地震

島根、鳥取で大きな地震があった。今のところ人的被害はないようで本当によかった。数日前私の住んでいるところで夜地震があってずいぶん揺れたが震度2だったそうであれで震度2なら震度5とか6ならどうなるのだろうと思った。古い家でガタが来ているので震度3とか4で崩壊してしまうかもしれない。しかしいまさら家を建て直す気力も財力もないので大きな地震がこないことを祈るだけだ。大きな地震があるたびに事前の準備をとか言われているけどどれだけ準備しても地震を防ぐこともできないしか大地震が直撃したら全く被害をゼロにすることはできないだろう。何年後には必ず大きな地震が来るから準備をとか心構えをとか言われても出来る人はいいができない人もいる。自分の命は自分で守るのは当たり前だけど果たして自助だけで自分の命や財産を完全に守れる人ってどれだけいるのだろうか。家を自力で直せない人もいる。ただ注意をとか準備をとか言うだけでなくそういう人にこそ公助するのも政治の役目ではないかと思う私は甘えでしょうか。

川端康成「雪国」

川端康成の「雪国」を久しぶりに読んだ。感想は以前読んだ時と変わらず難しい小説だと思った。雪国の風景と登場人物の心理を美しいが難解な表現で絡ませながら書かれた小説だ。そういうものを取っ払ってしまえばそんなに難しいものではないが、自然の描写とか人々の生活の様子をよく調べないとわからない言葉で表されていて日本人でもなかなかすべてが完全に読み切れるかどうかわからない。日本人初のノーベル文学賞を受賞する川端康成の代表作であり海外にも翻訳されているらしいが、あの難解な描写をどう翻訳したのだろうかと思う。日本でも文庫本として今も売られている。海外の小説を読みなれている若い読者があの難解な文章を果たして同じ日本語として理解できているのだろうかとも思う。おそらく私が何度読んでも理解出ないのは私の能力不足であり今の若い人たちは優秀だからあのもはや古典とも言っていい「雪国」は外国文学を読むようにスラスラと読めるのだろうと思う。

障害者雇用

足を切断して身体障害者3級になって今まで勤めていた仕事を辞めた。もう働けないと思ったが義足をつけて杖で歩けるのでもう一度仕事を探そうとハローワークへ行ってそこで障害者の枠で紹介されていろいろ面接に行ったが悉く駄目だった。私は特に公の職場で募集しているところを狙ってたとえば自衛隊とか税務署とか大学とか病院とかの事務の仕事をしたくて応募し面接を受けたが駄目だった。あるところではどうやら応募者は私一人だったが採用はされなかった。数うければどこかに採用されるだろうと思っていた私の考えが甘かった。市役所とかの障害者雇用の試験の受けたが駄目だった。採用が1人ということでそこは結構受験者もいたので狭き門ではあった。杖をついて受験していたのは私くらいだったのでそれだけで難しいなとは思っていたけど。しかしすべて駄目だったから言うわけではないが障碍者を雇用するのに公の機関がこれだけ狭き門では民間企業も障害者を積極的に雇うということはしないだろうなと思った。面接や試験を受けた印象は国に促されてあるいは命じられてしぶしぶやっている感もあった。障害者に対する法律をいろいろ作っても魂が入っていないのはよくわかる。障害者差別をしているのは国かもしれない。

パフォーマンス

れいわ新選組山本太郎代表が年末に炊き出しなどをして生活困窮者を助ける動画が流れていて賞賛とともに「パフォーマンスに過ぎない」という批判も出ている。昔、有名な俳優が海外の困っている子供たちを救うために多額な募金やボランティア活動を行ってときにメディアが「売名行為ではないか」と言ったら「そうだ」と言ったことがある。私は売名行為だろうとパフォーマンスだろうと生活困窮者のためにあるいは貧しい子供たちのために活動する政治家や有名人は尊敬する。政治家や芸能人がそのようなボランティア活動をすればそれはパフォーマンスになるし売名になるのは当たり前である。たとえその場限りであってもそれで助かる人がいるのは事実である。テレビのチャリティ番組もそうであるが批判するのは勝手だがその番組で食料が手に入ったり必要なものが買えたりする事実はなくせない。政治家や芸能人のパフォーマンスや売名は悪いことばかりではない。それで助かる人たちがいるのも事実だ。私は彼らを尊敬する。

友人

生涯、友人と呼べる友人はいなかった。よく遊んだりよく食事をしたりした大学時代の同級生や職場の同僚はいたが友人とは違った。小学生や中学生高校の時も友人なんていなかった。そもそも友人とは何だろうか。AIに聞いたら「心のつながり」という答えだった。なんでも話せるのが友人らしいが、そういう規定ならまあ私には友人はますますいない。私以外の人は「心がつながって何でも話せる」友人がいるのだろうかと不思議に思った。果たして他人に「なんでも話せる」人なんているのだろうか。私はどれだけ親しくしてよく遊ぶ職場の同僚にも「なんでも話す」ことは出来なかった。逆に話せない事のほうが多かった。そして相手もそうだろうと思う。だからまあ付き合いも長く出来た、と私は思う。小説とか映画でよく「友人」という言葉が出るが私は私の近しい人で「友人」という言葉を使った人は見たことはない。果たして「友人」って本当にいるのだろうか。

2025年終わる

2025年が終わる。21世紀も4分の1が終わった。20世紀は戦争の世紀とも言われて少なくとも前半は世界大戦が二つ起きた。21世紀は今のところ世界大戦と言われる戦争はない、直近で言えばロシアとウクライナの戦争があるけど今のところは世界大戦というわけではない。戦争以外ではコロナがあった。これも世界は震撼させる出来事だった。21世紀は日本では大きな地震がたくさんあった。しかしそれ以外何かあったのか思い出せない。天皇が代変わりした、女性総理が誕生したというのもあるけどこの二つは私的にはたいして関心はないし大災害やコロナなどに比べて日本に大きな影響を及ぼさない。2025年以降日本揖翁影響を与えること言えばやはり自然災害と戦争に巻き込まれるということだろうか。大災害は防ぎようにないが戦争はその気になれば防げるが日本人はどうも戦争を望んでいる人が少なくない。2026年は日本はよほど注意しないととんでもないことになってしまうかもしれない。もう戦前なのかもしれない

個人情報

個人情報は保護されているというがどこまで保護されているのかよくわからない。高市政権は国が持っている個人の情報を企業に流すみたいな話が出ているが本当なのだろうか。そもそも個人情報はほとんど守られていないのではないか。例えば銀行での取引は税務署に流れている。銀行や証券会社の個人情報が簡単に他に漏れている。家屋や土地を相続したら途端に建設会社とかなんとかハウスとかからDMがくる。リサイクルショップに何か売ったら他のリサイクルショップから連絡が来る。市役所や警察にある個人情報がどこまでしっかり守られているか不安だ。個人情報はほぼほぼ保護されていないと考えたほうがいい。マイナンバーをつけられた時点で個人情報は保護されていないと考えていいのかもしれない。政府が企業に個人情報を流すと言ってもそれほど驚くこともないのかもしれない。自分の身は自分で守れと言ってももう今の社会は無理な話だ。