列県雄市とは、列藩と雄藩をもじったものである。
この前の記事で、戦前の教育について書いた。
特に、旧制高校やエリートの教育について考えてみた。
文科省の元次官が座右の銘は「面従腹背」と語ったそうだが、困った話だ。
中曽根ファミリーに入って、出世する中で、長く続いた醜い自民党、自民党政権の悪事を絶え間なく見せつけられてきたのだろうか。優秀な人物から見れば、教養も品格も無い恥ずかしい政治家は許せないだろう。馬鹿というか、馬鹿以下なのだろう。子どもたちを健全に育てる教育行政において、これはないだろうと。まあ、日本中、北から南まで、末端の学校でも、問題のある人物が教頭や校長になり、教育委員長になり、真面目な教員が怒っているのだから、政治家が、その千倍も万倍も迷惑をかけていると想像すれば、「面従腹背」という方法しかないというのも、一面は、筋が通っているようにも見える。
戦後、やっと、まともな教育が出来るようになった、そして頑張って積み上げてきた。
それを、教育など何の思いも持たない政治家が壊している。
その、防波堤として、馬鹿げた指示・命令を無効化する。
あまりに無力な官僚としての究極の選択。
「面従腹背」というのはそういうことだろうか。
しかし、この状態だと、「戦前の教育も此処まで来ることが出来た」、「それを如何にして発展させるか」ということにはならない。
心ある官僚は「悪」を止めるのに頑張っている。「善」を発展させる余裕は無いというわけだ。
以前のブログで、東北地方について、立派な軍人が多かったと書いた。多分、東北には、優れたエリートを生み出す教育の基礎があるはずだと考えた。
戦前の教育の良い部分を発展させることが出来ないとなると、一番損をしているのは、東北ではないか、そのように考える。
思い起こせば、「東北熊襲発言」がある。
上方の大馬鹿野郎をひっくり返してやりたい。
(しかし、私は、大阪の文楽の大々ファンなので、その事は一応留め置いておく)
明治維新を持って東北地方と、江戸の近隣、関東から南の地域は大きく運命が分かれた。
江戸時代、三代将軍家光は、大名は鉢植えのように扱った。
米が経済の中心で寒い地域はよく不作に泣いた。地域的な経済格差があり、それが文化の差にも反映したが、学問となると、どの地域からもユニークな人物が現れ、地域差は思いのほか少なかった。
幕末の賊軍となった奥羽越列藩同盟と官軍の戦いは、「武士道」と「国民国家」との戦いのようにも見える。江戸時代に培われた武士道は、様々に説明が出来るだろうが、敵を薙ぎ散らかして勝つだけではない。「戦いを収める」のもまた、武士道である。
半藤一利氏と保阪正康氏による『賊軍の昭和史』では、「賊軍とされた東北などの藩の出身者たちが、結果的にその戦争を終わらせる役割を果たした」と言う。
武士道は東北にこそ最もよく残っていたのではないか。
新渡戸稲造は言うまでもなく、東北の出身であり、『武士道』を書いた人物だが、彼の『武士道』が北欧のフィンランドとスウェーデンとの間のオーランド諸島にある。
新渡戸は、国際連盟事務次長だったときに、懸案となっていた島の帰属を平和裏に解決した。新渡戸裁定と云う。『武士道』には、「武士道の究極の理想は平和である」と書かれている。
この賊軍と官軍の違いは何だろうか。官軍の主力薩長では、廃仏毀釈が強かった。特に薩摩藩は激しかった。官軍を突き動かしたイデオロギーである水戸学は、神儒一致であり、それが行動となって廃仏毀釈も起きている。
水戸学は、徳川光圀が、多くの仏教寺院を排除したが、後には逆に寺院の創建、保護もしている。前期水戸学という。
しかし、徳川斉昭の代になると、再び排除するようになった。後期水戸学である。
雄藩の先頭に立つ可能性のあった水戸藩は、血で血を洗う内部抗争で崩壊した。
藩内の「戦いを収める」ことが出来なかった。
ちなみに、藤田幽谷と弟子の会沢正志斎は老子も低く見ていた。
(とはいっても、先鋭的な人たちがいたからこそ、少なくとも日本は独立が保てたのかもしれない。後の時代の人間が、簡単に当時を評価するのには、遠慮がないわけではない)
つまり、このブログの表題に含まれる「神儒仏老」が雄藩(官軍)側では一部が欠けていて、賊軍側は整っていたというわけである。
幕末の仏教は、既に、寺請制度によって緩んでしまっていて、厳しく言えば堕落していた。改革勢力からは無用で有害でり、排除された。そして、さらに改革勢力は先鋭化した。
寺子屋という言葉があるように、寺は子どもたちの学習の場を提供したりしたのだから、仏教を悪いものだと決めつけるには配慮が必要だが、その時点で急激な改革を求める人々には、そのように見られていたということである。邪魔であり、目障りだったのだろう。
さらに、本州アイヌの存在がある。
「神儒仏老」の「神」は、先ずは、神道であり国学をイメージしているのだが、アイヌや琉球の神々と信仰も含んで考えるべきだと思う。これは、下に並べたもの(何度か書いてきた)の中で、便宜的な位置は最下層の〈C 神 美〉に含むことができる。
T(tao) 老 真
P 儒 善
A 仏 利
C 神 美
アイヌの人々は、文字を持たなかった。
和歌の起源は文字のない時代にあり、私たちは文字がない時代に詠まれたであろう和歌に少しは思いを寄せるべきであると思う。文字を得てから、失ったものも有るのではないかと、想像を巡らしてみたい。
身近に、文字を持たなかった人々がいる、少なくともその記憶がある。それを尊重する心が、世界のどこに行っても友好が結べる日本人を作るのではないだろうか。
江戸時代には薩摩藩による琉球侵攻があり、松前藩の下でのアイヌの人々の苦難があり、
北東北でも本州アイヌの同化政策があった。それでも、まだ、本州アイヌの同化政策を他の二つと同列に糾弾することは出来ないようにみえる。
アイヌの文化も染みこんで東北地方はある。
以上のことから、東北地方が、日本という国を代表することが出来る地域であると考える。
そこで、移民の話である。移民には日本人になってもらわないとならない。既に「ここは日本ではないのか」という地域もあるようだ。そんな疑問符が付く地域に、ここなら外国人も暮らしやすいなどと、招き入れて良いのか。
今まで、移民が日本人として定着することについて、
「それならば、日本人とは、何であるのか」という問いにキチンと答えていなかった。
其処をしっかりしないと、移民導入の議論は出来ない。
私は、日本人を、「神儒仏老」によって方向付けたいと考えている。定義というと難しいことになるので、そうは言わないが。
移民は、東北地方を入り口として、計画的に実施することを提案する。
この「日本人になってもらう」ことを、どう支援するか。
大学の通信教育システムを作ったらどうか。
「神儒仏老」の4種の大学と連携する。
神道・儒教・仏教・東洋思想、これらをキチンと教養として提供出来る大学である。
東大にしろ京大にしろ、研究はしている。しかし、それは研究である。研究は日本中の大学でしている。大学が、建学の理念として、こうした学問を標榜しているところは、基礎から、宗教の押しつけではなく基礎教養としても、教えることが出来るはずだ。おそらく、社会貢献活動で既にやっていると想像する。
神道系の大学はある。
儒教を掲げている大学も複数ある。
仏教系はたくさんあるが、大学によっては、一宗一派に偏らない大学もある。
「老」は東洋思想や東洋哲学を掲げているところにやってもらったらよい。
「老」は、他の3つに比べれば、同等の量にはならない。
放送大学や、通信制高校のNHK学園も活用出来るだろう。国策なのだから。
それと、メンターシステムである。学習を生活の場でサポートする人材も必要だ。
寺子屋の師匠に近いかもしれない。ただし、たぶん、師匠もともに学ぶということになるだろう。寺子屋は学歴を得るところではなかった。資格が得られるわけでもない。ただただ、寺子が社会で適応出来る基礎を身につけられる場所だ。
先輩は、いずれ、メンターになれるだろう。
これだけの、システムが出来れば、日本と友好関係ではない国から、わざわざ招待する必要はないと思う。世界を、全てを、平等に見て、日本を大事にする意識がある、そういう地域から招待すれば良いのではないか。
これができれば、農業法人など田舎に根を張って生活する青年たちの、高等教育もサポート出来るだろう。日本のどこに住んでいても、大学は卒業出来る。
生涯学習が広がればもっとよい。
東北から世界に出て行くことも良いと思う。
移民を招待する地域との関係作りとしても、予備知識の場としても。
理念も、キチンとしたシステムもないから、馬鹿げた、炎上騒ぎに負けてしまう。
海外に武(士)道館を作る。とりあえず、武道館のように、身体を通して、日本の文化を教えられる。これは導入であって、さらに出来れば、JICAのようなこと、あるいはJICAの一部として活動する。
サムライ資本主義という言葉もある。
かつて、アフリカからブラジルに移った難民で、柔道の選手としてオリンピックの舞台に立つことが出来た人物の言葉がある。
「子供の頃は、何をすべきか指示してくれる家族が必要だけれど、私には家族がいなかった。それでも柔道は私に静けさ、規律、献身などすべてを与えてくれた」
武(士)道館は、ヨーロッパにも、一つ作りたい。
ちょうど良い場所が、サンマリノにある。
サンマリノ神社はサンマリノ共和国にあり、ヨーロッパで初めての本格的な神道式神社だという。東日本大震災の犠牲者を慰霊する目的もあり、日本とサンマリノの友好を深める象徴とされている。
土地が足りなければ、国境を越えて、イタリアでも良いと思う。
武道は「交剣知愛」というように人と人を繋ぐ。
柔道場は、例えば、オランダのヘーシンクを讃えて「ヘーシンク記念柔道場」も良いと思う。様々な澱のように残っているものを洗い流す。
東北と言っても、奥羽越をイメージしているが、著名な人物が多い。
新渡戸稲造あり、伊達政宗とローマ教皇に謁見した支倉常長あり、海外でも人気の上杉謙信、名君上杉鷹山、等々、きりがない。
東北が、人が育つ何かしらの分厚さを持っていると思う実例として、個人的には、大谷翔平さんに加えて、沖澤のどかさん(指揮者)を挙げたいがどうだろうか。