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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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昨年の暮れ、台所で料理をしていたとき、たまたま「大瀧詠一」の名前が耳に飛び込んで、慌ててテレビのある部屋に行って観た「みんなあなたが好きだった ~プレーバック 長嶋茂雄の世紀~」。おおっと興奮して観たものの、大瀧さんがらみの話はほんの5分くらいで終わって、長嶋さんに縁のあった別の人の話に移ったので(松井だったのでちょっと観たけど)、録画を停止しようかと、テレビのリモコンを手にして、いやちょっと待てよ、もしかしたらどこかでもう一度大瀧さんがらみの話が出てくるかもしれない、と思って、結局最後まで録画することにして、あとは観ないまま台所に戻りました。ときどきちらちらと観に行ったものの、それ以降、大瀧さんの話はでることはなかったなと思っていたんですが、あとで録画したものを改めて見直したらびっくり。最後のエンディング、下にテロップが流れる中、この風景とともに大瀧さんの曲が流れたんですね。

「青空のように」の”今まで誰にも言わなかったヒミツ”(その1)_a0285828_14131455.jpeg

「青空のように」の”今まで誰にも言わなかったヒミツ”(その1)_a0285828_14131779.jpeg

流れたのはこの「青空のように」。



これのちょうど曲の真ん中あたりに出てくる♫青空のように さわやかな気分に させてくれるほほえみ なげておくれ~ のところから。風景にぴったり。いや、曲にぴったりの風景を用意したんですね。

「みんなあなたが好きだった ~プレーバック 長嶋茂雄の世紀~」で最初に語られたのは1977年7月にシングル盤として発売され(レコーディングは5月)、その年の暮れに出たアルバム『ナイアガラ・カレンダー』の6月の曲として収録された「青空のように」のこれまで語られることがなかった秘密。アナウンサーのこんな言葉から始まります。


今回の取材で大瀧さんが長嶋さんへの愛を密かに込めた歌を作っていたことがわかりました。


この秘密を披露したのが萩原健太さん。健太さんは大瀧さんからもらったはずのメールを番組で読むんですね。その前に。

実は1993年1月に放送された新春放談の2回目(1月9日放送)で、「青空のように」についてちょっと気になるやりとりがありました。達郎さんが大瀧さんに、大瀧さんの曲で何かかけたいものがありますかと訊いたら、それではということで大瀧さんが選んだのが「青空のように」のシングル用モノミックス(上に貼ったもの)。

曲をかける前、大瀧さんがこんなことを言いはじめたんですね。声色を変えて、「だれにも」のところは「だっれにも」と強調して。


でね、今まで
だっれにも話したことないことがあるんですよ、この曲について。家族にも言ってないと思うんだよ。たいていのことは家族には話してるんだけど。


え? なんだろうと思いますね。ところがここから家族、特に息子さん(シングル盤に写っている子供)とのキャッチボールの話になって、結局「今までだっれにも話したことない」話は語られないまま、達郎さんが「ということで、『青空のように』」と曲をかけちゃうんですね。そこで大瀧さん、残念そうにぽつりと「秘密言ってないよ」と。さらに付け加える形で「では、終わって」とも。


大瀧さんという人は機会を失った話は、そこで終わりなんですね(大瀧詠一的でも何度かありました)。自ら蒸し返しもしないし、他人から蒸し返されてももう2度と語ることをしない。その「今までだっれにも話したことない」話はその日の放送の中で再び出てくることはなく、多少間を置いて収録されたはずの翌1月16日の放送分の中でも大瀧さんの口から語られることはありませんでした。

それが、20年以上の時を隔てて初めて明かされたわけです。


1993年の新春放談は1回目と2回目は達郎さんと大瀧さんの対談でしたが、3回目は萩原健太さんを交えての鼎談という形になっていたんですね。それを収録する前に健太さんがスタジオにいて二人の対談を聞いていたかどうかはわかりませんが、聞いてたらきっと大瀧さんに尋ねたはず。聞いていなかったとしても1993年1月9日に放送された話を聞いて、大瀧さんに「あの話は?」と尋ねたメールを送ったんでしょう。で、大瀧さんは一旦は機を逸したにしても健太さんだけには教えておこうかとメールで返信した。だれかには話しておきたいと思っていたにはちがいないので。

ということから健太さんがテレビで紹介したメールはたぶん1993年1月9日か、その翌日くらいに受け取ったものだろうと思います。

で、その内容はというと。


ここで今まで誰にも言わなかったヒミツを書きます。この年6月に発表した、『青空のように』は長嶋に捧げた曲なんです!!!
(歌詞をよく読んで下さい)
これはハズカシクて誰にも言えませんでした(家族にも言っていません)。


「青空のように」の”今まで誰にも言わなかったヒミツ”(その1)_a0285828_20201771.jpeg

テロップに流れたこの文面、語り口調やカタカナの使い方などを見る限り、おそらく大瀧さんが書いたメールをそのまま写したもののはず。

内容から察するに、大瀧さんのメールではこの話の前に「青空のように」を書いた1977年の長嶋を巡る何かの出来事が書いてあって、収録の時には健太さんはきっとそれも紹介していたはず。でも、そこはカットされたようですね。


ということ”今まで誰にも言わなかったヒミツ”がここで初めて明かされたことになるんですが、でも、ちょっと待てよと。

ウィキペディアに載っている『NIAGARA CALENDAR』の「青空のように」のクレジットのDedicationには「ミスター・長嶋」とはっきりと記されているんですね。コアなナイアガラーなら、きっと気づいていたはず。(つづく)


「青空のように」の”今まで誰にも言わなかったヒミツ”(その1)_a0285828_14194985.png


# by hinaseno | 2026-01-08 14:17 | ナイアガラ | Comments(0)

その場面は、女性アナウンサーの「長嶋監督の常識を超えた采配を見事予言しています」という言葉から始まります。

ちなみに先に断っておくと、大瀧さんがラジオで解説をした時の、あの予言、予感のような発言のことは高橋安幸著『伝説のプロ野球選手に会いに行く』(2008年、白夜書房)掲載の大瀧さんとの対談(2008年7月18日収録)でも話題に上って、註には大瀧さんが語った言葉を紹介していました。その言葉はこう。


「臨機応変に行くのが長嶋野球です。今、だからこれが凡打で原のときに三盗するかどうか、それを考えています」


この言葉を、実際の場面を見ながら大瀧さんの声で、ほとんど偶然と言っていい形で聴けたわけですから、驚かないわけがありません。

あとで改めて録画したものを見ながら確認しましたが、高橋の本も、番組でのテロップもこのときの言葉はほぼ同じ。

「三盗です! 三盗です! 大瀧さんどうぞ。何でも言ってください」(その2)_a0285828_17211760.jpeg

ただ、ここでの「今」は「それを考えています」にかかっているので、「今」のあとに読点をつけておくことにしました。高橋さんの本では「今は」にしてます。「今だから」となると変ですね。


さて、この場面、テレビ画像で確認したら二塁にいたのはラ盗塁王をとったこともある俊足の緒方耕一。バッターは吉村禎章。そして次のバッターが原辰徳。

この年は一番緒方、二番川相(昌弘)、三番吉村、四番原という打順が開幕当初から組まれていたようなのでこの日もそうだったんでしょう。緒方が何らかの形で出塁。川相が得意のバントで二塁に進める。そして打順は三番吉村。吉村は強打者でしたが打力も下降気味。四番原はさらに打力が落ちていて、2年後の1995年に引退しています。とはいえ四番。プロ野球の世界の常識でいえば三番や四番打者のときにはあまりランナーは動かさない。長打を打てば二塁からでも戻って来れるわけですから、三盗して失敗したときのことを考えればやめた方がいいと。長嶋は第一次政権の時にはひらめき野球と称されてセオリー無視と言われるような采配をして失敗も多く、負けた時の敗因をそうした采配につなげられてしばしば叩かれていたんですね。でも、大瀧さんは長嶋さんのひらめき、思いつきは決していい加減なものではなく「臨機応変に行くのが長嶋野球」といって三盗するんじゃないかと考え、それを口にしたんですね。

これに対してアナウンサーはこう言います。「でも大瀧さん、三盗は無謀だと思いますよ。(キャッチャーは)古田ですよ」と。そう、ヤクルトの古田敦也は強肩で盗塁阻止能力が非常に高く、この1993年には盗塁阻止率が史上最高記録となる.644をマーク。

ところが、アナウンサーが大瀧さんにそう言った直後に緒方が走ったんですね。アナウンサーは叫びます。


「ランナー三塁へ。ボールは三塁へ投げる、滑った! セーフ!セーフ!セーフ!セーフ!」


さらに興奮して、


「三盗です! 三盗です!」


で、大瀧さんにこう言います。


「大瀧さん、どうぞ。何でも言ってください」


大瀧さんはこれに対して、「ね、僕の言った通りでしょ」と言うわけでなく照れくさそうに「いえいえいえ」と。


大瀧さんの「三盗」の言葉を聴いて、それについて反論するような言葉を返したばかりのタイミングでの三盗だったのでアナウンサーもかなりびっくりしたようで興奮は半端じゃないですね。普通の解説者が言わないようなことをミュージシャンが口にしてそれが的中した形になったわけですから。

ただその前後をテレビ映像で観ていたら、予言的中というにはいろいろと考えさせられることがあります。何よりも大瀧さんの「これが凡打で原のときに三盗するかどうか、それを考えています」という言葉。

これ、このバッターが凡打したら、原の打席のときに三盗するんじゃないかというのを「考えています」と言っているわけで、バッター、吉村のときに三盗をしかけると言っているんじゃないんですね。あくまで凡打してツーアウトになったら盗塁をしかけるんじゃないかと。

でも、長嶋は1アウトで、しかもボールスリーのときに三盗させたんですね。結局バッターは凡打ではなくフォアボール。盗塁は成功して1アウト1、3塁のチャンスに。三盗を口にはしたもののこの場面、少なくともバッター吉村の時に盗塁するとは思っていなかったはずなので、大瀧さんも驚いたでしょう。驚いたでしょうけど、これもまた長嶋流の臨機応変と納得したはず。


ところで話は変わりますが、臨機応変といえば、思い出すのが大瀧さんの変名のひとつRinky O’hen。リンキー・オーヘンと読ませるのかと思っていたらレナード・コーエン(Leonard Cohen)に倣ってリンキー・オーエンと読むんだとか言ってましたが、このペンネームを使っていたのがちょうど1990年代。長嶋の復帰の影響をうけての大瀧さん本人の復帰時期ですね。当時、臨機応変というのがキーワードになっていたんでしょうか。


『伝説のプロ野球選手に会いに行く』ではあのときの緒方の三盗についてこんなやりとりがあります。

 
大瀧:野球の解説だって、そうじゃない? 前に使えなきゃダメだと思うよ。あの、緒方の三盗だって、予言しなきゃ意味ないんだよ(笑)
高橋:あの解説は本当に、大瀧さんの予言でしかないと思いました。
大瀧:前だから「おおっ」って思うんでさ。終わってからどうのこうの言ったって、なんにもならないわけでね。
高橋:野球の解説は結果が出た後に論じることが多いですけど、実際に聞いていると、予感、予想を言ってもらったほうが面白いですね。
大瀧:予感、予想、予言、要するに前だよね。前に使えるもんじゃなきゃ、なんの意味もないというのが僕の考えで……。それで僕は事が起きたものをね、過去を詮索するのも好きなんだけれども、おおごとになる前が一番好き、っていうか知りたいのよ。その、おおごとになる前というのは、ゼロから一になる瞬間、そこにものすごくドラマがある。


実はこのあとに川上哲治の話になるんですが、それを書き出すとさらに長くなるのでやめます(昔ちょっと書きましたね)。

そう、番組では語られなかったんですが、大瀧さんは野球が大好きで熱烈な長嶋ファンだったという話になっているのに、そのときにテレビに大写しになった大瀧さんのユニフォーム姿の背番号は長嶋の3ではなくて川上の16なんですね。これ、大事なポイントなんですが。そう、それから右下の「撮影 湯浅学」も見逃せません。

「三盗です! 三盗です! 大瀧さんどうぞ。何でも言ってください」(その2)_a0285828_17211449.jpeg


ついでですがあの場面、テレビ画面では、緒方の三盗成功直後に、長嶋が次の打者の原に近づいた様子が一瞬映ります。

「三盗です! 三盗です! 大瀧さんどうぞ。何でも言ってください」(その2)_a0285828_17240143.jpeg

長嶋はよし!って顔をして原に何か言ってますね。ただ原は結構複雑そうな顔。よしやってやるぞって感じじゃなさそう。いやむしろ不安そうな顔にも見えます。

このあとどうなったかは確認できませんでしたが、原は凡打になったんじゃないかなと。実際この試合は巨人が負けてたみたいだし。


# by hinaseno | 2026-01-03 17:25 | ナイアガラ | Comments(0)

昨夜、台所で『40!!! Years Bear Family Records』のDisc 1を聴きながら夕食を作っていた時、たまたまついていたテレビから大瀧詠一の名前が聴こえてきて驚いてテレビのある部屋まで直行。何だろうと思いつつ、とりあえずすぐに録画ボタンを押す。放送していたのは長嶋茂雄の特番。今年亡くなった長嶋の特番はいくつも放送されていたけど、どれもまともに見たことはなく、年末ということでまたやってんだなと、料理をしながら見るともなく、聴くともなくという感じでつけたままにしてたら、大瀧さんの名が..だったんですね。番組のタイトルは「みんなあなたが好きだった ~プレーバック 長嶋茂雄の世紀~」。大瀧さんの名前は、長嶋の熱烈なファンの一人として紹介されていたはず。観ていたらあの日のあの瞬間の実際の映像とともに、大瀧さんのあの言葉が流れてきて…。


という書き出しで、大瀧さんの命日である12月30日の朝、話を書きかけたんですが、その日も、次の日も書けないで年を越してしまいました。もちろんくまのかぞくといっしょに。

ただ、日が経って興奮がおさまる中であれこれ調べていたら、訂正することがいくつもわかってきて、「実は」、「実は」が重なることになってしまって。で、結局、結構長い話になってしまうことになったという(何回かに分けて書くことにしました)。


まずは最初の「実は」のことから。

その日は大瀧さんも命日の前日でもあったので見た時はなんとグッドタイミングだろうと奇跡のように思ったんですね。でも、実は「みんなあなたが好きだった ~プレーバック 長嶋茂雄の世紀~」という番組は一昨年の2024年12月21日、つまり長嶋の生前に放送されたものだったんですね。で、長嶋が亡くなった直後の昨年6月7日に再放送されていて、僕がたまたま見たのはその再々放送だったという。ということなので、それを観た人からすれば、なんだ今頃そんなこと書いてんのか、ってことになります。


そして、次の「実は」の話。

それから、僕は大瀧さんの名前を聴いて、内容もわからず咄嗟に録画ボタンを押したってことを、瞬時とはいえ、いい判断だったなと思いつつ、どういう流れで大瀧さんが登場したのかが気になっていたんですね。そうしたら昨日、毎週録画していた番組の中にまぎれこんで録画されていた中に、少しだけ途中からだったとはいえ「みんなあなたが好きだった ~プレーバック 長嶋茂雄の世紀~」がほぼ全て録画されていたことがわかったんですね。でも、そういうのって見もしないで、あるいは最初の部分をちらっと眺めただけで削除する場合がほとんど。この番組もたぶん大瀧さんの話が出てくる前に削除したはずなので(前に2度放送されていたものは、そういう形で削除したかもしれない)、そういう意味ではラッキーでした。


で、もう一つの「実は」をいえば、長嶋が亡くなって、大瀧さんと長嶋の話は絶対に書かなくちゃと思っていて、その中で、今回の番組の中で大瀧さん自身の実際の声で聴けたそのエピソードは絶対に触れなければならなかった話でもあったんですね。そう考えるとやはりラッキー。大瀧さんの命日前日ってことを考えれば、呼ばれたというしかないですね。


ちなみに今回のタイトルは、ラジオで解説をした大瀧さんの言葉の直後に起きたプレーを見た時のアナウンサーの言葉。驚きと興奮にあふれてますね。野球を知らない人のために説明すると、三盗というのは二塁から三塁への盗塁のこと。失敗したときのリスクの大きさゆえにめったには見られないプレーなんですが、一昨年、50盗塁を達成した大谷は何度か三塁を試み、すべて成功していました。走者としての彼がいかにすごかったかってことですね。


さて、「みんなあなたが好きだった ~プレーバック 長嶋茂雄の世紀~」で、僕が料理をしながら、いろんなくまさんソングを聴きながら、耳に入ってきた大瀧さんの名前が出てきた時のアナウンサーのコメントはこうでした。


「今回の番組で、私たちは意外な人が熱烈な長嶋ファンだったことを知りました。それは大瀧詠一」


で、音楽評論家で大瀧さんとも親しかった萩原健太さんとナイアガラ・トライアングル Vol.1のメンバーでもあった伊藤銀次さんが大瀧さんのことについて語り合う場面へと。健太さんは大瀧さんが長嶋について健太さんに個人的に語ったデータ(おそらくは大瀧さんからのメール)を持っているようでそれをいくつか紹介します。まずは長嶋が巨人を引退した1974年からの話になるんですが、その話はまた後日に回すとしてここではやはり1992年暮れに長嶋が巨人の監督に復帰したときのことからにします。

大瀧さんにとって長嶋の復帰がいかに大きなものだったかは1993年の新春放談で語られるんですが、その一部は番組でも流れました。NHKの番組で新春放談が流れるなんてびっくりです。そのとき、大瀧さんは今までにない真剣な強い語調で、自らの復帰の決意も表明するんですね。

そう、長嶋の復帰がなければ、渡辺満里奈の「うれしい予感」も彼女のアルバム『Ring-a-Bell』も「幸せな結末」もありませんでした。番組ではそこまでの話にはいきませんでしたが。


1993年のシーズンが始まって間もない5月2日(これまで大瀧さん関係の年表ではその日は5月3日となっていたんですが、正しくは番組のテロップの通り5月2日でした)の巨人ヤクルト戦で、大瀧さんはニッポン放送の「ショウアップナイター」というラジオ番組に解説者としてゲスト出演するんですね。もちろん大瀧さんが野球に詳しいということを知った上でのことだったでしょうけど、僕はそんなことは知る由もないので、そこで起きたことは後で知りました。


この試合途中、大瀧さんは予言というか予感を口にするんですが、そのときの放送を録音したテープと、テレビで放映された実際の試合を録画したテープを大瀧さん自身がきちんと保存していたようで(当然ですね)、今回映像を見ながら大瀧さんのその時の解説を聴くことができたわけです。(つづく)

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# by hinaseno | 2026-01-02 14:38 | ナイアガラ | Comments(0)

12月の終わり頃になると、どうしても大瀧さんのことを考えています。まあ、1年中、大瀧さんのことが頭から離れることはないんですが、暮れは特に。

大瀧さんといえば、長らく順番にずっと聴き続けてきた新春放談が、今朝、いよいよ最後の最後、2011年1月9日放送分まで辿り着きました。当時まさか、これが最後の放送になるなんてだれが想像しただろう。達郎さんも何度か大瀧さん、体調良さそうですね、とか言ってましたし。収録されたのは2010年の暮れでしょうから、この3年後に65歳で亡くなるなんて。考えたら来年僕も、その65歳になってしまいます。


そういえば、何年かぶりかに新春放談を通して聴くきっかけになったのは、大瀧さんが語ったはずの何かの言葉を探すためでした。おそらくは1988年頃だろうと思ってそのあたりから聴き始めたけどなかなか見つからないうちに、いつしかどんな言葉を探してたんだかも忘れてしまったという。

ただ、その後、やはり、例のカンツォーネがらみの話を書いていた時に別の年に語られたはずの言葉を思い出したんですが、それはつい最近、ようやく見つけることができました。ちょっと予期せぬ内容だったので、明日ぐらいに書く予定にしています。


さて、今年はブライアン・ウィルソンが亡くなりましたね。ブライアンの場合は心の準備はできていたつもり…、でしたがやっぱり相当にショックでした。

そのブライアンの大ファンである村上さんが村上RADIOでなかなか特集をしないでやきもきしていたんですが、今年最後の今夜の放送、満を持してブライアンの特集をします。どんな曲がかかって、村上さんがどんな言葉を語るのか、楽しみで仕方ないです。

ちなみに番組の告知によれば、かかるのはビーチ・ボーイズ時代の曲ではなくどうやら彼のソロ時代の曲のよう。

ブライアンのソロといえば、5年ほど前だったか、彼のソロ時代の好きな曲を集めてこんなCDを作りました。

12月の暮れになると…、そして待ち望んだブライアン特集_a0285828_14073624.jpeg

全部で24曲。さてこのうちの何曲かかるやら。15曲くらいはかぶるんじゃないかと。

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# by hinaseno | 2025-12-28 14:08 | ナイアガラ | Comments(0)

くまはどのように年を越すのだろう?


その頃は冬眠してるに決まってるじゃん、という人のためにおすすめの絵本があります。

それは高橋和枝さんの『くまのこのとしこし』。

くまのかぞくのとしこし、から、くまのかぞくととしこし、に_a0285828_16554590.jpeg

くまのこが初めて”らいねん”というものを意識する話。ある日、「もう すぐ ことしも おわりだね」というくまのおとうさんの言葉を聞き、くまのこがびっくりするところから物語は始まります。くまのこは”らいねん”というのがよくわからないまま、おとうさんやおかあさんを手伝ってそうじや片付けをしたり、おせちりょうりのために買い物に行ったり…。とても冬眠する暇なんかありません。

で、いよいよ”らいねん”がやってくるんですが…さてさて。


この『くまのこのとしこし』は、たぶん高橋和枝さんの絵本でいちばん読んだ回数が多いはず。買ってから毎年読んでいるし、毎年2~3回は読み返しているし。なんかいいんですよね。実は年末年始はあまり好きではなかったんですが、この本で”としこし”の時期の忙しない気分を吹き飛ばしてもらっています。


ところで奥付けを見たら、この本が出版されたのは2010年11月。でも僕が持っているのは2015年に出た第5刷のもの。

そうか、ちょうど10年前の2015年に買ったんだ! と。

実は10日ほど前からこのかぞくとは別のくまのかぞくの年越しのことを考えていました。それはドイツの愛するBear Familyから、まさにその2015年に出たボックスセットのこと。

タイトルは『40!!! Years Bear Family Records』。そう、Bear Familyが自身の40周年を祝って作ったものです。

くまのかぞくのとしこし、から、くまのかぞくととしこし、に_a0285828_16560302.png

Bear Familyが設立されたのは1975年のことで、1995年に20周年の記念ボックスを作って、

くまのかぞくのとしこし、から、くまのかぞくととしこし、に_a0285828_16555696.png

2005年に30周年記念、

くまのかぞくのとしこし、から、くまのかぞくととしこし、に_a0285828_16555845.png

2010年にはなんと35周年記念、

くまのかぞくのとしこし、から、くまのかぞくととしこし、に_a0285828_16560113.png

そして2015年に40周年記念のボックスを作ってきたわけです。自分のレーベルを祝ってこんなボックスを何度も作ってきたのはBear Familyだけでしょう。Bear Familyを愛する人が多いっていう証拠でもあります。


もちろん僕もBear Familyをずっと愛し続けてきた人間なので、これらのボックスが出ていたことはリアルタイムで知っていました。でも、ひとつも持ってはいないんですね。理由は知らないアーティストの曲ばかりだったから。


それはさておき、ふと考えたらレーベルを設立したのが1975年というのは大瀧さんのナイアガラと同じ。そのナイアガラ・レーベルは今年設立50周年を祝していろんなものを出したりイベントをやったりしてたんですが、そういえばBear Familyは今年50周年という切りのいい年なのに記念ボックスを出さなかったんだな、と気づいたのはつい最近のこと。毎年楽しみにしているクリスマスのコンピレーションアルバムは今年はなしで残念に思っていましたが。


その2015年に出た40周年記念ボックスのことですが、ちょっとしたきっかけがあって、それが欲しくなったんですね。ただ限定盤で数も少ないはずだし、出たのが10年前なので入手はかなり難しいだろうなと思ってチェックしていたら、海外のサイトで新品のものが思いのほか安く手に入ることがわかってポチしちゃったわけです。今年1年、クマのことで心を痛め続けていたこともあったので。

ただ、やはり海外からなので到着予定が年明け直後になっていたんですね。そこで『くまのこのとしこし』のことを思い浮かべたわけです。そうか、くまのかぞくのとしこしになっちゃうなと。冬眠しないでちゃんと無事に届いてくれるんだろうかと。

ところがそれがあっというまにクリスマス前に届いちゃったんですね。

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くまのかぞくも冬眠もケガもせず、みな無事で(新品で綺麗な状態でした)。


ということで数日前に書き始めたときのタイトルは「くまのかぞくのとしこし」だったのに、くまのかぞくととしこしってことに、つまりこのボックスを聴きながら年越しができることになりました。

ただ今日はクリスマスなので朝からクリスマスアルバムをいろいろと聴いてはいますが。


そうだくまの冬眠でクリスマスといえば、やはり高橋和枝さんのこの『くまのクリスマス』。

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表紙を開いたところにはこんな言葉が。


「くまのかぞくはとうみんしないでクリスマスをするんですって…」


これが大笑いの結末を迎えちゃうんですね。

こちらはかなり久しぶりに読んだんですが、奥付けを見たらなんと2015年発行。僕の手元にあるのは2015年12月発行の2刷のもの。

おそらく2015年の暮れに姫路のおひさまゆうびん舎さんに行って『くまのこのとしこし』と『くまのクリスマス』をいっしょに買ったんでしょうね。

『くまのこのとしこし』は「季節と行事のよみきかせ絵本」と題されたシリーズのひとつとして出たようなんですが、もしかしたらこれを読み聞かせしていたときに、子供たちから「くまさんは冬眠しないの?」って質問されたという声が高橋さんのところに届いて、それだったらってことで『くまのクリスマス』を描かれたんじゃないかなと想像しちゃいました。


ということで高橋さんの2冊のくまのかぞくの絵本を買った年に出たBear Familyの40周年記念ボックスを聴くのがますます楽しみになってきました。一応明日から聴く予定。

では、メリークリスマス。


# by hinaseno | 2025-12-25 16:58 | 音楽と文学 | Comments(0)