カモフカブログ

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映画「WEAPONS/ウェポンズ」感想 あの人の目的は…? ※ネタバレあり

映画「WEAPONS/ウェポンズ」の感想です。

夏にアメリカで大ヒットしたホラー作品で、日本では11月28日から劇場公開されています。

 

※ネタバレのある感想です。

 

 

あらすじ

郊外の平穏な町で、ある深夜、17人の子供が失踪するという事件が起こる。

子供たちは学校の同じクラスの生徒で、防犯カメラ映像には子供たちが自ら家を飛び出して暗闇の中へ走ってゆく様子が写っているだけだった。

同じクラスの生徒で唯一失踪しなかったアレックスに事情聴取するも、手掛かりは得られず、警察の捜索もむなしく一か月ほど時間が過ぎる。

クラスの担任教師のジャスティンは、保護者から疑われ糾弾され、嫌がらせを受けたりするようになっていた。

アレックスと話すことも禁止され、教師の仕事も失いそうになったジャスティンは、自ら事件について調べようとするが…

 

感想

得体のしれない不気味さ

冒頭、深夜に子供たちが走ってゆく場面は、得体のしれない不気味さがあります。

両手を広げて走るポーズは無邪気なおふざけ感があったり、音楽は妙に爽やかだったり、異様な状況なのにコミカルさや爽やかさがあるのが、余計に得体のしれない不気味さを引き立てており、一気に引き込まれました。

 

家や夜の町などの描写も、不穏な不気味な空気感があり良かったです。

家の扉が開く時の間とか、そこから出てきたものがゆっくり近づいてくる間とか、本当に嫌な間だなと。

前半の得体のしれない不気味な恐怖が、後半、犯人が判明してからはテイストが変わり、また別の方向の恐怖になるのですが。

前半の雰囲気は、なんとなく「ツイン・ピークス」を連想しました。

 

コメディなのかと

得体のしれない不気味さとともに、ブラックなユーモラスさがあるのも面白かったです。

やはりあの走るポーズにはコミカルさがありますし、世代的に「アラレちゃん走り」を連想してしまいますし。

 

校長があのポーズで走ってくるところは、徐々にあのポーズで近づいてきて、ひたすらあのポーズで遠ざかっていって、最後のタイミングとかギャグなのか?と。

一方で、血まみれで鬼の形相で向かってくるところはやはり恐ろしいですし、恐怖と笑いの紙一重感が何とも言えません。

 

警察官ポールやジャンキーのジェームズのエピソードのあたりは、ブラックコメディ色が強かったと思います。

ジェームズが盗みに入った家で、住人の様子とか不気味な物音とか異様な状況に気づいたのに、それでも盗みは続けるんかい!とか、恐ろしいヤバい状況でもツッコミたくなる滑稽さが秀逸です。

 

各登場人物での視点

本作は、おおむね6人の登場人物の視点ごとに区切られている構成になっています。

担任教師ジャスティンや失踪した子供の父親アーチャーの視点からは、得体のしれない事件の理不尽さに困惑し苦悩し、不穏な不気味な空気を感じながら、自分で何とか調べようとする様子が描かれます。

警察官のポール、ジャンキーのジェームズ、校長のマーカスの視点で段々と事件の核心に近づく構成も成程と、アレックスの視点で種明かしというところからのクライマックスはかなりインパクトがありました。

前半、中盤、後半と、テイストが変化してゆくのも面白いなと。

 

登場人物の視点ごとに構成されているからか、芥川龍之介の「藪の中」という例えをするコメントを見かけましたが、登場人物同士の言い分が矛盾していて真相が分からないということはないので、「藪の中」というのはちょっと違うような気もします。

 

登場人物はクズさもあるが

理不尽で辛い状況に置かれた人物たちが、必ずしも清廉潔白ではない多面的な描かれ方をしていたのも面白いと思いました。

 

ジャスティンは既婚者のポールと不倫したり飲酒運転をしたりとクズな行動もあり、大丈夫かなこの人と思わされます。

ポールに対しても愛情があるわけではなく利用しているように見えますし。

しかし、終盤の描写ではアレックスを心配する気持ちは本物のようであり、教師としては誠実なのではと。

 

アーチャーはジャスティンを糾弾する保護者ですが、深い悲しみに苛まれ必死に子供を探し出そうとしており同情できる人物です。

しかし、明確な描写はないものの、ジャスティンの車へ落書きの嫌がらせをした犯人と思われます。

 

不倫をしたり卑怯な嫌がらせをしたり、そういうクズな行為はよろしくないですが、一方で子供への愛情や誠実さがあるのも事実なのだろうと。

世間ではよろしくない行為のみをあげつらって人格全否定する風潮がありますが。

人間、良い面や悪い面、いろいろな面が混在しているものですし、やはり一面のみで全否定するのもよろしくない行為だなと、そんなことを考えさせられました。

 

事件の犯人や目的は

事件の犯人は、アレックスの家に引っ越してきた親戚の老女・グラディスでした。

グラディスは他人を操る魔術的な力を持っており、要は魔女であると思われます。

その人の持ち物があれば、その人を魂が抜かれた操り人形のような状態にできる。

そして髪の毛があれば操り人形で髪の毛の主を攻撃する、人間兵器を作り出すことができる。

結界的なもので攻撃設定することもできるようですが。

 

序盤から、ジャスティンの車に「WITCH」と落書きがされており、魔女の存在が示唆されていたようです。

というか、アーチャーは夢の中でグラディスの存在を感じ取っていたようにも見えるので、直感的に「WITCH」の落書きをしたということなのかもしれませんが。

 

病気で弱っているからとグラディスを受け入れたアレックスの両親ですが、グラディスの力で魂を抜かれたような状態になります。

両親を人質にとられたアレックスは、クラスメイトの私物を持ってくるように要求され、それを使ってグラディスは子供たちを操りアレックスの家の地下室に集めて監禁していました。

 

グラディスの目的は何だったのかというと、人間の魂とか生気的なものを奪うことで病気を治すため、というか、衰えた肉体に力を取り戻し若返るためだったのかなと解釈しています。

引っ越しの時は髪の毛がなく弱々しい様子だったのが、段々と髪の毛が伸びてきていたようですし。

アレックスは労働力として利用するために、魂を抜かずに日常生活を続けさせたのかと。

 

突飛ではあるが恐ろしい

犯人は魔女で子供たちは魔術で操られていた、というのは、正直突飛でシュールな真相だなとも思いましたが。

しかし、このグラディスという人物、見た目は派手で気さくなおばちゃんというコミカルさ、それが何の躊躇もなく人を傷つけるという冷徹ぶりを見せつけるので、より異様な恐ろしさを感じます。

アレックスの目の前で両親たちを操って傷つける場面も、容赦なさすぎる、残酷すぎるだろと。

 

前半は得体のしれない不気味さが嫌な感じでしたが、真相が分かる部分は、グラディスの冷徹さ残酷さに理不尽な支配環境など、明確な悪意による恐ろしさがありました。

 

アレックスの巻き込まれた状況は理不尽で辛いものですし、現実の事件や問題を連想させられます。

平穏な家庭に異様な人物が入り込んで支配してしまう様子は、黒沢清監督の映画「クリーピー」やそのモチーフとなった実際の事件を思い出してしまいました。

親が洗脳されたような状況は最近改めてニュースになっている宗教二世の問題だったり、食事の世話をさせられるのはヤングケアラーの問題だったり。

自分の欲のために地下室に子供たちを監禁しているのも、現実の猟奇事件を連想してしまいます。

 

力や恐怖で支配して搾取する、抑圧する構図は、現実社会の構図と重なる部分があるように感じますし、やはり理不尽で恐ろしいなと。

 

カオスなクライマックス

そこからのクライマックスは、正直スカッと爽快感がありました。

危機に陥ったアレックスが、グラディスの道具や髪の毛を使って魔術を真似ると、地下室の子供たちは一斉にグラディスを攻撃しにゆき…

理不尽な恐ろしい支配者が子供たちから返り討ちに合う、というのは、やはりスカッとします。

 

子供たちがドアを破壊しながら猪突猛進にグラディスを追いかける、グラディスは必死に逃げ惑う(しかも結構足が速い)、平穏な日常生活を送る人々の家々を走り抜けるその様子も、滑稽でシュール過ぎるし、もはやギャグだろうと。

 

ただ、グラディスは見た目が老人ですし、子供たちも操られた状態ですし、子供たちが老人を捕まえて寄ってたかって…、というグロテスク過ぎる悲惨なオチは、やりすぎ感というか悲哀感というかもあり、なんともやるせないような気持にもなってしまいます。

スカッとしたけど、これはこれでどうなんだと…

 

爽快感あり、滑稽感あり、悲哀感ありの、グロテスク過ぎる結末。

このカオスなごった煮感が何とも言えません。

 

童話、おとぎ話として

最初と最後に子供のナレーションがあり、本作はこの町で2年前に起こったお話であるというように語られます。

最初に、大人たちがこの事件を隠ぺいしたと言っていましたが、この最後の状況を見ると、隠ぺいするのも仕方ないよな…と思ってしまいました。

 

ジャンルとしては魔女ものだったのか、というところで、童話やおとぎ話をイメージさせるこのナレーションも、成程と。

アレックスの視点のエピソードは「ヘンゼルとグレーテル」を連想させられます。

ヘンゼルとグレーテル」も結構残酷な話ですし。

とはいえ、魔女を倒して何もかもハッピーエンド、とならないところがやるせないですが。

 

グラディスの力は解けたものの、アレックスの両親や子供たちは魂が抜けたような状態のまま元には戻らないというのは辛いなと。

現実的な洗脳とか監禁などの被害者の心理をイメージさせられますし。

 

アーチャーも短時間ですが操り人形にされ、グラディスの死後は自我を取り戻していたので、魔術の時間が長かったほど戻りにくいのか。

アレックスの両親と子供からは若返るための生気を奪っていたと思われるので、そのために戻りにくいということなのか。

 

個人的には、このグラディスが本当にアレックスの親戚なのかというところも疑ってしまいます。

他人を操って身分を偽ったりして、「クリーピー」のように、どこかの家庭に入り込んで支配してというのを繰り返しているのではと。

しかし、アレックスがグラディスの魔術を真似て反撃したところは、これはグラディスの血縁者だから可能だったのか?と。

魔女の血縁でなくとも、だれでもあの道具で同じ手順を踏めば使える魔術なのかもしれませんが。

この辺は、魔女とか魔術にはあまり詳しくないのでよく分かりません。

 

日本から見ると、魔女は西洋の童話とかおとぎ話に出てくるもの、海の向こうの遠い存在という気がしますが、アメリカの人からすると地元のおとぎ話に出てくるもっと身近な存在なのかなと思いますし、それでヒットしていた部分もあるのかなと。

 

その他の謎やタイトルの意味

よく分からない謎の部分も残っています。

 

子供たちが一斉に失踪したのがなぜ2:17だったのか。

グラディスが魔術を行った時間がたまたまその時間だったから、と思いましたが、何か意味がある数字なのかもという気もします。

グラディスに囚われていたのが大人2名と子供17名ですが、関係あるのかどうか。

 

アーチャーが見た夢は何だったのか。

アーチャーは夢の中で、2:17という数字と銃器らしきものが空に浮かぶのを見て、グラディスらしきものにも遭遇します。

ジャスティンやジェームスもグラディスの幻影を見ていましたが、これはアレックスの家に近づいたためかと。

アーチャーの場合は、子供を思う執念がグラディスの存在を探知して、男らしい保守的な人物と思われるアーチャーのイメージを通すとグラディスの攻撃的能力が銃器として表現された的なものかと、なんとなく解釈しているのですが。

これもはっきりとは分かりません。

 

タイトルの意味は、アーチャーのイメージのように人間が兵器になるということなのかと。

確かに標的に向かって一直線に走ってゆく様子は、弾丸とか弾道ミサイルをイメージさせられます。

人間は人間を攻撃する兵器である、支配者に操られて人間が兵器になる、大人の教育次第で子供が兵器になる、などという意味合いも考えてしまいます。

 

こういったよく分からない部分もあるので、また考察や解説など見てみたいと思います。

 

最後に

「バーバリアン」のザック・クレッガー監督作でアメリカで大ヒットしていたということで、かなり期待していたのですが、期待を超える面白さでした。

 

面白いので日本でもヒットしたら良いのにと思いますが、どうなのかなと。

こういうブラックユーモア混じりのものは、日本ではそれほど受けないような気もしますので…

 

とりあえず、ワーナー ブラザース ジャパンが配給する最後の洋画作品とのことで、劇場で観ることができて良かったです。

ヒットすることを祈ってます。

 

「SAKAMOTO DAYS」 実写映画化……ですが……

週刊少年ジャンプで連載中の人気漫画「SAKAMOTO DAYS」が実写映画化されるそうです。

 

たまたま単行本で読んでいる作品でしたし、作品内で映画作品オマージュなネタもありますし、実写映画化というニュースにはちょっと期待したのですが。

最初に発表された実写ビジュアルのチープ感から、コメディ重視のコスプレ的な実写映画の方向か?……、もしやアイドル俳優とか使って集客するパターンか?……、もしや福田雄一監督とかか?……、などと不安になりましたが。

 

福田雄一監督作は、「銀魂」「今日から俺は」を少し見たことがありますが、個人的にはあまり合わないなと。

ゆるいダラっとしたコスプレコメディを求めるのなら良いのかも知れませんが。

 

本日、主演・目黒連、監督・福田雄一、とのニュースが発表されて、やっぱりか……と。

以前から、この主演・監督で実写化という噂があったらしいですが、そんな噂があったことは今回のニュースを機に知ったもので。

 

ワンチャン、「ベイビーわるきゅーれ」で日常系のゆるさとアクションのキレを両立している阪元裕吾監督だったら良いな、などと思ったのですが……

 

または、コミック18巻発売時の、伊澤彩織で実写化された「SAKAMOTO DAYS」のショートムービーのような、ああいったアクションを魅せる方向の実写映画化なら、などと思ったのですが……

 

銀魂」とか、そういう方向なのか……と。

まあ、「銀魂」はヒットしていたようで実績がありますし、まあ、若い人はそういうノリが良いのかも知れませんし。

 

「SAKAMOTO DAYS」の作者はかなりのアクション映画好きと見受けられますが、福田雄一監督ということをどう考えているのだろうか、などと思ったりもしてしまいました。

 

ちなみに、アニメ化や実写化の評価が低い場合でも、原作者が好意的な感想を発信していると原作者が認めているからこれで良い、みたいな受け取り方があるようですが。

個人的には、メジャーな人気漫画原作は、出版社や製作会社やタイアップ会社など様々な会社の大規模なお金が動いていてヒットさせようと躍起になっており、仮に原作者がネガティブな感想を抱いていてもそれを公言することは許されない空気なのでは、と思っているので。

原作者が好意的な感想を発信してる、だから原作者が認めてる、というのはあまり鵜呑みにしていません。

 

興味はあるので、観に行くかも知れませんが……

 

文庫版「近畿地方のある場所について」感想 単行本との相違点についての勝手な想像

文庫版「近畿地方のある場所について」の感想です。

単行本が出た時に読んでいましたが、登場人物や内容が異なっているとのことで文庫版も読んでみました。

主に単行本と文庫版の相違点について感じたことと、「ある場所」がどの辺りかという点について書きたいと思います。

 

※ややネタバレのある感想です。

 

あらすじ

ネットの奇妙な書き込みや過去の失踪事件、オカルト雑誌の記事など、一見無関係と思われる様々な出来事には、近畿地方のある場所が何らかのかたちで関わっていた。

その場所についての企画を進めていたオカルト雑誌編集者の小澤は、収集した情報を提示しながら、失踪したオカルトライターの情報を求めるが……

 

感想

まず、単行本で読んでいましたが、様々な媒体のリアリティを感じさせる情報や、淡々とした不穏な語り口、先が気になる奇妙な構成、理不尽な恐怖、段々と核心に近付く流れなど、とても面白かったです。

 

文庫版は、怪異については単行本と基本同じですが、登場人物が異なっていました。

単行本は、語り手・背筋(オカルトライター)、失踪する人物・小沢(若手雑誌編集者、背筋の友人)。

文庫版は、語り手・小澤(雑誌副編集長)、失踪する人物・瀬野(オカルトライター、小澤の旧友)。

文庫版を読み始めた時は、単行本と同じ世界線で別の時期の話かと思って読んでいましたが、インタビューのくだりなどを見ると別の世界線なのかと。

登場人物の関係性や動機も大幅に変わっていますし。

 

内容としては、単行本にあった「石」に関する記述が減らされ、「赤い女」に関する記述が増えているという感じでした。

この「赤い女」に関する記述や登場人物の語りのため、かなり単行本から印象が変わっているなと。

 

個人的には、文庫版の終盤の感傷的な語り口や説明的な記述は、あまり好みではありませんでした。

単行本の淡々とした距離感のある語り口が良いと感じていたので。

単行本を先に読んでいたためかも知れませんが、急に取って付けた設定やエピソードというようにも感じましたし、入れるにしても説明的過ぎないように少しずつ提示するとかの方がいいような気がしました。

 

とは言え、「赤い女」をヤバい人が死んでヤバい怪異になったという消費の仕方だけにせず、そこに至るまでのその人の辛さ苦しさを想像させるという視点はとても大切だと思います。

「赤い女」の部分は単行本でも壮絶でやるせないと感じていましたし、深掘りされたという点は良かったかと。

 

それにしても、単行本からここまで変わっているとは。

印象をがらりと変える結末でしたし、情報部分の記述はほぼ同じにせよ、パート2とかリブートみたいな感じです。

終盤の「赤い女」の部分を、作者は追加で書きたかったということなのかなと。

 

昨今、「行方不明展」など、メンタル的にヤバい人や不幸な出来事をホラーネタとして消費するようなものが人気になっていたりするようですが。

ホラーはそういうものと言われればそうですが、ネタとして消費することが市民権を得すぎているというか。

ホラー界隈はそれほど詳しくないので、あくまで個人的なイメージですが。

「行方不明展」については以前も少し書きましたが、そういうのはちょっとどうかと……

その界隈の人が不謹慎であることを自覚していなかったり、不快感を示す人を馬鹿にしたり、そういう姿勢もどうなのかと。

「行方不明展」は不謹慎? - カモフカブログ

 

おかしな言動の裏には心の問題や辛い体験があるのかもしれない、そういう人も苦しみを抱える一人の人間なのでは、と強く訴えかけるような「赤い女」のエピソードは、ヤバい怖いだけでネタとして消費する界隈へのカウンターなのかも。

著者はそういう界隈の姿勢に懸念を抱いていて、あえて文庫版ではそういった内容に変更したのかも。

と、勝手に想像してしまいました。

 

ついでに、そこから映画「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を連想しました。

「ジョーカー」で暴力的手段を正当化できると解釈・共感した人々に対する懸念から、監督はその解釈・共感を否定するような続編「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を作った、という話があるようなので。

 

壮絶な過去があるヤバい言動の人間をホラーの題材にしているが、ネタとしてのみ消費される風潮に対する懸念から、その風潮を否定するような文庫版を作った、みたいな。

あくまで個人的な勝手な想像です。

 

フェイクドキュメンタリー的作品だったので、知名度も上がってドキュメンタリー感が伝わりにくくなったので文庫版では内容を変えた、みたいなことで、全く関係ないかもしれませんが。

 

「ある場所」はどの辺りか

こういうのは既に考察されているでしょうし今更とは思いますが、自分が読んだ限りでは、兵庫県京都府の境辺りなのかなと考えています。

 

心霊スポットに詳しいわけではないので、その辺りに心霊スポットがあるのかどうかは知りません。

鳥取から日帰りのドライブでその地域の心霊スポットへ行った、国道が通っている、といった記述があったので、鳥取からの国道経路や距離感などで兵庫県京都府の境辺りかと。

奈良、滋賀、和歌山などは遠すぎるだろうと。

兵庫県大阪府の境辺り、京都府大阪府の境辺り、かもしれませんが。

 

「魔法少女山田」感想 ドキュメンタリーとしてどうかと…… ※ネタバレあり

「イシナガキクエを探しています」「飯沼一家に謝罪します」 に続く、テレビ東京のフェイクドキュメンタリーホラー、TXQ FICTIONシリーズ第3弾「魔法少女山田」の感想です。

大阪では多分放送されてないだろうと思いTVerで見ました。

 

※ネタバレのある感想です。

 

tver.jp

 

あらすじ

唄うと死ぬと噂されSNSで話題となっている製作者不明の歌。

明るい前向きな童謡風の歌で、最初は男性と子供たちの合唱だが、途中で子供の声が消えて男性が唄う声だけになる。

その歌を聞いた時、聞き覚えがある懐かしさを感じたが、どこで聞いたかなどは全く記憶にないという青年・貝塚

彼は何故この歌に聞き覚えがあるのかを調べてゆくが……

 

感想

1話目

貝塚が歌を本格的に調べる切っ掛けとして、家族の困りごとをお助けするというゆるいバラエティ番組の映像が紹介されます。

とある女性の魔法少女恐怖症を催眠術で解決するというくだりがあり、催眠中に何故かその女性が例の歌を鼻歌で唄うというもの。

 

このバラエティ番組は、本当にこういうノリの番組あるよな、というくだらないゆるさが秀逸で、嫌な予感しかしない異様な流れとのギャップが凄いなと。

この辺りは怪異的な怖さではなく、本人が魔法少女を怖がる様子はシャレにならない感じなのに家族は軽いノリで扱っているところとか、深刻なトラウマがありそうなのに素人たちが軽いノリで克服させようとするところとか、そういう無神経過ぎるところが怖かったです。

魔法少女恐怖症を克服するということで、普通は魔法少女のテレビアニメを克服するものかと思うのですが、魔法少女の被り物とかコスプレで克服させようとするのは強引というか、不穏な違和感も気持ち悪かったですし。

 

2話目

魔法少女おじさん」という自主制作のドキュメンタリー映画に歌の元ネタがあるという情報から、その映画の映像が紹介されます。

魔法少女のコスプレをしながら子供向けの授業を配信する元教師の山田。

子供たちを楽しませたいといった理想を語り、子供たちのためにと例の歌を作ったりなど、子供想いの山田に密着取材するドキュメンタリーですが、これもリアルにありそうな映像で。

 

しかし、笑顔で理想を語る様子とは裏腹に、段々と山田のメンタルが心配になってゆく構成で、これも怪異がどうこうというより普通に見ていて辛いです。

しかも、この映画の監督である三田が山田を詰める場面があり、これも無神経が過ぎる、そんなに追い詰めてどうするんだ、怖いよ、と。

ドキュメンタリーの監督としても、誘導尋問的というか、自身の思い描く場面を撮りたい感というか、ドキュメンタリーとしてそれでいいのか?、と違和感が強かったです。

 

3話目

山田が既に心不全で亡くなっていることが判明。

貝塚は三田監督に会って、山田が最期に幼稚園の事務員として働いていたこと、その幼稚園が自分の通っていた幼稚園であったことを聞きます。

魔法少女恐怖症を克服した女性の物言いや、小説投稿サイトにあった魔法少女の小説など、貝塚と同じ幼稚園の同じクラスだった人間が山田の歌に心をかき乱されている様子も。

幼稚園の元園長に会いに行った時には、既に貝塚は山田の死が心不全ではないと確信していたようですが、投稿サイトの小説を読んで思い出したか察したということなのかと。

 

最後にとある人から提供されたという映像は、当時の幼稚園の廊下を映している防犯カメラのものと思われる映像で。

その映像には、魔法少女のコスプレをして教室に入る山田、山田と子供たちが例の歌を合唱する声、途中物音がして子供たちの声が止まり一人で唄い続ける山田の歌声、が収められていました。

教室に入る時に山田が手にロープ状のものを持っていた、椅子が倒れるような物音がした、投稿サイトの小説に魔法少女が宙に浮くといった記述があった、というところから、山田は子供たちの目の前で自死したものと思われます。

 

1話目で、幼少期にトラウマ体験があったのだろうとは予想していましたが。

直接は映していないものの、子供たちのトラウマを考えるとかなりグロテスクな描写できついです。

山田の精神状態も含め、なんともやり切れない。

死の後にも山田の歌声が普通に響いているというところは怪異かと思いますが、メンタル的な恐ろしさの方が強く、怪異的な恐ろしさはあまり感じませんでした。

 

貝塚に映像を提供した人間、音源をSNSに流した人間については謎のままで。

防犯カメラ映像らしいというところから、幼稚園の関係者かなと思われますが、ハッキリとは分かりませんでした。

 

全体として

今作は、基本的に貝塚の視点で進み時系列も複雑ではないので、ストーリーとしては分かりやすかったです。

また、今作は三田監督の「魔法少女おじさん~第2章~」というドキュメンタリー作品だった(というフェイクドキュメンタリー)というのも、面白いというか恐ろしいというか。

 

三田監督は山田の精神状態を顧みずに追い詰めるような態度をとっており、三田監督がどうかしている、ヤバいのでは、としか思えません。

メンタルケアについて配慮するとかしないのかと。

被写体の行動に干渉し過ぎないように、という部分もあるかも知れませんが、この監督は被写体にこう行動しろと言っちゃってますし。

ドキュメンタリーとしてどうなのか……

映画監督として、自分の面白いと思うものを撮ることが優先、撮れ高優先、ということなのかと。

 

とは言え、ドキュメンタリーも監督の判断で撮影編集して監督の意図が反映されるものですし。

必ずしもすべてが真実というわけでもなく、被写体に対して誠実というわけでもなく、イメージ通りの映像が欲しいというところもあるのかと。

きちんとした真摯なドキュメンタリー作品もあると思いますが。

ドキュメンタリー映画に限らず、ネットの動画などもドキュメンタリー的なものがありますし、恣意的に編集された誰かの人生を消費することに対する視点のようなものも感じました。

フェイクドキュメンタリーとはいえ、これを見ている自分もそういうものを消費している立場なので、なんだか身につまされます。

 

また、三田監督は、山田の死因について本当に知らなかったのか?とも。

どの段階で連絡を受けたのか分かりませんが、遺品の音源をイベントでお披露目したり、もしかしたら死因を知っていて、自身の映画上映やイベントのために隠していたのではという風にも思えてしまいます。

貝塚に山田の勤務先の幼稚園について聞かれた時、やや挙動不審な気もしましたし。

 

更に、この貝塚の調査動画をまとめて自分の映画作品にしたいとか、自分も無関係とは言い切れないこんなセンシティブな案件を、どういう目線で言ってるんだ?と。

この作品の編集、どういう気持ちでやってたんだ?と。

作品最優先という映画監督としての業かも知れませんが。

やはり、三田監督が一番怖い、と感じてしまいます。

 

死因の隠蔽については、この状況で隠蔽できるのか?という気もしましたが。

田舎の方の出来事のようですし、園長に診断書を偽造できるような知り合いがいる、診断書があり身内もなく異議を唱える者がいなければ特に司法解剖もしない、という感じなのかとも考えられますが。

 

恐怖心がテーマということのようですが、やはり恐怖心とは自分にとって危険な恐ろしいものに対して抱くもので、自己防衛のための心理だと思います。

程度にもよりますが、生活に支障がなければ無理に克服しようとかしなくてもいいのではと。

 

そう言えば、子供の度胸試し的なやつで、目の前で手を鳴らされたり殴る真似をされたりした時、ビクッと反応して目を閉じたらビビりだとバカにする風潮がありますが。

そういうのも、危険に備えるための当然の反応だからむしろ目を閉じる方が良いだろ、と感じていましたし。

 

一応ホラーというか怪異の描写はありましたが、それよりもメンタル的な怖さの方が印象的でした。

映像のリアルさや不穏な空気感などは、やはり安定していて良かったです。

最後の映像の出所など分からない部分もあるので、また考察サイトなどを見てみたいと思います。

 

ちなみに、死後に歌を唄っているというところは、伊藤潤二の漫画「中古レコード」を思い出しました。

 

「劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来」 感想 猗窩座の過去で気になったところ

「劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来」を観ました。

 

敵の鬼である猗窩座の過去のストーリーで気になったところがありましたので、そこについて感想を書きたいと思います。

 

※一応、ネタバレのある感想です。

 

ちなみに、特にファンというわけではありません。

原作未読、テレビ1期と無限列車編は一応見ている、その後のテレビシリーズはたまに目にして話の流れはぼんやりと分かる、程度の者です。
それ程興味はなかったものの、付き添いで観に行きました。

 

あらすじ

鬼の根城である無限城での最終決戦を迎えた鬼殺隊。

隊士たちが鬼たちと死闘を繰りひろげる中、炭治郎は因縁の相手となる鬼・猗窩座と対峙する。

 

感想

猗窩座の過去のストーリーについて気になったところというのは、愛する人を毒殺によって失ったという部分です。

「毒殺」というところが、二つの点で気になりました。

 

一点目。

猗窩座が執拗に強い力にこだわる様子から、何かしら自身の力が及ばず、自分より強い者の手によって愛する人を失った、みたいな感じかと思っていたのですが。

 

毒殺って、力、関係ないんじゃ……

どれだけ物理的に強くなっても、防げないし守れないだろ。

それなのに何でそこまで力にこだわるんだ。

 

まあ、これについては、力でしか自己肯定感が得られない、現実を直視できずに力を追い求めた、という感じなのかも知れませんが。

過去を思い出し、強い力があっても不毛と悟る、力にこだわり愛する人を守れなかった自分を嫌悪する、という流れなのかなと。

 

二点目。

井戸に毒を入れる、というところは、やはり過去の関東大震災でのデマを連想させられます。

大正時代に起こった関東大震災の混乱の中で、朝鮮人が井戸に毒を入れているというデマが流れ、日本人による朝鮮人虐殺につながったというものです。

 

今作では、剣士道場が猗窩座の師範親子を毒殺したものですが、剣士道場側は元からその地に住んでいた多数派、後からやって来て住んでいる師範親子はよそ者の少数派、というようにもとれるかと。

師範の娘は病人であり女性であり、猗窩座は貧困層出身で犯罪歴があり、社会では差別的な扱いを受ける立場でもあるのではと。

「井戸に毒」という部分に加え、多数派が差別を受ける少数派を殺害したという構図も、関東大震災での虐殺に重なるように思えました。

 

つい最近、参議院選挙が行われ、排外主義的な言説がまかり通っている状況には気が滅入ります。

猗窩座の過去に同情できるなら、排外主義的な言説は受け入れないこともできるのではと。

これだけの人気作品で多くのファンがいるようなので、多くの人がそうであればと思うのですが。

 

ただし、ストーリーとしては、井戸に毒を入れた犯人は剣士道場ということで確定なのかどうかというところも。

確定できる描写はなかったような気がするのですが。

剣士道場が日頃から嫌がらせをしていた、近所の人が剣士道場の仕業だと話していた、という2点で剣士道場が犯人と判断されましたが、近所の人の話が憶測のレベルようにも聞こえたので、実際どうなのかと。

もし、憶測で剣士道場を襲撃したのだとしたら、猗窩座側がデマにより虐殺をしたという構図にもなるのかと。

ここは、自分が見落とし聞き落としをしていた可能性もありますが。

猗窩座の絶望と怒りを示す過去のエピソードとしては、そこはあまり問題ではないのかも知れませんし。

 

ついでに、某元首相がこの作品のファンで好きなキャラクターは猗窩座、という話を目にしていまして、政治家としてこういうのはどう見ているのだろうかと。
ファンとして猗窩座に同情するというのもいいですが、時代劇とはいえ貧困とかヤングケアラーとか被害者遺族とかそういう問題も見てとれますし。

猗窩座のような悲しい存在を作らないために、政治家として社会をどうすべきかという視点は持たないのだろうか、とか思ってしまいました。

 

 

最後に。

全体としては、映像はやはりクオリティが高く、無限城の風景や戦闘シーンなど見応えがあり楽しめました。

ストーリー面は、単純に鬼との戦闘が順番に描かれるというだけですが、それぞれ因縁のある相手で、前半のしのぶと善逸はコンプレックスを抱えながらも努力と信念をもって戦いに挑むというところもあり、やはり好感が持てます。

 

事前に、回想シーンが多い、テンポが悪い、長い、と言ったレビューを読んでいたのでハードルが下がっており、思ったよりも良かったという印象です。

1本の映画としてみるとこの構成はどうかという気もしますが、この作品はこういうものなのだろうという感じで。

話はぼんやりとしか知らないので、回想シーンで背景が分かる部分もありましたし。

それでも、この回想シーンいらないのでは、もっと短い方がいいのでは、もっとテンポよくした方がいいのでは、と感じるところは結構ありましたが。

 

炭治郎の、誰しもが昔は弱い赤ん坊だった、強い者が弱い者を守るべきといった台詞は、共感できます。
物理的な力だけではなく、権力とか経済力などの面でも、弱い立場の者を守るという視点は大事ですし、子供とか子育て環境とかに優しい社会にすべきだよなと。

ただし、子供必須な家族観の押し付けや、不安につけ込んで守るフリをしながら弱い立場の中で分断を煽るような言説は、よろしくないと思います。


やはり、これだけの人気作品で大多数のファンが観ているようですし、その大多数のファンが炭治郎の考え方に共感するなら、SNSで弱い立場の者を罵ったりなどしない優しい社会になるのではと思うのですが。

 

Netflixドラマ「イカゲーム3」感想 民主的とは?

Netflixで配信されているドラマ「イカゲーム3」の感想です。

 

※ネタバレがある感想です。

 

あらすじ

金銭的に困窮している人々を集め、大金を懸けて行われているサバイバルゲーム

2回目の参加となったソン・ジフンはゲームを止めるため、仲間を募って武器を奪い主催者組織へ反撃に出るが、作戦は失敗に終わる。

仲間を殺され絶望に打ちひしがれつつも、再度ゲームに参加させられるジフン。

次のゲームは、参加者の半数が鬼となる命を懸けたかくれんぼで、ジフンは鬼のグループとなるが……

 

感想

前回の終わりからどう続くのかと期待していましたが、今作も面白かったです。

シーズン2は参加者となったフロントマンの動向に緊迫感がありましたが、今作は赤ん坊の父親・ミョンギの動向が予測できず、最後まで緊迫感がありました。

 

作戦失敗後、目の前で親友を殺されたジフンが絶望して主催者側への反抗心を失い、怒りの矛先を身近にいる裏切者のデホに向けてしまう。

そういう気持ちは分かりますし、逆ギレするデホの態度も酷いですし、しかしデホの恐怖心も分かりますし。

それでも、参加者同士で争うのは主催者側の思うつぼですし、ギリギリで自制するかと思っていたのですが。

なので、ジフンがデホを積極的に手にかけたのは意外でした。

ジフンも聖人君子ではない、怒りでどうしようもなくなることもある、愚かさもある人間だということなのかと。

 

第4ゲームで闇落ちしながらも、第5ゲームでは赤ん坊の存在により信念を取り戻すのも成程と。

子供というのは未来や希望の象徴となるものですし、赤ん坊を守ろうとする人々の意志はやはり共感できます。

そういう状況で自分もそういう決断ができるかどうかは、正直分かりませんが。

 

赤ん坊の出産から、寓話的な戯画的な雰囲気が強くなったというか、リアリティが薄れたというか、そんな気もしますが。

とは言え、もともと戯画的な物語でもありますし、これはこれでまあ良いかと。

 

最終ゲームは心理戦的な状況で、子供を犠牲にすることの正当性を主張する人々の醜悪さが前面に押し出され、シニカルなブラックなユーモラスさがありました。

若者と中高年の世代間格差というか、断絶もあるのかと。

臆病で自己主張できず薬物に手を出し優しい女性の幻影にすがるミンスと、自分以外の人間は信用できずお金だけにすがるインフルエンサーのミョンギ。

この若者二人は現代の社会問題を現わしているように感じます。

一方で中高年の男性たちのキャラクターは深掘りされないモブという感じではありますが、同じ価値観で同じノリで団結できる世代なのだろうかと。

 

さすがに赤ん坊は助かるだろうとは予想していましたが、そこに至るまでがどうなるのかは、ブラックなユーモアも混じえ演技も演出も緊迫感があり、見応えがありました。

ジフンの最期はやるせないですが、赤ん坊を始め子供たちに希望がある終わりは良かったと思います。

まだゲームはどこかで続いている、というところは、気が重くなりますが。

 

資本主義、民主主義への風刺もあり、人間の良心についても描き、エンタメとしても面白いドラマでした。

やはり、ゲーム継続を決める投票や主催者側の決めたルール順守、最終ゲームでの多数決やもっともらしい理屈など、何かにつけて民主的とか公正とか強調しているのが印象的です。

そう言いながら、弱い立場のものや少数派を虐げる状況が、やはり現実と重なります。

あくまで多数派少数派関係なく公平に話し合うのが民主的なはずですが、多数決が民主的、多数派が正しい、少数派は排除してよい、というような考えがまかり通っているのはよろしくないと、改めて思います。

 

最後のメンコ女は、見たことある顔だと思ったら、有名なハリウッド女優で驚きました。

アメリカ舞台で続編、あるのでしょうか。

映画「サブスタンス」 感想 アンチアンチエイジングな怒涛のホラー

 

映画「サブスタンス」の感想です。

ひとまず、グロ描写はありますがとても面白いですし、アンチエイジングがもてはやされる世の中に刺さるものですし、多くの人が観たらいいと思います。

 

※ネタバレを含む感想です。

 

あらすじ

一世を風靡した人気女優のエリザベス。

しかし年齢を重ね過去の人となり、エアロビクス番組のみが現在の仕事となっていた。

その番組も若い女性でリニューアルするためと降板させられることに。

失意の中交通事故を起こしたエリザベスは、病院で謎めいた看護師から奇妙なUSBを手に入れる。

USBの動画で、完ぺきな自分になれると謳う細胞活性化薬の存在を知り……

 

感想

オシャレでビビッドな画面に不穏感を煽る音楽、容赦のないグロテスク描写と、映像的にも見応えがありましたし、若さと美しさを尊ぶ価値観を揶揄するストーリーも面白かったです。

エンタメなガッツリしたホラーに、ルッキズム等に対する社会的な視点が上手く組み合わされていると思います。

主人公を演じたデミ・ムーアとマーガレット・クアリーも、体当たり演技もさることながら、表情や仕草で伝える演技が素晴らしかったです。

 

テレビ局の重役男性は過剰なまでにバカっぽく、若い方の主人公・スーに対する目線は過剰なまでに下世話で、クライマックスの舞台は過剰なまでに血みどろで、こういったところはシニカルな笑いがあり、戯画的な感じがします。

エアロビクス番組や喫煙シーンなどテレビ局の描写は、日本でいう昭和感がありひと昔前というイメージですが、USBを差し込むテレビとかロッカーにかざすカードキーなどは現代的なハイテク描写で、そのちぐはぐな世界観も戯画的というか。

 

そんな中、エリザベスの若く美しくなければいけないという抑圧はリアルに痛々しく際立ちます。

学生時代の友人男性と会う約束をしたものの、結局会いに行けない場面。

鬼気迫る顔で鏡の前で何度も化粧直しをする様子は、本当に痛々しくやり切れない。

そのままでいいって、それで綺麗だって、友人もそこまで求めてないって、と心の中で訴えてしまいましたが。

自己肯定感が失われてしまったということがこれでもかと絶望的に伝わる印象深い場面でした。

 

友人男性が登場した時は、後々この友人男性と再会するも拒否されてさらに絶望するというパターンかなと思ったのですが。

再会する前に自分で自分を拒否するというのは予想外で、エイジズムやルッキズムの根深さを示しているというか。

若くて美しくなければ認められない、受け入れられないという価値観が心の底まで刷り込まれて内面化しまっているのだろうと。

決して、より若く美しくなりたい欲望、ではなく、より若く美しくなければならない強迫観念、というところがやり切れないです。

 

クライマックス、スターのスーは自分が創り上げたというプロデューサー男性の台詞がありますが。

まさに、こういった若さ美しさを求める男性やメディアが、若く美しくなければ認められないという価値観、強迫観念の蔓延する社会を創り出しているのだろうと。

そこからの血みどろの惨状は、そういった男性や社会に対する怒りをぶちまけているように感じました。

血、出すぎだろ、多い多い、長い長い、と突っ込みたくもなりましたが。

 

怒涛のホラーですが、冒頭からラストのオチまでスマートにまとまり、ラストはなんともやるせない余韻の残る作品でした。

 

過去の栄光を求めて若く美しくなりたいという欲望に囚われたスターの末路、という見方の感想もあるようですが。

若く美しければ愛される、若く美しくなければ愛されない認められない、という価値観を刷り込む社会の被害者、という側面もやはりあるのではと。

とは言え、ショービジネスは美しさを売りにしている部分もありますし、やはりスーの肉体の美しさに見惚れてしまうのも事実。

ポスターの中のエリザベスも美しいですし、美しくても年を取ったことで切り捨てられる、老いることは美しくない、というアンチエイジングな考えが根本にあるのかと。

 

映画ではショービジネスの世界の話ではありますが、現実として、SNSの普及も手伝って、男女関係なく一般人にも子供にも若さや美しさを重視する価値観が広く刷り込まれているのでは、と思うと気が滅入ります。

アンチエイジングとか美魔女とか、愛されメイクとか愛されコーデとか、そういった言葉を見ると、そういう価値観を煽ってるんだろうなと。

男性の場合は、イケメンとかイケおじとか。

 

白髪が目立つ中年の自分も、「白髪染めをするとアンチエイジングをもてはやす世間の価値観の圧に負けた気がする、しかし真っ黒ではなくグレイ程度なら完全に負けたわけではない」などと、どうでもいいことを考えながら白髪染めをしていたりするので。