にこたろう読書室の日乗

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0600 起床 気分快 晴 【稲荷神社を訪ねる】④ 「上野花園稲荷神社」とダリア展。「五條天神」もね。

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上野のお山に、病平癒祈願で有名な神社と、稲荷神社が同じ境内に並んでいます。

ちゃんとお参りしたことがなかったところなので、行ってきました。

 

「上野花園稲荷神社

 

 

ここは横参道みたいです。

稲荷あるあるの、赤い鳥居のトンネルを降りていきます。

 

創建年代は不明ですが、いくつかの伝承があります。

 

太田道灌が、京都の東寺の門前から勧請(室町時代
天海が勧請(江戸時代初期)
天海の弟子晃海により再興された(1645年)
上野大仏を建立した木食浄雲が再興した。(1660年ごろか)

 

いずれにしても、何処かからの勧請によって江戸初期までに創建されており、一旦衰退したが、1650年前後に再興されたということのようです。

 

 

その再興された稲荷社は正式名称を「忍岡稲荷神社」といいます。

この頃、寛永寺の拡張によって上野の森は伐採されましたが、そんな折、上野山に棲みつく狐からの「棲家がなくなってしまった。何とかしてほしい」という嘆願を受けて、丘の崖に狐穴を掘ってあげて、その穴の上に鎮座していたことから、 「忍岡稲荷神社」 は通称「穴稲荷神社」と称されるようになります。

 

江戸時代、東叡山寛永寺の正門は黒門、そのほか新黒門、穴稲荷門、清水門、車坂門、屏風坂門、谷中門、新門の7門があり、城郭のように寛永寺を守備していました。
そして穴稲荷門近くの忍岡稲荷(穴稲荷)は、上野の山の守護神となっていたのです。

 

(江戸名所図会の記事)

明治維新のさなか、突然勃発した「上野戦争」の時、穴稲荷神社の前に寛永寺の「穴稲荷門」があったため、彰義隊は穴稲荷神社に立て籠もって官軍を迎え撃つ。官軍は穴稲荷神社に向かって大砲を撃ち込む。

 

 

穴稲荷神社は跡形もなく破却されてしまいました。

それから5年後の明治6年。

穴稲荷神社は社殿等が復興・整備されて、「花園稲荷神社」と名を改めて再びよみがえることとなったそうです。

 

 

お隣に鎮座する「五條天神社」。

 

 

五條天神社の祭神は大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱です。
この二柱は医薬の神様として知られており、無病息災、病気平癒などのご利益を頂くことができるとして、多くの信仰を集めています。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐のために上野忍ヶ丘を通った際に薬祖神である大己貴命少彦名命にご加護を頂いたことに感謝し、この地にこの二柱をお祀りするために創建されたことが神社の創始とされています。

また、江戸時代初期には菅原道真公も合祀され、下谷天満宮とも呼ばれるようになりました。

 

 

お昼は、凄いひさしぶりに精養軒の、これ。

 

 

そして、上野東照宮ぼたん苑では特別祭典として「ダリア綾なす秋の園」開催中です。

せっかくですからちょっと寄ってみましょう。

 

1入口

(イメージです)

 

ダリアはメキシコ原産のキク科の植物で、日本へは江戸時代に伝来しボタンに似ていることから「天竺牡丹(テンジクボタン)」という和名がついています。

なので「牡丹園」に植えても違和感はないのでしょう。

 

 

こんなにたくさんのダリアをいっぺんに観たのは初めてです。

牡丹のときにまた、来てみても良いですね。

 

撮影はスマホ(Pixel 9a)のカメラです。

広角側にサブレンズがあるので引きが楽で便利。

AIの色補正がおとなしめなのと、開放のボケが自然なのが気に入っています。レタッチはなにもしていません。