武蔵野つれづれ草

リタイア後を楽しく!と始めた凸凹夫婦の面白ブログ。見たこと、感じたこと、残したいことをつづります。

🙋‍♂️放浪の天才画家『山下清 生誕100年展』へ


塩尻・桔梗ヶ原の「五一わいん」を出発して、山梨県石和温泉♨️に向かったのだが、実は旅館に行く前に寄りたいところがもう1箇所あった。

前回の記事はこちら↓

それは山梨県立美術館」。コレクション展(常設)には「ミレー館」があり、ちょうど特別展『山下清展』もやっているし。しかも、館内にカフェもあってランチが食べられる😋。

それにしても、美術館の多い東京に住んでいても殆ど観に行かないのに、旅に出ると、その土地にある美術館に寄りたくなるのは何でだろう(笑)。

甲府に向かって中央自動車道を走っていたら、諏訪湖SAの看板が見えてきた。確か諏訪湖の眺めが素晴らしいはず。でも寄っていると、山梨県立美術館に着くのが遅れてしまうので、そのままスルー。


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寄っていたら見れたであろう諏訪湖の景色(Google Mapより)。諏訪湖を見ながらランチ、でも良かったかな〜😅

 

さて、山梨県立美術館に着いたのは12時半頃。「芸術の森公園」の中にある美術館だが、こんなに大きな公園とは知らなかった。

f:id:musashino007:20260111171646j:image正面入口のずっと先に見える建物が「山梨県立美術館」

f:id:musashino007:20260111172129j:image「芸術の森公園」の案内図

芸術の森公園」は、6ヘクタールもあり、広々とした敷地内に「山梨県立美術館」と「山梨県立文学館」がある。随所に彫刻が配置されているようだった。

f:id:musashino007:20260111172909j:image遠くに見える丸いのが、〈佐藤正明《ザ・ビッグアップルNo.45》2007年〉。この時は気づかなかったが、拡大して写真を見たら、何と富士山がうっすらと写っていて感動!

f:id:musashino007:20260111172905j:image〈ヘンリー・ムーア《四つに分かれた横たわる人体》1972-73年〉。英国の芸術家ムーアの作品は、穴が貫通している横たわる像(横たわる人体)という特徴を持つそうだが、近代美術は私には難し過ぎる😓。左側遠方の建物が「山梨県立文学館」

フランスの彫刻家のロダンブールデル、マイヨール、そして岡本太郎などの彫刻も随所に屋外展示されているらしい。ゆっくりと散策したいところだが、先を急がねば。


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美術展を見る前に、ちょうどお昼時なので、ランチを先に食べることにした。入ったのは、館内1階のユニバーサル カフェ&レストラン「COLERE(コレル)」。ありがたいことに、並ばずにすぐ座ることができた。

f:id:musashino007:20260116160652j:image「COLERE(コレル)」。2024年5月1日にリニューアルオープンしたそうだ

今晩泊まる温泉旅館の夕食を美味しく食べられるようにと、ランチは軽いものに。デザートセットを二つ注文した。


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スマホを使った注文にももう慣れた・・かな?

f:id:musashino007:20260111184038j:image🙋‍♂️デザートセット(たまご村のシフォンケーキ、アイス、ラテ)
🙋‍♀️デザートセット(自家製プリン、ホット、チャイ)

腹八分目というより、三分目くらいというところかな(笑)。でも美味しかった。

このレストラン「コレル」では、サービストレーニングを積んだ障がいスタッフが元気に働いていて、こういうお店もいいなあと感じた。運営会社(KEIPE株式会社)のHPにはこう書かれている。頑張って欲しいものだ。

そもそも「Colere」とは、Culture(文化)の語源となるラテン語で、耕す・住む・敬い崇めるなどの意味を持ち、種をまく人や美術館、多様な人の意志などの意味を込めています。・・ 食事を楽しむ人も働く人も主役になることができる、地域に愛され、必要とされるレストランづくりに挑戦します。

 

さて、いよいよ美術館の見学である。実は、どちらかと言うと、山下清よりミレーに惹かれていたのだが、折角の特別展なので、まずは山下清 生誕100年展」から観て回ることにした。


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(左)山下清生誕100年展へ (右)こちらはミレー館

この特別展は、生誕100年を迎えた「放浪の天才画家」と言われた山下清の画業と人生を紹介する展示会だ。幼少期の鉛筆画、初期から晩年までの貼絵、油彩、水彩画、ペン画、陶磁器の絵付けなどを、第1章から第5章に分けて約190点を展示していた。

残念ながら展示室での写真撮影は禁止だったので、展示品の写真は一枚もない。そこで、山梨県立美術館HP上の写真と解説をお借り(少し要約&追記)して、山下清の一生を辿ってみたい。

 

第1章 山下清の誕生―昆虫そして絵との出会い

山下清の誕生は1922(大正11)年。幼少期の清は、病気による後遺症を抱えていたために友達がおらず、学校から帰ると一人で絵を描いて遊ぶ孤独な子供だったという。
1934(昭和9)年、12歳のときに千葉県の養護施設「八幡学園」に入園。学園ではちぎり絵に取り組む。昆虫を捕まえては観察して描くことを得意としていた清。最初は単純な構図の作品だったが、次第に進歩を遂げ、技術の向上と表現力を身につけていった。それが後の「貼絵」へと発展する。

f:id:musashino007:20260111222745j:image《花火》 1930-1932(昭和5-昭和7)年頃 鉛筆画 

f:id:musashino007:20260111222741j:image《蝶々》 1934(昭和9)年 貼絵

まだ8歳〜10歳なのに、花火の重なり具合や、大勢の観客を一人一人しっかり描写する絵の細かさにはびっくりだった。

 

第2章 学園生活と放浪への旅立ち

清は学園で貼絵制作に取り組み続ける。1937(昭和12)年に開催された学園の子供たちの作品展で清の貼絵は注目を集めた。ところが学園生活が6年を迎えた1940(昭和15)年、18歳の清は突然学園から姿を消した。これが、以降何度も繰り返されることになる「放浪の旅」の始まりである。
清は足の向くまま気の向くまま、自由な放浪を続けるが、時折、家や学園に舞い戻り、旅先での風景を貼絵や日記に残した。清の記憶力は並外れており、まるで目の前にその風景があるかのように正確な描写をしたという。

f:id:musashino007:20260111223152j:image《ともだち》 1938(昭和13)年 貼絵

f:id:musashino007:20260111223149j:image《学園附近の景色》 1943(昭和18)年 貼絵 個人蔵

f:id:musashino007:20260111233601j:image《長岡の花火》1950(昭和25)年 貼絵【ポスター掲載❶】
とりわけ清は花火が好きだったようで、花火大会開催を聞きつけると全国に足を運び、その時の感動した情景をそのまま作品に仕上げた

この『長岡の花火』は、第1章の『花火』からの成長が感じられる素晴らしい作品だ。花火や観客のその細かさには目を見張る。しかも旅先では描かずに、八幡学園や実家に戻ってから記憶をもとに描くというスタイルだと知って、改めて、清の驚異的な映像記憶力に驚くばかりである。

 

第3章 画家・山下清のはじまり―多彩な芸術への試み

画家としてのスタートを切った清は、山下清ブーム」に沸く中、画家としての新たなる仕事に挑戦する。この時期は、油性マジックペンによるペン画でその才能を発揮した。描き直しが難しいマジックペンだが、清はその困難さをものともせずに作品を仕上げた。
また、この時期、清は油彩作品にも取り組んでいる。しかし、作品の数は少なく、現存作品も数えるほどしかない。油彩に馴染めなかった理由は単純で、絵具の乾きが遅いため、彼の性格から乾くのを待ちきれなかったことにあるようだ。初期の油彩作品はチューブからそのまま絵具をカンヴァスへ絞り出した点描に近いもので、貼絵を思わせるタッチが特徴である。

f:id:musashino007:20260111223400j:image《群鶏》 1960(昭和35)年 油彩【ポスター掲載❷】

f:id:musashino007:20260111223404j:image《昇仙峡》 1957(昭和32)年 ペン画 個人蔵【ポスター掲載❸】

この2枚も好きな絵である。群鶏は絵というよりデザイン画のような気がする。

 

第4章 ヨーロッパにて―清がみた風景

「ぼくは日本中ほとんど歩いてしまったのでどうしても外国を見物したい。 」そう語る清は、1961(昭和36)年、スケッチブックを抱え、初めてのヨーロッパの旅に出かけた。約40日間で9ヶ国を巡る慌ただしい旅だったが、旅先で20点余りのスケッチを描き上げた。それらの絵は帰国後に貼絵水彩画ペン画などの作品として発表された。
水彩画はペン画の上に水彩絵の具で着彩する手法で描かれており、当時、貼絵同様に高い評価を受けた。清にとってこの独自の水彩画は、新たなる試みであり、画業の幅を広げるものだった。
貼絵はこれまで以上に写実的で、細かくちぎった色紙を職人技ともいえる繊細なタッチで貼り込んでいるのが特徴である。

f:id:musashino007:20260111223603j:image 《パリのエッフェル塔》1961(昭和36)年 水彩画

f:id:musashino007:20260111223600j:image《パリのサクレクール寺院》 1962(昭和37)年 貼絵【ポスター掲載❹】

エッフェル塔》も《サクレクール寺院》も、第3章の《昇仙峡》も、何と言ったら良いか、山下清ならではの児童画っぽさを感じつつ、独特のタッチ、雰囲気を持った作品に仕上がっていて、とても印象的だ。

 

第5章 円熟期の創作活動

画家として各地で開かれる自身の展覧会に出向いた清は、その土地の窯元へ出かけて行って陶磁器の絵付けに挑戦した。清にとって陶磁器の絵付けはそれほど難しいものではなく、すぐに自分のものとした。絵付けで描かれる図案は、過去に取り組んだ題材が中心で、清らしさが存分に発揮されたものだった。多種多様な作品が全国の窯元で作られ、数多くの作品が残された。陶磁器の絵付けはペン画と並び、晩年の創作の中心となった。
1965(昭和40)年から4年をかけて、清はライフワークとして最終的には貼絵にすることを夢見ていた東海道五十三次」の取材を行う。それは清のペースでゆっくりと続けられた旅だった。ところが、その「東海道五十三次」をアトリエで描いていたときに病気となり、以降は療養生活を余儀なくされる。そしておよそ2年後の1971(昭和46)年、「今年の花火見物はどこに行こうかな」という言葉を残して永眠。享年49だった。

f:id:musashino007:20260111223845j:image《花もも(九谷焼)》 1956(昭和31)年 色絵蓋物

f:id:musashino007:20260111223841j:image東海道五十三次・富士(吉原)》 制作年不詳 版画

この《富士》の版画もとてもいい。「東海道五十三次」の制作途上で、病気になって亡くなった(しかも49歳)ということだが、出来ることなら五十三次全部を見たかった。

 

山下清展」を見終わって「ミレー館」に行こうとして時計を見たらもう14時半。ついじっくり観てしまい、時間が無くなってしまった。残念だが、ミレーはまたの機会にしよう!そもそも、2時間でランチと特別展とコレクション展の両方観ようなんて、最初から無理だったか(笑)。

でも、今まであまり馴染みの無かった山下清の作品を、これだけ身近に、しかもたくさん観る機会なんて、滅多に無いはずだ。とても勉強になったし、これで良かったのだ、と思うことにしよう。

f:id:musashino007:20260115162534j:image購入した2人分のチケット。県内宿泊者は特別展1,000円→840円。65歳以上はコレクション展(ミレー館等)無料と聞いて、あまり考えもせずついコレクション展も入ったパスポート券1,260円を買ってしまった。合計、🙋‍♂️840円+🙋‍♀️1,260円=2,100円。
元々コレクション展まで観るのは時間的に無理だと、チケット購入時点で思い至れば、🙋‍♂️840円+🙋‍♀️840円=1,680円で良かったのに。・・と帰ってから計算していて気付いた😁

 

この日の旅館のチェックイン予約は14時にしてあった。夕食までに温泉に浸かったりしてゆったり過ごしたいためだが、既にその時間をだいぶ過ぎてしまった💦

♨️が我々👫を待っている☺️

急がねば。

 

続く・・