冗談か本気か

山本さんからメールがあった。

何とか立ち直ろうとしてブログを再開した私を応援してくれているのかもしれない。

山本さんは端正な顔立ちの人で、冗談だか本気だか分からないような冗談を言わなければ、誰もが憧れるタイプの人だ。かつての職場では私の上司であり、困ったときは本当に助けてくれた。しかし、今思えば些細なことをきっかけに気まずくなり、別々の職場になってからは連絡を取っていない。

私のブログを読んでくれたのかもしれない。山本さんを中傷することは一切書いていないけれど、メールには「真理を追求する必要はあっても、真実を書く必要はないでしょう」と書かれていた。

昔は、この手の会話を楽しみしていた。すごく仲が良かった。今は、特に今日は朝から手術があったので、相変わらず面倒くさい謎かけだと思ってしまった。

手術をした患者は、麻酔からの覚醒は良好で、新たな症状はないことが確認できた。そして、手術による合併症で苦しんでいる別の患者をもう一度回診した。安堵と申し訳ない気持ちを同時に感じつつ、1日が終わった。

帰宅前にメールを思い出した。このメールで何を言いたいのだろうか。冗談として、「まり」と「まみ」という女性について話したいという謎かけであろうか。

相変わらずの虚構の世界の住人だから、社会人として生活はできているのかと心配になる。これは山本さんに対する中傷ではなく心配である。

しかし、本気の問いかけであるならば、真理と真実について考えなければならない。

「分人」の虚構

山本さんにブログを見てもらったら、「何がしたいの?」の一言だった。

自分の内心を素直に吐露した文章であったし、日々の生活で発見した小さな真実を書き留めた文章でもあった。今まで誰にも教えたことはなかったけれど、山本さんには読んで欲しかった。しかし、思いのほか冷たい感想であった。

確かにまとまりのない文章の羅列であり、読んでもつまらないものであったろう。そして、私の悩みを読まさせられることは、山本さんにとって、「そんなに親しくもないのに、何がしたいの?」という感じであったのだろう。

山本さんとの距離を見誤った。思ったよりも遠くにいて、そして、さらに離れていった。悩んだけれど全ての記事を削除した。

山本さんは、背が高く、目鼻立ちの整った人だ。本当に、第一印象は「整った感じ」であった。本人は面白いことを言っているつもりであっても、周りの人にはそう思われてはいないタイプの人であった。それでも崩れることなく、つまらないことを言い続けていた。「何がしたいの?」は、山本さんの口癖かもしれないが、一番つまらない一言だった。

山本さんは、様々な顔を持ち合わせていて、「分人」の実例を示してくれた。「分人」とは、平野啓一郎氏の造語で、「対人関係ごとの様々な自分」のことである。つまり、「たった一つの『本当の自分』など存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて『本当の自分』である」とされる。山本さんは、見事なまでに分人を使い分けていた。

逆に、山本さんの視線で私を見ると、きっと「醜く、そして、つまらない」であろう。実際、勝手に動画撮影された「私」を見る機会があったが、そんな感じであった。それは、私の知らない「私」であった。山本さんはブログに記された私の「分人」に興味がわかなかったのであろう。

宮台真司氏が指摘するような、ベーシックインカムをもらって、ドラックを内服して、ゲームをしながら、メタバースの世界で生きる、私のような夢の無い人間であれば、それでいいと思う。虚構を造って、「分人」を並び立て、語り合わせるのを小説というのであれば、それと同じではないか。読者に忖度するのが小説で、自分に忖度するのがメタバースであるならば、何の違いがあるのだろうか。

だから、山本さんを私の「分人」にして、虚構を造ろう思う。収入も、ドラックも、ゲームもいらない。ただ「分人」を並ばせて、醜くつまらない私の日常をこの虚構に再構築しようと思う。