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恋愛と結婚はたしかに別物だ、と伯爵令嬢は気付いた

作者: ペンのひと.

 貴族子息のコルネリスは言った。


「ムキになるなよ、恋愛と結婚は別物なんだからさ」と。


 いつものことだ。

 婚約者である伯爵令嬢フィロメナが彼の浮気に表情を曇らせるたび、コルネリスはいかにも面倒くさそうにそう言いわけするのだ。


 自分の浮気はただの遊び、つまり「恋愛」だ。

 お前との「結婚」と混同してはいないんだから、何も問題はないじゃないかと。


 あんまりな言い草だが、ことあるごとにそう言われフィロメナは彼よりも自分の方が間違っているのかもしれないと思い悩んでいた。

 実際、吐いた溜め息は数知れない。


 フィロメナとコルネリスの婚約は、双方の親同士によって取り交わされたものだ。

 コルネリスはエーヴェ伯爵家の三男。

 フィロメナは嫡男のいないルッテ伯爵家の長女。

 家格の釣り合うコルネリスを入り婿としてフィロメナにあてがい、ルッテ家は世継ぎを得る。

 かわりに、エーヴェ家はより裕福なルッテ家から金銭的な後ろ盾を確保。


 貴族間の縁組みとしてはありふれたものだ。

 これはあくまで結婚の話であり、「恋愛とは別物」とするコルネリスの言い分も一理ある。

 要は、たがいの課せられた役割を果たして夫婦にさえなればいいのだから。


 十八歳の令息コルネリスが恋する相手は、フィロメナではなかった。

 貴族学園の同級に、それにふさわしい娘が他にいたから。

 アニカである。


 アニカは平民の出ながら、魔力の素養を持って魔法科に入学を許された娘だ。

 もっとも三年次現在の成績はまあ並といったところだが、なにしろ彼女は見目が愛くるしく庇護欲を誘う。

 華奢な手足にピンクブロンドのボブ、金色のつぶらな瞳は聖女の証ではないかとさえささやかれている。

 おまけに性格は天真爛漫で、貴族令嬢にありがちなマナー一辺倒の堅苦しさがない。


 そんなわけで、初学年早々にもうコルネリスはアニカを口説いて熱い恋仲となっていたし、一年遅れて歳下のフィロメナが入学してきたことに彼は祝辞を述べることすら忘れたし、己とアニカの卒業間近い今日にいたってなお「恋愛」を止めるつもりはなさそうだ。


 貴族子息の彼にとって恋愛と結婚はまったく別の物で、両立し得るものなのである。 

 

 ――じゃあわたしは、わたしはこれからどうするのかしら……?


 伯爵令嬢フィロメナは思い悩んだ。





 ***





 悩みの答えは、案外ささいなきっかけでもたらされるものだ。


 ある種の悟り、ひらめき。

 それらはたいてい、ふとした瞬間に訪れる。


 ――なるほど、たしかに恋愛と結婚は別物なんだわ。


 フィロメナがそう考えをあらためたのは、私室で進路希望調査票を書こうと机に向かった時だった。


 進路希望調査票。

 こんなものは形式に過ぎない。

 貴族学園を卒業した後どうするかなんて、決まりきっているのだから。

 ただこう書けばいい。


 エーヴェ伯爵令息コルネリスと結婚、と。 


 でも。

 書けなかった。

 筆を執る彼女の指先を、これまで感じたこともない強い反発のようなものが押し止めた。


 その時の気持ちを、どう言いあらわせばいいだろう?

 胸の内で、何かが急激に冷えていくような。

 いやむしろ、ジンジンと火傷するほどの熱さのような。

 いっそ泣いてしまいたいのに、もう泣いたってどうにもならないとわかっている自分もいる。


 そして暗い深夜の私室でフィロメナは悟る。


 なるほど、たしかに恋愛と結婚は別物なんだわ、と。





 ***





 ――ドンッ!?


 学園の廊下を急いでいて、フィロメナは鉢合わせに誰かとぶつかった。


 胸もとに抱えていた本や書類がバサバサと床に散らばって、慌ててしゃがみ込む。

 ほとんどが図書館から持ち出してきたばかりのものだが、どれもこれもあまり他人には見られたくない内容ばかりだ。


 婚約破棄・解消指南書。

 王国五法全書。

 婚姻制度徹底ガイド・締結と解除の両面から……。


「た、大変失礼致しました。申し訳ありませんけれど、わたし、少々急ぎますのでこれで」


 ぶつかった相手を見上げる余裕もなく、早口に詫びを言い置き立ち上がるとフィロメナはふたたび廊下を駆けようとした。本と書類の山を抱えて。


「あの、ちょっと待って」


 呼び止める声を無視できるほどの無作法さを、あいにくフィロメナは持ち合わせていない。

 貴族令嬢ならばむしろ当然のことだが。

 振り返る彼女の視界に、法科の制服を着た精悍な体つきの男子が映った。

 さっぱりとした黒の短髪に銀縁眼鏡、淡いエメラルドの瞳。

 遠慮がちにはにかんで彼が言う。


「もしよかったら、お力になれるかも。つまりその、おせっかいじゃなければ」


 それは法科二年生のロドルフ・ハウトスミット辺境伯令息と、いつもまつ毛を伏せがちな普通科二年生のフィロメナ・ルッテ伯爵令嬢が、初めてたがいの目を見合わせた瞬間なのだった。





 ***





 三年生の卒業を祝うパーティーは、学園の中央ホールで行われた。


 お決まりのプログラムはあらかた終わり、すでに会場はくだけた立食の宴に。

 あちこちでグラスをかち合わせる小気味よい音が鳴り、卒業生も在学生も会話に花を咲かせている。

 ステージでは楽団が室内楽を奏で、シャンデリアのきらめきの下でその音色が喧騒と甘く混ざり合ってクルクル回っていた。


「なんだか感動しちゃうな、アニカ。俺たちもとうとう今日で卒業だなんてさ?」

「ええ、ホントね、コルネリス。でもあたし、ちょっぴりこの先が不安だなあ、クスッ」

「バカ言うなよアニカ、俺たちの恋はずっと変わらないさ」


 むろん、貴族子息コルネリスはそのつもりである。

 今日で学籍を離れ、まもなく自分は婿入りをする。

 ルッテ伯爵家の跡取りとして。その見返りに得られる金銭支援は大きい。

 生家エーヴェ家からも感謝されるだろうし、自分も金回りは良くなるはずだ。

 

 アニカとの恋愛も前途は洋々。

 まだまだあたためているデートプランはいくつもあるのだ。

 これまで以上に豪華な演出と贈り物で、恋を盛り上げよう。

 自分がこんなにロマンチックな人間だとは、コルネリス自身少し驚きだ。


 それもこれも、天真爛漫で愛くるしいアニカが笑ってくれるお陰。 

 こうして自分の腕にためらいなく胸を押し付けてくる仕草も、他の貴族令嬢がやれば辟易するところだがアニカのそれは素直さと純粋さの証だろう。

 平民娘が少々魔法を使える程度ではなんの食い扶持にもならないだろうから、俺が囲ってやればいい。

 アニカ自身の言うように、まだまだそのうち聖女として覚醒するかもしれないし。


 と、ここにいたるまでコルネリスの頭にかけらも浮かびはしなかった人物が、そっと花をたずさえ慎ましく彼に声をかけた。


「エーヴェ伯爵令息コルネリス様、ご卒業誠に御目出とうございます。どうぞお花を」

「? ああ、なんだ、フィロメナじゃないか。ありがとう」

「わあ、フィロメナちゃん! ありがとう~!」


 色とりどりのガーベラとかすみ草。

 晴れやかでかぐわしく、それでいて品ある花の取り合わせ。


 卒業生カップルは特に悪びれもせず身を寄せ合ったまま花束を受け取る。

 贈り手としてそこに向かいたたずむフィロメナも、いまさらそんなことは気にかけるつもりもないが。

 ともかく礼儀として、社交的な雰囲気をたもって要件を告げる。


「――それで、コルネリス様。()()()()の件ではエーヴェ家へも大変なお手間を掛けてしまいました。御陰様ですべての手続きが問題なく完了致しましたこと、一言どうしても感謝を申し上げたくて」

「…………え?」


 コルネリスが花から顔を上げた。

 その間延びした表情に、おそらく思考はまだ追い付いていない。

 

「なんの話だ、フィロ……メナ?」


 なかば惚けたように、コルネリスがこっちを見ている。

 その瞳を、フィロメナもまた本当に久しぶりに覗き込んだ。

 だけどもう、なんの感情も湧いてこない。

 そのことだけが少しショックで内心よろけそうな彼女を、しかし傍に控え支えてくれる者はすでに他にいる。

 ロドルフだ。


 法科の制服を着た精悍な付添い人。

 彼のたくましい手と腕がフィロメナの背中を慎ましくなだめ、後押ししてくれた。

 だからこうしていられるのだ。

 やや斜め後ろに立つ彼が、至極穏やかな落ち着いた声で口添えしてくれる。


「僭越ながら本件の司法手続きをお手伝いさせていただきました、ロドルフです。法科の二年ですが、ハウストミット辺境伯家出の法曹としてすでに小さな職務にも就いております。この度のエーヴェ家並びにルッテ家のご縁談がご契約者双方の合意により滞りなく解消されましたことを、コルネリス殿、あなたにもここにご報告致します」


 伝えるべきことはそれで全部だった。 

 いや、厳密に言えば法令上は直接伝える必要すらない。 

 あくまでも礼儀の問題として、フィロメナとロドルフはこの賑やかな場へ来ていた。

 すでに両家の親同士が当事者として承認を済ませた婚約解消合意書の内容について、わざわざ公衆の面前でつまびらかにすることもないだろう。

 が、


「待てっ。ど、どういうことか説明しろよ! フィロメナ」

  

 と、元婚約者コルネリスに食ってかかられればフィロメナも答えないわけにいかない。

 礼儀の問題として。


「あの婚約は、もともと両家の親同士によって取り交わされたもの……。あなたの不実を理由に婚約の解消をわたしが申し出て、この度それが契約者双方の承認を得ました――」


 そう、やってみればただそれだけのことだった。

 取り繕わずに事情を話せば、自分の父母もエーヴェ家の両親も理解を示し、慰め、謝ってさえくれた。

 言いだすことはとても怖かったが、勇気を出してよかったと思う。


 ――大丈夫。婚約まわりの問題というのはややこしく見えるけれど、法的には実際それほど難しくはないんだ。……よければだけど、手伝うよ。


 ……まだ誰にも打ち明けられずにいた悩みをフィロメナが吐き出すと、校舎裏のベンチで泣きじゃくる彼女をロドルフは黙って見守り、それからそう助け舟を出してくれた。


 双方の親との話し合いにも立ち会ってくれたし、司法手続きのいっさいを算段してくれたのもロドルフだ。

 ハウストミット辺境伯家は国防のみならず外交力にも長けた血筋で、その次男ロドルフが学籍を持ちながらすでに法曹としても活躍する身であることは学生よりむしろ大人たちの方がよく知っていた。


 いま淡々と、しかし堂々と婚約解消合意書の内容についてフィロメナは元婚約者コルネリスに告げる。

 それは、頼れる付き添いがいてくれるからでもあった。


「今回の有責は書類上エーヴェ家に付きますが、我がルッテ家としては婚約解消に伴う司法の場での謝罪や慰謝料などはあえて請求しないと決めました。本来は当家からの金銭支援も考えていたわけですし、さすがにあなた一人の過失でそこまではできないと父母も申しておりました。ですから――」


「冗談じゃないわよ! こんなの聞いてない! あたしたちの贅沢な暮らしはどうなるのよ? ねえ、コルネリス!」

「……え? ああ、アニカ。うるさいな、少し黙っててくれないか」


 青ざめた顔で口をハクハクさせていたコルネリスは、自分の肘に胸を押しあてたまま喚きたてるアニカを視界の端にとらえ不快そうにそう呟いた。

 なんだろう、このやかましくて醜くて下品な雌犬は?

 こいつが聖女? まさか。

 いや、そんなことより、とコルネリスは冷や汗をたらし思い直す。


 富豪ルッテの家名を担保代わりに、借り入れはここまで全部でいくらあったろうか?

 たとえば一級の馬と車、一級のペアリング、一級のカップルシートで観る一級の芝居、湖畔に建設中の一級の別荘……。

 ロマンチックな恋愛にはとにかく金がかかるので、今後の分も含めかなりの額をあちこちからすでに前借りしてしまっている。

 だが。


 結婚と恋愛を別物としてちゃんと両立させなければ、俺の人生がご破算になってしまうじゃないか。

 両親だって愛想をつかし、勘当されてもおかしくない残債額だ。いや、当然そうなる。

 あとには、聖女気取りの下品な平民娘と死ぬほど惨めなローン返済生活が待っているだけ――。


 すでに確定した将来を認めたくないのか、あるいは沸き起こる不安と焦燥に耐えきれずか、コルネリスは血の気の引き切った形相でついに怒鳴り声をあげる。

 その矛先は、よく見ればなんだか美しくなった気のするフィロメナに向けられた。


「わかったぞ、フィロメナ! お前、このロドルフとかいう男と恋仲にでもなったんだろう? 自分の浮気を棚に上げ一方的に俺との結婚を取りやめて、あげく今度はそいつと恋愛ごっこか。ハハハ、恋愛と結婚は別物だとはよく言ったものだな――」

「それは違うわ」


 答えるフィロメナの胸の奥で、何かが完全に砕けた。

 ずっと大切にしていたものだ。

 明日もあさっても、やさしく抱きしめていたかったもの。

 けがれがなく、純粋で、キラキラしていてあたたかくて。

 なのにもう二度と取りもどせない。

 だから答える。


「違うわ、コルネリス。――わたしにとっては、あなたへの思いこそが恋だったの。恋愛だったのよ」


 そうだ、それは恋だった。

 親の決めた婚約でも、フィロメナにとっては初めて経験する恋愛だった。

 お茶会、お化粧、贈り物選び……。

 どんなにささやかなことも、ときめきに満ちたかけがえのない思い出。


 見開くフィロメナの目の端から、ほんのひとしずく涙が震えて頬をつたった。

 その涙は、彼女以外の誰から見ても世界一の宝石のように濡れて輝いていた。

 音もなく、たとえ乾いてしまうとわかっていても。





 ***





「――じゃあそれが、パパとママのなれそめなの?」

「違うよ、カトリナ。パパがママに交際を申し込んだのはもっとずっと後だ。だってそうじゃなきゃ、なんだかパパが浮気者みたいじゃないか」


 まだ小さな娘カトリナを肩車して、ロドルフは庭を散策する。

 王立法務院で働きづめのこの男にとって、休日に愛娘と楽しむ会話は他の何にも代えがたい喜びだ。

 仕事の疲れなんか一気に吹き飛ぶ。

 ただ、娘を幼女だと思って舐めていると「なれそめ」なんて言葉を平気で口にするので、時々やや気後れするが。


「恋愛と結婚って、本当に別物なのかしら……ふうむ」

「えっ、カトリナって好きな男の子とかいるの?」

「パパにはないしょ!」 

 

 小さな両手で眼鏡ごと乱暴に目隠しをされて、ロドルフは愛娘を担いだまま異議を唱える。


「君に黙秘権は認めないぞ! この~」


 わき腹を思いきりくすぐってやると、カトリナがキャッキャと笑った。

 目隠しが外れて、ロドルフはふとテラスの方にいる妻の姿を見る。

 カトリナの一つ下の長男坊ファビアンに、妻は水浴びをさせてやっているらしい。

 たしかに今日は少し暑くなりそうだ。


 恋愛と結婚は別物なのか、否か。

 法律バカなだけのロドルフには、これは難問の類だ。

 よって証人喚問に切り替える。


「ねえ、フィロメナ――」


 柔らかく眉根を寄せてこちらを振り向く最愛の妻に、ロドルフは問う。


「いま、どんな気分?」


 フィロメナが一瞬ポカンとして、それから迷いのない笑顔でこう教えてくれる。


「幸せよ」

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