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それでは『陰獣』という、江戸川乱歩の代表作とみなされている中編小説についてみていきましょう。
「ミステリー」と呼ばれる作品を扱う以上、ネタバレには極力気をつけるべきでしょうが、何も言えなくなってしまうという問題もありますね。困ったなあ。
(危ないときは事前に通告する予定です)



『陰獣』
1928年(昭和3)3月『新青年』増刊号に発表。
実業家小山田氏の夫人と知り合った「わたし」(探偵作家)は、彼女と結婚前に関係のあった男で現在は同業の探偵作家である大江春泥から脅迫されているという話を聞かされる。春泥は復讐の手始めに夫人の夫、小山田氏をまず血祭りにあげると予告し、事実、夫の死体が隅田川で発見される。当時の作者自身を彷彿とさせる春泥の異常性格や言動が謎の焦点となるが、最後に意表をつく逆転劇が用意されている。
構成、サスペンス、トリックの三拍子そろった乱歩の代表作で、とくに作者自身のイメージをトリックの一つに使用した点ではユニークな作品。

だいたいこの『陰獣』という書名からして「エロ・グロ・ナンセンス」だなあ、と思いますよね。
でも、若い人にはこの言いかたは通じないのではないか。
「エロ・グロ・ナンセンス」の辞書の定義はこんな感じ。
①扇情的で猟奇的、かつばかばかしいこと。また、そのようなもの。大正末期・昭和初期の低俗な風潮をさす語。
②以前から用いられてきた「エロ・グロ」(=煽情的で猟奇的)に「ナンセンス」(=シュールでアナーキー)を組み合わせた合成語である。
1930年代(昭和初期)に成立し、第二次世界大戦による中断をはさみながらも戦前・戦後にかけて小説や映画、そのほか芸術関連で一大ムーブメントとなった。
どんなジャンルかというと、気になる人は『ドグラ・マグラ』や『痴人の愛』、江戸川乱歩全集や団鬼六の作品なんかに目を通してみればわかるはずだろう。
③ガロ系、OVA、エロゲー、アダルトビデオ・ホラー映画、深夜アニメ等にその命脈は受け継がれているといえる。これらのジャンルは21世紀以降、はっきりと明暗が分かれ、SNSの発展やサブスクリプションなどの多様な配信サービスが普及すると、オタク層に付随する深夜アニメなどのコンテンツは大衆化し大きな躍進を見せ、他にもR-18同人や倫理観がぶっ飛んでいる作品が多いお絵かきサイトなどもマニアの中で盛況を博す一方、かつてサブカル中のサブカルとして知られたガロ系がこの流れに乗れていないことを悲しむ往年のファンも多い。
③くらいになると、なんとなく理解できるようになるかな。ただ、今どき「エログロ・ナンセンス」とは言わないなあ。
もはやレトロである。
☆
そもそも「陰獣」≠「淫獣」。
これ、勘違いされてるのではないかしら。
この小説、今の感性で読んでみると分かりますが、全然普通。
これを発禁にした時代、というものがあるということを考えないと。
「陰獣」=〘 名詞 〙 陰性のけだもの、特にキツネ。
(初出の実例)「かの陰獣(インジウ)恩のために酬ひ」(出典:浮世草子・世間妾形気明和四年(1767)刊。上田秋成)
格別にエロイわけではない。たんにこそこそした暗い生き物のこと。
推理小説なので人が亡くなる事件があって、ラストになんとなく謎解きはされますが、それが話の根幹ではなく、むしろ、謎を解いたかたちになっていながら、かたづいていない何かが残っているという状態、それこそが「陰」なのですね。
これは一種のポエジーなのであって、乱歩はそういうところが達者だと思います。
単に理詰めの犯罪パズルを書いているのではない。
乱歩って、そんな風に最後で和音を解決しない、みたいな思わせぶりな終わり方が好きみたいですね。まさに「陰」な性格。
☆
この作品については別バージョンの結末が存在します。(柳香書院版『石榴』に収録されているバージョン)
横溝正史が編集長だった頃の雑誌『新青年』で復帰作として発表された『陰獣』。
発表当初、甲賀三郎などに敢えてはっきりとさせなかった結末を批判されたため1935年刊行の柳香書院『柘榴』で再録した際に結末を書き改められたが、乱歩としては矢張り当初の形の方がよいと考え、1946年鎌倉文庫刊行の『鏡地獄』への再録以降は原形に戻されました。

甲賀三郎や平林初之輔、井上良夫らから「あの故意にぼかしたラストは蛇足だ」と非難されたため、書き直したもの。これを読むと「真犯人はX(伏字筆者)」なのが明らか。
『柘榴』に収録されたバージョンは、冒頭と結末部分が書き直されている。しかし乱歩はこれを気に入らなかったようで、さらに10年後辺りに再録される際には元の筋に戻している。
このため柳香書院版『陰獣』は幻となっていたのです。

最近、この別版だけ復刻されました。
この話題はまたのちほど。