その画集の存在を知ったのは岡山の実家に戻ってまもない時期のこと。2014年の夏頃のことでしょうか。教えてくれたのは例によってたつのの九濃文庫の吉田さん。
2018年に吉田さんが最も愛している作家の小沼丹が生誕100年を迎えるということで、その展示会のためにぜひ探してほしい本があるんです、と頼まれたものがあるんすね。それが小沼丹の『馬画帖』という画集でした。
吉田さんからはその画集に触れた文章のコピーをいくつかいただいたんですが、その中のひとつが『図書』2007年10月号に掲載された岩阪恵子さんの「阪田寛夫さんについて —— 遺稿を中心に」でした。童謡「サッちゃん」の詩を書いた人だと後で知ったんですが、当時阪田寛夫さんのことは全く知りませんでした。でも、木山捷平研究を始めた時に最も影響を受けたのが岩阪さんの書かれたものだったこともあって興味深く読みました。
その最後の方でこんな話が出てきます。
さらに岩阪さんは阪田さんの文章を少し引用した後でこう書いています。
読んでわかるように岩阪恵子さんはどうやら小沼丹の『馬画帖』をお持ちのようなんですね。小沼丹のファンとしてはぜひとも『馬画帖』を手に入れたくなったわけです。
すぐにネットであれこれ調べました。でも全く見つからないんですね。どこにも。小沼丹の『馬画帖』に触れた記事すらありません。
『馬画帖』は小沼丹の次女の川中子李花子さんが出したものだということは吉田さんから聞いていましたが、それは私家版でごく少数の知り合いに配られたもののようで、おそらく100部もなかったのかもしれません。ネットに上がるはずもありません。それでもずいぶん長い間探し続けました。
阪田寛夫の遺稿の「鬱の髄から天井みれば」は2007年に講談社文芸文庫から出ていた『うるわしきあさも』に収録されていることがわかったので早速入手。こんなことが書かれていました。ちなみに岩阪さんも少し触れられていますが阪田寛夫もキリスト教徒。
ここに書かれているように小沼丹の父(小沼邁)は牧師さんだったんですが、当初、倉敷の教会で牧師をしていたんですね。岡山に戻ったばかりだったので、これも縁ということで早速倉敷に行っていろいろと調べました。
ちなみにちょうどそのころ小山清の小説をいろいろと読んでいたら、ちょっと小沼邁とつながることを偶然発見したので、せっかくなので2015年におひさまゆうびん舎で開かれた没後50年小山清展のためにそれをまとめたものを記念の冊子に入れさせてもらうことにしました。小沼丹の『馬画帖』のことも書きました。
実はその小沼丹の父の岡山でのことをもう少し調べた上で2018年に九濃文庫で開かれる小沼丹生誕100年祭のための冊子に寄稿する予定でいたんですが、当時家のことに忙殺されて結局書けずじまいになったんですね。ただ、吉田さんはおひさまゆうびん舎の小山清展に寄稿したものが面白いということで、おひさまゆうびん舎の窪田さんの了承も得て、それをそのまま再録していただくことになりました。
小沼丹の『馬画帖』はずっと探し続けていたんですが、そちらも結局見つからず。
ところがその『馬画帖』、なんと九濃文庫に展示されていたんですね。驚くような経緯で。(つづく)
2018年に吉田さんが最も愛している作家の小沼丹が生誕100年を迎えるということで、その展示会のためにぜひ探してほしい本があるんです、と頼まれたものがあるんすね。それが小沼丹の『馬画帖』という画集でした。
吉田さんからはその画集に触れた文章のコピーをいくつかいただいたんですが、その中のひとつが『図書』2007年10月号に掲載された岩阪恵子さんの「阪田寛夫さんについて —— 遺稿を中心に」でした。童謡「サッちゃん」の詩を書いた人だと後で知ったんですが、当時阪田寛夫さんのことは全く知りませんでした。でも、木山捷平研究を始めた時に最も影響を受けたのが岩阪さんの書かれたものだったこともあって興味深く読みました。
その最後の方でこんな話が出てきます。
遺稿の最後に書かれた「鬱の髄から天井みれば」に出てくるのは、小沼丹さんである。小沼さんの父も熱心なキリスト教徒で、しかも牧師で、下町のセツルメントの館長でもあったが、身辺に材をとって作品を書いた小沼さんがそのことには一切触れていないという。遺作と呼ぶべきものも一風変わった「馬画帖」で、つまり小沼さんがその死の前ノートに黙黙と描いたのは馬たちや馬を囲む男たちの絵であった。
さらに岩阪さんは阪田さんの文章を少し引用した後でこう書いています。
…と阪田さんが書く小沼さんの画帖の中の馬たちはみな「優しく和らいだ瞳」をしている。画帖のページを繰るにつれ描線は荒くなり、瞳はだんだん平仮名の「の」にちかくなっていくが、じっと見ていると、馬の鼻腔から温かく湿った息が感じられてくるのだった。
読んでわかるように岩阪恵子さんはどうやら小沼丹の『馬画帖』をお持ちのようなんですね。小沼丹のファンとしてはぜひとも『馬画帖』を手に入れたくなったわけです。
すぐにネットであれこれ調べました。でも全く見つからないんですね。どこにも。小沼丹の『馬画帖』に触れた記事すらありません。
『馬画帖』は小沼丹の次女の川中子李花子さんが出したものだということは吉田さんから聞いていましたが、それは私家版でごく少数の知り合いに配られたもののようで、おそらく100部もなかったのかもしれません。ネットに上がるはずもありません。それでもずいぶん長い間探し続けました。
阪田寛夫の遺稿の「鬱の髄から天井みれば」は2007年に講談社文芸文庫から出ていた『うるわしきあさも』に収録されていることがわかったので早速入手。こんなことが書かれていました。ちなみに岩阪さんも少し触れられていますが阪田寛夫もキリスト教徒。
見えるのは内田百閒先生の闇の土手ではなく
小沼丹さんの遺作「馬画帖」の馬の瞳です
本名を救という小沼さんのお父さんは牧師さん、
下町のセツルメントの館長でもあり、絵が上手
集ってくる貧しい家の子供たちに絵を描いてみせた
私小説風な作家に分類されている小沼さんの作品に
そんな話が一切でてこないのがふしぎでした。
その小沼さんが亡くなる前に黙りこくって大学ノートに毎日描き続けたのは、
かつて小屋の中で誕生した幼な子を見守った筈の短い足の馬たちでした
その優しく和らいだ瞳の絵でした
私はもはや言葉を失い文章も書けませんが、
「馬画帖」の馬の瞳を思い描くことはできます
小沼丹さんありがとうございました
ここに書かれているように小沼丹の父(小沼邁)は牧師さんだったんですが、当初、倉敷の教会で牧師をしていたんですね。岡山に戻ったばかりだったので、これも縁ということで早速倉敷に行っていろいろと調べました。
ちなみにちょうどそのころ小山清の小説をいろいろと読んでいたら、ちょっと小沼邁とつながることを偶然発見したので、せっかくなので2015年におひさまゆうびん舎で開かれた没後50年小山清展のためにそれをまとめたものを記念の冊子に入れさせてもらうことにしました。小沼丹の『馬画帖』のことも書きました。
実はその小沼丹の父の岡山でのことをもう少し調べた上で2018年に九濃文庫で開かれる小沼丹生誕100年祭のための冊子に寄稿する予定でいたんですが、当時家のことに忙殺されて結局書けずじまいになったんですね。ただ、吉田さんはおひさまゆうびん舎の小山清展に寄稿したものが面白いということで、おひさまゆうびん舎の窪田さんの了承も得て、それをそのまま再録していただくことになりました。
小沼丹の『馬画帖』はずっと探し続けていたんですが、そちらも結局見つからず。
ところがその『馬画帖』、なんと九濃文庫に展示されていたんですね。驚くような経緯で。(つづく)

