血圧値 121/81/74 酸素飽和度 98% 体温 36.4℃ 体重 65.5キロ 運勢 The Fool
初めて知って驚いたこと。
現在、江ノ島のてっぺんには「シーキャンドル」という名前の灯台というか展望台みたいなものが立っています。

海抜101。5mのガラス張りの展望室やその上の屋外展望台からは富士山、伊豆半島、箱根や丹沢山系などが臨めます。
夜にはライトアップされて遠くからも奇麗に見えますね。

たしか昔は、もっと古い、鉄塔みたいなものが建ってました。
階段のところが板張りで、危なっかしい感じがした覚えがあります。
旧展望灯台の階段は骨組は鉄骨だったが、足を乗せる踏板の部分は木製だったのです。

灯台に必須の、こういうレンズがありましたね。
現役は退いていましたが。

僕が学生のころの記憶だけど、その後かれこれ20年前くらいに、今のやつに建て替わったのです。
新しいのにも、何回か登ったことがあります。
なつかしいなあ。
☆
FBの Beautiful Day さんの記事で知ったのですが、この以前あった鉄塔は、元は二子玉川にあったものを1951年に移築したものだそうです。
「二子玉川」のどこにあったのか。

これは知らなかったなあ。
「江ノ島鎌倉観光建設(旧社名:江ノ島電気鉄道)」による経緯説明。
1940年 読売新聞社が世田谷区二子玉川に「よみうり落下傘塔」を建設。
1951年3月25日 江の島に移設完成。読売新聞社の意向により、開業後2ヶ年間に限り「読売平和塔」の名称をもって営業が開始され、2年後「江の島展望塔(展望灯台)」へと改称。
この旧展望灯台は、藤沢市海洋総合博物館建設計画の一環として造園された江の島植物園の開園に伴い、公益的観光施設の充実を図るべく当社が建設した日本初の民間灯台で、この竣工をもって観光事業参入の第一歩としました。
当時の当社は、江ノ島電気鉄道の社名をあえて江ノ島鎌倉観光に変更(昭和24年8月1日)するなど、総合的な観光運輸会社への脱却を図ろうとしていた、まさに真只中と言ってよく、沿線随一の景勝地江の島の活性化を最重点課題としていました。
こうした背景のもとで展望灯台建設の契機となったのが、世田谷区内において落下傘塔として使用されていた塔の移設転用が見込めたことで、当社は、所有者である読売新聞社よりこれを譲り受け、展望設備と航路標識を付設し昭和26年3月25日にオープンさせました。

なお展望灯台が、オープン当時に「読売平和塔」と呼ばれていたのは、戦後間もないこともあって永続的な平和が祈念されたのに加え、読売新聞社と宣伝に関するバーター契約を結んでいたからであります。
☆
「世田谷区内において落下傘塔として使用されていた」
これが気になりますが、なんと、僕も通ったことがある「二子玉川園遊園地(当時は玉川第二遊園地、のちによみうり遊園)」のアトラクションのひとつに「大落下傘塔」があったそうです。

1940(昭和15)年頃の「よみうり遊園」の園内図。
左上に「読売大落下傘塔」、奥に「玉川プール」が描かれています。
今の風景は、こんな感じ。
画面中央あたりに落下傘塔がありました。

「二子玉川園」の前身は,大正時代に玉川電気鉄道が開設した「玉川第二遊園地」でした。その後1937年(昭和12年)、読売新聞社が敷地と施設を借り受け、「よみうり遊園」と改称します。
当時建設された「大落下傘塔」は,地上50メートルからパラシュート降下が楽しめる超大型遊戯施設として、人気を集めました。上級コースは実際のパラシュート降下に近く、海・陸軍のパラシュート部隊の飛行訓練生たちがお忍びで通ったのだそうです。
これは遊園地のアトラクションとしては、かなり本格的ですね。
上級コースは、さながら実戦演習みたい。
軍が借用しようと思うくらいですからね。

戦後「二子玉川園」として営業を再開。遊戯施設を充実させたり、「ウルトラセブン」のロケ地になるなど、人気遊園地となりますが,土地の再開発の関係などから、1985年(昭和60年)に閉園します。
今の二子玉川ライズのあたりです。

人々の注目を集めた「大落下傘塔」は、戦後江の島に運ばれ、平和灯台として生まれ変わります。
この大きさのままではさすがに無理なので、その一部分を移設したのです。
そして、平和塔が展望灯台と呼ばれるようになった昭和30年代には、江ノ島大橋の開通に伴い自動車の乗り入れが可能になったことや江ノ島エスカーの開通に加え、大島・熱海航路が開設されたことなどにより、行楽地として江の島の人気は急上昇し、展望灯台も対岸から見る景観に欠かせぬ存在としてシンボル化されていきました。
そして、2002年の江の島展望台のリニューアルに伴い、62年にわたる役目を終えました。



ちょうど建て替わる時期には、新旧二つの塔が、並び立っていたのですね。

未見ですが、この本にも関連する情報が書かれているようです。
空挺(落下傘部隊)に関わる貴重な資料などを展示している資料館として陸自第1空挺団の展示館「空挺館」が陸自習志野駐屯地(千葉県船橋市薬円台)あります。

陸自第1空挺団の展示館「空挺館」 7月6日に一般公開 落下傘部隊の歴史たどる - 産経ニュース
日本に於ける挺進隊の創設についてですが、海軍と陸軍(海軍空挺部隊や陸軍挺進連隊)、殆ど同時にそれを作戦に取り入れるため動き出したようです。
お互いを敵視する体質のせいで、全く別々に落下傘部隊の設立と実験、そして導入が並行して行なわれました。
降下実験についての進捗状況はこんな感じ。
【海軍】
当初ダミー人形を使った落下傘試験にはじまり、民間人に変装しての読売遊園落下傘塔体験、ブランコによる飛び出し訓練などを経て、1941年(昭和16年)1月に最初の有人降下実験に成功した。
【陸軍】
浜松陸軍飛行学校に練習部を設置して機材や人員を徐々に整えた。読売遊園落下傘塔での練習を経て、1941(昭和16年)2月20日に初の有人降下に成功した 。
これですね。
遊園地のアトラクションに陸海軍が変装して並んで、密かに訓練したというのが、なにか可笑しくて泣けてきますね。悲壮感さえあります。
当時、落下傘部隊は秘密兵器扱いだったのでしょう。
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2002(平成14)年大晦日に、旧江の島展望灯台から江の島展望灯台(江の島シーキャンドル)への灯具交換式が執り行われ、旧江の島展望灯台は1951(昭和26)年から半世紀以上に渡るまでの長い役割を終えました。
こんど行くときは、ちょっと見る目が変わるかもですね。