血圧値 132/82/80 酸素飽和度 99% 体温 36.4℃ 体重 62.3キロ 運勢 The Strength
カシュガルを発って、ひたすら天山山脈の南側を東へバスで移動。
これは「アジア・ハイウェイ」とかいうのですが、まあ、砂漠の何もない道です。
舗装なんかしてないし、砂嵐で埋もれるし。

(イメージです)
下のネットワーク図で見ると、「AH4号線」ということになるのかな。

4号線はカシュガルから南に分岐して「カラコルム・ハイウェイ」となり、カラコルム山脈を越えるために標高は4880メートルの峠であるクンジュラブ峠を越えて、パキスタン・インド方面に至ります。
まさに、玄奘三蔵の道。
ちなみに、「アジア・ハイウェイ(AH1)」の東の起点は、ここ!

今もはるばると、銀座とトルコが、繋がっている!
今度ここ走るとき、見てください。(わき見注意)

昔から、「シルクロード」というちゃんとした「道」が砂漠の真ん中に通っているわけではなく、幾通りもあった「ルート」の総称なのですね。
砂嵐になれば埋もれてしまう、もはや道なき道。
玄奘が通った時も、行き倒れた駱駝などの白骨を目印にした、と書いてあるくらい。
過酷な旅でした。
「謎々」を一問。
ちなみにこのシルクロードという道は、西から東へ歩くより、東から西へ行くほうが、過酷であったと言われています。
なぜでしょう?(答えは文末)

東・南・西には地平迄つづく、砂の世界。
北には天山山脈の山々。
御覧のように公衆トイレなんかありません。
バスから降りて、「男性は山側、女性は南側!」とか分かれて、用を足したりするのです。
(現在はもう少しましか? バス内にトイレくらいあるかな)

アクスという町を経て、最後の目的地、クチャへ。
アクス (阿克蘇) Aksu
紀元前から天山山脈の鉱物資源を基礎に鋳造、冶金がみられ、また天山南路の四大都市の一つとして栄え、唐代には仏教が盛んとなりますが、10世紀ころからイスラム化がすすみました。
クチャは、「亀茲(きじ)」の名でも知られています。
今は「 庫車」と書くかな。
648年、西域支配の拡大を続ける唐は亀茲(現クチャ)に都督府安西都護府を設置。東は現・敦煌郊外の陽関や玉門関から西は中央アジアまでを包括する広大な西域地域を管轄する重要拠点として亀茲国は栄えました。そして仏教文化や東西交流の中心地として重要な役割を果たしました。
仏教伝来の先駆者「クマラジーヴァ(鳩摩羅什)」の出身地としても知られ、クムトラ千仏洞やキジル石窟などの仏教遺跡が多く残されており、新疆の豊かな民族文化と自然も魅力で、「歌舞の郷」と称されるほど音楽と舞踊が盛んで、西域文化の豊かさを今に伝えています。

隋唐にもたらされた西域天竺系の胡楽は、中国固有の音楽とともに、代表的な宴饗楽として華麗に宮廷を彩ったのですが、その典型といわれるものが唐代十部伎。
①讌楽伎
②清楽伎
③西涼伎(甘粛省涼州)
④高麗伎(高句麗)
⑤天竺伎(インド)
⑥亀茲伎(クチャ)
⑦疏勒伎(カシュガル)
⑧安国伎(ブハラ)
⑨康国伎(サマルカンド)
⑩高昌伎(トゥルファン)
⑪礼畢
豊富な天然資源を有し、ガスや石油のみならず、岩塩もかなりの埋蔵量を誇るクチャは、食事もイスラムのハラル料理が有名で、とくに羊肉料理は絶品です。

一行のお仲間にお誕生日の人がおられたので、子羊の丸焼きという特別料理。
凄いねえ。
2014年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「シルク・ロード:長安~天山回廊の交易路網」の構成資産として、スバシ故城、クズルガハ烽火台(ほうかだい)が世界遺産の文化遺産に登録されました。


天山山脈に降った雪は、豊かな川をはぐくむことがあります。
これはタリム川かな。

水さえあれば、砂漠も緑を育てることができるのです。

キジル千仏洞は、3世紀から8紀にかけて造営された石窟群で、現存する石窟は349、壁画の総面積は約1万平方メートルに及びます。
この地では、ギリシャ・インド・中原などの様式が融合した「亀茲様式」の壁画が特徴。第38窟(楽舞洞)では、音楽と舞踊が織りなす華やかなシーンが、第17窟(航海窟)では交易と旅の情景が描かれており、まさにシルクロードの交差点で育まれた文化の証です。

クチャの西10キロ。漢の時代の烽火台であるクズルガハ烽火台。
漢は班超を使わし西域諸国を平定するが、その時、クチャには西域都護府が置かれます。匈奴との戦い、諸オアシス都市との抗争の最前線での情報伝達のために多くの烽火台が築かれたが、そのなかでも最も古い部類にはいると考えられているもの。


クチャの旧市街にはモスクもたくさん見られます。
これはクチャ大寺。均整の取れた美しいモスクです。
仏教とイスラム教、ここは昔から、いろいろな宗教の融合・同居した世界でもあります。


これは鷹かな。
☆
クチャからは、この小さい飛行機で天山山脈を越えて、ウルムチに戻ります。

クチャ~ウルムチ間は一気に飛ぶはずだったのですが、途中、庫爾勒(コルラ)の飛行場に降りてしまいました。
なにやら、機体に不備があったようで。
こわいなあ。


関係者がみんな集まって来ちゃって、整備マニュアルとか見ながら、あーだ、こーだ。

僕たち客さんは見学。
他人事じゃないけど。

こういう時の「あるある」で、ネジが1本余りましたが、かまわず離陸。
こわいなあ。

天山山脈をなんとかぎりぎり、すれすれの高度で越えて、無事、ウルムチの飛行場へ着陸。
やれやれ。
あとは省略しますが、帰路は上海を経由して、日本に戻りました。
なかなか濃密な、現代版「西遊記」となりました。
これも今は昔、記憶の彼方の旅となってしまいました。
間違いが無ければ、1998年7月29日から8月7日にかけての日程です。
真夏の中央アジア、暑いはずですねえ。
☆
謎々の答え:
右から左へ読むと「ドーロクルシ」=「道路苦し」
なんちゃって!