
スハルトがお亡くなりになってもう17年、17年も毎年英雄になるのをStopさせられてきた所、やはり嘗ての義息プラボヲが名誉回復したのだろう。
一寸比較するとスカルノはお亡くなりになって42年でやっと叙勲、2012年のことである。ところがこれは独立宣言英雄であり2回目の叙勲のようで1回目は1986年なので16年である。
2回目はYudhoyonoの確認のためのようで、1回目はスハルト体制の盤石を待って宥恕されたものとか騒いだようだった。1983-85は不良青年狩りと称して最大1万人が殺され遺棄された事件が連発、そのあと治安が収まったとされている。(ペトルス作戦)
常にスカルノ(初代)とセットのHattaは6年目で叙勲されたことになる。
スハルト(2代)とグスドウル(4代)の間の第3代のHabibieはお亡くなりになりそれから同じ6年目であるが今年叙勲されてない。
ハビビ時代の、スマンギ事件I/IIで26名の学生が政府抗議運動中、官憲に殺された事件や忍者事件(200~30人死亡)の頻発は、その後のグスドウルの解明責任もあろうノニト言えるか。
最速叙勲は65年ゲシュタプ(G30S)の9将軍で0年、首相のSutan Sjahrir や お札にもなったIdham Chalid の1年がある。英雄叙勲の資格の規定もあろうが、実態を一寸見てみた次第。
スハルトの叙勲反対は多くの人権団体などの働きがあり、2024年も多分プラボヲか或いは忖度する英雄審議する側から推薦があったが、ネットでは氏名すら明らかにされてなかった経緯がある模様である。それが今年にずれこみ大量叙勲となったように推察する。
24年11月頃はプラボヲが大統領になりたてで長い海外旅行中で帰国後名前を発表する段取りだとする報道はあったが、その後のニュースでも発表は見つからなかった。
1965年事件そのものの裏も解明されていないし、それに続く共産党狩りの大量虐殺の始末も就けずに英雄とする叙勲には多く反対されているが、そういう中での叙勲である。
上記Petrus作戦やSemanggi事件や後述のMarsinah事件もスハルト時代の奇々怪々事件の幾つかである。
スハルトも亡くなっている以上、本人は叙勲に遠慮は出来ないが、問題が解明されてない以上、決定賢者は判を押すのは止めるべきであろう。
序に露払いしているのがTNI退役将軍サルウォ・エディエ・ウィボウォ(SEW)である。 彼は1965年に、陸軍指揮連隊(RPKAD、現Kopassus)の司令官を務め共産党狩りも露払いをしたと言われている。
かれはYudoyono(SBY)の義父であり、SBYの子供Agus Harimurti Yudhoyono (AHY)がプラボヲのコストラッドの後輩である。
日本でも最近これに近いネポティズムの話があったがミニサイズの話である。
マルシナは労働者の権利を訴えたことで、軍や企業関係者との対立があったとされていて、最後は森林地帯の山中で遺体となって発見された1993年の事件である。
誘拐され拷問された形跡もあったけど、責任取った解決がなされていない。
彼女の死はインドネシアの人権問題の象徴として燦然と照らしているものであるが、叙勲は遺族にとって逆なでするものでなければいいがと思う。
小生、この80年代、90年代ずっとジャカルタにいたが今思うとよく平気でいたものだと思う。
しかしここにいても軍靴が音が聞こえてくる。今もこういうことがどこででも起こりうる 樹さんだったか人類は確実に進歩はしていると力説していたが私には5㎝進むのに直前に100万メートルの穴に落ち込む
這い上がればの5㎝だと思う。5cmだろうがなんだろうがこれ以上の進歩はいらない。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
