005年まで大村はまさんの担当を務めた方とのこと。身近で大村さんに接していた人ならではの視点から、大村さんの人柄や心の内を偲ばせる数多くのエピソードを紹介してくださいました。
それらの中から、特に私の印象に残ったところをいくつか覚えとして書き留めておきます。
まずは、「日本人は『話し合い』が下手」という章のなかの一節。
(p20より引用) 日本人を戦争に導いた大元は、話し合いの不足にあるのではないか―それは大村はまの戦後教育の根幹にあり、また発端にあると思える強い直感だ。
戦前から戦中、日本国軍部の中で陸軍と海軍との間の話し合い(議論・意見交換)はほとんどなく、そのため戦略・戦術面での統一性のないちぐはぐな作戦が展開されたこと、また、外交においても、相手を理解した上での交渉には至らず、見切り発車的な政治/軍事判断が横行したこと。こういった事態を招いた一因に自らの教育者としての立場があったとする自責の念が、大村さんをして戦後「国語教育」に尽力させた背景のひとつであろうというのが横山さんの考えでした。
続いては、「戦後教育の最大の失敗」という章。
ここで、大村さんは「戦後教育の最大の失敗は『評価』という言葉の意味を取り違えたこと」だと語っています。本来(戦前も戦後も)は「(評価とは)よりよくするための“指針” を見出すこと」だったというのです。
その文脈の流れで、横山さんとのこういったやり取りも紹介されていました。
(p84より引用) 「戦前と戦後の教育を長く通して見て来られて、どういうところが一番変わりましたか?」
「そうねえ。何しろ戦前は、みんな学ぶということに憧れていたわね。渇いた砂が水を吸うようにと言いますか、何しろ世界のことをもっと知りたい。もっと学び何でも身につけたいという憧れに満ちていたわね。今は、先生これを知ったら何ができますか?とか、どういう資格が取れますか?とか、どこの大学に入れますかでしょ。そこのところが、違いと言えば大きな違いね。」
「評定」と「評価」、「絶対評価」と「相対評価」、「自己評価」「他者評価」「ポートフォリオ」・・・
「評価」にまつわる様々の教育用語はあるが、ここで言われているのは要するに、人間というものの教育、 涵養、陶冶、育成に関する大きな二つの潮流のことである。
“「教育」の本質” に関する重要な視点ですね。
この教育の本質という点と併せて、“教育の方法論” についても大村さんには思うところがありました。
大村さんの最晩年のころにピークを迎えた「ゆとり教育」の致命的な課題について言及しているくだりです。
(p191より引用) 単元の計画のなかに、こういう「運のよう」なところのあるのが私は好きである。すぐ、「努力した、しない、できる、できない」に直結していかない部分がほしい。そうでないと、なにかにつけて、笑って話し合えなくなる。
こういう部分のあるのが「ゆとり」だと思う。時間のゆとりばかり用意されても、心の息が苦しくては、のびのびとした成長につながるゆとりにはならないと思う。
こういった観点から言えば、まさに「評価」は、学ぶ者に心理的なプレッシャーを与える元凶なのでしょう。
そして最後に、「単元学習と自由(二)」という章で横山さんが語った大村さんの「自由を希求する」姿です。
(p102より引用) 先生は「静かにしなさい」ということを教師の禁句とされた。教室の静粛さは、教師自身が日頃から自分の指導力によってつくっておくべき自明の前提で、「静かにしなさい」が出た時点で時すでに遅しなのである。しかし先生はもう一つ、「わかりましたか?」も禁句にされたという。「わかる」ということは教師が強要することではなく、また社会が強要することでもなく、すべて主体性の、自発性の自分事。自分自身による自由な、生涯の学習のなかでの自己評価なのである。単元学習の根幹にある“自由”を、自分はこの「わかりましたか?」の禁旬の中にも見る。
生徒ひとりひとりの “自由な精神” を至上のものとして尊重し育んでいくという “教育哲学” に対する大村さんの自負と信念を感じます。

2017年に公開された日本映画です。
2004年から「週刊少年ジャンプ」に連載された空知英秋によるコミック「銀魂」の実写版作品です。
原作のコミックの方はまったく読んだことがないので、実写版がどの程度原作を模しているのかについては分かりませんが、コミックの読者のように各キャラクタの設定や前日譚についての予備知識がなかったとしても、単独の映画作品としてそれなりに楽しめました。
基本線は “アクション・SF・ギャグコメディ” ですが、それを小栗旬さん、菅田将暉さん、橋本環奈さん、柳楽優弥さん、吉沢亮さん、長澤まさみさん、岡田将生さん、堂本剛さんといった錚々たる当代一流の若手俳優や中村勘九郎さん、佐藤二朗さん、安田顕さんら中堅俳優のみなさんがしっかりと演じているところが最大の見どころですね。
好評だったせいか続編もあるようなので、そちらもまたトライしてみましょう。