血圧値 134/85/72 酸素飽和度 98% 体温 36.1℃ 体重 66.9キロ 運勢 The Fool :R
この日の行程です。赤線が立ち寄り地です。
左下からスタート、右上がゴールの宿泊地。

都内からE51東関東自動車道でほぼまっすぐ香取方面へ。
佐原の町に向かう途中、高速を北に降りて利根川のほとりに建つ「滑川山瀧正院」というお寺に寄ります。
茅葺のなかなか雰囲気のある仁王門は、文亀年間(1501~1504)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。


注連縄が不思議なスタイルです。魔除けの植物が挿されているのでしょうか。
龍正院は、仁明天皇の承和5年(838)、城主小田将治が凶作に苦しむ村民を救うため法華経を読経、満願の日に出現した観世音菩薩像を本尊として創建、慈覚大師が開基したといいます。
徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には寺領5石の御朱印状を受領、坂東三十三ヶ所観音霊場28番として古来より崇敬を集め、数多くの寺宝を有しています。仁王門は、国重要文化財に、本堂は千葉県文化財にそれぞれ指定されています。しもふさ七福神の毘沙門天、成田組十善講八十八所霊場19番です。
御本尊は小田川のほとりですくい上げられた小さな十一面観世音像で、後に仏師の法橋定朝が作った一丈二尺(約4m)の観音像の胎内に納められ、通称滑河観音の名で信仰を集めています。


Kamiya君は御朱印をいただきに庫裏へ。
☆
そして、一旦利根川を渡って「大杉神社」へ。
今回は千葉と茨城を何度も行き来する旅です。
ここは立派で豪壮な、現役の神社ですね。

国道125号線「大杉神社前」の信号横に一の鳥居があります。
一の鳥居のすぐ後ろ、両側には大きな天狗の顔の石像。鼻が高い天狗は「ねがい天狗」、烏の天狗は「かない天狗」と呼ばれています。
文治年間、源義経の家来ともいわれた巨漢の僧・常陸坊海存が社僧であった頃、大杉大明神の御神徳によって、人々の病を治したり、多くの奇跡を起こしたことから、「海存は大杉大明神の眷属で、天狗である」との信仰へと発展していったらしい。
日本唯一の「夢むすび大明神」と称されるのは、海存の奇跡に由来しており、天狗がこのように呼ばれるようになったとのこと。




社内の至る所に「桃」のモニュメント。
古来、桃は「生命」の象徴で、「厄除桃」でもあります。
「大杉神社(あんば様総本宮)」は、全国670社の大杉神社の総本宮で、海上交通の守り神「あんばさま」として古くから信仰されています。
大杉神社社殿は何度も焼失、再建を繰り返すのですが、現在の「麒麟門」は平成22年(2010年)に約280年ぶりに再建されました。豪華な造りは「茨城の日光東照宮」と言われています。
かつて「安婆嶋」と呼ばれたこの地は、内海に突き出た半島のような場所で、海の航路標識として巨杉が立ち、人々の目印でした。漁業や農業、交易が盛んな菟上之国の中心であり、船の安全を祈る人々に今も厚く信仰されています。
☆
そして、佐原の町に到着。
今日は先に、「香取神宮」へ参拝します。
町はずれにあたるので、ちょっと歩いて行く距離ではないですね。(これが前回諦めた理由です)
今日はKamiya号のおかげで、楽勝です。


平日なので、人影も少ない参道を進みます。曇った小雨がちの天気です。


鬱蒼と樹々の茂った、石燈籠の並ぶ参道をさらに奥へと向かいます。

『日本書紀』に登場する香取神(かとりのかみ)、つまり香取神宮の主祭神「経津主神(ふつぬしのかみ)」に関する記述は、主に「国譲り神話」の中で語られています。
簡単に要約と背景を整理しておきます。
1.登場場面:国譲り神話(第九段)
『日本書紀』巻第九(神代下)の「天孫降臨」前段――いわゆる「葦原中国平定」の物語の中で、香取神(経津主神)は重要な役割を果たします。
■物語のあらすじ:
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、地上(葦原中国)を統べる「大国主神(おおくにぬしのかみ)」に国を譲ってもらおうとします。
最初に遣わされた神々(天稚彦・天若日子など)は失敗し、最終的に建御雷神(たけみかづちのかみ/鹿島神)と経津主神(ふつぬしのかみ/香取神)の二柱が派遣されます。
2.香取神と鹿嶋神の活躍
二神は出雲の伊那佐の浜に降り立ちます。
ここで大国主神に対して、「この国を天つ神(あまつかみ)にお譲りください」と迫ります。
その場面は、剣を逆さに突き立てて座すという非常に象徴的な描写で、武威と神威の象徴とされます。
経津主神は鹿島の建御雷神と行動を共にしており、両神はほぼ対等の立場で描かれています。
大国主神はこれに答えず、息子の事代主神(ことしろぬしのかみ)や建御名方神(たけみなかたのかみ)に相談します。
結果、事代主神は国譲りに賛同し、建御名方神は抵抗しますが、建御雷神と経津主神の力によって敗北します。
こうして、地上は天つ神に譲られることになります。
3.香取神の神格と位置づけ
『日本書紀』では、経津主神(香取神)は武神・征服神として登場します。
その性格は、後の時代に武家の守護神・国家鎮護神として崇敬される背景になりました。
鹿嶋神宮(建御雷神)と並び、香取・鹿嶋の両神はセットで「東国の守護神」として信仰されます。
古代の軍事儀礼でも、この二神への奉告や祈願が重視されました。
4.『古事記』との違い
興味深いのは、『古事記』では経津主神が登場しない点です。
そこでは建御雷神(たけみかづち)単独で国譲り交渉を行います。
つまり、『日本書紀』は香取神(経津主)を追加して二柱体制にしているのです。
この追加は、おそらく奈良時代の東国(常陸・下総)地域の有力神社勢力を政治的に正当化するための配慮と考えられています。
実際、香取神宮・鹿島神宮は古代律令国家の東方鎮護の要地でした。


ともあれ、やっとここを訪れることができました。
感謝。