福音派。また知らない言葉を学んだ。本書は、米国におけるキリスト教の、教典に忠実であろうとする原理主義の一派として大きな勢力となった福音派を詳しく紹介している。
本書によれば、もともと米国のキリスト教諸派は原理主義的であり、建国以来何度も「大覚醒」と呼ばれる大規模な宗教運動のうねりを何度も生み出してきた歴史がある。
ところが20世紀に入り、進化論と実証的な聖書解釈が原理的な信仰を脅かし始めた。危機を感じたキリスト教の諸派は、独自の学校を作ったりラジオやテレビの放送局を作って対抗した。第二次大戦後の冷戦時には、共産主義の脅威もありアメリカの「市民宗教」(本書、p32)として主に共和党をつうじて政治との結び付きを強固にした。
しかし、1960年代以降に社会がリベラル化するとともに政治的・社会的影響力は弱まった。危機を感じた原理主義者の一部は、福音派として改めて対抗運動を強化し、今日に至っている。
注目すべきことは、同じ福音派であっても、70年代の民主党カーター大統領のように政教分離を重視し、好む社会政策としてはむしろリベラル寄りな人々がいることだ。民主党オバマ大統領も、福音派のそうした人々と連携した。
しかし福音派の教義には、民主主義的な対話を忌避する終末論(p iii)が深く強く入り込んでいる。本書は、福音派の一部がリベラル派と衝突し、アメリカの民主主義を機能不全に陥らせる可能性を指摘している。
アメリカのキリスト教は現在、市民宗教的な役割を弱め、無宗教化・非教団化する人々との分極化(p265)に直面している。非(既成)教団化は、既成の教団とは離れSNS等をつうじ独自な信仰を持つようになることである。
重要なことは、アメリカは世俗化しているのではなく、信仰を持つ人々は増えこそすれ減ってはいないということである。深い関係を持つ隣国の国民として、宗教が持つ力が今後アメリカ社会を大きく変える可能性を考えておく必要があるだろう。
