にこたろう読書室の日乗

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0630 起床 気分快 曇 「摩耶」を巡る、あるふたつの運命について② 観艦式での父親の姿の記憶

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火垂るの墓』の「摩耶」を巡るもう一つのエピソード、というか疑問点の考察。

 

②「摩耶」の乗組員だった「お父様」の運命

 

火垂るの墓』で最も印象的なシーンの一つが、前回触れた清太の記憶に蘇る神戸港での観艦式です。

しかし、この場面には史実との重大な矛盾が含まれています。

 

 

作品中で清太が回想する観艦式のシーンは、昭和11年の神戸観艦式を基にしていると考えられています。

原作小説においては、「昭和十年十月の観艦式」当時に巡洋艦摩耶に乗り組んでおり、清太が六甲山中腹から大阪湾の連合艦隊の中に「摩耶特有の崖のように切り立った艦橋の艦」を探したが見つからなかったという回想的描写があります。

 

大阪湾における観艦式は1936年(昭和11年)10月に行われ、神戸では歓迎のために原作やアニメで描かれたような電飾もなされたらしいのですが、観艦式そのものは夜間ではなく昼間に行われたものであり、またこの時「摩耶」は諸般の事情で参加していないのです。

 

「昭和十一年度特別大演習」の最後を飾る観艦式が、10月29日朝から神戸沖で挙行されました。これは当時の記念絵葉書です。

 

観艦式とは、軍の総司令官である天皇が、隊列航行する各艦艇を海上で閲兵する行事で、この回は通算17回目・昭和時代では5回目となるものでした。
観艦式は、多数の艦艇が集合し、夜間は一斉電飾も行われた大イベントだっため、一般人も大挙して観覧に詰めかけたようです。

これは、観覧者をさばくために大増発された臨時列車の時刻表です。

 



【特別大演習観艦式】


1936年(昭和11年)10月29日、神戸沖。
参加:計100隻(58万0,133トン)、飛行機100機。
特別大演習観艦式指揮官:連合艦隊司令長官高橋三吉海軍大将、空中分列指揮官:第一航空戦隊司令官佐藤三郎海軍少将

 

 

御召艦『比叡』 先導艦『鳥海』 供奉艦『愛宕』、『足柄』
東第一列
長門』、『扶桑』、『榛名』、『霧島』、『龍驤』、『鳳翔』、『春日』
東第二列
妙高』、『那智』、『羽黒』、『青葉』、『衣笠』、『古鷹』、『鳴戸
東第三列
阿武隈』、『睦月』、『如月』、『卯月』、『弥生』、『旗風』、『春風』、『子日』、『若葉』、『初霜』、『初春』、『松風』、『朝風』、『鶴見』、『室戸』、『勝力』
東第四列
『那珂』、『響』、『雷』、『電』、『天霧』、『朝霧』、『綾波』、『浦波』、『敷波』、『東雲』、『磯波』、『吹雪』
東第五列
『迅鯨』、『伊六十三』、『伊六十』、『伊五十九』、『伊五十七』、『伊五十八』、『伊五十六』、『伊五十四』、『伊五十三』
東第六列
『鬼怒』、『伊六十八』、『伊六十九』、『伊七十』、『伊六十六』、『伊六十五』、『伊六十七』
西第一列
陸奥』、『日向』、『山城』、『加賀』、『神威』、『隠戸』、『佐多』
西第二列
『北上』、『木曾』、『大井』、『知床』、『襟裳』、『能登呂』、『野島』
西第三列
『名取』、『有明』、『夕暮』、『時雨』、『白露』、『菊月』、『三日月』、『望月』、『夕月』、『疾風』、『追風』、『朝凪』、『夕凪』、『膠州』
西第四列
『五十鈴』、『朧』、『曙』、『潮』、『初雪』、『白雪』、『白雲』、『叢雲』、『薄雲』
西第五列
『長鯨』、『伊五』、『伊六』、『伊六十六』、『伊六十一』、『伊六十二』、『伊三』、『伊一』、『伊二』

 

これらの参加艦一覧に「摩耶」の名前は記録されていません。

 

 

清太と節子の父は海軍大尉

戦争に行っていたため、物語には写真でしか登場しません。戦争が終わった後も、その生死は不明です。しかし、多くのファンや研究者の間では、父親の階級や所属について様々な議論が交わされています。

父親の階級について、「海軍大尉」説と「海軍大佐」説という二つの見解が存在します。

これはじつはアニメ製作段階で勝手に大佐にしてしまっただけの話で、原作には階級は明示されていません。海軍士官で巡洋艦に乗り組んでいる、としか書いていない。

映像作品では、軍服の手や首元のデザインが階級によって決定されてしまうため、大尉であると設定していることが判明します。

観艦式のシーンで確認できる階級章からも大尉であることが推測されます。

 

 

重巡洋艦の幹部構成は概ね以下のようになっています。

艦長: 大佐(絶対的な指揮官)

副長: 中佐(艦内の統括・教育)

各科長(砲術長、航海長など): 少佐〜中佐(各部門の責任者)

分隊長: 大尉(現場の指揮官・実務のプロ)

分隊士: 中尉・少尉(分隊長の補佐、若手士官)

大尉は、兵隊たちから見れば「直接の指揮を執る最も身近な上官」であり、艦長たちから見れば「現場を実際に動かしてくれる頼りになる実行部隊」という、艦の戦闘力を左右する非常に重要な階級です。

 

もし「大佐」なら艦長クラスですから、「お父様艦長説」という錯誤が生まれました。佐官クラスの子どもが餓死するのは不自然、というクレームが元海軍筋から付いたといいます。

 

 

1945年(昭和20年)夏の物語現在時点で、父は「海軍大尉で巡洋艦に乗組んだまま」音信不通となり、「呉鎮守府気付」で出した手紙にも返事は来ない、とされています。

 

実在の軍艦「摩耶」は、1944年10月23日のレイテ沖海戦で沈没しました。

この事実は、清太の父親の運命を暗示しています。

史実通りだと米軍の潜水艦の雷撃により撃沈されています。その後、副長以下769名が救助され戦艦武蔵に移乗しています。

しかし、その戦艦武蔵も撃沈され救助された「摩耶」の乗組員戦死70名、行方不明43名の被害が出たという記録が残っています。


当時、軍艦の沈没は最高機密として秘匿されていました。

 

撃沈された艦の生存乗組員は、一時内地で隔離収容された後に、玉砕必至の陸戦隊員として再配置されたのです。ですから、当然消息を鎮守府に問い合わせても軍機密事項で教えてくれません。(ミッドウェイ海戦の時の生存者の扱われかたが思い出されますね)

 

これにより、清太が父親に手紙を出しても返事が来なかった理由が説明できます。

軍の機密保持政策により、家族には艦の沈没や乗組員の運命は知らされることがなかったのです。

しかし、この時代の海軍の人事制度を考えると、観艦式で「摩耶」に階級は大尉として乗艦していた父親が、8年後の昭和19年も同じ艦にいることは、軍事的常識から考えて不自然だという指摘もあります。(大佐昇進と同時に予備役編入(クビ)になるのが実情です。大佐昇進と同時にクビ、これを海軍内では「名誉大佐」「成りチョン」と呼ばれていました)

 

父親は、海軍大尉として観艦式に参加し、その後重巡洋艦「摩耶」でレイテ沖海戦に参戦、戦死したと考えるのが妥当な推測なのでしょうか。

この場合、8年後に大佐に昇進してもとの艦に再任した、というウルトラC級の着地を想定しなければなりませんが。

 

この設定には矛盾が起こりえます。当時の海軍士官の社会的地位と組織の結束力を考えると、その遺族が餓死するという展開は現実的ではありません。

これは作者の戦争体験と文学的表現が優先された結果と考えられます。

 

それでも、この父親の運命は戦争の悲惨さと個人の無力さを象徴する重要な要素として機能しています。

海軍士官という社会的エリートであっても、戦争という巨大なシステムの前では一人の犠牲者に過ぎなかった。その現実が、清太と節子の悲劇をより深く印象づけているのです。

 

ともあれ、この観艦式での父親の姿は、清太にとって最後の平和な家族の記憶でもありました。

 

軍艦「摩耶」は、この物語において単なる小道具を超えた重要な意味を持つ存在です。神戸で生まれ、神戸の山から名前を取り、神戸の家族を支え、そして遠い海で沈んだこの軍艦の物語は、戦争の理不尽さと家族の絆の尊さを同時に物語っています。

現在でも摩耶山から神戸港を見下ろせば、かつて「摩耶」が建造され、清太の父が乗艦し、そして家族が空襲に遭った場所を一望することができます。

 


 

もはやここから盛大な「観艦式」を見下ろす日が来ることはないでしょう。

日本がこれからも平和であり続けることをせつに祈ります。

 

 

ちなみにDMM.comブラウザゲーム艦隊これくしょん』の公式ファンイベントを「『艦これ』観艦式」と呼びます。

本イベントは、『艦これ』の出演声優陣が集結し、ステージ上で艦娘として提督に受閲、朗読劇やライブなどをくり広げる『艦これ』最大の祭典。

 

 

僕はよみうりランド泊地(よみずいランド)開催の、『瑞雲祭り(第2次)』というのに行ったことがあります。

水偵「瑞雲」(愛知 E16A・なぜか急降下爆撃もできる)1/1モデルと1/20スケール・フルハルモデルの航空戦艦「日向」が陳列されてた。

まあ、どうでもよいことですが。