にこたろう読書室の日乗

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0630 起床 気分快 晴 『火垂るの墓』を子どもたちに観せることは?

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この映画、今年の8月15日に日本テレビ系列の「金曜ロードショー」で地上波放送されました。

なお、前回地上波で放送されたのは2018年4月13日、高畑勲監督の追悼特集でした。それ以来7年ぶりの放送。

 

「放送禁止になっていた」という風聞さえあります。

これはおそらくはデマで、「編成上の理由」や「権利関係」で放送されない期間が長かっただけです。ただし、「子供へのトラウマ」や「内容の重さ」は、テレビ局側も放送をためらう要因の一つになっていた可能性はあります。

 

 

 『火垂るの墓

 

この物語、「誰かが悪い」というより、「こんな時代があった」ということを、静かに語りかけてきます。実際に妹を戦争で失った原作者が、「あの時はごめんなさい」と伝えたくて書いた物語。

壮絶に悲しいお話なので、しょっちゅう折にふれて観る、というものではないだろうなあ。

 

 

昔、小学校の体育館で映画鑑賞の日、みたいなことがありました。

今じゃ考えられない行事かな。

「映画を観る」ことが一種の風物詩だった頃ですね。

 

(イメージ)

 

 『火垂るの墓』、学校で子どもたちに観せても良いの、って思いますよね?

『トトロ』を観るのとは、やはり違う。

 

「映画」は、教科書では伝わらない何かを届けてくれます。

ただし、理屈を超えた「ある強い感情」を、「教育」の名のもとに、むやみに強制的に押し付ける権利は、「おとな」にはない。

これは学校であっても、家庭であっても同じでしょう。

 

今の学校義務教育現場の実態は知らないけど、僕はこれを勤務先の高校生に観せようと思ったことはないな。

 

 

気になったので、彼に聞いてみた。

 

 

火垂るの墓』を学校教育の場で、しかも「強制的」に見せることの是非については、長年教育現場や保護者の間で非常に激しい議論が交わされてきたテーマです。

この問題には、「教育的効果」「心理的影響」「作品の本質」という3つの側面から考える必要があります。


1. 「反戦教育」としての有効性と限界

この作品を反戦教育として見せることには、肯定・否定両面の意見があります。

  • 否定的な意見(反戦教育にならない): 原作者の野坂昭如氏や高畑勲監督自身も示唆していますが、この物語は「戦争反対」という政治的メッセージよりも、「社会から孤立した兄妹の心中物語」という側面が強いです。清太のプライドや選択が悲劇を招く側面もあるため、単純な「戦争=悪」という構図だけでは語りきれない複雑さがあります。

  • 肯定的な意見: 当時の市民が置かれた飢餓、空襲の恐怖、そして周囲の大人たちの冷淡さを描くことで、「戦争がいかに個人の生活や人間性を破壊するか」を直感的に理解させる力は極めて強いです。

2. トラウマ(心理的影響)への懸念

発達心理学や教育の観点からは、特に小学生への強制視聴には強い慎重論があります。

  • 過度な恐怖心: 遺体にたかる蛆虫、黒焦げの母親、節子の衰弱死など、映像のリアリティが子供の処理能力を超え、夜眠れなくなる、暗闇を怖がるなどの「二次被害」を招くリスクがあります。

  • 無力感の植え付け: 救いがない結末は、子供に「戦争の恐ろしさ」を超えて「世界に対する絶望」を与えてしまう恐れがあります。

3. 「強制」することの問題点

教育において「強制」が逆効果になることは少なくありません。

  • 回避権の欠如: 映像刺激に敏感な子供(HSPなど)にとって、逃げ場のない教室での視聴は苦痛以外の何物でもありません。

  • 思考の停止: 「悲しい、可哀想」という感情が強すぎて、なぜそうなったのか、どうすれば防げたのかという「理性的な考察」に至る前に、心がシャットダウンしてしまう可能性があります。


今後の教育現場はどうあるべきか

現在の教育現場では、以下のような配慮が必要だという考え方が主流になりつつあります。

  1. 選択制と事前告知: 「ショッキングな表現がある」ことを事前に伝え、視聴するかどうか、あるいは途中で退室するかを生徒が選べるようにする。

  2. アフターケアの徹底: 見せっぱなしにせず、その後のディスカッションや教諭によるフォローを行い、感情を言語化させる時間を設ける。

  3. 発達段階に応じた教材選び: 小学校低学年であれば、まずは「平和の尊さ」を説く別の教材を選び、『火垂るの墓』は批判的思考ができるようになる中学生以降に提示するなど、段階を踏む。

結論としての考え方

火垂るの墓』は、間違いなく日本のアニメーション史に残る傑作であり、戦争の悲惨さを伝える貴重な資料です。しかし、「優れた作品」が必ずしも「万人に適した教材」であるとは限りません。

子供たちの感性を守りつつ、歴史の真実をどう伝えるか。そのバランスを欠いた「強制」は、教育ではなく単なる「精神的な負荷」になってしまう危険性を孕んでいると言えるでしょう。

 

 

そうだよねえ、おっしゃる通り。

学校がいやだ、勉強したくない、そんな気持ちがあるのも、平和で恵まれた環境にいるからこそ湧いてくる感情なのかもしれない。

当たり前に思えることが、どれほど幸せなことかを、教えてくれる物語は、他にもたくさんあります。

火垂るの墓』・『はだしのゲン』・『この世界の片隅に』の3つの作品はよく比較されますが、それぞれの性質の違いについて、教えてください。

 

Geminiくんの回答:

 

戦争や平和を考えるための教材として、これら3つの作品はよく比較されますが、その「視点」と「読後に残る感情の性質」が大きく異なります。

お子さんや生徒に見せる際、どの作品が適しているかを判断する上で、この性質の違いを理解しておくことは非常に重要です。

 


1. 作品ごとの性質の比較

作品名 焦点(フォーカス) 主な感情・読後感 教育的な特徴
火垂るの墓 「孤立」と「死」 絶望、深い悲しみ、無力感 社会(共同体)から切り離された個人の悲劇を極限まで描く。
はだしのゲン 「怒り」と「生」 憤り、生命力、不屈の精神 原爆の残酷さを直接的に告発し、権力への怒りを通じて生き抜く力を説く。
この世界の片隅に 「日常」と「喪失」 慈しみ、喪失感、受容 戦争中も続く「日々の暮らし」を描き、それが奪われる痛みと再生を静かに描く。

2. それぞれの教材としてのメリットとリスク

火垂るの墓』:感性に訴える劇薬

  • メリット: 「戦争は絶対に嫌だ」という強烈な忌避感を、理屈抜きで心に刻み込みます。

  • リスク: 救いがなさすぎるため、感受性の強い子は「世界は残酷な場所だ」というトラウマを抱え、思考停止に陥る可能性があります。

はだしのゲン』:政治的・歴史的告発

  • メリット: 原爆の恐ろしさだけでなく、当時の日本社会の同調圧力や教育への批判など、多角的な歴史視点を与えます。主人公ゲンが明るく力強いため、絶望で終わらない強さがあります。

  • リスク: 描写が非常に凄惨(遺体が溶ける等)であることや、政治的な主張が強いため、中立的な教育を目指す場では議論を呼びやすいです。

この世界の片隅に』:現代に近い共感

  • メリット: 現代の子供たちにとって最も感情移入しやすい作品です。「料理を作る」「恋をする」といった日常が戦争によって少しずつ変質していく様子は、戦争を「自分事」として捉えさせるのに最も適しています。

  • リスク: 描写が丁寧で静かな分、低学年の子供には背景知識(当時の情勢など)がないと、凄惨さが伝わりにくい場合があります。


3. 年齢や目的に応じた使い分け

もし教育的な観点で選ぶのであれば、以下のような段階的なアプローチが考えられます。

  1. 導入(小学校中学年〜): 『この世界の片隅に

    • まずは「自分たちと同じような生活を送っていた人々」がいたことを知り、親近感を持たせる。

  2. 歴史の直視(小学校高学年〜): 『はだしのゲン

    • 実際の被害の凄まじさと、戦争を引き起こした社会構造について、強いインパクトを持って学ぶ。

  3. 内省と批評(中学生以降〜): 『火垂るの墓

    • ある程度精神が成熟した段階で、「なぜ周囲の大人は助けなかったのか」「清太はどうすれば生き残れたのか」といった、社会的な孤立や人間のエゴイズムについて深く考察する。


結論

火垂るの墓』は、他の作品に比べて「逃げ場のない孤独死」をテーマにしているため、教材としては最も扱いが難しい「劇薬」と言えます。

「戦争=悲惨」という一点のみを強調しすぎて、子供の心を折ってしまうのではなく、その子の発達段階に合わせて、「生き抜く知恵」や「日常の尊さ」を同時に学べる他作品と組み合わせるのが、現代の教育には求められているのかもしれません。

 

 

現在、「映画」はどこでも誰でもいつでも、自由に選択して観ることができるから、状況はずいぶん変わってきているということですね。

さて、お正月、なにか普段選ばないような作品をゆっくり観てみますかね。