にこたろう読書室の日乗

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0430 起床 気分快 雨 【戸塚小巡行】④ 「旧ウィトリッヒ邸」は丘の上にありました。そのすぐそばに「ワンマン道路」が通ってます。

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東海道線の線路から離れて、左側の丘を登ります。

これがかなりの急坂。

丘陵を登っていく感じですね。

自転車登攀はむつかしいんじゃないかなあ。

尾道みたい。

 

 

登ってきた道を見下ろすとこんな感じ。

写真で傾斜を表現するのはむつかしいのですが、かなりの急坂。右手奥が戸塚駅方面かな。

 

 

ほとんど登り切ったあたりに、「旧ウィトリッヒ邸」発見。

 

 

とてもお洒落な、品の良い建物ですね。

青い色の木の壁板が良い。

中央ヨーロッパの様式なのかな。

だれも住んでおられないのかもですが、完全な廃屋というわけではなく、庭木等も含めて、なんらかの手入れがなされているように見えます。

現在はウイトリッヒ氏とは関係の無い方が所有しているが、その方とは連絡がつかない状態にあるとのこと

 

外見を観察させていただきます。

 

 

玄関の上に入母屋風に二階の部屋が張り出すのは珍しい様式ですね。

あまり見たことがない。

 

近くの路地に、猫が居ました。

 

 

県発表の公式データは次の通り。

 

旧ウィトリッヒ邸は神奈川県横浜市戸塚区矢部町735番地にある洋風古民家。

スイス人男性アーノルド・ウイトリッヒ(?年-1983年、Arnold Wuethrich、ドイツ語:Arnold Wüthrich)の旧宅。横浜市認定歴史的建造物(非公開)。

 

1930年(昭和5年)ごろにスイスから来日したアーノルド・ウイトリッヒが、1933年(昭和8年)ごろ建てた家と言われる。

青い塗装の壁に赤い屋根を持つ2階建ての木造建築。設計者や施工者は不明である。

 

ウイトリッヒが農地としていた戸塚区俣野町のウイトリッヒの森へ新居を建てて引っ越してからは無人となったが、解体されずそのまま現地に残り、2003年(平成15年)度に横浜市認定歴史的建造物となった。

 

スイスの代名詞の一つともなっている木造建築様式で、山小屋などの民家で見られる「シャレー様式」というものがあるのですが、「旧ウィトリッヒ邸」の三角屋根とか壁の色の雰囲気とかは、なんとなくスイス風かな、と思います。

 

 

これはその古い形。

 

伝統的な木造住宅とツェルマットスイスの納屋 - グランジ加工のストックフォトや画像を多数ご用意 - グランジ加工, コテージ, シャレー -  iStock

 

今でもグリンデルワルトとかツェルマットで多く見かける風景ですね。

 

 

「はまれぽ」ライターの関和幸さんのレポートには、綿密な調査により、次のような証言と考察が報告されています。

 

「戦前のころ、旧ウイトリッヒ邸の周辺にはうちも含めて個人の住宅は4軒しかありませんでした。あとは日本光学の社宅が少しあっただけで。子どもだったのであまりウイトリッヒ氏の記憶は無いのですが、とても山が好きな人だ・・・という話は聞いたことがあります。そして戦後、急速にこの辺に家が建ち始めると、その人ごみを嫌って引っ越された・・・らしいです」

 

「ウイトリッヒ氏はここに引っ越して来られてからも、戸塚に通勤されていました。当時はまだ珍しい外車・・・黒のシトロエンに乗っていましたよ。高級時計を扱うシーベル・ヘグナーという商社を創立されたとかで、確か副社長だったはずです。奥様は小柄な方で、もう無くなってしまった近所の八百屋さんでよく買い物をされてましたね」

 

シーベル・ヘグナーはスイス発祥の商社であり、かつては高級カメラの代名詞「ライカ」の日本総代理店だったようだ。現在はDKSHジャパンと社名が変わっている。

 

DKSHジャパンの広報担当の方および社内報によると、ウイトリッヒ氏は同社の副社長ではなく、スイス製の「精密ドリル」を販売する部門を担当されていたらしい。実際にウイトリッヒ氏が同社に入社したのは1951(昭和26)年。それから1965(昭和40)年に定年退職されるまで勤務されていた。

またスイスから来日されたのは1930(昭和5)年ころであり、ウイトリッヒの森および周辺の田畑を1941(昭和16)年の太平洋戦争勃発直前に購入されたという。そこで米や野菜、果物を作り、横浜の市場に売ることもあったようだ。戦争が激しくなってからは軽井沢に疎開されている。

 

戸塚区にある謎の森!? 「ウイトリッヒの森」に住んでいたアーノルド・ウイトリッヒ氏って誰? - [はまれぽ.com] 横浜 川崎 湘南 神奈川県の地域情報サイト

 

関さんの情報は、おそらく現時点でもっとも詳細なものです。

 

文中の「日本光学」は今のニコンの前身ですが、ウィトリッヒ邸が建てられた1933年は、航空写真機用NIKKORレンズ「Aero-NIKKOR」を開発し、日本を代表する高性能レンズの生産を始めた頃に当たります。

 

というわけで、次の目標はここから歩いて「ウィトリッヒの森」を訪ねることです。

ウィトリッヒさんは当時、黒のシトロエンで行き来をしたのかな。

 

宮崎駿監督の『風立ちぬ』を見ると、飛行機の造形の美しさ...』 シトロエン 2CV のみんなの質問

(イメージ:シトロエン2CV

 

邸宅の裏側に回り込むと立派なお寺がありました。

 

 

曹洞宗 龍谷山 雲林寺」


創建は不詳ながら、北条政子が頼朝の冥福を祈念するために草創したともいわれる。
その後「竹下小次郎」(三浦一族の1人、室町時代初期に三浦郡(現横須賀市)の矢部と戸塚の矢部を治め街山八幡社を再興し、室町時代永享9年1437年没) が開基、徳翁寺 (在 戸塚区川上町) 五世厳隆(慶長19年・1610年寂)が中興して山号龍谷山としたとされる。

境内には、山の墓地に行く途中に竹下小次郎と家臣の碑が小さく佇んでいる。碑は「竹ノ下」となっており、訳有って当地の名前に変えたらしい。

御本尊は阿弥陀如来座像。柳の木で作られていると伝えられており、そこから同寺周辺は「柳作」と言われるように。現在でも町内会の名称として残っている。

 

ここから、また凄い坂を登りきると立派な道路に出ます。

 

 

前回触れました「ワンマン道路=戸塚道路」(1号線バイパス)です。

 

日本橋」から43キロ。

東海道を10時間歩いて、戸塚宿で宿泊だあ、という地点です。

この道は尾根の上、旧街道は戸塚駅のある谷の底を通っていますが。

 

 

この地図の右上が現在地。バイパスをずっと下って旧道と合流して、これまた1号線の渋滞の名所「原宿交差点」から、少しのところの「ウィトリッヒの森」を目指します。

 

5キロちょっとくらいかな。

 

以下、次号。