奪われる前に譲ります。ただし罠も仕掛けておきますが。
かつて、アマンダは貴族令嬢であった。
今は違う。
周囲から見れば彼女は平民落ちしたと言っても過言ではないが、しかしアマンダからすれば解放されたのだ。
アマンダには父と母、それから妹がいた。
異父、もしくは異母という意味での妹であったなら諦めもついたが、しかし実際はそんな事もなく両親を同じとした妹。
リリエラという妹は、大層愛らしい娘だった。
アマンダがリリエラの隣に並べばそれだけでリリエラの引き立て役になってしまう程。
だから、だろうか。
両親の愛情がリリエラに傾くのを、アマンダは内心で寂しく思いながらも仕方ない、と思うようになっていったのである。
いずれ家を継ぐのだから、と厳しい教育を受けていたアマンダとは違い、リリエラは自由奔放に過ごす事が許された。勿論、最低限、貴族令嬢として必要な事は学ぶ事になっていたが、それでもアマンダと比べれば彼女は圧倒的に自由だった。
アマンダが許されない我侭も、リリエラであれば許された。
アマンダがどれだけ努力しても、両親にとってそれは当たり前の事で、だがリリエラであればそれはたちまち素晴らしい努力へと変わり称賛される。
アマンダが簡単にできる事も、リリエラが努力して身につけただけで両親は褒めそやした。
アマンダはいずれ家を継ぐのだからできて当然。だがリリエラは違う。
だからアマンダは褒められないが、リリエラは褒められる。
アマンダがそう理解する頃には、もうアマンダは両親からの愛というものを諦めていた。
自分にあるのはいずれ家を継いで当主となる立場のみ。
だが、それでも良かった。
アマンダ宛に贈られたプレゼントをリリエラが欲しがれば両親は譲ってやりなさいと取り上げて、アマンダの手元にはほとんど何も残らなかったとしても。
いずれ家を継げば自分はそこから自由になれると信じていたから。
自分が当主となったなら、両親には別の屋敷を与えてそちらに引っ込んでもらおうと思っていた。
リリエラはきっと、どこかいい家に嫁ぐのだろうからその時には自分の目の前からいなくなる。
もし結婚しないままであったなら両親と一緒に田舎に閉じ込めてしまえばいい。
そんな風に考えて、アマンダはただひたすらその日が訪れるのを待ち望んでいたのである。
リリエラがもう少しアマンダにとっても可愛げのある妹であったなら、そんな風には思わなかった。だがリリエラはアマンダを姉と認識していても実質使用人と同等かそれ以下の何かだと思っている節があった。
だからアマンダの持ち物は勝手に持って行っていいと思っているし、何をしても許されると思っている。
実際両親が許していたのだから、そう思うのも当然と言えばそうなのだが……
それ故にアマンダからすれば、両親と妹は自分にとって邪魔な存在でしかない。
自分をのけ者にしてどこぞへ旅行へ行く途中、馬車が事故に遭うとかして三人ぽっくり死んだとしてもアマンダは悲しむ事はないと断言できるだろう。むしろこっそり祝杯をあげてしまうかもしれない、とも。
アマンダにとっての家族は最早そういった存在に成り下がっていたのである。
そんなアマンダに婚約者ができた。
将来はアマンダが家を継ぐのだから、伴侶は当然婿として迎え入れる事になる。
そんな婚約者は一つ上の家格ではあるものの、四男という家を継ぐでもスペアになるでもない身の上であったから、この婚約に実に乗り気であった。
まぁそうだろう。男と言えども家を継げない以上、将来はどうにかして身を立てなければ平民と似たような暮らしをする事になるかもしれないのだ。
今まで坊ちゃん坊ちゃんと周囲に傅かれて育ってきたなら、平民のような生活はとんでもなく厳しいだろう。
ステファン――というのが婚約者の名である――とアマンダの最初の出会いは悪いものではなかったと思う。
婿入りして自分こそがこの家の当主だ、みたいに立場を勘違いする事もなければ、きちんと妻を支え共に領地を盛り立てていこう、という気概もあった。
何よりステファンはアマンダをきちんと見てくれていた――と。
最初の頃は愚かにもアマンダはそう信じていたのだ。
少しずつお互いの距離を縮めていたはずだった。
しかしそれも、二人の間に割り込んできたリリエラによってぶち壊された。
両親はリリエラを溺愛していたし、あちこち連れ歩いたりもしていたが、しかし年頃の異性が集まるような場所だけは目を光らせて避けていた。故にリリエラが見る機会があった異性は、父の友人であったり母の友人の旦那であったりと、いずれも年上の男性ばかり。
そちらの家に年頃の息子がいる、という話を聞いても両親がそれとなくリリエラと会わせる機会を伸ばしに伸ばしていたのもあって、同じ年頃の異性をリリエラが見かける機会は、精々馬車で移動中外を歩いている平民であるだとか、同じような身分であったとしても馬車での移動中であるから遠目でちらっと、という程のものでしかなかった。
そこに、身近にいる自分と近しい年頃の異性。
リリエラが興味を示すのは、そういう意味では必然であったのかもしれない。
姉と結婚するのなら義兄となる相手。
であれば家族となるのだから、とリリエラはステファンを兄と慕い纏わりついた。
そのせいでアマンダとステファンの二人きりの交流というものは早々に途絶えてしまった。
他の国では成人前の貴族たちが通う学園、という人脈作りに関するものもあると耳にしているが、アマンダが暮らすこの国では存在していても通うのは義務ではなかった。それに通うとしても基本的に男女で分かれているのでアマンダやリリエラが通うとなれば行くのは女学院。どのみち年頃の異性と知り合う機会は少ない。
それもあって余計にリリエラがステファンに興味を持つ事になった……と言えるかもしれない。
身近にもっと大勢リリエラと近しい年齢の男性がいたのであればこうはならなかった――とはアマンダも思えなかった。何故ってこの頃にはリリエラはアマンダからなら何を持っていってもいいと思っていたからだ。
もし仮にリリエラの周囲に大勢の男性がいてリリエラをちやほやしていたとしても、それでもアマンダの婚約者に近づいた可能性は高い。
最初はどこか戸惑った様子のステファンも、何度も続けばその状況に慣れてきたのかリリエラがいて当たり前と思うようになっていったし、そうなればリリエラはアマンダを押しのけてステファンとの会話に興じた。
リリエラの機嫌をとれば彼女の両親もにっこりと満足そうであったので、ステファンも段々これが正しい事のように思っていたのかもしれない。
嫁入り相手ならともかく、自分こそが婿入りするのだから、この家ではこれが当たり前なのだ、と思ってしまってもアマンダはステファンを責められなかった。
一番悪いのはそんな妹を野放しにしている両親だ。
だが、アマンダが両親に何を言ったところで、両親からすればアマンダは娘の一人で、それもリリエラより愛しているかも疑わしい存在。
どれだけ真っ当な事をアマンダが口にしても、何故だかリリエラに嫉妬している、と思われてしまっていたのである。両親を妹にとられて嫉妬した姉、というのが両親から見たアマンダなのかもしれない。
確かに幼い頃はそうだったかもしれないが、しかし今は違う。最早両親からの愛など求めてすらいないのに、両親の中でアマンダはきっといつまでも幼い子供のままで映っているのだろう。もしかしたら、リリエラの事もずっと幼い姿のまま認識しているのかもしれなかった。
使用人たちも両親の意を汲むしかなくなれば、アマンダの立場はどんどん軽んじられていく。そうでなくとも昔の時点でリリエラを優先せよ、とされていては、最早一介の使用人にはどうしようもない。
アマンダが完全に放置されているのならもう少し「差し出がましいようですが……」と口を挟めたかもしれないが、後継者としての教育など必要な事はやっているのもあって、完全放置とも言えない。いずれ家を継ぐ娘とそうではない娘との差である、と言われてしまえば使用人たちができる事は微々たるものでしかなかった。
それでも、とアマンダに寄り添おうとしていた使用人もかつてはいたのだが、それを見たリリエラが機嫌を損ねて両親に言った事でその使用人は暇を出されてしまった。
流石にそんな光景を見てアマンダとて使用人たちに必要以上の無理は言えない。
故に、この家はリリエラを中心として回っていたのだ。
そしてアマンダが薄々想像していた事が起きた。
「ねぇお姉さま、ステファン様を私に頂戴?」
家を継げるわけでもない四男と結婚してリリエラがどうするつもりなのかわからなかった。いずれ、もっと相応しい相手と縁談を結ぶつもりだっただろう両親も、流石に最初は難色を示した。
だが――
「だったら、私がこの家を継ぐわ。そしたらステファン様と結婚できるでしょう?」
馬鹿げている、と思った。
だがその馬鹿げた提案を、両親は名案だとばかりに採用してしまったのである。
馬鹿ばっかりだ。
アマンダは内心でそう思って、既に決定したとばかりに父が言った事で。
更にはそんなバカげた話を聞いてもなんとも思わずあっさりと受け入れたステファンに対しても。
この家の行く末を甘く見すぎている母にも。
愛想が尽きた、と言ってしまえばそれまでだ。
確かにここで、アマンダの中で何かが切れるような音が聞こえたのだから。
跡取りとしての教育を一切受けていないくせに、家を継ぐ?
そしてそれが名案?
何を言っているのだろう。
もしかして私に仕事だけ押し付けるって事?
そんな風に思ったが、確認のために聞いてそうだと返されたらアマンダも流石にその場で凶行に及びそうなので、あえてそこでは何も聞かなかったし言わなかった。
ただ、この時点でアマンダは全てを見捨てる決意をしたのである。
もっとリリエラが外に目を向けていたのなら、ステファンよりも素敵な人が世の中にはたくさんいて、ステファンよりも素敵な人と結婚できたかもしれないのに、両親が娘可愛さで外の世界にあまり触れさせてこなかったから――
両親が妹を甘やかさなければ、こうならなかったと思っている。
しかし両親が妹を厳しく躾けたとしても、こうなっていた可能性はあった。
もしもの話をしたところでそんなものは現実逃避の一つでしかない。
アマンダにとれる手段は限られていた。
アマンダにもっと人脈があって、他に素敵な人がいたのならそちらとリリエラを会わせて彼女の意識をステファンから逸らす、というのもできたかもしれない。
けれど彼女は社交に出る余裕はなかった。いつだって母が連れ歩くのは妹のリリエラで、アマンダは本当に最低限、数える程度しかそういった場に出ていない。
かろうじて友人になれそうな人が数名できたとはいえ、交流だって手紙がほとんどだ。
だからまぁ、リリエラが友人を譲れ、なんて言い出す事はなかったとも思えるがその友人に助けを求めるにしても、彼女たちとて困るだろう。
今からリリエラに常識を説いたところで両親がそれを阻止するだろう事は明らかで、であればこのままではアマンダは間違いなく跡継ぎになるどころか面倒な仕事ばかりを押し付けられてそれら全ての功績をリリエラに献上する奴隷のような立場になる。そんな風に言えばリリエラや両親はアマンダを奴隷だなんて思っていない、というかもしれないが、しかし事実上の奴隷である。
仕事で雇われているなら給金を支払われるかもしれないが、リリエラや両親は間違いなく家族なんだから、と言って使い潰すに違いないのだ。
そういう事をやる、と思わせるだけの関係しか築いてこなかった。
いくら自分を産み育ててくれた両親と言え、血を分けた妹とはいえ、最早あの三人はアマンダにとって自分の人生を食い潰すだけの寄生虫でしかなかったのだ。
いっそあの三人を殺してしまえば……
そんな物騒な思考が出てきてしまうが、しかしあの三人のために自分の手を汚したくもなかった。
そんな事で自分が罪人になるだなんて、冗談ではなかったのだ。
あの三人を見捨てる事を決めたとはいえ、しかしどうするのが最適なのか。
自分にとってどうするのが最善であるのか。
答えは出ないまま、アマンダはいい方法はないかと模索しているところであった。
あまり時間はかけられない。
まだ完全に全てが決定されているわけではないが、いずれ決定される。
家の跡継ぎがアマンダからリリエラになる事も。
ステファンの婚約者がアマンダからリリエラに変わる事も。
正式な手続きはまだ終わっていないが、いずれそうなるのは既に彼らの中では決められてしまった事で、アマンダ一人が声を上げたからどうにかなるものではない。
もっと上の――それこそ王家がこの交代劇に何やら不信感を持って待ったをかければ時間稼ぎにはなるかもしれないが、そもそもあまり社交に参加できていないアマンダと、母と共にそこそこの社交に参加しているリリエラとでは、印象操作だっていくらでもやりようがあるのだろう。
であれば、姉である自分が後継者となるには問題が、なんて適当にでっちあげてしまえば、あとはそう手間取る事なくリリエラが望むように全てを手に入れる事になるのだろう。
そうなるまでにメッキが剝がれなければいいだけの話なのだ。要するに。
考えれば考えるだけ馬鹿げているとしか言えない事態に、アマンダはますます家族に対しての苛立ちを募らせていく。
逃げ出そうにも、いずれは連れ戻される可能性が高い。
完璧に逃げ出すにしても、そのための準備をするには残された時間はそうないだろう。
考えれば考えるだけ自分の状況は詰んでいるとしか言えなくて。
せめてもっと早くに行動に移っていたのなら……! そう思っても、どうしようもなかった。
「…………あら? 何かしらこれ」
どうにか法律の抜け道とか駆使して逃げ切れる展開にならないかしら、と藁にも縋る勢いでアマンダは書斎で本を漁っていた。
時刻は深夜。真夜中と言ってもいい。
正直この時間に起きている者などほとんどいない。だが他に起きている者がいる時は、なんだかんだ邪魔が入る可能性が高いので睡眠時間を削ってでも今がチャンスとしか言いようがないのだ。
かといって、この時間帯に屋敷を抜け出してどこかに行くにしても準備が足りていないし、下手をすれば夜道で怪我をする可能性も高く、更にはこういった時間に活動する後ろ暗い連中と遭遇するような事も考えればその場のノリと勢いで飛び出す勇気はアマンダにはなかった。
勿論、本当に後がないくらい追い詰められたら破れかぶれでその選択をするかもしれないが、今はまだ他に何か方法があるかもしれないと思いたいからこそこうして書斎にこもっている。
そんなアマンダがふと見つけた一冊の本。
装丁がやけに重厚で、しかしタイトルが表紙にないそれは、一瞬誰かの日記かと思ったくらいだ。
……もしかして、お父様が? なんて思ったものの、流石に父も日記をこんな誰の目に触れるかもわからない書斎に無造作に置いたりはしないだろう。
ご先祖様の遺した手記、の方がありそうだわ……なんて思いながらも、とりあえずアマンダは本を開いた。
今その余裕があるかと問われると激しく微妙ではあるけれど、いっそ先祖の遺した情報に自分にとって有利に使えそうな手札がないかと、一族の恥みたいなネタでもこの際利用できるならしてやろうと、そんな気持ちだったのだ。
ところがその本は別に先祖が遺した手記でもなかった。
それよりももっととんでもない――
「いやまさか、こんな方法で悪魔なんて召喚できるはず――」
「我を呼んだか」
「うわでた」
荒唐無稽。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
そんな、笑い話にもならないような書物。悪魔召喚の書。
数ページパラパラ捲ってその内容に思わず鼻で嗤いながらも、アマンダはこんなんで悪魔が出てきたら苦労しないし世話もないわ……と思っていたのだ。本心から。
それでも、そこまで難しい方法ではなかったし、丁度時刻も呼び出すのにいい感じだったのもあって、絶対ないとは思うけど、まぁ物は試しに……なんて実践してみたに過ぎない。
絶対何もないと確信して。
そうして何事もないまま数秒無駄に沈黙し、それから溜息とともに「馬鹿な事に時間を使ったわ……」なんて呟いてまた作業に戻るつもりだったのだ。
ところがそんなアマンダの予想を裏切って悪魔は現れた。
黒い稲光と共に、だとか、地獄の蓋が開いたかのような重圧な空気と共に、なんて事もなく突然アマンダの目の前ににゅっと。
思っていたのと違う登場シーンだったのもあって、ビックリはしたものの悲鳴を上げるまでには至らなかった。
「で、我を呼んだという事は願いがあると思うのだが」
呼ばれた悪魔は御大層な前置きも何もなく、するっと本題に入る。
「生憎永遠の命とかそういうのは無理だぞ。不老不死とか絶対無理。限りなく老化を遅らせて不老に見せるくらいは可能だがいずれは死ぬ」
「あ、いえそういうの望んでないんで」
令嬢にあるまじきフランクな口調だが、最早アマンダはなりふり構っていられないのだ。
そうでなくとも時刻は深夜。対人向けの――それこそ社交に出た時のように取り繕うつもりもない。
「では富か」
「いいえ」
「男か」
「生憎といりません」
「じゃあなんだ。今まで我を呼んだ相手の望みの傾向からしてそういうのかと思ったのに。酒池肉林とかわかりやすくて願いを手っ取り早く叶えられるからこっちもそれはそれで楽なんだが」
「もしかしなくてもさてはやる気があまりありませんね?」
「こっちもビジネスなんでな。サクッと相手の願いを叶えて代償に魂回収するわけだから、願いはなるべくわかりやすい方が楽でいい」
「魂を……回収」
「勿論。出張費込みなんで願いがなくても回収するが」
――呼び出された悪魔はそう言えば人間が願いを口にする事をよく理解していた。
ただ呼ばれただけなら別にそのまま戻っても良いのだが、呼ばれ損だし無駄足となれば自分にとって損しかない。出張費程度なら魂を回収するまではいかないのだが、あえて誤解を招くように言えば大抵の人間は呼び出しただけで死にたくはない、とばかりに死ぬ前に最後の贅沢とばかりに願いを口にする。
まぁ、出張費だけなら魂ではなく精々相手の寿命数年分くらいだろうか。
しかし寿命数年と魂まるごとならやはり魂を回収した方が効率が良い。
こんなド深夜にわざわざ悪魔なんて呼び出すような奴だ。一切の欲がないなんて有り得ない。
勿論中には冗談でやってみた、なんてのもいるけれど、しかしそういう人間だって悪魔が現れ願いを叶えると言えば、降って湧いたような話に飛びつくのだ。
「魂は、いつくらいに回収されるの? 不老を願った相手がいたとして、いずれ死ぬって事は数年は生きていられるって事?」
確認するように問うてきた娘に、悪魔は「基本的には寿命が尽きた後、もしくは事故・病気などで死んだ後」と答えた。願いを叶えたよー、じゃあすぐ魂引っこ抜くよー、ずぼー。だと色々と問題があるのだ。
一時期何故か人間たちの間で悪魔召喚が流行った年があった。
勿論大っぴらに、などではない。だが時の権力者などが己の欲望を肥大化させ尽きぬ願いを叶えるためには最早人ならざるモノに頼るしかないと、オカルトに手を出す事が増えたのだ。
勿論正式で真っ当な方法ではないので、そんな事に手を染めた者たちは話題に出さない。隠れてこっそりやるのだ。
だが、その隠れてこっそり、が何故か一時期流行のようにそれぞれの家庭で行われた事があった。
悪魔を呼ぶ方法はいくつかあるが、そのどれもが必ずしも成功するわけではない。失敗したところも相当数存在している。
だがしかし、それと同じくらい成功もしていた。
ともあれ、そうして召喚に成功し願いを叶えた直後に魂を回収するとなるとどうなるか。
一気に人が死ぬ。それも前日まで元気だった人が突然死ぬので何らかの流行病を疑われたり、それ以外の可能性も疑われる。
そうなるとどうなるか。人間たちは当然その死の真相を調べるだろうし、結果としてそういった者たちが悪魔召喚をしていた疑いが出るかもしれない。まぁ、人間たちの間で悪魔召喚があったかどうかが明らかになるのはどうでもいいのだ。悪魔側としては。
問題は、そんな風に一斉に寿命を無視して相手の魂を回収して大量に人が死ぬようになると、上がうるさいのである。悪魔同士のいざこざで済めばいいが、下手をすると天界から天使が出張ってくる。そうなるとどちゃくそ面倒。
なので基本は契約者が死んだ後の魂を回収する事になっている。
その時なら魂を回収しても天界も文句は言えないのだ。既に願いを叶えた以上、魂は対価。持っていくなは通用しない。
まぁここら辺は天界と魔界の決まり事が色々あるというだけの話だ。
流石に悪魔たちも大々的に召喚されたらお願い事叶えるよー、対価は死んだ後の魂だよー、と喧伝しない。あくまでひっそりこっそり。暗黙の了解としてやってるうちは、天界もしゃしゃり出てこないので。
悪魔召喚の書だって普段はあまり目立つ場所にないのだ。心から必要としている相手にのみ見えるように魔法がかけられている。
なのでとりあえず召喚した娘にある程度できる事できない事など基本的な事を伝えれば、娘はぐっ、と眉間に皺を寄せて考え――込んだのは数秒だった。
「自由が欲しいの」
「自由? またあやふやなものを」
権力とか金とか女とか男とか。
そういったわかりやすいものであるなら簡単な話なのだが、しかしそれ以外だと願いを叶える側も中々に面倒なので悪魔は思わず顔をしかめた。
肉体的な自由なのか精神的な自由なのか。そこ履き違えてやらかすと、魂回収した後のクレームがそれはもう酷いのだ。こっちが意図的に誤解を招く表現を使う事も確かにあるが、しかしそれを自分の都合のいいように捉えて契約した後で話が違うとか言われても、こっちはそのつもりでしたし……としかならない。
だがそれでもしつこくクレームを入れられると折角回収した魂をその場で握りつぶしたくなるので、そうなるとこちらも損でしかないのだ。
だからこそ、なるべく相手の願いに沿うようにするけれど、相手の思うがまま、というのはどうあっても難しい。一切の誤解なくこちらに願いを完璧に伝えられるのならまだしも、そうではないのでどうしたって多少の齟齬は存在する。相手の伝える力とこちらの理解する能力が同じであるとは限らないわけで。
なので悪魔としては面倒なの引いちまったなー、と思っているが、呼ばれた以上話を聞くしかない。そうしないと相手の願いを叶えられないので。
適当に騙して魂を回収しちゃうと、後からその話がどこかに漏れた場合もれなく天使たちがやってくるのでそれは避けたいのだ。あいつらお綺麗な顔でそこらのヤクザよりえげつないから。魔界でエレガントマフィアやロイヤルヤンキーって言葉は天使たちを意味する。正直向こうの方が人間に辛辣なのに、それでも何故か人間界では天使たちの方が人気なのだ。信仰されてる意味がわからない。
ともあれ悪魔は自分を呼んだ娘の話に耳を傾けた。
どしたん話聞くよ? そんなノリで。
そして思ったのだ。
あれこれ、面倒なの引いたと思ったけどもしかしてとんでもなく美味しい案件では? と。
娘――アマンダと名乗った――は堰を切ったように生い立ちを話した。
いずれ家を継ぐのだからと厳しく教育された自分と、反対にただひたすらに愛でられなんでも自由にさせていた妹。自分の持ち物を奪われるような事になっても、いずれこの家を継ぐのは自分なのだから……と耐えていたというのに、婚約者を奪われた挙句次の当主の座ですら奪われ、このままでは自分は当主としての仕事など何一つできない妹の代わりに仕事だけをさせられて、一生を妹の奴隷として生きていく事になるかもしれない。
そんなのは絶対にごめんだし、かといって家を出ようにも行くアテも特にない。外に出たとしても平民として暮らしていけるかもわからないが、何より連れ戻される可能性もある。
婚約者との事に関してはもうどうでもいい、あの人も妹を選んだから。
でも、他の何でもない。自分だけは奪われたくはない。
そう語るアマンダの目には、明らかな家族への憎悪があった。
悪魔は思った。
まぁそりゃそうなるよな、と。
たとえいいように使われていたとしても、それが期間限定のもので終わりが見えているのであればまだ頑張る事もできよう。生まれが奴隷で最初からずっとそうだった、というのなら希望もないままただひたすらにそれを当たり前として受け入れていたかもしれない。
けれど今悪魔の目の前にいる娘は仮にも貴族だ。
身分としてはそこまで高い方ではないようだが、それでも貴族として生まれ育ち、家族に踏みにじられ続けていてもいずれは……と終わりがあったからこそ耐え続けてきたのだ。
けれどその終わりが突然取り上げられたのだ。
そしてアマンダからすれば今後一生妹の奴隷として働き続けろと言われたも同然。
わかるわかる、自分だったらそいつらぶち殺してるわ、と悪魔は思わず共感してしまった程だ。
せめて、アマンダの立場とかもうちょっと家族も考えれば彼女も彼女なりに落としどころのようなものがあったかもしれない。
けれどもアマンダの両親は娘が親の言う事に逆らうなどあり得ないと思っているようだし、妹は姉を便利なもの扱いしている。
アマンダがこの家に長年仕えている一族の生まれであったのなら、そういうものとして受け入れていたかもしれないが、そうではないのだ。
アマンダだけが家族にとって便利に利用され続けている。
終わりが見えていたからこそそれまでは、と耐え続けていた忍耐力も、しかし限界が訪れてしまった。
だから、とアマンダは言う。
「願いというのなら、私は自由が欲しい。
もうこんな家うんざり。冷静に考えたら私が当主になったところで、社交に出たら一体どんな噂が蔓延ってるかわかったものじゃないし、それなら平民として暮らした方がきっとマシ。
だから、そうね。私の願いは――」
アマンダがとても小さな声で願いを口にする。
普通の人間ならきっと聞き取れずに「何?」「もう一回言って?」などと聞き返したかもしれない。
しかし悪魔の耳にはハッキリと届いた。
願い。渇望。祈り。
自由を得るためのそれを、悪魔は確かに――
「その願い、確かに聞き届けよう」
まるで真っ暗闇にひっそりと浮かぶ三日月のように唇を歪ませて、悪魔はしかと応えたのである。
――かくして、アマンダは平民となった。
貴族令嬢だったアマンダはもういない。いるのは平民で、家名ももたないただのアマンダである。
かつて暮らしていた屋敷から出て、遠い――それこそ生まれ育った国から遠くの、彼女にとっては未知の土地で暮らすようになった。
使用人たちのほとんどがリリエラについていたから、多少の事は自分でもできる自信があったけれど、しかし平民として暮らすには足りないものが多すぎた。
けれどもそれについては、親切なアフターフォローによってどうにかなっているといったところだ。
今のアマンダには、頼りになる夫がいる。
その夫は、アマンダが召喚した悪魔だ。
彼はしれっと人間に姿を変えて、そうして平民生活に不慣れなアマンダのフォローをしている。本来ならそこまでしてやる義理はないのだが、しかし貰える報酬が多いので。
それならこれくらいはオマケして当然だろうと判断した結果であった。
このままでは本当に何もかもを奪われると思ったアマンダは、悪魔に願いを口にした後、そのまま書類を作り始めた。
黙っていても父が確実に作成したであろう書類。
アマンダからリリエラへ婚約者を変更するためのものだとか、次の後継者をアマンダからリリエラに変えるためのものだとか。
それを先んじてアマンダは自ら作ったのだ。
奪われる前に自分から譲る形で。
そしてその書類にはアマンダが得るはずだった権利をリリエラへ譲渡すると記してあった。
婚約者ステファンとの結婚も、あの家の当主としての座も。
両親や妹からすれば、余計な手間が省けたとしか思わないだろう。
書類だけを残して、アマンダはそのまま悪魔に連れられ家を出た。
誰にも見られる事なくひっそりと。
故に、周囲は彼女が出奔したと思うだろう。
アマンダという便利な道具が消えたあの家はきっとアマンダを探すだろうけれど、悪魔が直々に連れ去ったのだ。見つかるはずもない。
それこそ彼らに天使や他の悪魔が手を貸すような事があれば見つかる可能性もあるけれど、しかしその可能性はないだろうと悪魔とて判断している。
アマンダがリリエラへ譲る権利の中には、書類に記されていないが悪魔との契約に関しても含まれている。
つまりは、リリエラが死んだ後、彼女の魂は天国の門を通る事もなければ地獄の門を通るでもなく、アマンダが召喚した悪魔の報酬として回収されるのである。
それを回避する方法はただ一つ。
アマンダが作成した権利譲渡の書類を提出しない事。
書類の提出先は悪魔ではなく国だが、悪魔にそれは関係がない。
権利を譲り受けた時点で悪魔との契約もそうだとなるのだ。それをリリエラや両親が知らなくとも。
リリエラが死後魂を悪魔に回収されないためには、アマンダが残していった譲渡の書類を提出しない事こそが重要となる。
だが間違いなく両親はその書類を手間が省けたと然るべき機関へ提出するだろう。アマンダが残していった書類は不備などない完璧なものだったのだから、わざわざ両親が新たに書き直して、なんて事もしないとアマンダは理解している。
もし父がアマンダの書いた書類ではなく自分が書いた書類を提出するとなったとしても、そもそもアマンダ本人がいないのだからサインを記すためにはアマンダの筆跡に似せて偽装するしかない。であれば、そんな面倒な事をするよりも最初からアマンダの直筆のサインが記された書類を使う方が手間が省ける。
故に間違いなく両親とリリエラはアマンダの置いていった書類にサインをして提出する。
その書類に、そうとわからないようリリエラだけではなく両親の魂も死後悪魔が回収する事になるような文面を紛れ込ませているなんて思いもしないまま。
そうしてから、いなくなったアマンダを探すだろう事も想定内だが、そこは悪魔が力を貸してくれたので見つかって連れ戻される事はないと踏んでいる。
流石の両親とリリエラも、海を越えた遠い国までアマンダを探すための人を派遣するなどしないだろうから。
今すぐに死ぬわけではない。ただ、死んだ後魂を回収されてしまうだけだ。
アマンダは魂を回収してどうするのかと、事前に問うてはいた。
それに対する悪魔の答えはざっくばらんだった。
食べる奴もいるし、コレクションする奴もいる。あとは何かの研究材料にしたり、道具みたいに使ったり。ま、色々だな。ただ、そうなれば輪廻から外れるから、来世に期待ってのだけは確実にできない。
それが悪魔の返答である。
生まれ変わる事がない、と言われてもアマンダにはピンとこなかった。
前世があると言われてもアマンダにはその記憶がないのだから、来世の事とか今言われても……という気持ちでしかないのだ。生まれ変わってもまた同じ自分になるというわけでもなく、その時にはアマンダだった時の事など忘れて別の人間としての生を歩むのであるのなら。
アマンダにとってそれは見知らぬ他人である。
そんな来世に期待をかけるくらいなら、悪魔に魂を売り渡してでも今をどうにかしたい。
来世で幸せになれるよ、なんて言われたって、その時のその人はアマンダではない。その時のために今不幸でいる事を許容しろと言われたところで納得できるはずがないのだ。
アマンダにとって家族は既にいらないものに成り下がった。
死ねばいいのにとは今でも思っている。
だからこそ巧妙に彼らの死後の魂を悪魔に回収させるよう仕組んだのだから。
けれども今すぐ死ねとならないのは、こうして無事に脱出できたからに他ならない。
もしあのままあの家でリリエラのための奴隷のように酷使され続けていたのなら、いずれ我慢の限界に達して皆が寝静まった後で家に火を放っていたかもしれないが、別にそんな事もしないで、着の身着のまま家の財産を持ち逃げするでもなく出ていったのだ。
アマンダがいなくなっただけ。
家族にとって一番軽んじていた相手がいなくなっただけ。
家そのものにアマンダが傷をつけるような事もなく、大人しく出ていっただけでしかないのだ。
……もっとも、アマンダがいなくなった以上、あの家の跡継ぎになったリリエラは当主としての仕事をアマンダに押し付ける事はできなくなったし、リリエラと結婚するしかないステファンもリリエラを支えるために相当な苦労をする事になるかもしれない。でもまぁ、それが嫌ならアマンダ同様に何もかもを捨てて平民になる覚悟を持って家を出ていけばいい話だ。
リリエラが当主としての仕事ができないだとか、やりたくないと我侭を口にしたとして、今まで散々甘やかしてきた両親がどうにかすればいい。
今までアマンダに押し付けていたものが全て自分たちに返ってきたとなれば、余裕をなくすかもしれないし、そんな状態で社交に出たとして、もしかしたら何らかの失態を晒すかもしれない。
今までは気楽な立場で楽しんでいた社交もそうなれば針の筵だろう。
……勿論、アマンダがいなくなった以上自分たちがどうにかするしかない、と家族一丸となって努力してそんな事にならない可能性もある。
最初のうちは苦労しても、そのうちそれを乗り越える未来だってあるかもしれない。
だが、アマンダにとってはどちらに転んでも最早どうでも良いのだ。
既に自分は遠く離れた大地にいるのだから。
死んだ後、あの人たちの魂は来世を迎える事ができない。
知らぬ間にそうなっていた、と魂だけの状態になってから気付いて慌てたところで手遅れ。
アマンダの隣で人間の振りをして共に生活をしている悪魔がそんな家族の魂をどうするつもりかは知らない。
だから何となく質問してみれば、彼自身は別に魂を食べるでもなければ、コレクションする趣味もないらしい。
「そうだなー、魂使って実験する奴もいるから、そういうのに高値で売りつけたりとかかなー」
ゆる~い口調で答える悪魔に、もしそうなったら死んだ後にとんでもない恐怖がお届けされるってワケね……と思わず呟いていた。
「ねぇ、それじゃ、私が死んだ後の魂も売っちゃうの?」
「え、何で?」
「だって私が貴方を呼んだもの」
「でもそれも妹に譲渡しただろ」
「あら、それはそれ、これはこれで私の魂も回収するものだとばかり思っていたわ」
「されたいの?」
「しないの?」
脅すように少しばかり低い声で尋ねられても、アマンダは怯まなかった。むしろ即座にそう言い返せば、悪魔は逆に言葉に詰まる。ぐ、と喉から小さな音が鳴る。
「えぇ~? そうだなぁ、売ら……ないかなぁ。趣味ではないけどしばらくは飾っておくのもありかもなぁ」
「飾るの?」
「飽きるまで飾る」
「飽きたら?」
「飽きてから考える。でも売らない」
「そう。でも、もし。
もし、飽きたなら。その時手放すつもりなら、貴方の役に立つように使って頂戴」
その頃には私もきっと満足した後だろうから。
穏やかな笑みを浮かべるアマンダに、悪魔は数秒見入っていた。
「うん、そうする」
少し遅れてそう返せば、きっとよ? なんて笑って言われて。
本当は、手放すにしても天使に渡せば輪廻に戻される事もあるのだけれど。
アマンダに聞かれなければ、そうするつもりもあったのだけれど。
きっと手放さないだろうなぁ……と悪魔は漠然とそんな予感を抱いたのである。
コレクションする奴の気持ちがちょっとだけ理解できた……とは流石に口に出さなかった。
アマンダがいなくなった後の実家は苦労する事になるし空気も最高にギスるしで散々な目に遭うけどそこら辺の苦労は生きてるうちならよくある話だよな、っていう程度の範疇です。本当の地獄はその後です。まさか悪魔に魂売られてるとか思わないので死んだ後には最大級のビックリサプライズが待ってるよ!
死後の家族からすると生きてる時に復讐してくれって感じになってる。
次回短編予告
魔女として日々を過ごしていた女はある日突然前世の記憶を思い出す。
そんな魔女は魔法薬を売って生計を立てていたのだが……
次回 マジカルドラッグにだって副作用はありますとも
むしろマジカルなのでよりエッグイ副作用とかあってもおかしくないわけで。




