人を惑わす魔物に出会った女の子の話。
雨の中を一台の馬車が走っていました。
それは、王子様の婚約者候補を選ぶための舞踏会へと向かう馬車でした。
華やかなドレスにきらめくダイヤモンドのネックレス。
美しく着飾った姉妹とその両親が乗る馬車は、希望に満ち溢れ、暗い道をひた走ります。
王子様と何を話せばいいかしら。
そんなことを馬車の中で話していたとき、馬車が大きく揺れました。
「きゃあ!」
「何事だ!」
馭者が叫びます。
「盗賊です!」
「なんだとっ!」
「あいつらは、ワタクシがなんとかして撒きます。お気をつけて。揺れますよ!!」
それだけを言うと、馭者は馬の走る速度を上げました。でこぼこの道は大きく揺れています。
「お父様、怖いっ!」
「あぁ、大丈夫だ。しっかりつかまってなさい」
今にも、盗賊が馬車の扉を開けてしまいそう。
馬車の車輪は壊れてとんでいってしまわないだろうか。
長く不安な時間が続きました。
「………」
気付くと雨は止んでいて、馬車もゆっくりとした、いつもの速さに戻っていました。
綺麗に舗装された道に戻ったようです。
「…盗賊は諦めたの…?」
姉のプリムラが顔を上げました。
しかし、馭者はまっすぐ前を見て馬を操るだけで、馬車の中の主に何も言いません。
妹のコーデリアは、そのことが不安でなりませんでした。
どうして、何も言わないのかしら…。
馭者はいつも丁寧で、とても優しい人です。
そんな彼が、無言なのは何か理由があるはずです。
「まぁ! お城に着いたんだわ!!」
プリムラが嬉しそうに叫びました。
そっとカーテンを開けた窓からは、大きく立派なお城が見えました。夜が始まり、まだ月も昇りきっていない暗いなか、たくさんの灯りがつけられ、城だけが浮かび上がって見えます。
「お城に着いたから、盗賊も諦めたのね!」
馬車は、ゆっくりと城の入り口まで進み、ガクンっと止まりました。
「まぁ、乱暴な止めかただこと」
「盗賊から逃げたんだ。やつも疲れたんだろう」
怒るプリムラに両親は言いました。
「…」
でも、コーデリアは思います。
あの人は大丈夫なの?
盗賊から逃げて、怪我をしたのではないか。
お城の召し使いの格好をした人が、馬車の扉を開けました。
「どうぞ、こちらに」
無表情でしたが、仕草は洗練されていて、そして、今までで見たことのないくらいに美しい人でした。
「まぁ!」
プリムラは少しほほを赤らめて、その手に自分の手を預けます。
姉、両親と、馬車を降り、コーデリアもまた馬車を降りました。
「コーデリア! 勝手な行動をしないでちょうだい!」
「…あっ」
コーデリアは馬車から降りると、馭者に声を掛けようと思いました。
しかし、母親の鋭い声に思わず立ち止まります。
「ご、ごめんなさい」
「全く、勝手なことばかり」
「あの…。馭者さんが、怪我をしていたらって」
心配だったの。
そう言うと、母親は顔をしかめました。
「お前は、口答えばかりして」
「何か問題があれば、あいつはちゃんと報告する。お前が心配しても何も意味はないぞ」
二人に言われうつむいていると、馬車は静かに動き出し、そのまま行ってしまいました。
「お父様、お母様。早く行きましょう? せっかくの舞踏会なんですから、怒っていてはいやだわ」
プリムラが声をかけました。
「えぇ、そうね」
「お前も、早く来なさい」
おずおずと、コーデリアも両親の後ろについていきました。
あぁ、またやってしまった。
自分の言動で、みんなの楽しい雰囲気を一気に壊してしまった。
落ち込みながら後をついて歩いていくと、プリムラがまた歓声を上げました。
「なんて素敵なお城なのかしら!」
大きな窓に、草花の装飾の施された柱。
廊下に掲げられた油絵は、食卓のテーブルよりも大きくて、飾られた花は見たことのない物ばかり。
「きっと、ここに住まわれる方も素敵な方なのでしょうね!」
王子の妻になれば、いずれここに自分も住むことができる。
プリムラは小さく微笑みました。
「どうぞ、こちらに。主がお待ちです」
召し使いが数歩進み、大きな扉の前に立ちました。
「えっ」
それに驚いてコーデリアは声を上げました。とても小さな声でしたが、プリムラが振り返ります。
「コーデリア。あなたはまた。もう余計なことは言わないで」
「でも、お姉さま…。おかしい…」
「おかしいのはあなたの態度よ!」
全く、私を怒らせないで。
そう言うと、プリムラは前をむきました。
だから、コーデリアは何も言えなくなってしまいました。
舞踏会なのに、なんでこんなに静かなの?
大きなお城の広い廊下には、使用人の姿しかありませんでした。
馬車だって、自分の家のものしか見ていません。
王子様の婚約者候補を探す大事な舞踏会なのに、他の貴族の姿がないのはおかしなことです。
大きく重そうな扉を、召し使いは片手でいとも簡単に開けました。
扉の向こうは、大広間。
舞踏会を行うにふさわしい広さで、壁も床も全てが綺麗に磨き上げられ、天井に吊るされたシャンデリアは光輝いていました。
そして、大広間の先には、今まで見たことのないほどの大きさのステンドグラス。
星空を模したのでしょう。きれいな藍色に、黄色い星。純白の天馬が空を駆けている絵柄でした。
そのすごさに圧倒されると同時に、やはりどこか恐ろしさをコーデリアは感じました。
不安になって両親の顔を伺い見ると、やはり同じように顔が強ばっています。
なぜなら、他の招待客が誰一人としていないのです。
「ようこそ。我が城へ」
突然、どこからともなくそんな声が聞こえました。大広間に響く大きな声は、歓迎しているというよりも、どこか挑発しているような声です。
コツコツコツ。
誰もいないところから足音が聞こえたと思うと、ふわりと声の主が姿を現しました。
「きゃあ! バケモノ!!」
プリムラが叫んで、父親があわててその口を塞ぎました。
大きなステンドグラスの前。
たくさんの宝石が嵌め込まれた黄金色の美しく豪奢な椅子の前に現れて、その椅子にゆっくりと腰かけたのは、不思議な生き物でした。
肉食獣のような大きな口に、飛び出した太い牙。瞳は金色で、耳は狼のよう。ふさふさとした毛並みは、しかし、所々いびつな長さで、虹色の光沢がある鳥の羽が飛び出ています。
顔はそのような作りでしたが、体は人間のように二足歩行で、服も上等なあつらえのもののようです。
肘掛けに置いた手には、黒い手袋をはめています。
バケモノ、と呼ばれたその生き物は、ニタリと笑いました。
赤く長い舌が見えかくれします。
「いかにも。どちらかと言うとケダモノと呼ばれるが、まぁ、どちらでもよい。それで、おまえたち。このオレの城になんの用だ?」
どこからか歪な金属音がしたかと思うと、あんなにもきれいだったステンドグラスはどろりと溶け始め、シャンデリアは光が弱まり、大広間全体がくすんでしまいました。
そこで、やっとコーデリアたちは自分達の犯した間違いに気付きました。
ここは王様の城などではなく、人ならざるものの城だったのだ、と。
コーデリアの住む大陸には、人外者や魔物と呼ばれる生き物たちが住んでいました。彼らは、自分達の領域から滅多に出ることはありませんでしたが、時折、その領域から出てきては人を惑わし襲うことがありました。
彼らは、人には無いたくさんの不思議な力を持っていましたので、人は彼らに捧げ物をして、その怒りを納めたり、ときには力を借りたりして暮らしていました。
特に聞くのが、恐ろしい獣の顔をした魔物で、彼は人を惑わして遊ぶのが大好きだということは、人間なら誰しもが知っていることでした。
「も、申し訳ございません! 盗賊に追われているうちに、迷い込んでしまったようです!!」
コーデリアの父親が叫ぶように謝ります。
草の生えはじめた床にネズミが一匹、走り去っていきました。
「だろうな。執務室からその様子が見えていた」
同意を得たことで安心したのか、コーデリアの父親は少し声量を控えて続けました。
「誠に申し訳ありませんでした。直ぐに立ち去りますので、どうぞご容赦ください…」
「ならぬ」
短い拒絶は、一切の反論を許さない強さがありました。
「オレの領域をおかした。ここから出たいのならば、ひとつ対価を置いていけ」
これを拒絶出来る人間はいません。
コーデリアの父親は、震えながら訊きました。
「対価、と申しますと…」
「今、お前たちが持っているもので、一番価値のあるものをひとつ」
価値のあるもの…。
コーデリアの父親が呟きました。
今すぐ差し出せる、一番高価なものは馬車でした。
しかし、馬車を手放してしまったら、家に帰ることは出来ません。
次いで高価なものは、プリムラの首に付けられた大きなダイヤモンドのネックレスとおろしたてのドレス。
ドレスの方がいくらか高価だったような気がしたものの、流石にここでドレスを脱ぐことは出来ません。
ふと、椅子に座ってふんぞり返っている男の言葉が気になりました。
価値のあるもの。
高価なものとは、言っていないのだ、と。
彫刻された柱が木に変わり、蔦が絡みはじめたこの場所を薄気味悪く思いながら、考えを巡らせます。
価値とは、人によって違うのです。
人ならざるものである化け物には、その違いがよくわかっていないのかもしれない、コーデリアの父親はそう考えました。
同じとき、コーデリアの母親もそう思ったのでしょう。彼女は、ドレスのスカートの裾を持ち、頭を提げました。
「おそれながら、発言をお許し願いたく存じます」
「なんだ?」
「私どもの価値のあるもの。それは、考えるまでもありません」
「それは?」
「それは、愛しい娘たちです」
「お前っ!」
コーデリアたちの母親は堂々と言いきりました。父親が慌てたような顔をしました。
「それが事実ですもの。嘘は申せません」
「…そうだな」
彼女は続けました。
「特に…、末の娘は十六になりますが、私たちにとってはとてもかわいい存在です。ねぇ、あなた」
「…あぁ。何をさせても器用にこなして、気が利いていて。少しばかり口うるさく余計なこともしますが、そこがまたなんともいとおしく…」
「えぇ。本当に。歌をうたうと小鳥のさえずりのように愛らしいのです」
二人は、末の娘であるコーデリアのことを褒めて称えます。
「おまえたちの価値あるものは、その娘だと?」
その問いに、二人は悲しそうな顔をして頷きました。
「はい。このコーデリアが、私たちの宝物です」
森のような姿になった大広間で、全員の視線を受けて、コーデリアは震えました。
「では、その娘を置いていけ」
冷たい声が、大広間に響きました。
それから三人は、城の召し使いに連れられて大広間を出ていきました。
残されたのは、コーデリア一人。
かわいそうに、うつむいたその顔は青白く、ずっと震えています。
扉が閉じられた音がすると、いきなり大きな風が吹きました。
結った髪がほどけてしまい、コーデリアは顔をあげました。
「…」
天井も失くなってしまった大広間だった森には、先程までいた城の主も召し使いも、誰もいませんでした。
「ヒヒンッ」
馬の鳴き声のような音が聞こえてきて、声のするほうを向くと、そこには純白の天馬。
こちらにおいで。
そう言っているような気がして、天馬のいる明るい道を辿ろうとしたコーデリアでしたが、その先に、両親と姉が乗っている馬車を見つけてしまいました。
コーデリアは、馬車が走り出すのを待ちました。
やがて、コーデリアに気付かない馬車がガラガラと音を立てて走り出して、見えなくなってから、やっとコーデリアは歩き出すことが出来ました。
美しいけれど、ぶかぶかなドレスの裾を持ち上げます。
「…追いかけなかったのか」
「えっ?」
驚いて振り替えると、そこには、一頭の獣がこちらを見ていました。
顔も声も、先程の城の主そのものでしたが、動物のように四つ足で立っていました。
「あなたは、城の主様、ですか?」
「いかにも」
「…ごめんなさい」
コーデリアは小さな声で言いました。
「なぜ、謝る?」
「私、あの人たちが嘘をついているって分かっているのに、黙っていました…」
大きな眼にたくさんの涙を浮かべて、コーデリアは再び謝りました。
「ごめんなさい。私に、価値などありません」
「しかし、あの者たちは、おまえに価値があると言っていたが?」
「ただ、馬車やダイヤモンドのネックレスを失いたくなくて、私を差し出しただけなのです」
「ほう…?」
城の主が面白そうに言いました。
「確かに、あの三人は一度も振り返らずに帰って行ったからな。…意外だったのは、お前がそのことを分かっていたことか」
コーデリアはくしゃりと顔を歪ませます。
人外者は、人にはない力と叡知を持っている。
前にそう教えてもらったとおり、人の小さな嘘や策略など通用しないのでしょう。
「なぜ、あの場で申さなかったのだ? それでなくともお前だって、このケダモノのものになるのは嫌だろう。なぜ、何も言わず、留まったのだ?」
「…怖かったから…」
「今のほうが、余程怖いだろうに」
暗い森のなか、城の主の目が光りました。
小さく唸り声をあげて、大きな爪の生えた足で土を掻きます。
それは、野生の獣が今すぐ襲ってきそうな仕草でした。
しかし、コーデリアは首を振りました。
「いいえ。私が怖いのは、家に帰った後の事です。もしここで私が嫌がって、変わりにお姉さまのネックレスを手放したら、帰ったらお前のせいだと、叱られるでしょう」
もう城の主を見ていられなくて、コーデリアは再びうつむいてしまいました。
涙がポタリと地面に落ちます。
「また怒られて、お腹を空かせて寒い思いをすると思ったら、怖くて体が動かなくなって…」
「…」
城の主は何も返事をしませんでした。きっと、あまりに自分勝手なふるまいに腹が立ったのだろう、そう思いました。
「ごめんなさい。私は自分のために、あなた様を騙しました」
騙されて損をしたのは、この方のほうなのだ。
自分が泣くのは間違っている。
そう思っても、コーデリアは涙が止まりませんでした。
「では、問おう。おまえにとって価値のあるものとは?」
「…さっき両親が言った、愛しい娘ということばでしょうか」
「それが嘘だと分かっているのに?」
「はい」
それは、初めてコーデリアに向けて言われた、ずっとコーデリアが欲しかった言葉でした。だから、その言葉だけを記憶して別れてしまい、その言葉をよすがに生きていこうと思ったのです。
「…お前自身には、価値はないのか?」
先程よりも、優しい声で城の主は訊きました。
「はい」
「なぜ、そう思う」
「…両親も、お姉さまも私にそう言っていましたから」
「両親と姉。それは、俺に嘘をついて欺こうとした人間の事か?」
「…はい」
コーデリアが返事をすると、城の主は首をかしげました。
さらりと、不思議な毛並みが揺れます。
「あの者たちが嘘つきで、このケダモノすらも騙そうと企む醜悪な人間だと分かっていながら、なぜ、お前はあの者たちの言葉を信じるのだ?」
「…?」
「聖者でも正直者でもない人間だと知りながら、なぜ、お前にだけは嘘をついていないと思えるのだ、と訊いている。だいたい、考えても見ろ」
それは、まるで子供の質問のような、無垢な疑問のように言いました。
「お前に服も食事もろくに与えず、慈悲も慈愛もかけぬものだ。果たして、そんなものが、お前に誠実に向き合い、お前の性質を正しく見極められるだろうか」
「…それは、その、…あの」
返事をかえそうとして、
「…」
何も言葉が出てきませんでした。
考えれば、考えるほど分からなくなってしまいました。
すると、城の主はその大きな口をガバリッと開けます。
「はははっ! これは、いい。これは気に入った!」
大きな笑い声は、ビリビリと響き渡ります。
天馬が迷惑そうな顔をして、耳を後ろに倒しました。
「オレは、人の困った顔が大好きなんだ。惑え惑え。もっと、疑え」
ひとしきりゲラゲラと笑うと、城の主は機嫌良く言うのです。
「あぁ。楽しくなりそうだ」
城の主は、コーデリアのもとへゆっくりと歩いてきました。
「では、もっと惑わすためにお前に与えてやろう。山ほどの食事と、誰にも劣らぬ服に、暖かな寝床を。もちろん、慈悲と」
歩いているうちにいつの間にか、二本足で立ち、豪華な服を着ていました。
コーデリアが今まで見た誰よりも背が高く、コーデリアが見上げると、首が痛くなるほどです。
城の主はコーデリアの前までやってくると、滑らかな動きで跪きました。
「…慈愛を」
コーデリアの手をとって、そっと手の甲に口づけをしました。
それは、本当にほんの一瞬のことで、驚くコーデリアが何かを言う前に、城の主はコーデリアの手を離しました。
「全てを得てから、もう一度答えろ。己に価値がないのか否か」
コーデリアの返事を待たず、城の主は命じました。
「ウルリク!」
「はいはい。分かってますよ」
主の背後から出てきた召し使いは、手を叩いて合図を出しました。
「お食事とお部屋の準備ですね。みんな、支度!」
その一言で、森は大広間に戻り、食事が一斉に運び込まれました。
シャンデリアの光の下で、ご馳走はきらきらと輝いて見えました。




