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大谷翔平“1000億円契約”の副作用。スポーツを「好きでいること」と「疑うこと」は両立できるか

スポーツのメガイベントがあるたび、礼賛を続けていていいのか?

(写真:Adobe Stock)

 とくに「体育会系」についてミクロな目線でみると、日本の若者のあいだでは「体育会系学生」(大学におけるスポーツ推薦枠もしくは体育系学部・学科への在籍者)が増加しているという指摘がある。これが従来通り「ひたすらスポーツでの成功を求める」アスリートが増加しているのなら問題かもしれないが、私はむしろスポーツビジネス関連職、もしくはトレーナーや理学療法士、ヨガ講師など、身体技法を活かしたケアワークへの従事を希望する学生が増えているのではないかと考えている。  生成AIの登場によりデスクワークを中心としたホワイトカラーの雇用が減少すると言われている。それと置き換わるかたちで人間の身体ケアに携わる「ケアワーク産業化」が、スポーツ・エンターテインメント産業のコミュニティビジネス化(プロチームを核とした地域でのスクールや育成事業など)と並行して進んでいくのではないだろうか。  とくにスポーツのメガイベントについては、「サッカー日本代表が活躍していてすごい」「日本出身のメジャーリーガーが活躍していてすごい」「推しているチームが勝って嬉しい」などと単純なスポーツ礼賛に終始するだけでは不十分ではないだろうか。現実のスポーツは一部のヒーローの活躍を「コンテンツ」として「消費」していればいいというものではもはやなく、私たちの生活や仕事と地続きのものである。  たとえば’24年から始まった、サッカー監督の河内一馬氏と元Jリーガーの井筒陸也氏によるPodcast『スポーツが憂鬱な夜に』は、スポーツのポジティブな側面だけでなく「スポーツにまつわる憂鬱」=勝利至上主義などの「負の側面」を語ることで支持を得ている。手前味噌ながら、同じく「スポーツにまつわる憂鬱」を論じた拙著もSNSなどでそれなりの反響を呼んだ。  スポーツや人間の「身体」が、経済的・社会的・文化的に大きなポテンシャルを秘めているからこそ、2026年以降はスポーツの「憂鬱」な側面を語っていくことがさらに必要になっていくのではないだろうか。スポーツを“好きでいること”と、“疑うこと”は、もっと多くの人が両立させてもいいはずである。
編集者・ライター。1986年、神奈川県生まれ。一橋大学社会学部社会学科卒、同大学院社会学研究科修士課程中退。批評誌「PLANETS」編集部、株式会社LIG広報を経て独立。2025年3月に初の著書となる『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する』(光文社新書)を刊行。現在は「Tarzan」などで身体・文化に関する取材を行いつつ、企業PRにも携わる。クラブチームExodus Baseball Club代表。
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