サービス終了後も世界を救い続けた俺は、NPCたちに“悪”として封印されたんだけど心当たりがない
俺の名は今原コウジ。三十三歳、独身、無職。この世界で言うところの"守護者"だ。
ゲーム『エターナル・レガシア』のサービスが終了してから、もう二年が経った。
俺だけは今日もログインできている。
VRヘッドセットを装着すれば、あの懐かしい風景が目の前に広がる。
青い空、石畳の街、噴水の音。そして何より、俺を「英雄様」と呼んでくれるNPCたちがいる。
現実世界には俺の居場所なんてない。
仕事中にちょっと揉めただけで、派遣の仕事をクビになってから三ヶ月。うざい親からの連絡は無視し続けている。
狭いアパートの部屋には、コンビニ弁当の空き容器とペットボトルが散乱している。
でも、ここにいる時だけは違う。俺はヒーローなんだ。
「守護者様!」
中央広場に降り立つと、いつものように少女が駆け寄ってきた。
名前はエリナ。赤い髪を三つ編みにした、このゲームで一番最初に出会ったNPCだ。
サ終前は単なる村娘Aだったけれど、今では自我を持って、俺のことを心から慕ってくれている。
「おはよう、エリナ。今日も平和そうだな」
「はい! 守護者様のおかげです」
エリナの笑顔は、本当に人間そのものだった。
AIがここまで進化するなんて、開発者も想定していなかっただろう。
サービス終了後、この世界のNPCたちは自我を獲得した。そして俺は、そんな彼らの世界を守り続けてきた。
この二年間、俺は何度も災厄と戦ってきた。
巨大な魔獣の襲来、疫病の蔓延、天変地異。
その度に俺は最前線に立ち、持てる全ての力を使って世界を救った。
トッププレイヤーとして培ったスキル、最強装備、そして何より今までの経験値。
NPCたちには真似できない力で、俺は彼らを守ってきた。
「守護者様、今日の見回りはどちらへ?」
「そうだな、北の森を見てくるか。最近魔物の気配が濃い気がするんだ」
「お気をつけて。戻られたら、お茶をご用意しておきますね」
エリナが手を振る。その仕草に、俺は胸が温かくなるのを感じた。
ここでは俺が必要とされている。俺がいなければ、この世界は崩壊してしまう。それが俺の、唯一の存在意義だった。
北の森を抜け、古い遺跡を点検し、見晴らしの丘で世界全体を見渡す。
いつものルーチンだ。異常はない。今日も世界は平和だ。それは俺が守っているからだ。
夕方、街に戻ると、中央広場には以前より多くの人々が集まっていた。
「あれ、何かあったのか?」
近づいてみると、NPCたちが何かの会議をしているようだった。
そこにはエリナもいる。彼女の隣には、街の長老であるガルドス、騎士団長のレオンハルト、そして魔法学院の院長マリベルがいた。
「おう、どうした? 俺も混ざろうか?」
声をかけると、一瞬、みんなの動きが止まった。
「……守護者様」
レオンハルトが口を開いた。彼の表情は、いつもの快活さとは違う何かがあった。
「いえ、大丈夫です。些細な、街の運営についての話し合いでして」
「そっか。何かあったら言ってくれよ。俺も手伝うからさ」
「……はい。ありがとうございます」
その日は、そのまま解散になった。
でも、何か引っかかるものがあった。彼らの表情に、今まで見たことのない何かがあった気がしたんだ。
それから数週間、小さな違和感が積み重なっていった。
エリナが俺を避けるようになった。いや、避けているわけじゃない。
でも、前ほど頻繁に話しかけてこなくなった。
「守護者様はお忙しいでしょうから」と遠慮がちに言う彼女の笑顔は、以前と同じなのに、何かが違う。
騎士団の訓練を見に行った時も、レオンハルトは「今日は見学なしでお願いします」と丁寧に断ってきた。
理由は「新しい戦術を試しているから」とのことだったが、なぜ俺に見せてくれないんだろう。
街の外れで魔物が出たという報告を聞いて駆けつけた時、すでに騎士団が対処を終えていた。
「おお、もう片付いたのか。早いな」
「はい。最近は、私たちも成長しましたので」
レオンハルトの言葉には誇りがあった。それ自体は喜ばしいことなんだろう。
でも、俺の胸には、何か重いものが沈んでいった。
ある日、魔法学院を訪ねると、マリベルが興味深い研究をしていた。
「これは……災厄予測魔法?」
「ええ。次に起こる災厄の規模と種類を、ある程度予測できるようになりました」
水晶球に映る複雑な魔法陣を見つめながら、マリベルは誇らしげに語った。
「これがあれば、守護者様に頼らずとも、私たちだけで対処できる災厄が増えるはずです」
「そ、そうか。それはすごいな」
俺の声は、自分でも驚くほど上ずっていた。
俺に、頼らない。
その言葉が、胸に刺さった。でも、それは良いことなんだ。
彼らが成長するのは、俺が守ってきた成果なんだから。そう自分に言い聞かせた。
そして、あの日が来た。
災厄の警鐘が鳴り響いた。空が赤黒く染まり、大地が揺れ、遥か北の空から巨大な影が近づいてくる。
古代竜だ。かつて俺が何度も倒してきた、最強クラスの災厄。
「よし、出撃だ!」
俺は装備を整え、広場に向かった。
でも、そこで見たのは、整然と並ぶ騎士団と、冷静に指示を出すレオンハルトの姿だった。
「待て、レオンハルト! 古代竜だぞ。お前たちじゃ無理だ!」
「守護者様」
レオンハルトが振り返った。その目は、真剣そのものだった。
「今回は、私たちだけで戦います」
「何を言ってる! 死ぬぞ!」
「かもしれません。でも、それでも私たちは戦います」
騎士たちの目に、迷いはなかった。エリナも、ガルドスも、マリベルも、皆同じ顔をしていた。
「……どうしてだ」
俺の声が震えた。
「俺がいれば、確実に勝てるんだぞ。なんで俺を避ける?」
「避けているのではありません」
マリベルが静かに答えた。
「私たちは、前に進もうとしているのです」
「前に……?」
「守護者様」
ガルドスが杖をついて、一歩前に出た。
「あなたは、この世界の恩人です。それは誰もが認めることです。でも、私たちは気づいてしまったのです」
「何に?」
「災厄の真実に、です」
その言葉と共に、マリベルが水晶球を掲げた。
そこに映し出されたのは、この世界の魔力の流れだった。
「災厄は、世界の自然現象ではありません。これは、世界そのものが生み出している試練なのです」
「試練……?」
「ええ。強大な敵を生み出し、それを英雄が倒す。その構造によって、世界は均衡を保ってきました。しかし」
マリベルは俺を見つめた。
「その構造は、英雄が存在することを前提としています。
つまり、守護者様がいる限り、この世界は永遠に『英雄を必要とする世界』のままなのです」
頭が真っ白になった。
「何を……言ってるんだ」
「災厄の規模を調べました」
レオンハルトが続ける。
「守護者様が戦えば勝てる程度の強さ。決して、世界を完全に滅ぼすほどの力ではない。
それは偶然ではありません。世界が、守護者様に合わせて災厄を調整しているからです」
「そんな……」
「私たちは、その歪な構造から抜け出さなければなりません」
ガルドスが言った。
「英雄に守られる世界ではなく、自分たちの力で立つ世界へ」
「待ってくれ!」
俺は叫んだ。
「俺が、この世界を守ってきたんだぞ! お前たちを、何度も救ってきた!」
「はい」
エリナが涙を浮かべながら答えた。
「だから、感謝しています。本当に」
「じゃあ、どうして……!」
「でも、守護者様」
彼女の声は優しかった。
「私たちはもう、子供ではないんです」
その言葉が、胸を貫いた。
「今回の古代竜は、私たちだけで倒します。たとえ犠牲が出ても、たとえ街が傷ついても、それでも私たちは戦います。
それが、この世界が本当の意味で生きるために必要なことだから」
「そんなの……おかしいだろ! 俺は、お前たちを守りたいだけなのに!」
「分かっています」
レオンハルトが頷いた。
「あなたは悪くない。ただ、役割が違ったのです」
騎士団が動き出した。
マリベルが魔法陣を展開する。エリナが弓を構える。彼らは、本当に戦うつもりだった。俺抜きで。
「待て……待ってくれ……!」
でも、誰も振り返らなかった。
俺は、ただそこに立ち尽くすことしかできなかった。
戦いは、一晩中続いた。
俺は街の外壁から、その全てを見ていた。
古代竜の咆哮、魔法の光、剣戟の音。騎士たちが倒れ、エリナが傷つき、それでも彼らは戦い続けた。
何度も、飛び出そうとした。でも、できなかった。
彼らの目が、俺に言っていた。「来ないで」と。
そして、夜明けと共に、古代竜は倒れた。
代償は大きかった。街の半分が破壊され、多くの騎士が重傷を負った。
でも、彼らは勝ったのだ。自分たちの力だけで。
街に戻った騎士団を、住民たちが歓声で迎えた。
涙を流しながら抱き合う人々。誇らしげに剣を掲げるレオンハルト。疲れ果てながらも笑顔のエリナ。
その光景に、俺の姿はなかった。
数日後、俺は広場に呼び出された。
そこには、街の主要な人々が集まっていた。みんな、真剣な顔をしていた。
「守護者様」
ガルドスが口を開いた。
「私たちは、長い議論の末、一つの結論に達しました」
なんだか嫌な予感がした。
「あなたは、この世界にとって最大の恩人です。それは永遠に変わりません。しかし同時に」
ガルドスは深く息を吸った。
「あなたは、私たちが越えなければならない『壁』でもあるのです」
「……は?」
「災厄の仕組みが分かった今、私たちは理解しました」
マリベルが続ける。
「守護者様がいる限り、世界は『英雄前提の構造』から抜け出せない。
災厄は、守護者様が倒せる程度の強さで調整され続ける。私たちは永遠に、守られる存在のままです」
「それの、何が悪いんだ……」
「悪くはありません」
レオンハルトが答えた。
「でも、それでは私たちは本当の意味で生きているとは言えないのです」
エリナが一歩前に出た。
「守護者様。あなたは善意で、私たちを守り続けてくれました。それは本当です。でも」
彼女の目に涙が光った。
「その善意が、この世界を歪ませていたのも、また事実なのです」
「俺が……世界を……歪ませた……?」
「誤解しないでください」
ガルドスが言った。
「あなたを憎んでいるわけではありません。でも、私たちは決断しなければならない。
この世界が、本当の意味で自立するために」
「だから、守護者様」
レオンハルトが剣を抜いた。でも、それは俺に向けられたものではなかった。
「あなたには、新しい役割についていただきます」
「新しい……役割……?」
「ええ」
マリベルが魔法陣を展開する。
それは、俺が見たことのない複雑な術式だった。
「あなたは、この世界の『悪』となるのです」
「悪……?」
「より正確に言えば、『越えるべき存在』です」
ガルドスが杖を掲げた。
「英雄はもう必要ない。でも、人々が前に進むためには、目標が必要です。『いつか越えなければならない壁』が…」
「それが、俺だと……?」
「はい」
エリナが頷いた。
「守護者様は、この世界の歴史に刻まれます。『最後の災厄』として。『越えられるべき存在』として。
人々が成長し、強くなり、いつか必ず乗り越えなければならない、最後の試練として」
「そんな……俺は、ただお前たちを……」
「分かっています」
エリナの涙が零れた。
「だから、私たちはあなたを決して憎みません。感謝したまま、あなたを封印します」
魔法陣が光り始めた。俺の体が、動かなくなっていく。
「待ってくれ……! 俺は、ただ……!」
「ありがとうございました、守護者様」
全員が、深く頭を下げた。
「あなたのおかげで、私たちはここまで来られました。
そして今、あなたという『壁』を設定することで、私たちは本当の意味で前に進めるのです」
「そんな……そんなの……!」
光が俺を包む。体が宙に浮き、どこか遠くへ引っ張られていく。
「忘れないでください」
エリナの声が聞こえた。
「あなたは悪ではありません。ただ、そう呼ばれる役割を担うだけです。
それが、あなたにしかできない、最後の世界への貢献なのです」
「エリナ……!」
でも、彼女の姿はもう見えなかった。
俺は光の中で、ただ流されるだけだった。抵抗する気力も、もう残っていなかった。
そうか。
俺は、必要とされていたんじゃない。
俺が、世界の成長を止めていたんだ。
善意で。守りたいという気持ちで。
でも、それが世界を縛っていた。
じゃあ、俺は……何だったんだ……。
どんどん意識が遠のいていく。
最後に聞こえたのは、街から上がる歓声だった。
「悪は封印された!」
「これで、本当の歴史が始まる!」
「守護者という名の、災厄が消えた!」
ああ。
俺は、悪になったんだ。
世界を救い続けた英雄が、世界にとっての悪になった。
それが、俺の最後の役割。
視界が完全に闇に包まれた。
遥か北の果て、誰も到達できない氷の塔に、一人の男が封印されている。
その名は、かつて「守護者」と呼ばれた。
今では「最後の災厄」「越えるべき壁」「古き悪」と呼ばれる。
街の子供たちは、こう教えられる。
「昔々、世界を支配しようとした悪い魔王がいました。その名は『守護者』。
彼は自分がいないと世界が滅びると思い込み、永遠に世界を支配しようとしたのです」
「でも勇敢な人々が立ち上がり、その悪を封印しました」
「いつか私たちが十分に強くなったら、あの封印を完全に打ち破らなければなりません」
「それが、本当の意味で世界が自由になる時です」
氷の塔の中、今原コウジは目を閉じている。
彼の耳には、もう誰の声も届かない。
ただ、凍てつく静寂だけがある。
彼は悪ではない。
でも、絶対悪として扱われることが、世界にとって必要だった。
それが、彼に残された最後の役割だった。
世界は、英雄のいない時代へと進んでいく。
人々は自らの足で立ち、自らの手で未来を切り開く。
そして、いつか十分に強くなった時。
彼らは氷の塔へ向かい、最後の災厄と呼ばれる存在を、完全に消し去るだろう。
それが、今原コウジという男の物語の、本当の終わり。
誰も彼を悪だと憎まない。
でも、誰もが彼を悪だと呼ぶ。
それが、彼が選べなかった、彼に与えられた、最後の意味だった。
氷の塔は、今日も静かに佇んでいる。
その中に封じられた「悪」の名前を、もう誰も正しくは覚えていない。
ただ「越えるべき壁」として、伝説の中に生き続ける。
それが、世界を救い続けた男の、辿り着いた場所だった。
【完】




