嗚呼梅里先生

尊神儒而駁神儒崇佛老而排佛老

列県雄市

列県雄市とは、列藩と雄藩をもじったものである。

この前の記事で、戦前の教育について書いた。
特に、旧制高校やエリートの教育について考えてみた。

文科省の元次官が座右の銘は「面従腹背」と語ったそうだが、困った話だ。
中曽根ファミリーに入って、出世する中で、長く続いた醜い自民党自民党政権の悪事を絶え間なく見せつけられてきたのだろうか。優秀な人物から見れば、教養も品格も無い恥ずかしい政治家は許せないだろう。馬鹿というか、馬鹿以下なのだろう。子どもたちを健全に育てる教育行政において、これはないだろうと。まあ、日本中、北から南まで、末端の学校でも、問題のある人物が教頭や校長になり、教育委員長になり、真面目な教員が怒っているのだから、政治家が、その千倍も万倍も迷惑をかけていると想像すれば、「面従腹背」という方法しかないというのも、一面は、筋が通っているようにも見える。

戦後、やっと、まともな教育が出来るようになった、そして頑張って積み上げてきた。
それを、教育など何の思いも持たない政治家が壊している。
その、防波堤として、馬鹿げた指示・命令を無効化する。
あまりに無力な官僚としての究極の選択。
面従腹背」というのはそういうことだろうか。

しかし、この状態だと、「戦前の教育も此処まで来ることが出来た」、「それを如何にして発展させるか」ということにはならない。
心ある官僚は「悪」を止めるのに頑張っている。「善」を発展させる余裕は無いというわけだ。

以前のブログで、東北地方について、立派な軍人が多かったと書いた。多分、東北には、優れたエリートを生み出す教育の基礎があるはずだと考えた。

戦前の教育の良い部分を発展させることが出来ないとなると、一番損をしているのは、東北ではないか、そのように考える。

思い起こせば、「東北熊襲発言」がある。
上方の大馬鹿野郎をひっくり返してやりたい。
(しかし、私は、大阪の文楽の大々ファンなので、その事は一応留め置いておく)

明治維新を持って東北地方と、江戸の近隣、関東から南の地域は大きく運命が分かれた。

江戸時代、三代将軍家光は、大名は鉢植えのように扱った。
米が経済の中心で寒い地域はよく不作に泣いた。地域的な経済格差があり、それが文化の差にも反映したが、学問となると、どの地域からもユニークな人物が現れ、地域差は思いのほか少なかった。

幕末の賊軍となった奥羽越列藩同盟と官軍の戦いは、「武士道」と「国民国家」との戦いのようにも見える。江戸時代に培われた武士道は、様々に説明が出来るだろうが、敵を薙ぎ散らかして勝つだけではない。「戦いを収める」のもまた、武士道である。

半藤一利氏と保阪正康氏による『賊軍の昭和史』では、「賊軍とされた東北などの藩の出身者たちが、結果的にその戦争を終わらせる役割を果たした」と言う。

武士道は東北にこそ最もよく残っていたのではないか。

新渡戸稲造は言うまでもなく、東北の出身であり、『武士道』を書いた人物だが、彼の『武士道』が北欧のフィンランドスウェーデンとの間のオーランド諸島にある。
新渡戸は、国際連盟事務次長だったときに、懸案となっていた島の帰属を平和裏に解決した。新渡戸裁定と云う。『武士道』には、「武士道の究極の理想は平和である」と書かれている。

この賊軍と官軍の違いは何だろうか。官軍の主力薩長では、廃仏毀釈が強かった。特に薩摩藩は激しかった。官軍を突き動かしたイデオロギーである水戸学は、神儒一致であり、それが行動となって廃仏毀釈も起きている。

水戸学は、徳川光圀が、多くの仏教寺院を排除したが、後には逆に寺院の創建、保護もしている。前期水戸学という。
しかし、徳川斉昭の代になると、再び排除するようになった。後期水戸学である。
雄藩の先頭に立つ可能性のあった水戸藩は、血で血を洗う内部抗争で崩壊した。
藩内の「戦いを収める」ことが出来なかった。
ちなみに、藤田幽谷と弟子の会沢正志斎は老子も低く見ていた。
(とはいっても、先鋭的な人たちがいたからこそ、少なくとも日本は独立が保てたのかもしれない。後の時代の人間が、簡単に当時を評価するのには、遠慮がないわけではない)

つまり、このブログの表題に含まれる「神儒仏老」が雄藩(官軍)側では一部が欠けていて、賊軍側は整っていたというわけである。

幕末の仏教は、既に、寺請制度によって緩んでしまっていて、厳しく言えば堕落していた。改革勢力からは無用で有害でり、排除された。そして、さらに改革勢力は先鋭化した。
寺子屋という言葉があるように、寺は子どもたちの学習の場を提供したりしたのだから、仏教を悪いものだと決めつけるには配慮が必要だが、その時点で急激な改革を求める人々には、そのように見られていたということである。邪魔であり、目障りだったのだろう。

さらに、本州アイヌの存在がある。
「神儒仏老」の「神」は、先ずは、神道であり国学をイメージしているのだが、アイヌ琉球の神々と信仰も含んで考えるべきだと思う。これは、下に並べたもの(何度か書いてきた)の中で、便宜的な位置は最下層の〈C 神 美〉に含むことができる。

T(tao) 老  真 
P        儒    善
A        仏    利
C        神    美

アイヌの人々は、文字を持たなかった。
和歌の起源は文字のない時代にあり、私たちは文字がない時代に詠まれたであろう和歌に少しは思いを寄せるべきであると思う。文字を得てから、失ったものも有るのではないかと、想像を巡らしてみたい。
身近に、文字を持たなかった人々がいる、少なくともその記憶がある。それを尊重する心が、世界のどこに行っても友好が結べる日本人を作るのではないだろうか。

江戸時代には薩摩藩による琉球侵攻があり、松前藩の下でのアイヌの人々の苦難があり、
北東北でも本州アイヌ同化政策があった。それでも、まだ、本州アイヌ同化政策を他の二つと同列に糾弾することは出来ないようにみえる。
アイヌの文化も染みこんで東北地方はある。

以上のことから、東北地方が、日本という国を代表することが出来る地域であると考える。

そこで、移民の話である。移民には日本人になってもらわないとならない。既に「ここは日本ではないのか」という地域もあるようだ。そんな疑問符が付く地域に、ここなら外国人も暮らしやすいなどと、招き入れて良いのか。

今まで、移民が日本人として定着することについて、
「それならば、日本人とは、何であるのか」という問いにキチンと答えていなかった。
其処をしっかりしないと、移民導入の議論は出来ない。
私は、日本人を、「神儒仏老」によって方向付けたいと考えている。定義というと難しいことになるので、そうは言わないが。

移民は、東北地方を入り口として、計画的に実施することを提案する。

この「日本人になってもらう」ことを、どう支援するか。

大学の通信教育システムを作ったらどうか。
「神儒仏老」の4種の大学と連携する。
神道儒教・仏教・東洋思想、これらをキチンと教養として提供出来る大学である。
東大にしろ京大にしろ、研究はしている。しかし、それは研究である。研究は日本中の大学でしている。大学が、建学の理念として、こうした学問を標榜しているところは、基礎から、宗教の押しつけではなく基礎教養としても、教えることが出来るはずだ。おそらく、社会貢献活動で既にやっていると想像する。
神道系の大学はある。
儒教を掲げている大学も複数ある。
仏教系はたくさんあるが、大学によっては、一宗一派に偏らない大学もある。
「老」は東洋思想や東洋哲学を掲げているところにやってもらったらよい。
「老」は、他の3つに比べれば、同等の量にはならない。
放送大学や、通信制高校NHK学園も活用出来るだろう。国策なのだから。

それと、メンターシステムである。学習を生活の場でサポートする人材も必要だ。
寺子屋の師匠に近いかもしれない。ただし、たぶん、師匠もともに学ぶということになるだろう。寺子屋は学歴を得るところではなかった。資格が得られるわけでもない。ただただ、寺子が社会で適応出来る基礎を身につけられる場所だ。
先輩は、いずれ、メンターになれるだろう。

これだけの、システムが出来れば、日本と友好関係ではない国から、わざわざ招待する必要はないと思う。世界を、全てを、平等に見て、日本を大事にする意識がある、そういう地域から招待すれば良いのではないか。
これができれば、農業法人など田舎に根を張って生活する青年たちの、高等教育もサポート出来るだろう。日本のどこに住んでいても、大学は卒業出来る。
生涯学習が広がればもっとよい。

東北から世界に出て行くことも良いと思う。
移民を招待する地域との関係作りとしても、予備知識の場としても。
理念も、キチンとしたシステムもないから、馬鹿げた、炎上騒ぎに負けてしまう。

海外に武(士)道館を作る。とりあえず、武道館のように、身体を通して、日本の文化を教えられる。これは導入であって、さらに出来れば、JICAのようなこと、あるいはJICAの一部として活動する。
サムライ資本主義という言葉もある。
かつて、アフリカからブラジルに移った難民で、柔道の選手としてオリンピックの舞台に立つことが出来た人物の言葉がある。
「子供の頃は、何をすべきか指示してくれる家族が必要だけれど、私には家族がいなかった。それでも柔道は私に静けさ、規律、献身などすべてを与えてくれた」

武(士)道館は、ヨーロッパにも、一つ作りたい。
ちょうど良い場所が、サンマリノにある。
サンマリノ神社はサンマリノ共和国にあり、ヨーロッパで初めての本格的な神道式神社だという。東日本大震災の犠牲者を慰霊する目的もあり、日本とサンマリノの友好を深める象徴とされている。

土地が足りなければ、国境を越えて、イタリアでも良いと思う。
武道は「交剣知愛」というように人と人を繋ぐ。
柔道場は、例えば、オランダのヘーシンクを讃えて「ヘーシンク記念柔道場」も良いと思う。様々な澱のように残っているものを洗い流す。
東北と言っても、奥羽越をイメージしているが、著名な人物が多い。
新渡戸稲造あり、伊達政宗ローマ教皇に謁見した支倉常長あり、海外でも人気の上杉謙信、名君上杉鷹山、等々、きりがない。

東北が、人が育つ何かしらの分厚さを持っていると思う実例として、個人的には、大谷翔平さんに加えて、沖澤のどかさん(指揮者)を挙げたいがどうだろうか。

養老孟司先生と神儒仏老

養老孟司先生と神儒仏老

「儒仏老」について、養老孟司さんが、玄侑宗久さんとの対談本で、こんな事を言っていた。
「脳と魂」ちくま文庫 76ページ 

養老: (略) 旧制高校では、「社会を生きるには儒教、個人の問題を考える時は道教
   抽象思考は仏教」って教えられたそうですよ。なかなかいい結論でしょ。 

玄侑:儒教はまさに「公」のためのマニュアルですし、老荘は「個」のための思想です
   からね。で、仏教が抽象思考・・・・・・・うーん、仏教は抽象思考ですか?

養老:私は実感としてありますけどね。実験室を出て自分でものを考えると、
   たちまち仏教になっちゃったんですから。

玄侑:私らは学ぶ仏教の抽象性を具体に移していかなきゃならない仕事なものですから、   仏教が抽象という感じがあまりないんですよ。

養老:ああ、向きが逆なんですな。抽象思考するなら仏教に拠れ。おまえらの考える大概   のことは、既に仏教に入ってるよ、ってことですよ。(引用ここまで)

YouTubeでも似たようなことを語っている。

養老孟司の脳内」と言うチャンネルから、以下の題の動画から引用する。

養老孟司】日本人が何を考えても辿り着く“仏教”という思想の謎についてお話しします。

日本語でもの考えると、どうしても仏教になる。
これはねなんとね、私は旧制高校を卒業した世代の私どもの先輩ですね。
ある時聞いたことがあるんですが、旧制高校では社会的な活動ですね、生き方についての参考を探すなら儒教。個人的な生き方ね、個人の生き方を考えるなら老荘
そして哲学をするなら、ものを考えるなら思想的には仏教という風に言ってた、旧制高校は。
なるほどなと思いました。なるほど考えてみると、その日本の抽象っていうのはですね、かなり仏教から来てるんですね。
(引用ここまで)

私は、このブログの表題に「神儒仏老」を取り上げて、この4つを一人の人格にあてはめて、色々と書いてきた。
今回、「養老先生、よく言ってくださった」という文章を見つけることが出来たので、以下、養老先生として書く。その方が筆が進むので。

既に、「神儒仏老」には、交流分析と価値論に対応させて述べた。
交流分析からはPAC分析を取り入れ、それを俯瞰するように「老」を付け加えた。
カントの真善美、牧口常三郎の美利善を組み合わせて、真善利美とした。
以下のような、並べ方になる。

T(tao)老  真 
P        儒    善
A        仏    利
C        神    美

養老先生の儒教の説明は、そのまま分かる。事の善悪、社会規範、といったこと。

仏教はどうか。「仏教は哲学」というと、「儒教は哲学ではないのか」と言い返されそうだが、西洋哲学と並べてみればよいと思う。儒教と仏教の違いとして、例えば、仏教は『無限』を扱っているが、儒教は扱っていない。道教もしかり。明治維新以降、日本発の哲学は仏教からだった。私は、仏教の合理的な思考をもって、「利」とした。

道教老荘は、中国の伝統宗教としての道教は含まれておらず、道家老荘とでも言った方が間違いがない。一応、確認しておく。
「個人の生き方」が、道家老荘というのだから、誰それの例を挙げるのが適切だろう。
道家に数えられる范蠡張良・曾参の出処進退、身の処し方は、それぞれ、見事だ。私は、道家老荘に「真」をあてた。道家道教における『道』は、天の道であり、人知の及ばないものである。つまり、真理に人は至ることは出来ないといえる。しかし、それでは、考えることに意味が無くなってしまう。その上で、どうするかと言えば、一度、既に持っている考え方から自由になることである。「神儒仏」というのが、事物への対応の仕方、向き合い方だといえるから、これらを外すということである。分かりやすいのは、それが特に儒教の場合であり、儒教の「かくあるべき」から自由になるということである。そうすると、個人個人が直面する大事は、個別の事象となり、最も適切な対応が、その場合の真理に近いものとなる。

というわけで、「儒仏老」は、良いとして、「神」をどう扱うか。
「神」については、国学が対応する。本居宣長の和歌「敷島の・・・」が想起できるが、ここでは愛国心は語らない。「国学って、人格形成に役立つんですか」と質問されたら、どう答えるか。国学の大きな部分である神話研究について、敢えて、外して考えてみよう。非常に無理がある論理だが、神話そのものと、神話に向きあう素直な心とを、分けてみるというわけである。その素直な心を美しく表したものが「和歌」となる。「歌論」という言葉に対応して、小説論や俳句論という言葉は使えるだろうが、「歌学」に対応する言葉は見当たらない。つまり、日本では、和歌が他の文芸よりも芸術論・美学として突出していて、そして宗教的な分野と接合し重なっている。例えば、言霊論。
美しい言葉を大切にする日本人の情緒は、「美」という括り方が可能だろう。

ドナルド・キーンは、日米の戦争で、仕事として日本人将校兵士の日記を読み解いた。
そこには、和歌や漢詩が残されていて、それが彼を日本文学研究に導いた。
旧制高校の授業では、今で言う古文漢文を、当然ながら学んでいた。

旧制高校で、「儒仏老」を教え、和歌を教えた先生たちは、「日本のエリートは、かくあるべし」という思いがあっただろう。アジアでも、世界でも、日本を代表する人物となれ、と。

さて、「社会を生きるには儒教」という対応関係の骨組みは、一般式は、「○○に対応するのは□□」となるが、この関係を、随分前に、『「取っ手」と「アンカー」「心錨」』として書いた。

「この思想はどんな分野に対応するのか」というのが、「心錨」であり、英語で言えばアンカー。アンカーとかアンカリングという言葉は心理学でいろいろに使われる。錨を沈めた船は錨の鎖の届く範囲の中でしか動けない。そのように、考え方を枠内に収めるために使える言葉である。単純な一対一対応ならばそれなりの言葉や表現はあるが、「考え方が使える(期待できる)おおよその範囲」して用いている。フレームといった言葉もいいのだが、神儒仏老という4つはガラス窓の枠のような明確な境界が有るわけではないので採用しなかった。
「取っ手」というのは考え方を使う人の主体性や操作性を意味している。

高校倫理の教科書のように、神儒仏老を、ただ並べて、「先人の偉大な思想だから知っておくべきです」と訓じたところで、受験勉強には役だっても、人生の役に立つかどうか。「心錨」と「取っ手」というのは、取りあえずの表現である。
そういう趣旨の教育を戦前はしていたというのは忘れてはならないと思う。

藤原正彦さんが、GHQは、日本のエリート教育を潰したとよく言うが、実際、そうだったのだろう。
ということは、戦後のエリート教育は怪しいということになる。戦後のエリート教育は実質的に東大が担っているのだから、東大も怪しいということになる。そのことは、以下の題のブログの中で「東大パラドクス」として少し書いた。
『「女高杉、今鷹山」あるいは「家業と家職」 続』

戦前の教育については、軍国主義の教育などというのは、誰でも、大きな間違いであったとして知っている。
では、大正自由教育運動はどうだろう。今の視点から見ると、子ども達を横並びに見がちだが、一般の子どもとエリートの両方が有ったはずだ。しかし、その二つのグループを差別するのではなく、緩やかに繋がっていたと想像する。まあ、差別があったとしても、優秀であれば引き上げられる可能性も有った時代である。

大正自由教育運動はwikiによれば、以下のように説明されているが、それだけだろうか。
「それまでの画一的で型にはめたような教育のスタイルから、子どもの関心や感動を中心に、より自由で生き生きとした教育体験の創造を目指そうとする運動が、この大正時代に、折からの大正デモクラシーの風潮を追い風にして広まった。」

大正時代には、日本はいわゆる五大国の一つとなった。
国際連盟常任理事国となったのは大正8年。
勿論、日本という国は、幕末から明治に外国人が驚嘆したように、子どもに深い愛情を注ぐ国だった。それ故、こうした説明も十分有りなのだが、養老先生のいう旧制高校の教育
からは、新しい人材像の要請が推測できる。

大正自由教育運動を字義通りに、狭く受け取れば、旧制高校の教育の変化は含まれないが、そうなると、【大正新高等教育】なり、【大正市民教育】といった言葉を用意しなければならないかもしれない。

半藤一利さんが、日露戦争(明治37~38年)の後、日本は方向性を見失ったと書いていたが、考えていた人もいたが、表に現れなかったということもあるだろう。教育界においてもである。日本の課題は一貫して教育だったのだから。
雲が高く見えた大きな坂を乗り越えて、必然的に、新しい日本人が求められた。
新しいエリート像が求められた。

仏教の大正大学と、漢学・儒教大東文化大学が、大正時代に設立された。
前身となる学校や、大学の制度の変遷もあり、何年を設立とするかは見方によるが、大正時代を大きな区切りとすることは可能だろう。
大正大学は大正自由教育運動の中心となった澤柳政太郎も創設の提唱者となっている。
大学は、その時代に要請される人材を得るために設立される。金持ちの遊びではない。
仏教者が、これからの人材は宗教が、仏教が、大事だという声を強めたのだろう。
儒学者は、漢学、なかでも儒教を復興すべきだと主張しただろう。
それぞれの理屈がある。
それが、教育界に反映され、優秀な現場の先生が教えれば、養老先生のいう旧制高校の教育となるのは想像できる。
大正大学は、おおもとは天台宗の大学である。仏教の学理は天台に極まる。日本でも仏教は学理としては比叡山に学んでいる。
また、日本が明治時代以降に西洋哲学を学んでから、初めて、日本の哲学といえる『善の研究』を西田幾多郎が著したのは、明治44年。翌年は明治45年、大正元年である。西田は禅から学んでいる。『善の研究』は旧制高等学校の生徒の代表的な必読書であった。

大正自由教育運動は、大正というが、昭和初期にかかっている。
牧口常三郎の『創価教育学体系』が発刊されたのは昭和5年。
新渡戸稲造柳田國男らから評価されたと言われている。
牧口が提唱した価値論は、どれ程の学問レベルにあったかは知らないが、小学校の校長として実績もあった牧口の提唱する教育学が、実際に、新しい日本人を育てるのに有効だと評価されたのだろう。

これに、大正15年まで国際連盟事務次長の任にあった新渡戸は序文を寄せた。

「君の教育学は、余の久しく期待したる我が日本人の生んだ日本人の教育学説であり、而も現代人が其の誕生を久しく待望せし名著であると信ずる」

この『現代人が其の誕生を久しく待望せし名著』とは、新渡戸がおそらく痛感していたであろう、国際人としての日本人を如何に教育するか、という大問題の答えがあったということだろう。日本は、日露戦争に勝った、さらに、五大国となった、西洋を真似るだけ、つまり、後に付いていくだけではやっていけなくなった。新渡戸の書いた「武士道」は、日本が西洋社会の認められるためのものだった。しかし、次の段階が来た。敢えて、かっこよく言えば、世界市民の段階に来たのである。

牧口が治安維持法によって獄死したのと、日本が国際化で大失敗をしたのは重なる。

牧口が日蓮正宗を知って入信するのは昭和8年だから、『創価教育学体系』を発刊した後である。牧口は、カントや西洋の哲学に学んで『創価教育学体系』を書いた。
それが、潰された。
旧制高校の、東洋と日本の伝統的な思想を生かした教育も消えた。

戦後の教育は怪しい。
GHQの下で出来た教育基本法は怪しい。
「戦前の教育」というと、竹槍や墨塗の話が圧倒的なのもおかしい。
地に足の着いてない平等の理想を掲げるのだから、その反動として、いわゆるFランなどという言葉が飛び交うのは当然なんだろう。

「女高杉、今鷹山」あるいは「家業と家職」 その六

先の、「女高杉、今鷹山」あるいは「家業と家職」 続
ここで、国会の世襲議員をはじき出すために参政党に期待すると書いた。

確認として、政治家の子どもを政治家にさせないわけではない。選挙区を代えるという主張である。家業ではなく、家職。

今のところ、世襲の交代が起きそうなのは、麻生太郎氏の福岡8区。
たいへんお元気そうに見えるが、85歳。いつ交代してもおかしくないが、二人の優秀なお子さんがいて、選挙地盤が強固なので、やろうとすればいつでも出来るということなのだろう。しかし、どちらも優秀だと拝見する。どの選挙区からでも出馬出来るだろう。
麻生氏は保守派。他の保守政党と相性は悪くない。
日本保守党は、自民党とは、個々人の付き合いが有るように見える。
参政党は、「草の根」と自負する。参政党は持ち味を生かせるか。

宮城県知事選では、多選批判を強くやったことだろう。
今後、宮城県で、参政党が是々非々でやるとすれば、多選批判よりも、世襲批判の方が動きやすいだろう。

公明党は、前に自公パラドクスで書いたが世襲批判がしにくい。公明党が政治資金問題で締め上げ続ければ、世襲批判とのサンドイッチで、自民党への圧力にはなる。
政治資金問題を解決出来れば大金星。

参政党は独裁的な運営という評も漏れ聞こえるが、世襲批判となる党組織を持ち上げることになるから、自らがしっかりしないといけない。政党のあり方を考え作り替えていく契機に自らがなればよい。

世襲批判は新しい標的を得ることになる。失敗の挽回となる。

保守派による世襲批判には、天皇制はどうするのかという横からの批判が想定されるが、臨調の方針はイギリス流の改革。イギリスは国王がいる。
政治は人間のやることだから、イギリスでも、政治資金のスキャンダルはある。

警察官は、転勤族。警察官は権力の執行者だから。
遙かに大きい権力を持つ国会議員が地元に一族で根を張るのはおかしい。
参政党の警察官出身者に期待する。

警察官は普通の公務員。蓄財は簡単ではない。
世襲議員は、政治資金をため込み、地域に利権を造りやすい。

日本は世襲議員の率が高く、閣僚になる率がさらに高い。政治が民衆と乖離していく。
ますます、「草の根」の役割は大きい。

そもそも「草莽崛起」は世襲と対極であろう

「女高杉、今鷹山」あるいは「家業と家職」 その五

先に、以下の題で書いた。
「女高杉、今鷹山」あるいは「家業と家職」 続

この中で、記者クラブでの講演を引いた。
「<政治とカネ>を問う」(2) 令和臨調 佐々木毅共同代表、谷口将紀主査総括 2024.2.5

記者クラブでは、最後に揮毫を紹介することになっていて、谷口氏の揮毫は、吉田松陰の和歌だった。
「かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂

松蔭の『大和魂』が入っている和歌は、他にも有名なものがある。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂
こちらは、高市早苗氏が安倍晋三氏の一周忌で紹介していた。

吉田松陰孟子を尊敬していた。獄にあって「論語」と「孟子」を講じたことは、勝因の人格をよく表している。

上杉鷹山の「伝国の辞」は大変に名高いが、「伝国の辞」とともに次の藩主に伝えられた文書、いわゆる「壁書」の最後が「なせば成る・・・」であり、さらに世に知られている。こちらの冒頭は、「孟子ハ古の大賢徳の人」であるとして、孟母断機、孟母三遷という人格形成の教えが書かれている。

孟子のいう「革命」が日本では起きていないから、日本人は本当には孟子を読んでいないと言う向きもある。しかし、実際に革命が起きないと、孟子を読んだことにならない、孟子に学んだことにならないというのは、「革命病」なのではないか。

「革命」が起きなくとも、藩は潰れる。米沢藩では、孟子に学び、藩は潰れなかった。

その学びは、今でも見いだせる。孟子五常は、中国日本だけでなく、普遍的な徳であるということは「サッカーと儒教」という題で先に書いた。

NHKの1998年のドラマ、『上杉鷹山 〜二百年前の行政改革〜』では、鷹山が少年時代に、生涯の師である細井平洲から四書五経の一つ『大学』を学ぶ場面がある。
しばらく前に、おそらくは無断だろうが、YouTubeで全編が公開され、簡体字の字幕が付いていた。中国には日本のドラマなどを「ボランティア」で訳す字幕組がある。記憶では涅槃字幕組という名前だったと思う。

明治維新が何とかうまくいったのは、当時の教育の行き渡った中で、下層の藩士たちが素読をし、漢籍を学び、日本人でありながらも、「東亜人」でいられたからではないか。アヘン戦争で清国が危うくなった後に、魏源が編纂した『海国図志』が日本に持ち込まれ、この書を生かしたのは日本人だった。

漢文教育は必要ないと言われる。高校が全入であることが、そもそも、間違っていると思うが、それは置くとして、漢文の知識は現代日本語で得れば良いという意見もある。しかし、反対する意見を述べたい。唱歌・童謡の類いを歌うときに童心に帰れるという。「子ども」になれるというわけだ。もし、唱歌・童謡を初めて読んだとして、確かに知識は得られる。子ども心とはそういうものだと。しかし、子ども心にはなれない。そのように、漢籍素読し、それを身体に入れて、また、理解することで、知識が知識で終わらず、日本の国土を越えた意識を持てたのではないだろうか。そのように共通の理解があったと思う。教科書の世界史を学んだからといって、世界という広がりで物事を考えられるのか、高校を卒業すれば国際人になれるのか。そうではないだろう。
    
明治時代には、まだ漢詩文の教養があった。
日清戦争があり日露戦争があり、今よりも、日本と大陸との関係は緊張していた。
一方で、文人同士の交流があった。
「それは、それ」、「これは、これ」である。

たくさんの中国人が訪れている。問題もある。迷惑もよく聞かれる。日本に敵対的な人物も来日しているのだろう。

しかし、中国は大きい。1%、2%が親日だとしても、オランダの人口くらいになる。
よく報道されるが、訪日の目的は、買い物から体験に変わり、文化を知ることから精神的なものを求めるように変わってきている。日本に来られる層は経済的にも知的にも高い層だ。

一方で、中国国内不安定になってきた。民衆の暴動も起きている。民衆は共産党に反発をするが、表に出せない。それが、頻出している。為政者を無慈悲と思い、人格が信頼されなくなり、人品・教養はないものと思われている。

明治時代の交流のあり方が、再び役立つ時代になったと思う。
もうパンダ外交は要らない。日本の民衆が中国を信じられなくなっている。
中国の親日派もどうだろうか。

まとめると、日本と中国は緊張関係にあるが、それはそれとして、同時的に、文化的な交流ができるということである。
むしろ、パンダのような見世物小屋的なものは不安定であり、無くてもよい。

高市氏のい地元の奈良は、春日大社の鹿が問題になっているが、まあ、もうよいのではないか。
奈良と言えば、「墨」だ。文房四宝だ。他にも、奈良であればいくらでもネタはある。
中国との緊張関係は時々に出てくるだろう。文人の交流は明治時代に習えばよい
教養のある外交は日中のどちらを利するかである。

少し前、呉駐日大使がとんでもないことを言った。
「日本という国が中国分裂を企てる戦車に縛られてしまえば、日本の民衆が火の中に連れ込まれることになるでしょう。耳障りな言葉ではありますが、あらかじめ言っておく必要があると思いました。」

これに対して抗議は当然である。
しかし、もう一枚出来ないだろうか。

例えば、論語から、
子曰「道千乗之国、敬事而信、節用而愛人、使民以時」

大きな軍事力を持つ国は、発言も前のめりでなく、丁寧に配慮された方がよろしいのではないでしょうか。

中国も言い返すかもしれない。漢籍の古典はこちらが本場だと。
それはそれで、別のフェーズになるから、良いこと。

マスコミでも、話題性があるし、大使の「品のない」発言を多くの日本人が知るだろう。
物には言い方がある。中国自らが、友好を壊していけない、と。

「女高杉、今鷹山」あるいは「家業と家職」 その四

時々、首相の教養がマスコミを通して取り上げられる。

勿論、教養=学歴とは言えない。哲人政治家などという言葉もある。
社会の根本的な問題を語れる政治家、外遊しても他国の首脳と深い課題について語り合える政治家であってほしい。根本が分からないと大きな間違いを犯す。

先に、世襲議員は玉石混淆で、「石」の方を基準に政治が回っていると書いた。
また、このままでは、政治がもっと劣化するとも書いた。

教養が無いと政治家になれないという論理は明らかに間違っているが、有った方が良い。
百姓の出自である豊臣秀吉も能を習い、和歌を習った。

国会についての提案を書く。

国会に茶室を設ける。議事堂の中ではない。
よく、一期一会などと言う。また、昨日の敵は今日の友、という言葉もある。
厳しい議論、相手を追い詰める舌鋒、国民は活発な討議を期待している。
それは、議論のための議論ではない、合意を造らなければならない。決裂したからといって政治を止めてはならない。
日本には、日本なりの政治を前に進める伝統、文化があるはずだ。

公明党の斉藤代表が高市首相の所信表明を「独裁」と評したが、この程度で、「独裁だ」「独裁ではない」というような議論をしても仕方が無いと思う。
厳しいこともどんどん言う。それでも、政治は前に進める。国民は、皆、そういうことを期待している。

もう一つは、分かりにくいが、能楽堂、あるいは能舞台もほしい。
能は、深い共感の芸術である。

もし、明治維新が、あのようなものではなく、大名が上院を構成し、商人や豪農、私塾の教師が下院を構成し、もっと穏やかに議会制民主主義国家に移行できたとしたら。

弁論の中身は西洋に学ぶとしても、大舞台にたったときの声や態度は能楽に学んだのではないかと想像する。講談など、他の話芸からも得るところはあるが、リーダーの重みは求められる。
能楽は、伊達に武家の式楽であったわけではない。一朝有事の際には、率先して、毅然と行動しなければならない。そういう見本でもあった。

政治家も見る、学ぶ。また、国会見学者も見る。外国からの賓客も見学する。
外から見られることを考えれば、建物内に舞台のある能楽堂ではなく、能舞台でいい。金もかからないし。

政治と金の問題。臨調がイギリスをモデルにして改善策を出してきた。
昨年来の自民党の問題も、臨調は、これは選挙制度の問題ではない、つまり、中選挙区に戻すのは安易だと表明している。しかし、選挙区制や、議員定数といった、政治家の利害の方向に動いている。

日本には日本の政治の哲学、伝統が有ったはずで、そういうものを、しっかり器として、その中に、西洋の歴史から積み上がったものを入れたら良い。
器がしっかりしていれば、扱いに手間がかかるような物でもちゃんと入る。
これを、和魂洋才という。日本に出来れば、他の地域でも、その国その地域の○魂洋才があるだろう。

仏教の平等、戦国時代の法華宗一向宗自治、江戸の町法、論ずればいくらでもあるだろう。近代の政治は、単に、先行した国を模倣すれば出来るものではない。一国を有るべく方向に運ぶのだから、文化も含んだ総力戦である。

徹底した議論の衆院に茶室を。良識の府参院には能舞台

日本という国は、近代史がどういう道をたどったとしても、朝鮮半島、大陸からの移住者・帰化人がある程度存在していたはず。長い歴史、それなりに大きい人口の中に、ご近くの国の人たちが混じってきたわけだから、混じったからといって国のありようが、国の損得・国益はそうは変わらない。文化的な影響はある。文化と政治について、教養が無いといいように使われる。教養があれば、こちらから使うことができる、切り分けができる。
茶道は、朝鮮に縁が深い。能楽は大陸に縁が深い。大陸の長遠さが幽玄の支えにもなっている。邯鄲・菊慈童・猩々などなど大陸生まれの良さがあると思うが、菊慈童が一番かな。国会議事堂は日本に建っているが、東亜に建っているとも言える。

国会には、議会政治の礎となった人物として、伊藤、大隈、板垣の像がある。
また、憲政記念館尾崎行雄を讃えているが、女性は出てこない。

どちらかというと、男性よりも女性の方が現実的であると言われる。
どちらかというと、男性よりも女性の方が異なるものを受け入れる能力があると言われる。

高市新政権には、合意を導く力を期待する。「独裁」という評価も柔らかく吸収して、うまく合意を造ってほしい。

「日本のサッチャー」は、つかみ。日本は、もっと面白いことが出来ると思う。

能は大和四座というように、「奈良」が発祥である。
茶は堺である、「大阪」である。
ついでになってしまうが、能舞台文楽義太夫もやってほしい。大阪の、この声の芸能も放ってはおけない。ちなみに、能は面の無い仕舞、文楽は人形の無い素浄瑠璃ということになる。

「女高杉、今鷹山」あるいは「家業と家職」 その三 (続々改メ)

公明党が連立から抜けて喜んでいる公明党支持者が結構いるようだ。

汚れた自民党と組んでいたら、こちらは汚れていなくても、世間一般の有権者からは、自民党公明党が同じに扱われる。自分たちは悪くないのに、自民党のおかげで大変な損をしている。まあ、内側から見れば(内部的な論理からすれば)、普通の感覚だろう。

しかし、である。
上に書いたものを一部だけ入れ替えてみる。
汚れた中共と組んでいたら、こちらは汚れていなくても、、、、以下同文。
こういうことに、イライラしている支持者もいるのである。

つまり、
A;自民党のために迷惑している。
B;中国のために迷惑している。

この二つがある。後者は、イライラしている支持者は面従腹背で、外からは見えにくい。

公明党の代表代行を務めた浜四津敏子氏が亡くなったときに、その事が報じられず、2年以上たって公表されたことがあった。党側がわざと遅らせたわけではなく、マスコミがその事実を知ったので、仕方なくかどうかは分からないが、それに合わせて公表したという経緯であった。
このとき、浜四津氏が党に不満を持っていたから、党による公表をさせなかったのではないかという勘ぐりもあった。公明党は中道を掲げているが、浜四津氏は左派。浜四津氏が国会議員であったときに公明党自民党と連立を組んだ。この連立は切れることなく、つい先日まで続いた。
浜四津氏が党に不満があったから云々という推測は、どうだろうか。多分違うと思う。信仰者としての内面から考えてみないと分からないと思う。
私の推測を書く。
浜四津氏が75歳で亡くなったのは2020年11月。同年6月、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の代表を務めた横田茂氏が亡くなった。87歳だった。多くのことを堪えて生き抜かれたと察するが、届かなかった。
浜四津氏は拉致された増元るみ子さんの家族から相談、依頼を受けたが十分な対応をしなかったことが知られている。だからといって、浜四津氏が冷酷だというわけではないだろう。真面目で思いやりがあったように見える。
では、何故、こんなことになったのか。
これは左派の宿痾だと思う。北朝鮮や中国に、まともに物申すことが出来ない。
土井たか子氏も同じ(実際はもっとひどかった)。

「日本は周辺諸国にひどいことをしたから、物申す資格がない」
其の処で、無理な理屈で思考停止している。本来、拉致をするような国は、その国も国民も不幸なはずで、拉致の解決は東アジア全体の幸福にも繋がる、というような大きく前向きに踏み出す大局観がない。自らを責める、自縄自縛になっている。手も足も出ない。これでは、政治にならないと思う。

浜四津氏が亡くなった2020年あたりから、ウイグル人の人権問題がマスコミでも取り上げられるようになった。日本に帰化したウイグル人自らの訴えはYouTubeでもよく目にした。悲惨な事例が生々しく紹介された。
日本に帰化したウイグル人は、「日本人」である。
公明党は再び同じ間違いは犯せないはずだが、どうだったのだろう。

公明党サイドからは、党の公式ではないが、最近YouTubeで「公明党は『眉中』ではない、「国益」のために中国に言うべきことはキチンと言っている」と語っていた。

この説明は無理がある。この説明で、人権まで括ることは出来ないからだ。
人権は、普通、国益ではない。領土や、金儲けの話ではない。
人権こそは、公明党の党是のはず。「眉中」という批判には、党の存在意義に関わる根本的な問いが含まれている。

公明党の生みの親である池田大作氏が、1997年の香港の中国返還に際して、識者と語り合っている。

「旭日の世紀を求めて」金庸池田大作 1998年 
小見出し 『香港の「より良い明日」を強く確信して』 25ページ
池田:(略)
たしかに一部には、返還後の香港は混乱するだろうと予測する向きがあります。しかし、私自身これまで幾度となく訪れて実感していることですが、香港の人々には、底知れない「人間の活力」があります。
(中略)
金庸
一部の日本のマスコミは、香港の人々が中国返還に不安を感じ、何らかの混乱が起こるだろうと予測している--先生(池田大作氏のこと)は今、そう指摘されました。
そして、こうした報道は真実を反映していないとし、香港の「より良い明日」を強く確信されています。そのうえで私に、「香港の明日」についての見通しをお尋ねですね。
池田:
そのとおりです。

金庸は、香港の返還の香港基本法起草委員会のメンバー。
よって、対談は、池田が香港人の素晴らしさを担当し、金庸からは香港の将来は心配ないという言質を取るというような展開になっている。所々に江沢民の名前が挙がり、二人で持ち上げている。この時点で、既に怪しかったと今は言えるが、後の祭りのようにも見える。
見方によっては、皆が香港を出られるわけではないのだから、自分たちは対談によって泥をかぶってでも、少しでも香港の人々に役立つよう中共の強権支配を押しとどめようとしたということであろうか。

しかし、後々、賢い人は早々と香港を去ったという声も広がった。
これは、冒頭にあげた、Bの実例の一つでもある。

名古屋でフェンタニルの事件があった。日経新聞が報じて大きなニュースになった。
何回かニュースになったが、以下のような見出しの時もあった。

「善意の同胞」隠れみのに
華僑社会に紛れたフェンタニル組織
米中「新アヘン戦争」の裏側 狙われた日本㊦

日本に溶け込んで、まともな経済活動をしている中国人がいる。日本でも春節祭を開いて街を盛り上げている。国会議員も呼んで挨拶をしてもらう。
駆けつけてくれるのは公明党の議員。お祭りを盛り上げてくれる。

よって、上記の見出しを書き換えてみる。

「善意の【公明党】」隠れみのに
華僑社会に紛れたフェンタニル組織
米中「新アヘン戦争」の裏側 狙われた日本㊦

中国のような徹底した管理国家で麻薬になる化学物質を取り締まれないなどということがあるのか。はなはだ、奇っ怪不思議な話である。

公明党は福祉の党です。
ある親切なおばあさんを信じて、子どもたちにおいしい食べ物をたくさんあげています。子どもたちは健康で、血色も良く、さすがに福祉の党ですね。幸せですね。
子どもたちの名前を書いておきましょう。
ヘンゼルとグレーテル

この状態から変われるのか?
おまけ。

今回、公明党が連立を離脱した。
世間では、公明党は、自ら離脱し野党となって高市政権を潰そうとしているという声が散見される。さらに、それを中国が望んでいて、後ろから押しているとも。

しかし、中国は、公明党が政権から出ることを望んではいないだろう。
中国は道教の国で、道教道家と連続している。儒教は廃れても道教は根が深い。日本とは考え方の枠が違う。公明党高市氏とそりが合わなくても、政権の中にいてもらった方がよっぽどいいと考えるだろう。

だから、公明党が、もしも、眉中の度合いが強ければ、政権に残る。

逆に言えば、実のところ、公明党は、そろそろ中国と距離を取りたかったのではないか。
政権に残れば、中国とのパイプ役が今まで以上に大変になる。
共産党の評判は、ますます、悪名となっている。共産党も中国も、日本人の親近感は下がりっぱなし。中国のため、共産党のために、汗を流しても得るものはあまりに少ない。
もう、ヒットラーに対する、チェンバレンの役回りは止めるということだ。

そういう意味では、政権離脱は、公明党にとっては良かったと思う。
問題は、政策実現のための閣外の協力関係がとれるかどうか。

以上、自分でも首をひねっているが、随分と変な想像だ。
政治と金の問題も離脱の原因の一つだろうが、対中関係でも、一般の想像と逆の問題があったのではないかと疑っている。

今回の政権離脱について、分かりにくくしているのは、先ず斉藤代表、それから執行部の素人臭さだ。
政権離脱直後の会見での斉藤・西田・竹谷3人の下手な芝居の体。台本が急に変わって、大役を当てられて慌てている大部屋役者のようだった。本当に、政治に向いてない人が政治をしているんだなと思った。
中国大使も変な時期に議員会館で斉藤代表と会っている。中国も下手を打ったなと思ったが、これは、大使側が公明党に合わせているから、こんなへったくそなことになったのではないか。

西園寺公望のエピソードを思い出す。wikiから引用する。
政治家となることをすすめたのはフランス留学時代の恩師アコラスだったが、西園寺は「政治家は常に思うところをいうことはできず、時に嘘を言わねばならない」と否定的だった。するとアコラスは「日本の政治家は時に嘘をつくだけでいいのか、フランスの政治家は常に嘘をついている」と大笑いした。

この高市政権で軍事力の拡大が想像できる。
あまりに陳腐でよく言われることだが、「ハードパワーよりも、ソフトパワーによって、平和を構築しましょう」。ハードパワーの絶対量については、党によって見解が違う。しかし、ソフトパワーの相対的な比率を上げる、ハードパワーの相対的な比率を下げる、これならば、どこにも異論は無いだろう。
公明とも創価学会も貢献できる。

国会には議連というものがある。特にソフトパワーについては、いろいろな議連が有ってよいのではないか。「ソフ議」でどうか。「ソフビ」ではない。

高市首相がドラムをやっていたというのだから、国会ハードロックカフェ、横文字にすれば(DietHardRockCafe)はどうか。
国会でバンドを組む余裕はないが、バンドや曲の投票、国会ビルボードチャート、動画プレイリストとか、、、いくらでも発展形はある。

石破首相と斉藤代表との鉄道対談がYouTubeで有ったが、高市首相とハードロック対談ができる議員もいるのではないか。

デジタル同経度文化圏 その二

高市新総理のASEAN首脳会議のニュースを見た。

科学技術の先端分野での協力は良かった。
日本が先んじているが、日本が持ち出す形になっても、平等にやっていけたら素晴らしい。

自然災害について強調していたのも良かった。

英語で会談、スピーチをしたのも良かった。

国防問題について、びびっている人々の感覚は理解に苦しむ。
東アジアにはロ・中・朝の三国があり、そもそも緊張関係は仕方ない。
「それは、それ」の話。
思い出すのは清朝の駐日公使に随員した黄遵憲という外交官である。
日清が厳しい関係にあっても、その文才・教養をしたって、日本の文人が訪れ筆談で交流した。
この期に及んで、パンダも要らないし、何から何まで安全が保証されない(地溝油他)中国にいく必要も無い。日清戦争の時代よりも遙かに分厚く日中は繋がっているのだから、一つ一つを、「日本人らしく」丁寧にやれば良いだけの話。留学生も、日本の文化を求めてくる旅行客も多い。彼らがゼロになることはない。十分の一になったところで大変な数だ。しかし、日本人の知性・教養が低落したら彼らと共有する部分が無くなるだろう。まあ、実際は、相当低落しているのだけれど、日本に来る中国人が十分の一になることもないだろう。
以前、日本の文明について、1.1文明~1.4文明と書いた。日本は独立した文明だが、四捨五入もしないと分からない。儒教も、仏教も、老荘思想も中国から学んだ。

デジタル同経度文化圏に加えて、漢字文化圏を書いて、その重なり具合を書きたいのだが能力的な問題でなかなか進まない。

マスコミ、YouTubeでも、高市は右翼だと批判されている。
日本という国、何を持って日本人とするか、そういうことに裏付けがある、また理屈が通るようにしていかなければならない。
日本人とは何かを言えなければ、不信の種はなくならない。

さらに、日本語について定義というか説明が出来ないと、第二公用語としての英語も導入できない。

ただし、英語というと、同経度地域の他には、英国よりも米国に目がいってしまうが、英国が欧州(EC)を飛び出したためにTPPに入ってきて、面白い新しい日英関係が可能になってきたように見える。

イギリスは、近年フィリピンとの防衛協力を進めている。
オーストラリア・ニュージーランドとは長い付き合いだが、英語圏であるフィリピンとは関係が薄かった。此処にイギリスが入ると同経度の繋がりになる。
やはり、何かしら大きな構想があると思う。

米国と英国の違いは、やはり王政と、歴史・伝統だろう。
米国は、「欲望の資本主義」の毒が回りすぎている。日本も、全く同じにしていいわけがない。
いずれは、皇居の歌会始の後の行事で、英王室と大使館によるワーズワースシェークスピアの朗読会が開かれるようになるといい。