にこたろう読書室の日乗

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0600 起床 気分快 曇 抑留されて収容所で亡くなった伯父さんのこと【7】 伯父さんの『軍歴確認書』を入手したこと。

血圧値 126/86/88 酸素飽和度 98% 体温 36.5℃ 体重 63.8キロ 運勢 Death

 

抑留されて収容所で亡くなった伯父さんについて、より詳しい情報を調べるためには、どうすればよいか。

 

伯父さんは陸軍所属なので、問い合わせ先は「東京都福祉局生活福祉部企画課援護恩給担当」となります。

 

 

都のホームぺージにはこう書いてあります。

 

旧陸軍軍人の方の軍歴(入隊から除隊までの履歴)に関する資料は、除隊時に本籍があった都道府県が保管しています。
東京都では、旧陸軍軍人または御遺族等からの請求を受けて、保管している資料により次の事務を行っています。(担当は、 福祉局生活福祉部企画課援護恩給担当)

 

(1)軍歴証明(確認)書の交付


軍歴証明事務取扱基準等に基づき、旧陸軍の軍人・準軍人または軍属であった方の軍歴を調査し、軍歴証明書または軍歴確認書として書面で交付します。
 (目的や使途に応じて証明事項を整理して、保管している資料の内容から軍歴証明書または軍歴確認書を作成します。)
 ※入隊から除隊までの記録の確認のため庁外を含む複数の資料の調査・整理が必要な場合等は、しばらく時間がかかります。また、入隊から除隊までの記録が確認できない場合は、軍歴証明(確認)書を交付できないことがありますので、御了承ください。
 ※恩給請求のために軍歴を調査する場合には、軍歴証明書を別途請求する必要はありません。


 【軍歴証明(確認)書の交付例】
 ・退職共済年金・厚生年金・特例老齢年金に係る履歴の通算
 ・叙位叙勲の推薦申請に係る履歴の作成・証明
 ・旧陸軍軍人または遺族が記録として保管など


(2)兵籍資料の提供


兵籍資料の提供に関する事務取扱基準に基づき、保管している資料の閲覧ができます。

 

軍歴証明書には、個人情報が含まれています。ですので、請求者は該当者の身内に限られます。

 

発行申請をできる人には「親等」を基準とした要件があり、主に以下のようなパターンが考えられます。

 

①本人死亡の場合のみ、2親等までの親族までの請求を認める

②本人死亡の場合のみ、3親等までの親族までの請求を認める

③本人が存命でも、3親等までの親族までの請求を認める

④本人が存命でも、6親等までの親族までの請求を認める

⑤本人が存命の場合は本人からの請求しか認めない

 

該当者の孫にあたる3親等が基準となっており、曾孫の方だと取得が難しい場合もあります。

 

 

 

というわけで、いろいろ問い合わせたり、都庁に出向いたりして、「兵籍資料」としては、

 

戦没者原簿

②本籍地名簿

 

の2点が見つかりました。逆に言うと、これしか無い。

戦争末期の抑留死亡者というのは、そういうものなのでしょう。

ここから推測するしかないらしいのですが、これがかなり怪しいというか間違いの多い内容のようで、担当の方がいろいろ苦労して調べなおしてくださり、なんとか

 

③軍歴確認書

 

という書類を作ってくださいました。

ありがとうございます。

 

ここで①~③を詳細に検討するのは、スペースの都合もありますので、③のみご参考までに掲示します。

ご縁がございましたら、お詳しい方の情報をいただけるよすがといたします。

 

 

伯父さんは大正11年(1922)生まれですから、現役兵として陸軍二等兵として入隊したのが昭和17年(1942)、20歳ということになるのかな。

あくる年から大陸に渡り、もう戦争も末期の昭和20年(1945)7月、ソ連軍の侵攻を目の前にして「第128師団挺身大隊」に転属したのが、23歳の夏、ということでしょうか。

 

8月15日の終戦後、年譜には「入ソ」と記されています。

捕虜となり、シベリアの収容所に抑留された、ということを意味する、短い記述です。

 

 

そして2年間に及ぶ、苦渋の捕虜生活ののちに、「栄養失調症にて戦病死」。

なんということでしょう。

 

 

御遺骨は、この「4865病院」の近くの大地に、今もなお眠り続けている、ということになります。

 

伯父さんの決して長くはなかった人生の最期を偲ぶよすがは、この短い「年譜」一枚だけなのです。

 

「4865病院」については、また今度書きます。