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この本を読みました。

『鶴川日記』 (PHP文芸文庫) 文庫 – 2012/5/17
白洲 正子 (著)
本書は、名随筆家・当代一の目利きとして今なお多くのファンを持つ著者が、30年余り前に綴った知性と感性が光る珠玉の随筆集の復刻版です。
大東亜戦争・第二次世界大戦が始まると同時に移った往時の町田市鶴川に今も残る藁葺き屋根の農家「武相荘」。
そこでの幸福な日々やそこを訪れる人々との交流を描いた「鶴川日記」。
山の手育ちの著者が、永田町・麹町・赤坂・麻布など憶い出に残る坂を再訪し、その場所にまつわるエピソードや現在の姿を綴った「東京の坂道」。
長い人生の中で出逢った梅原龍三郎・熊谷守一・芹沢銈介・荒川豊蔵ら文化人との心に残るエピソードや、祖父母など肉親と過ごした日々をまとめた「心に残る人々」の3篇を収録。
何気ない日常に温かな目を向け、人々との交流や毎日を丁寧に生きることの大切さ、本物の豊かさとは何かを思い出させてくれる一冊。
☆
正子さんの旦那さんの次郎さんも、なかなかとんでもない人でしたが、奥さんも凄い。

白洲正子(しらす まさこ 1910年~1998年)は、日本の随筆家ですが、これは彼女のほんの一側面の姿。
樺山伯爵家の次女として東京に生まれ、幼い頃から能に親しみ、14歳で女性として初めて能舞台に立ちました。
アメリカへ語学留学させられて、日本語を全部忘れて「ヤンキー娘として帰国」して、今度はうってかわって国文学と漢文学漬けにさせられたり、白洲次郎と出会ってお互い一目惚れで結婚して、その後の激動の歴史のるつぼに投げ込まれたり。
戦後は、小林秀雄、青山二郎らとの交流を通して、古典文学や骨董の世界へ傾倒しました。骨董を愛し、また西国の古寺風物を訪ね歩いて達意の文章で随筆を書いたり、日本の美について、西行について、深い思索に満ちた随筆を多く著しました。
代表作に『能面』や『かくれ里』(いずれも読売文学賞受賞)などがあります。
銀座で染色工芸の店「こうげい」を営むなど、行動的な一面もあり、青山二郎からは「韋駄天お正」という愛称で呼ばれました。
もう、ほんとに目が回るような生き様のかたですね。
夫の次郎さんに勝るとも劣らない。
このお二人が鶴川村の田舎に「武相荘」という庵を結んで暮らした日々の、正子さん視点の記録が『鶴川日記』です。

表紙カバーの写真が現在の「武相荘」ですね。
保存・整備されて記念館として公開されています。
この前僕も、近くについでの用事があって、初めて訪問しました。
ここは、正子さんの書斎部分です。
なかなか良い感じです。


当時の調度品などが、季節に合わせて展示されています。
☆
それ以来、僕はなぜかこの「鶴川」という土地に興味と愛着を感じるようになりました。
なので、先日、またついでがあったので、もう一度鶴川の地を訪れました。
今回は武相荘はスルーして、鶴川の里に残る、当時の里山の面影を探したいと思ったのです。
とりあえず、その時の様子をブログに書き残します。