今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

ジャカルタ新旧あれこれ

KopiのOeyか砂糖のOey

嘗ての伝説的なアジアの砂糖王にオエイ・ティオン ハムがいる。 アジアと言う事は世界の砂糖王と言う事になるが砂糖の世界王の話はジャワの話でありその名残はRajawaliにあったと記憶する。 しかしこの名前がOeyであったかどうかが不安であったが確かめる…

Juanda の Ursula女学院

Jalan Juanda あたりを探険した時キリスト教関連の女学院の施設があり、Jalan Juandaから奥のJalan Batu Tulis 迄連なって建てた長い建物で、ここはklooster Ursulin Harmonieウルスリン修道院と言われた建物だ。 筋向いの少し東寄りのチリウン運河向こう(J…

相次ぐTuguの色々

ジャカルタ・カリブサールのHouse of Tugu はもともとHotel であった。旅人でもいたのであろうか木賃宿で私のアルバムにもあった。 その斜め後ろにもTugu HotelがあることになっているがToko Merahの真後ろであるがTugu家(Group)の骨董品の物置に違いない…

Warung Kopi EsTak Kieは健在

Warung Es Kopi Kak Kie ジャカルタで一番古いコーヒー店に行ってきた。昔、financialのPinangsia地区にあると言うのでGlodokの北側を歩いてみたが行き着かず長い間放置していたものだ。 インドネシアのコーヒーのあれこれを纏めている内にその名前Warung Ko…

ジャカルタのToko Kompakと大阪の松竹座

Pasar Baruと歴史的建築の記憶 Google MapのHistorical landmarkで、ふと目に留まったPasar Baruの古い写真。そこに写っていたのは、かつてのToko Kompak。店名の横には「Herenhuis van Majoor Chinees Tio Tek Ho」と記されていて、最初は場所の見当がつか…

失われたヤン・ピーターズーン・クーン寄宿学校

ウエルトフレーデンに建っていたJan Pieterszoon Coen の銅像は、日本軍が占領した初期に取り壊されたと記憶するが、ジャカルタにはあと一つクーンの名前を冠したものがあったことを知った。 その場所は J.P. Coenweg 32 (現在のジャラン・スルタン・アグン)…

Kanal Gresik とMoh Yamin

HI Roundabout(Bundaran HI Bundar:ラウンド)の下に潜り込む運河がある。 上流はマンガライ辺りのチリウン河が、スラバヤ通り裏の河に分かれて、チキニ辺りから整備されたKali Gresikである。 この運河Kanal Gresikはオランダ時代に整備されたものか、運河…

故ハルヨノ中将ご自宅はBorobudur通り

リノベ完成の家 故 Letjen. MT. Harjonoのご自宅は Jl. Prambananにあり1,000m2の敷地の裏にCiliung河が流れている。 ここに行くには、ディポネゴロ通りをサレンバ方向に向かい、チリウン河を越える手前で右に折れる小さな道があるが、この辺たりで尋ね、尋…

パンチャシラ大学とMenteng by The Crest

ホテルの正面はPanca 大学 Mentengの南奥にある、省略が難しいGrand Mansion Menteng by The Crest Collection Borobudurは Jl. Borobudurにあるが、正面はPancasila 大学のMasters in Mechanical Engineering, University of Pancasilaであった。 昔この大…

Taman Podok Gedeを偲ぶ

ポンドック・グデーとはジャカルタ南東部の交通の要所でチカンペック高速にその名前の料金所があるのでここから近いはずであるが、小生はミニ・インドネシア公園の所からパンチャシラ・サクティ公園に向かう道を行く方が楽しいドライブになる。途中ハリムゴ…

クバヨラン開発の歴史地図

Blok-PのJan Darmadi氏邸宅にふれたのはついこの間のブログである。 Blok-PのSavyavasaはJDCのアパート そこで私の宝の地図を紹介したが、今日はひょんなことからArya氏のブログで完結版を見つけた。 Arya's Journey – TRAVEL – FOOD – ET CETERA それは1948…

影のない4日間の彷徨

影のない4日間のマイブログ ここのところ何日間はブログから姿が消えていたが、それは4日間ほどデータ ミッシング事件でパソコン アンタッチの期間となっていたためである。家から出ることもなく、私自身がミッシングと思われるのを解くため、今日、ブログ…

Woooshu Mall Mall Baru

ジャカルタのショッピングモールで閑古鳥が鳴いているところがある一方、新規モールのオープンも続いていると報告したが補足がいるようだ。 ショッピングモールとは小売りを主体とする商業施設で、多くはメイン・テナントにスーパーやデパートなどを持ち、多…

昔はリゾート、今は埃のCilincingか

Pantai Cilincing zaman dulu (wikimediacommon) チリンチンは名前も涼やかな、知る人ぞ知る嘗てのビーチ・リゾートである。こう書きだした訳はVOIの記事に添えられたPantai Cilincing zaman duluという昔の写真である。 オランダの夫人が運河添いの道をハイ…

風雪270年のカントリーハウス

オランダ植民地時代のLandhuisと呼ばれた郊外別荘の走りは、1940年に建設されたLandhuis Cilincing であろうか。 Landhuisというのはバタビア城の塀の中で住んでいたオランダ職員・軍人達がそこから脱して外部に休息の別荘を設ける時代になって行き、その意…

レバナ地方のCirebon Station

St. Cirebon 1911 Google インドネシアの駅舎は多くがオランダ時代に建設され今日まで保存されているものが多い。誰もが知っているジャカルタはコタ駅からバンドン、スラバヤ、ボゴール、スマランは訪れるチャンスはあったが近くでは訪れることは出来なかっ…

Bank Indoneisaの源流物語

Bank Indonesia Batavia 2006 インドネシアの中央銀行Bank Indonesiaは何度もブログしているが2008年頃だったか、その頃「薄汚れて長く気が付かなかったコタの旧インドネシア銀行本社が改装を行い博物館としてお目見えしそうである。」として私の文献に記録…

Alwi Shahab先生と正義の剣Pedang Keadilan

Pecenonganの成り立ちのブログでAlwi Syahab先生のEssayを思い出したとして又蘊蓄をお借りしたが、先生の名前は本当にひさし振りで、今更ながらWikipediaに尋ねるとなんと2020年9月にpneumoniaで、お亡くなりになっていた。小生もコロナでインドネシア行きは…

プチェノンガン辺りがにぎわった頃

Pecenongan 2008 プチェノンガンのHotel Red Topから、そこにオランダ時代のToko Buku、Kolff &Coがあったことは書いたが、その時Pecenongan Menjelang Abad ke20というAlwi Syahab教授のESSAYを保存していたことを思い出した。この記事では、なぜここがにぎ…

サヌーシとBPUPKI

2022年国家英雄の5人の中の一人、K.H.アフマド・サヌーシは独立英雄ともいえる。紹介文に彼は、独立準備努力調査機関(BPUPKI)のメンバーであるという事だからである。所がこの紹介は不十分である。というのはBPUPKIは62名もおり、言わば議員に過ぎなく議員だ…

スハルト医師のPKBI家族計画

2022年国家英雄の称号を与えられたH・R・スハルト博士はインドネシア共和国の初代大統領の個人医師である。 1942年以来、彼の任務の間、常に世界中、スカルノに同行している。 外交面で付きっ切りのチャウツーモー特使の回想録をめくったが、裏方の彼の名前…

2022年も国家英雄は5人も

G20で多忙中、そんな暇はないと思ったが、今年もちゃんと国家英雄を選んで、叙勲式も終らせた。先ずは誰かという事で名前を書くと; dr. H. R. Soeharto Sastrosoeyoso(1908~2000) KGPAA Paku Alam VIII(1910~1988) Salahuddin bin Talabuddin(1874~1948) …

MAKOとバタヴィアと機動隊本部

MAKO Brimob Kwitang MAKOをグーグルすると可成りの真子さまが出てくるようになった。夫君に負う所があるのだろう。数年前留学する彼にエールを送った頃は10人に一人くらいだったろうか、今は5割くらいには増えたかも知れない。次は法をのりこえた大岡裁きを…

ジャワ探求 戰死日本兵慰霊碑

図らずも知遇を得た井口教授より、彼のホームペイジの“ジャワ探求”にアップされたニュースの幾つかを案内頂いた。そのひとつが「戰死日本兵慰霊碑」というもので1942年日本軍がジャワ進駐しオランダ軍を攻略した直前、ボゴール方面に進んだ日本軍部隊の兵士3…

TaspenがArthalokaの頃

Sudirman 通りの1975年頃の写真があった。中心に建つのはWTCである。今はWisma Metropolitan Iと言うのだと思うが、広い敷地を確保しゆったり駐車場に利用している。正面のSudirman通りの上りは、まず当時Probosutedjoが持っていたビルだったと思う。小生は8…

またジャカルタに超ド級ホテル・The Langgam

Langham from equity tower ランガム・ホテルが9月9日にジャカルタSCBDにオープンしたニュースを聞いて、それは直ぐアグン・スダユのDistrict 8だなと言うことは直ぐわかった。ジャカルタ2番目の高層ビルTreasury Towerのすぐ傍である。或いはSCBDのSudirman…

カカオ豆輸入のガーナで今

25日に、チョコレートの話をしたが、今日、日本の輸入元の最大国のガーナについてのニュースがあった。 2日前インドネシアのスーパーミーの話もしたがガーナでは 今このスーパーミ―が大人気で若い男の子が女の子を誘うのに一緒にスパーミ―を食べようと誘うの…

一本独鈷とBassura

読んでいる小説に供独鈷に五寸幅の博多帯なる言葉が出て来た。ここからジャカルタにつなぐのはやっかいだが、まずは思い浮かべるのは 水前寺清子のいっぽんどっこの歌である 例の “襤褸は着てても心の錦どんな花よりきれいだぜ~男ならやるぜこの道どこまで…

インドネシアの世界遺産とその候補

Numeous World heritage in IndonesiaインドネシアのKEK Pariwisata 30リストを作って“ジャカルタあれこれ”にアップしたが、この中の大手は殆どブログにしている。 世界遺産は世界全体で1073ケ所あるそうだがインドネシアはたった8ケ所しかない。その地位を…

私のはてなブログ

旧「ジャカルタ新旧あれこれ」 新「ジャカルタ新旧あれこれ2」 追記; お知らせこのブログは今までNiftyのココログ「ジャカルタ新旧あれこれ」で書いてきた続きとして特に日本や世界との関連ある事項を中心に書くことにしました。従来のインドネシアの歴史…