最近、付き合って4年になる彼との結婚が現実味を帯びてきた。
とはいえ、すでに同棲しているので生活自体はそこまで変わらないんだろうな〜と思うと、正直そこまで大きなワクワク感はない。
それでも、ひとつだけ大きく変わるものがある。
自分の「苗字」だ。
自分の名前が自分の中から消えてしまうような、そんな寂しさをふと感じてしまう。
なぜそこまで自分の姓に拘るのか、
考えてみることにした。
◻️ 自分の名前を受け入れられなかった子供の頃
私の両親は日本人ではない。
だから、私の名前も日本でよくある漢字の名前ではなく、カタカナ表記の外国人名だった。
けれど私は日本で生まれ、
日本語を話し、
日本のテレビを見て、
日本人の友達に囲まれ生きてきた。
外国人というラベルがついた、日本人だった。
小学生の頃、名簿に並ぶ自分の名前が嫌だった。
カタカナの名前は長くて目立つ。名前のせいで、会ったことも話したこともない人に勝手にどんな人か想像されるのがなんか恥ずかしかった。
自己紹介も苦手だった。堂々と言えなくて、早口でもごもごと名前を名乗っていた。
珍しい名前だから、同級生にからかわれることもあった。でも、それは正直どうでもよかった。
嫌だったのは、「私自身」より先に「外国人」として見られてしまうことだった。
◻️ 父親以外、日本に帰化する
小学3〜4年生の頃、母が日本に帰化するタイミングで、兄と私も国籍を日本に変更することになった。
その時、元々便宜上使われていた漢字の姓と、自分で考えた“日本人らしい名前”をつけるられることになった。
やっと手に入れられる「普通の名前」。
漢字表記になるだけで、名簿の中で目立たなくなる。それがとにかく嬉しかった。
パスポートも発行され、自分で考えたその新しい名前が直筆である。
それを見て、子供ながら嬉しかった。
◻️ 家庭裁判所で失われた名前
すべての手続きが終わった頃、父と母が揉め始める。
自分の血筋に強いプライドを持つ父は、どんな合理性や生活上のメリットより、自分の国を捨てることに強く抵抗した。
そして、父は私の日本人らしい名前を受け入れなかった。
結果、私が自分で選んだ名前は失われた。
母は働きながら、何度も役所や家庭裁判所に通い疲弊していた。
今思えば、両親の仲が悪いのは経済的な理由だけが原因ではなかったんだと気づく。
最終的に私の名前は、父が名付けた、日本人らしくない響きの名前に戻された。
それでも、漢字表記で発音もしやすかったこともあり、私は妥協して納得することにした。
◻️ いつのまにか、自分の名前が好きになっていた
学生時代、自分のフルネームを知られるのが嫌だった。
自己紹介ではニックネームしか言わなかったし、先生にも苗字ではなくあだ名で呼ぶようお願いしていた。
でも、大学生になると少しずつ空気が変わった。
珍しい名前だからか、すぐ覚えてもらえる。あだ名ではなく、名前で呼ばれるのが新鮮だった。
バイト先でも、みんなが「苗字+さん」なのに、私だけ、名前を呼び捨てで呼んでもらえる。そこに親しみを感じて、なんだか嬉しかった。
初見じゃ読めないし、性別を間違えられることもある。
確かに目立つ名前だけど、いつの間にか私はこの名前を気に入っていた。
会社ではさすがに苗字で呼ばれるようになったけれど、珍しくて、覚えてもらいやすいこの苗字が嫌いじゃない。
この名前で仕事を依頼され、この名前で感謝され、この名前で表彰されてきた。
「他にはない固有の名前」は、いろんな場面でたくさんの人に愛されてきたのだ。
◻️ 苗字を変えたくないことは、愛していないということなのか
夫婦別姓や事実婚を選んだ女性に対して、よくこんな言葉が向けられる。
「結婚より自分の名前が大事なんだね」
「そこまで苗字を変えたくないって、つまり愛してないんでしょ?」
本当にそうなんだろうか。
私は彼を愛している。
結婚できなくても、ずっと一緒にいたいと思っている。
彼との未来を思い描けるから、生きることが楽しいし、仕事も頑張れるし、家事だってちゃんとやる。
もし1人だったら、たぶんもっと適当だ。生きることにここまで執着してないだろう。
毎晩寝る前に「大好き」「ありがとう」と伝えないと落ち着かないくらいには、愛している。
それでも——
彼の苗字になりたい!と積極的に思えない自分がいる。
彼の苗字は、日本で多いトップ3に入るような“ザ・普通”の名前。
ずっと憧れ続けた「日本人らしい名前」だ。
でも、やっと好きになれた自分の名前を手放すことがどうしても寂しいのだ。



