陽のありか
「白は光と熱を反射するでしょう」
と当たり前のように言っていて、私にはそれがなんだか、とてもかっこよく見えていた。
私から見た彼女はとても成熟していて、年上のようだった。
まず、彼女の苗字が「あ」から始まるのが好きだった。いつも出席番号1番で、名前を一番最初に呼ばれてしゃんと立つ姿勢の良さは、真っ直ぐな性格そのままだった。それから、「春」の一文字から始まる彼女のファーストネームを、私は勝手に気に入っていた。
他にどこが好きだったのかと言われれば、まず難しい言葉を沢山知っていたこと。なんて小学生らしい理由なんだろうと思うが、小学生の私にとっては、彼女が発する言葉の、その一つ一つが、それこそ宝石みたいに綺麗に見えていた。言葉の一つ一つに、彼女が日々勉強し、吸収している知識たちが滲み出ていた。
よく覚えているやり取りがある。
彼女はその年の夏の間、よくファインディングドリーの白いTシャツを着ていた。明度の高い白地に、ドリーやニモが描かれていて、とてもよく似合っていた。あまりにも高頻度で着るのでお気に入りなのかと思って聞いたら、彼女は
「白は光と熱を反射するから」と答えたのだ。
今考えると、ああそうですか、で終わるやり取りだが、当時の私にはとてもかっこよく映った。女の子たちはみんな、地元のショッピングモールの一角にあるちょっと値段のする服屋さんで買ってもらった、大きなロゴが描かれたTシャツを自慢げに着ていたような時代だ。誰が、「光と熱の反射」を理由に服を選ぶんだろう。それだけが理由の全てではなかったのかもしれないが、ニコリとも笑わずに即答する彼女を見て、面白いなあと思ったし、可愛いなあとも思った覚えがある。
太陽の光を虫眼鏡で反射させて、黒い紙は焦げるけれど白い紙は焦げない。その白い紙のような、理科の小さな実験で小学生が必死で導き出す答えのような、この世の何にも干渉されない独特の雰囲気を纏っていた。その雰囲気が、たまにふわっとなる瞬間を見ることが、当時の私にとっての楽しみだった。
学校の勉強と日々の生活が地続きになっているような彼女の価値観と、その瞳の奥の鋭さに憧れていた。
house は場所のことで、home は住居や居場所のことなんだと、そのふたつの単語のニュアンスの違いを教えてくれたことがあった。「じゃああなたは私のhomeなんだ」と私が気持ちの悪い発言をしたら、案の定眉を寄せて睨まれた。
自分で言うのもなんだが、私は小学生のころから不可解な子供だったと自認している。その突飛な言動と行動に、毎回ちゃんと不快感を示してくれるところが好きだった。私はとんでもないかまってちゃんだっただろうに。不快感を示しながらも、私が寄ってきたら受け入れ、抱きつかれたら頭を叩き、馬鹿な質問に真面目に答えてくれた。
私たち二人は結構仲がいいと思っていたのは私だけだっただろうなと思う。
小学校のどこかの年のクラスメイトで、私が一方的に懐いていた友達。外で遊ぶこともなかったし、特別深い関係だったわけでもない、ただ学校生活を共にした友達。中学受験をして私立中学に入学した。どこの学校かは知らない。SNSも知らない。小学校を卒業してから一度も顔を見ていない、もうすぐ10年になってしまうのか。
どんな人になっているかな、と想像する。
願わくば私のことを覚えていてほしいけれど、きっと彼女は覚えてないだろう。それでいいのだと思っている。
私は勝手に覚えていて、たまに美化された思い出を撫でて、好きだったなと一人ごちる。
そんな日常の狭間を愛している。
私たちは春の盛り
「人生」というなにか巨大で強力で得体の知れないものが、少し遠くで私のことをじっと見ている、気がする。
早生まれのなかの早生まれ、私の誕生日は3月の最終週にやってくる。今年も例年どおり桜の開花日だったりした、その一日前に、私は3か月間過ごしたカナダのバンクーバーから帰国した。本当は滞在期間を延ばすこともできたが、20歳の誕生日は両親と過ごした気持ちもあったので、涙ながら日本行きの飛行機に乗ったのはもう一か月以上前になってしまった。昨日のことのようにも、何年も前のことのようにも思える。
3か月という短くも長くもない留学生活で得たものは数えきれないが、その中でも留学中の多くの時間を共に過ごした、中国人の女の子のことを書こうと思う。
彼女は中国で生まれ育ち、大学生の学部生のときに香港で一年間留学したことがきっかけで、英語圏への留学を決意した。私の語学学校はカナダ内でも有名な大学のメインキャンパス内にあったが、その子はその大学の修士課程に通っていた。
カナダに到着して1週間ほどたったころ、授業の終わりにとても空の色がきれいな日があった。大学のキャンパスの裏にはビーチがあって、きっと夕日がきれいに見えるだろうと思ったから、沈まないうちにと思い、校舎からそのビーチまでほとんど走りながら移動していた時のことだった。前をいく一人の女の子も、同じようにビーチを目指して走っていたのである。私たち二人はゆっくり歩く人たちを追い越し、ビーチに続く長い階段を駆け下りた。
無事に、日が沈む前にビーチにたどり着いた私は、息切れをしながら数枚の写真を撮った。少し距離があったように思う。ふと気が付いて視線を横に向けると、彼女は同じように息切れをしながら、私と目が合ってほほ笑んだ。私たちはどちらの母国からも遠く離れた国の、小さなビーチで出会った。冬の夕日はしんとして輝いていた。
その時の会話で何を話したかは私は詳細に覚えていないが、あとからの彼女の話によると、「私はあなたに何個か質問をしたけど、あなたが正しく意味をくみ取って答えたのはたった1、2回、名前を聞いたときと留学生なのかと聞いたときだけだったわ。」ということだ。繰り返すが留学1週間目、しかも日ごろ運動をあまりしない人間が全力疾走を終えた後だったのである。カタコト英語はさらにカタコトになっていただろう。
2回目に会った時に、私の英語力を「2歳に毛が生えたくらい」(彼女談)だと評価した彼女だったが、帰国の直前に最後に会ったときは「まるでジェット機が離陸するように」(彼女談)英語が上手になったと褒めてくれた。ありがたいもので、彼女は私の間違いだらけの文法をことごとく直してくれたので、ジェット機のような英語力の向上は彼女の手腕も大いに影響している。
彼女はカナダや日本、そのほかの文化の違いにも興味がある、知的好奇心が旺盛な人だった。2年間の修士課程が終わった後の進路について、中国に帰るのか、カナダで就職するのかで悩んでいるらしく、彼女の話を通して、私も自分の進路の心配事や悩みを相談したりした。私たちは同じアジア圏からの留学生だが、国もバックグラウンドも違う。ただ、20代をどうやって生きていくのかということについて、彼女もまた、悩み、迷う一人の女性だった。私たちの悩みは似ていても、その種は少しずつ違っていて、一人一人にいろいろな事情があるのだという、至極当然なことを痛感した。だからこそ面白いのだと彼女は私に言ってくれた。いろんな人の人生のことを聞いて、じっくる考えることが必要なのだと。100%理解できなくても、想像して受け入れること。共感すること。私は彼女から、自分の心の扉を開く方法を学んだ。子供のころからやっている当たり前の社会性を、成長とともに忘れていたと思った。
何があろうと、世界は私たちの手の中よ。
帰国前に最後にあった日、私に微笑んで彼女は言った。世界で見れば隣同士で育った、でも国も文化もバックグラウンドも何もかも違う、全く別の人生を歩む彼女の、その細くて鋭い瞳の中の希望。それは紛れもなく、子供から「大人」になるその過渡期でもがきながら光っている。誰しもが、希望と現実のはざまで立ち往生して、どうにか前に進んでいると。そうやって「大人」になるのだろうか。
何があろうと。そうやって姿勢を正し、得体のしれないものと向き合う強かさが、ただただまぶしかった。
そうやって生きていきたいと思った。


久しぶり、おやすみ。
日の出は朝の8時、日の入りは午後5時。北の雪国の昼間は短い。冬は長い。
雪は全然降らない、ただ土の道路は霜ができていて、空気は時折針のよう。
日本から飛行機で約10時間、時差17時間。
私は今、カナダ ブリティッシュコロンビア州のバンクーバーという都市にいる。
海外に行くのが好きだということはこのブログで何回か書いてきていて、今回も「行こう!!」と思い立って飛行機に飛び乗った。
………のではなく、実はかれこれ1年半くらい前からこつこつ準備をし、試験を受けたり、大学の教授に相談したりしていた。海外留学をしたいと思ったのははるか昔で、きっかけはあまり覚えていない。高校生時代のコロナ禍がなければ、今の時期……成人式まる被りのこの時期に行くことにはならなかっただろうと思うし、留学期間が3か月間に伸びることもなかっただろう。
成人式に全く未練がないかといわれたら、うなずくことはできない。こちらは遠い国に一人だから、気分が沈むことなどわかりきっていたので、SNSの類からは前後二日間ほど離れていた。
まあ生活に慣れるのに忙しくて、考える余裕すらなかった。そんな私の意識を、一気に日本に引き戻す出来事があって、それは一本の電話だった。
小学1年生のときに出会って、小学校6年間、それこそべったり、親友として過ごして。中学で相手が越境(部活などの理由で、隣の地域の中学校に進学すること)をしてもずっと連絡を取り合っていたその子と、いつの間にか会わなくなって、気づけば連絡すら取らなくなって、5年以上経っていた。彼女の声は忘れていなかった。そして、スマホから聞こえてくる声は変わっていなかった。
本当に驚いた。なんせこちらは夜の10時、もう寝ようと思っていたところだった。久しぶり、ととっさに出した声は、裏返っていたかもしれない。「成人式って、来てる?」と私に聞いた旧友の声も、多分緊張していた。「今カナダにいるんだ」と返した私の声は震えていなかっただろうか?そんなことを気にする余裕もなかった。日本は1月13日の昼過ぎ、こちらは1月12日の夜。彼女の声の裏から聞こえてくる喧騒が、同い年たちのハレの日の笑いで満ちていた。
「振袖で参加してるの?」という問いに、「うん」と答えた彼女の声が、生まれたときから慣れしたしんだ母国語であるというのに、なぜか全然違う、遠い国の言語のように聞こえた。でも意味が分かる、ああ日本語だ、と思ったら、会いたかったなと、振り袖姿を見たかったなと、素直に思った。そう思えた自分がうれしかった。
私は今遠い国にいて、異国の言葉を話して、家族ではない人たちと家族のように暮らして、でもじきに帰る。飛行機で10時間。太平洋を横断し、時差17時間を超えて、元居た場所に戻る。
バンクーバーは白い息を吐きながら、春が来るのを眠らずに待っている。
「帰ったら、ご飯でもいこうよ」という私の言葉に、確かに「うん」と返した彼女の声。
それは同じ瞬間に、7,500キロメートル離れた場所で生まれた、私の心の指標だった。

絶対的ハート
「好きってなんだろう。」
という一文が、クラウドに保存された私のメモに残っていた。高校2年生のときの日付だった。
私は何でも頭でっかちに、細かいところまで考え込んでしまう質だが、その性質は数年前からずっと続いている。
友情としての好き、恋情としての好き、敬愛としての好き。
人の感情には様々な種類の「好き」があるが、誰かに対するを好意をひとつの種類の「好き」だけで規定するのは難しいんだな、というのが、大学に入ってからの私の気づきだ。
私の中には「好き」には、純度があると思っている。当たり前のことだが、関わる全ての人のことを100%で好きになれるかというとそうではない。しばしば、仲良くしておいた方がいい人というのが現れるし、100%好きではなくとも友達でいることができるということを、もう知っている。
例えば中高生時代の、クラスの同じグループの友達に対してや、所属していた生徒会、部活動での友人に対しては、合わないことろが少しあってもある程度目をつぶって、その友人を好きでいる努力をしていた。仲が険悪になるよりも、良好であった方がストレスなく過ごせる、という打算によって。健全では無いかもしれないけれど、打算を含む「好き」と、社会での人間生活は、切っても切り離せないものだと思う。
大学に入って、クラスや、部活動といったものからある程度解放されてから、そういう純度の低い「好き」を使う場面が少なくなったように思う。人間関係がすぐ薄くなったり、疎遠になったりする環境では、純度の低い「好き」は直ぐに薄れ、縁は切れていく。だから、心の底から、この人と縁を続けていきたいと能動的に思わないと関係を維持できない。友達も恋人も。そういう意味では大変なのかもしれない。
打算のある、純度の低い好きも、心の底から思う、純度の高い好きも、どちらも必要なものだ。そこに優劣があるわけではなく、ただ種類が違っているだけ。だから打算を純粋なものに変える必要もなく、全てが純粋である必要もなく。そういう、誰にでもある人間くささに、救われたり落ち込んだり。
と、ちまちま考えつつ、「純度の高い好き」────その人のことを、一人の人間として好きだと思える、その貴重さを考える。
大学で出会った私の大切な友人たちは、良くも悪くも、その人の過去を全く知らないというスタートだ。20年も生きていない私たちにそんな大層なものがあるわけではなくても、思春期・青春期を共に過ごしていないので、その人の表面しか知らないのも同然だ。
知らないことは聞かないと分からないし、聞いても想像することしか出来なくて、歯がゆい。でも、その人のことを知りたいと思える、小さい頃の夢は何で、中高はなんの部活に入っていて、どの食べ物が好きで、どの食べ物が嫌いか知りたいという気持ちは、単なる好奇心だけで片付けたくは無い。
そういう好きに、多くはなくとも出会うことが出来ているのは、とても幸せなことで、すこぶる運がいいことで。せめて丹精込めて関わっていかなければいけない。
というわけで、大学2年、19歳の夏である。社会の夏休みはとうに終わり、小中高生の夏休みも終わってしまったが、大学生の夏休みはここからがクライマックス。そう考えると、異質感というか、優越感というか、なんというか(笑)。
泣いても笑っても、10代最後の夏。
「遊びに行こう」が、「ご飯食べに行こう」に代わって久しい。そして、「ご飯食べに行こう」が「飲みに行こう」に代わる日ももう、すぐそこだ。
ただ私は、「月が綺麗ですね」をアイラブユーに訳す普遍性と同じように、「嫌いな食べ物はなに?」や、「小さい頃の夢はなんだった?」が、アイライクユーを意味することも、きっとこの先変わらないだろうと信じている。
ノスタルジック梅雨
初めて人と”お付き合い”したのは中学生のときで、相手は同級生で同じクラスの子だった。
その子の口癖は、「人生どうせ意味はないんだから」。
その子の持論では、天国と地獄なんてものは究極、人間が作り出した幻想に過ぎないらしかった。そういう価値観がなければ、世界に倫理を形成できないから。嘘はいけません、泥棒はいけません、人殺しはいけません。世界が平和に、というか、人類が長く続いていくために、天国とか地獄とかいう概念が必要であるだけ。死んだら終わり、1が0になるだけ、無になるだけなのだと。だから、それらしい意味があって現世に生まれてきた人なんているはずもなく、人の生に意味なんてない。
中学生の時点でこの考えにたどり着くあたり、やはり只者ではなかったんだろうな、と思っている。その子が読みたい本はいつも図書室ではなく、その隣の、埃かぶった狭ぜましい書庫のような部屋にあった。私たちは2人きりの時間の大半を、その書庫で過ごした。生徒は司書の先生が同伴しないと入れない部屋だったが、何故か先生は、私たちに鍵の在り処を教えてくれていた。入り放題だった。何かを察していたのか、それとも毎回鍵を開けるのが面倒だっただけなのか。まあ答えを知るよしはない。
私は、その子が哲学や思想学の分厚い本を読んでいる横で、現代語訳された古典、住野よる先生や瀬尾まいこ先生の本を読んでいた。そして、その子が自分の意見や考察を延々と述べている横で、髪の毛のつやとか瞳の色とか、犬歯が尖っていることなどをじっくり観察していた。欠伸を噛み殺して曖昧な合図値をうち、笑われた。秀才の考察の聞き役としては、だいぶ役不足だっただろう。
ただ、クラスでも部活でも息を詰まらせていた私たちのような人種にとって、お互いがいたこと、あの書庫があったことは、思春期を乗り越えられた大きな理由だと思う。少なくとも私にとっては。
人生に意味は無い、とその子が言う時、併せて、「だから、人生は尊い。」とつぶやいた。その子は、生きること自体を悲観的に捉えていたわけではなかった。ただ、大きな意味は存在しないこと、そこに救いを見出していたのかもしれない、と今は思う。
なぜこのタイミングで文章にしたかというと、最近偶然足を踏み入れた古本屋で、なつかしい匂いを嗅いだからだ。雨が沢山降る季節になると、大体書庫の書物たちは湿っぽくなって、紙はしなり、他の季節とは別の独特の匂いを発するようになる。
嗅覚と記憶は密接に繋がっているらしい。
その子と私の交際は中学生の恋愛にあるあるな感じで、クラス替えによって自然消滅した。別にさして悲しいことでもなかった。あちらはあちらで、こちらはこちらで、別の居場所が出来たというだけのこと。その居場所と、お互いを天秤にかけただけのこと。卒業以来、連絡を取ることも、偶然会うこともない。
今も、人生に意味はないと考えているだろうか。どんな19歳になっているだろう。
今年の梅雨もあまり雨は降らない。そういえば、もしも地獄が存在するとしたら花なんて咲いてはいないだろうが、色褪せた紫陽花と赤い彼岸花だけは、地獄にあっても違和感がないと思う、と。そんなようなことを言っていたような。
ちなみに同じ中学校に通った弟の情報によると、件の書庫は改修され、現在は自習室になっているらしい。
もうあの場所に、私たちの隠れ家はない。
19 tears
大学生になって変わったことは数あれど、中高生のときなら全く話題に出なかったようなこと、話題に出せないようなことを、淡々と喋るようになったことは、なんだか自分も周りも違う人になったようで面白い。
今と過去は当たり前に地続きで、それについて疑うことはないけれど、中学校から高校に上がるときと、高校から大学に上がるときとを比べると、全然違うなぁ、と感じる。
世界が広がったといえば、それはそうだろう。今思えば、小中高生時代の「クラス」という仕組みの、なんと非人道的なことか。それもかけがえのない日々であり、確かに楽しかったけれど、今、あの「クラス」てきなものに入れられたとして、あの頃のように上手く順応出来るかどうかは分からない。
中途半端に知らないくらいがちょうど良くて、不安定に気まずいくらいが接しやすいと知ったのは、大学に入ってからだろうか、それとももっと前だろうか。
この頃、簡単に切れる縁がこの世界にはたくさん存在することに、ひどく救われた気持ちになる。いや、切れるとは違うか。薄くなる、または細くなる縁。
「人は必要なときに必要な人と出会う」と、いつか読んだ小説に書いてあった。大学生になってその意味がよくわかる。関係を持続させようとしなくなると、人との縁は簡単に。それは自ら選んだことで、楽ではあるが、自業自得に寂しさを感じたりする。
例えば、今日授業のペアワークで仲良くなったあの子と、もう二度と話さないかもしれないこと。けれど今日の授業がその子のおかげで楽しかったという事実は本物で、もう二度と話すことはなくとも、思い出は変わらない。
最近いろんなことを思い出して、古いメモや文章や写真を見返して、寂しくなったり、悲しくなったり、いとおしくなったりする。そして、今の私のことを考えて、怒ったり、あきらめたり、また寂しくなったりする。
そうやって繰り返していると、今いる場所と、過去いた場所はつながってはいるが、今がどうであっても、過去には何の影響も及ぼさないことに気付く。
今が良くても悪くても、過去は何にも侵されず、そこにある。
今の私がどんなでも、過去の私は変わらずそこにいる。
だから、人は変わっていけるし、前に進めるのだと思う。
そういう自由さが大学生活にはあって、狭いひとつの空間で生活していたころには感じてなかった開放感みたいなものが、寂しさと共にある。
私たちは気づかないうちに、広い世界に放り出されていた。
大学2年、19歳。お酒はまだ飲めなくて、車の免許は取れて、”成人”2年目のラストティーン。
中学も高校も、人生単位でみたら全然最近の出来事なのに、どうしてこうも昔のことのようなんだろう。
電車に乗っている制服を着た少女たち誰よりも年上だということに、私はまだ慣れない。
ビー玉と世界
ゴミゴミした道路の端っこに、きらっと一瞬光った気がした。近づいてみて、驚いた。そこにはビー玉が落ちていた。
こんな所に、どうしてビー玉が落ちているのか。季節外れのお祭りでもあったのかな。
ポツポツ推測しながら拾ってみて、多少の汚れを拭ってから覗いてみる。
私はその時初めて知ったが、ビー玉を通して見ると、世界は180°ひっくり返るらしい。
大学生になってからの1年間で新しく出会ったものたちは、もうそれでいえばビー玉みたいなものだった。
年齢が上がるにつれて、自分自身も自分の周りも変化していくことは当たり前だが、同時にもっと多様化していくだろう。
高校までは全く縁がなかったような人たちと出会ったり、手が届かなかったようななにかを手にしたり。
それらの「真新しい縁」と向き合うことはすこぶる幸せなことだが、とても胆力がいる。新しさには変化が付き物で、それは想像できないもの、あるいは予期出来ないことを含んでいる場合が多いからだ。自分の見ている世界が全てではないということ、180°ひっくり返った先の世界で生きている人もいるということ。
いい意味で普通なんてないってことを実感したし、自分の生い立ちが本当の意味で恵まれているということも考えた。
そう、だから、出会いを祝福したいのだ。ほんの少しの恐怖と、不安と、期待を抱えても。常に私たちは、自分の人生に新しい風をもたらしてくれるかもしれない、そんな新しい扉と出会っているのだ。
道端で拾ったビー玉を覗きながら思った。
この世には、美しいものは、案外そこらじゅうにある。
それは物だけじゃなくて、何かの出来事とか、感情とか、価値観とか、人とか、人生とか。
もちろんそれと同じくらい、汚いものも山ほどあるってことももう私は知っていて、どんなに美しいものでも汚い一面があるってことも、人は簡単に汚くなれるってことも知ってる。
ああそれでも、好きな物は増えていくし、夢も目標もあるし、きっと魔法は存在するし、自分は魔女かもしれないってまだ思ってる。
私の世界とは180°違うところで生きている人だって、その世界の良さや美しさがあるわけで。
だって、薄汚い路地の端に、誰も気にしない、見ないような場所に、ビー玉が落ちているのだ。世界の端っこに、輝く宝石が落ちているのだ。そういう美しさに気づける心の余裕を持って生きていこう、と思った。
というわけで、今年度の総括でした。
今年得た知見のひとつ。早生まれ(私は3月生まれ)の唯一の利点って、自分の歳と学年がごっちゃにならないってことかもしれない。
たくさん笑って、まあまあ泣いて、ほどほどに頑張った18歳で大学1年生の自分に、お疲れ様と言いたい。
これからまた新しい年度が始まる。大学2年生、19歳だ……。
程よくいい感じに頑張ることが目標です。
さてこのブログをはじめてもうすぐ一年。読み返してみて、ちょっと、書きすぎたな…?と。ありがたいことに、こんな未熟者の文章を好きだと言ってくれる方がいるのです。たぶんこれからもどうでもいいことばかり書くと思いますが。どうぞよろしくお願いします。