ぎりぎりの告知になってしまいましたが、今週の土曜日から姫路文学館で坂本遼展が開かれます。タイトルは「生誕120年記念 詩人坂本遼展」。

ところで播磨在住の人で坂本遼という詩人を一体どれほどの人が知っているだろう。僕も全く知りませんでした。
そんな彼を知ったのは姫路の木山捷平のことをいろいろと調べていた時。そう、坂本遼は姫路時代の木山さんと交流があったんですね。いや、交流があったというようなものではありません。大西重利と同様に、坂本遼の存在がなければ木山さんの文学者としての道も絶たれていたかもしれないのだから。
昭和2年に姫路にやってきた木山さんはまさにひとりぼっち。そこで出会ったのが大西重利で、木山さんを励まし続け、詩輯『野人』の発行を手伝うことになります。そんな交流の中で二人は友人関係を築いていきます。そう、大西重利は姫路での”たつた一人の友”となったんですね。
でも、彼との関係は長く続かず、昭和2年の暮れ頃には完全に関係が絶たれることになります。木山さんはまたまたひとりぼっちになってしまったんですね。頼る人を失った意気消沈、自己嫌悪…。想像するだけで胸が苦しくなります。
でも、それから間もなく、彼は同い年の新たな友人に出会うことになります。それが坂本遼でした。タイミングを考えればそれは奇跡的ではあるけれど、彼はまさに木山さんが再び姫路でひとりぼっちになった頃に彼の前に現れたんですね。
坂本遼は現在の加東市に住んでいて細々と詩の活動をしていたんですが、草野心平の創刊した『銅鑼』の同人でもあって、木山さんも草野心平と交流をもつようになったので、おそらくそのあたりのつながりでお互いの存在を知ることになったんでしょう。
そしてその坂本遼は木山さんが姫路にやってきた同じ昭和2年の暮れに姫路城の堀の中に作られていた姫路聯隊に志願兵として入隊します。まさに木山さんがまたひとりぼっちになったとき。
当時木山さんが住んでいたのは千代田町の下宿で、姫路聯隊は目と鼻の先。彼が入隊したことを伝え聞いた木山さんは、早速連絡を取って彼に会うようになります。最初の出会いは昭和3年の1月ごろでしょうか。
といっても軍隊に所属している人間と連絡を取るのは双方ともかなり大変だったはずで、さらに木山さんは昭和3年の4月から姫路から3里も北に離れた菅生小学校に勤務するようになってしまったのでそんなに何度も会うことができなかっただろうと思います。
でも、二人はかけがえのない友人関係を築いていくんですね。同い年だというのも大きかったかもしれません。
二人にとってもう一つ重要なこと、それは二人とも実家が農家だったというのも大きいかもしれません。坂本遼が当時書いていた詩は主に農村を舞台にしたもので、木山さんはその影響を強く受けることになります。それは昭和3年に書かれた木山さんの詩にはっきりと表れています。それ以前に書かれた詩とガラッと変わって、農村詩というべきものが一気に増えるんですね。正直に言えば僕が好きな木山さんの詩は東京にいた大正14年と姫路にやってきて大西重利と交流していた時の昭和2年に書かれた詩の方ではあるんですが。
木山さんと坂本遼の交流は木山さんが姫路を離れる昭和4年の3月ごろまで続きます。ほんの1年余りのこと。
木山さんは昭和4年の5月に第一詩集『野』を出すことになるんですが、これに坂本遼が赤松月船、小野整とともに序文を寄せています。その坂本遼が書いた序文がとにかくすばらしくて以前も何度か紹介したはず。さらに昭和3年ごろの木山さんの暮らしぶりを知る第一級の資料にもなっているんですね。ちょっと長いけど全文引用します。
木山さんは分の厚いマントに顔をうづめて、三里もあるところへ寒そうにして帰つていつたが、今頃は家へついたかしら。あれでゐて、心のうちではこまごまといろいろ心配や悲しみやひそかな幸を持つてはゐるのだが、話をするときにはぼーんとしてゐる。
ここに、世の中で一ばんありふれた仕事、たとへば自転車屋といふやうなことをしてゐる人があるとします。その人は日本の自転車屋らしく一寸ハイカラなジヤケツをきて、毎日毎日一本気に働いてまあ十人なみの奥さんと巣をこしらへてゐます。
私はこんなやうにありふれてゐて、何にも大きいしごとをのこさなくても、世の中を正しく生きていつてゐる人がすきだが、木山さんにもどうもさう云う素直さがみえます。これらの詩を見られたならば、こんな人から生れたものであることを、皆さんは納得して下さるだらうと思ひます。木山さんと話をすると何だか物静かに涙ぐむこともあるのだが、誰でもがさうなのだろうかとあとでよく考へたものでした。
私は去年の今頃、ぬけ出してはじめて紡績の町の木山さんをたづね、「ごめんごめん」といつたら、二三歳の男の子がちんぽを出してすつぱだかのままで、眼をこすりこすり泣きながら出てきてゐましたが、そんな家に君はかりずまひしてゐました。
私は無理をしては、よくぬけ出して君と逢引をしたものであつたが、君はその時その時のことを覚えてゐるであろうか。何時頃だつたか青葉があつて、けぶるやうな雨が降つてゐる日に、姫路の城の天守閣で寄合つたことも覚えてゐるだろうか。
しかしこんなことはここで云はなくてもいいことだが、この詩集の出ることがうれしいから。
よろこびにつけてもかなしみにつけても、おばあさん達は昔のたのしかつたことが話したいものだ。
昭和四年一月六日 坂本 遼
「ここに、世の中で一ばんありふれた仕事、たとへば自転車屋といふやうなことをしてゐる人があるとします。その人は...」の話がとりわけいいんですね。
次回はこれに対しての木山さんの返礼のような文章を紹介しましょう。

