にこたろう読書室の日乗

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0600 起床 気分快 晴 【鶴川巡行】⑤ 「鶴川香山園」を覗いてから「小野路宿」を訪ねる。そして「萬松寺谷戸」の農村風景へ。

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鶴川の駅前から少しバスに乗って、西北方面にある小野路宿というところに行ってみます。

 

バスの発車時刻まで30分ほどあるので、例の「鶴川香山園(つるかわかごやまえん)

」のある丘に登ってみましょう。

 

地元で親しまれた「お灸点」。

1794年創設の神蔵灸治所は、中風に効能があると評判で、遠方からも多くの人が訪れました。

主屋と庭園は町田市が譲り受け、2025年に「鶴川香山園」として開園。

四季折々の庭園散策や、歴史ある建物で地元食材のお食事やお買い物を楽しむことができます。

 

縁側.JPG

 

庭園は池泉回遊式庭園で、江戸時代につくられたと伝わる苑池を埋めて、1954~1963(昭和29~38)年に造り替えたものです。

作庭は「雑木の庭」の創始者として知られる飯田十基(1890~1977年)の弟子によるものと言われています。

 

 

この丘の周囲には古墳群が発見されています。

こんな感じ。

 

標高56mの丘陵の頂部から円墳が2基、その下の斜面から横穴墓20基が確認されました。

横穴墓群は7世紀前半から8世紀初頭につくられたと考えられ、耳環、勾玉、直刀などの副葬品が発見されました。内部に馬と人と見られる線刻画が描かれた横穴墓もありました。

円墳の周溝と推定される溝状遺構からは、6世紀末から7世紀前半に愛知県猿投窯(さなげよう)でつくられた須恵器のフラスコ形細頸壷などが見つかりました。

 

 

これは1965年頃の能ヶ谷香山と2区横穴墓群の全景。

 

 

さてバスの時間が来ました。

 

行先は、「小野路町(おのじまち)」。

江戸時代の町割と里山が残る、のどかな場所です。

今日はここをさくっと訪れます。

 

 

位置関係を確認します。

右下の鶴川駅からバスで左上のマーク(小野路宿里山交流館)を目指します。だいたい20分くらいかな。このルートはいくつかある「大山街道」のひとつです。

途中、道は「鎌倉街道」と交差します。

この宿場が、昔から交通の要衝であることが分かります。

 

古代には武蔵国相模国国府を結ぶ道が、鎌倉時代には武士たちが行き交う軍用道路が今の小野路町を通りました。

亡き徳川家康駿河国静岡県)の久能山から下野国日光東照宮(栃木県)への改葬に千人にも及ぶ葬列が続いた御尊櫃御成道(ごそんひつおなりみち)でもありました。

幕末には新選組隊士も通った道です。

まさに、歴史の十字路のような場所。

 

ついでに、これまでに見てきた「香山園」「能ヶ谷神社」「武相荘」「広袴」も地図上で確認しておきましょう。

 

 

小野路町は、東京都町田市の地名。旧南多摩郡小野路村。


町田市北部に位置する。

地域内は多摩丘陵内の緑豊かな地域となっており、都内有数の里山地域であるほか、江戸時代には大山街道の宿場町として栄え、小野路宿通りは当時の雰囲気を現在に残している。

また、地域内には中世前期のものと推定される小野路城址があり、周辺は図師小野路歴史環境保全地域に指定されている。

室町時代より小野路(小野地、小野池とも)の名が見られ、かつては武蔵国多摩郡に属していた。

世阿弥による古謡曲「横山」にも「小野路庄」の名が見られ、当地を指していると考えられる。

 

 

マークの地点に「小野路宿里山交流館」があります。

 

 

江戸時代に宿場としてにぎわった小野路宿。

そこにあった一軒の旅籠、旧「角屋(かどや)」を改修し、観光交流の拠点として再整備した施設が「小野路宿里山交流館」です。

 

小野路宿里山交流館/町田市ホームページ

 

小野路宿里山交流館に貼られた散策マップ

 

ここでいろいろな情報を集めましょう。

今日は下見程度なので、とりあえず隣接する小野神社へ行ってみます。

 

 

創建は平安時代の天禄年間(970年~974年)、武蔵の国司として赴任した小野孝泰が御祭神に祖先の小野篁を現在地にお祀りしたのが起源と伝わります。

 

「小野」といえばあるあるの「小町伝説」がこの辺りにも伝わるのですが、これはまた後日、もう少し里山の奥を訪ねた時に触れましょう。

 

(イメージです)

 

さて、神社から西側の谷間に回り込むと、「萬松寺谷戸」が見えてきます。

少しその辺りを歩いてみます。

 

 

これは1917~1924年ころの地図です。

宿場の後背地に田畑が広がっています。

今もあまり変わらない感じで、里山と農地の風景が見られます。

 

 

向かい側の山の向こうに「小野路城跡」があるのですが、これもまたのちの機会に。

小野路城は平安時代末期に築かれた、都内有数の歴史を有する古城跡です。

 

谷戸の名前にもなっている「萬松寺」に立ち寄ります。

 

 

1330年(元徳2年)、勅諡圓光大照禅師滅宗宗興大和尚によって開山された。その後、安土桃山時代までは戦乱のため詳細な歴史は不明となっている。1648年(慶安元年)、江戸幕府第3代将軍徳川家光より寺領7石が与えられた。

明治初期の廃仏毀釈で近くの真言宗寺院「清浄院」が廃寺となったため、宗旨は異なるが檀家の一部を受け入れている。

当寺には、病気を治すと伝えられる霊水が湧き出る井戸があり、小野小町もそのご利益に与りたいと当寺を訪れた「小野井戸伝説」がある。2022年(令和4年)には、新たに分泉が湧き出ている。

 

 

お寺の裏から登って、尾根道に出ます。

この像は仏教の六道輪廻の思想に基づき、江戸時代後期に作られたそうです。

六地蔵」とありますが、お地蔵さんは7体。何度数えなおしても。

ちょっとここは、夜来たらこわいな。

 

 

尾根を降りて、再び小野路宿の街道沿いに出ました。

まさに「街道」、ていう雰囲気が良いですね。

 

 

今日のところは、またバスで鶴川に戻ります。

ここはまた、訪れる日があるでしょう。