ロシア演劇史の起点 ―(〜18世紀前半)
ロシア演劇史は、英国演劇のように「都市の劇場」から始まったわけではない。
その起点にあるのは、教会権力、宮廷文化、そして民衆の祝祭的芸能という三つの異なる要素である。
この三者は、長いあいだ互いに反発し合いながら、ゆっくりと「演劇」という形に収束していった。
まずは、その前史から見ていこう。
1. キリスト教化以前のロシア ― 演劇なき芸能文化
9世紀以前の東スラヴ世界には、演劇という概念は存在していなかった。
しかし、芸能そのものが存在しなかったわけではない。
当時のロシア地域では、
といった、共同体儀礼としての身体表現が行われていた。
これらは、
「役を演じる」「物語を再現する」というより、
共同体の結束や信仰を確認するための行為であった。
ここでは、
俳優も観客も存在しない。
全員が参加者であり、演じ手であり、見届け人だった。
2. 正教会の支配と「演劇」の排除
988年、キエフ大公ウラジーミル1世によって、
ロシアは東方正教会を国教として受け入れる。
この出来事は、ロシア文化全体を決定づける転換点だった。
正教会は、
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仮面
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身体の誇張表現
-
世俗的な笑いや戯画化
を強く否定した。
その結果、
西ヨーロッパで中世宗教劇(ミステリー・プレイ)が発展したのとは対照的に、
ロシアでは教会主導の演劇文化がほぼ育たなかった。
演じる身体は、
信仰の妨げになるもの、
魂を堕落させるものとみなされたのである。
3. スコモローフィ ― 禁じられた民衆芸人たち
それでも、民衆の中から演劇的表現が完全に消えることはなかった。
中世ロシアには、スコモローフィ(Skomorokhi)と呼ばれる放浪芸人たちが存在した。
彼らは、
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仮面
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音楽
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即興的な演技
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風刺と笑い
-
権力者や聖職者の揶揄
を特徴とする芸能を披露していた。
しかし、スコモローフィは、
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正教会からは異端
-
国家権力からは反体制的存在
として扱われ、
17世紀には弾圧・禁止の対象となる。
この時点で、ロシアにおける「演じる身体」は、
常に危険な存在であり続けた。
4. 転換点 ― 西欧化政策と宮廷文化の導入
ロシア演劇史が大きく動き出すのは、
17世紀後半から18世紀初頭にかけてである。
中心人物は、
ピョートル1世(ピョートル大帝)である。
彼は、
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軍事
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行政
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教育
-
芸術
あらゆる分野で西欧化政策を推し進めた。
1703年には新都サンクトペテルブルクを建設し、
宮廷文化の中に、
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オペラ
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バレエ
-
西欧式演劇
が導入される。
ここで初めて、
ロシアに「舞台」「観客」「役」という概念が制度的に持ち込まれた。
<ピョートル1世>
5. 宮廷演劇の誕生とその限界
18世紀前半、ロシアで行われた演劇は、
-
外国人俳優による上演
-
外国語(主にフランス語・ドイツ語)
-
貴族階級のみを対象
とする、完全な輸入文化だった。
この段階では、
-
ロシア語による演劇
-
ロシア人俳優による上演
-
民衆に開かれた劇場
は、まだ存在していない。
演劇はあくまで、
宮廷の教養・威信・西欧化の象徴であった。
6. 第1回のまとめ ― ロシア演劇の特異な出発点
ここまで見てきたように、ロシア演劇は、
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民衆文化からはじまりながら排除され
-
教会によって抑圧され
-
国家によって制度として導入された
という、きわめて特殊な道筋を辿っている。
この出発点の違いこそが、
後にロシア演劇が、
-
思想的
-
理論的
-
人間の内面を深く掘り下げる
方向へ進んでいく土壌となった。
次回は、
この宮廷演劇がどのようにしてロシア語の演劇へと変化し、
知識階級と結びついていくのかを扱う。
参考文献・史料
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Beumers, Birgit. A History of Russian Theatre. Cambridge University Press, 1999.
-
Kelly, Catriona. Russian Literature: A Very Short Introduction. Oxford University Press, 2001.
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Leach, Robert. Russian Theatre from the Empire to the Soviets. Routledge, 1994.
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渡辺克義『ロシア演劇史概説』東洋書店
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Orlando Figes, Natasha’s Dance: A Cultural History of Russia. Penguin Books, 2002





