『兄を持ち運べるサイズに』ネタバレ感想・考察・レビュー。中野量太監督らしさにも触れながら、本作に託されたメッセージについて解説します。

何年も会っていなかった兄(オダギリジョー)の突然の訃報を受け、妹の理子(柴咲コウ)は遺体を引き取りに東北へ向かう。
理子は4日間かけて、兄の元嫁の加奈子(満島ひかり)とその娘といっしょに、彼がアパートに残した遺品の後始末を行います。
中野監督の作品では『湯を沸かすほどの熱い愛』が大好きなのですが、あのときよりも本作は肩の力が抜けていて、監督らしさが物語によく馴染んでいたように思います。
氏の作品のなかでは、一番好きな作品になりました。
あらすじ

ある日、理子のもとに警察から電話が入る。それは、何年も会っていない兄が死んだという知らせだった。発見したのは、兄と暮らしていた息子の良一だという。「早く、兄を持ち運べるサイズにしてしまおう」。そう考えた理子は東北へ向かい、警察署で7年ぶりに兄の元妻・加奈子と、その娘・満里奈と再会する。兄たちが住んでいたゴミ屋敷と化したアパートを片づけていた3人は、壁に貼られた家族写真を見つける。そこには、子ども時代の兄と理子が写ったものや、兄と加奈子、満里奈、良一という、兄が築いた家庭の写真などがあった。同じように迷惑をかけられたはずの加奈子は、兄の後始末をしながら悪口を言い続ける理子に、「もしかしたら、理子ちゃんには、あの人の知らないところがあるのかな」と言う。これをきっかけに、理子たちはそれぞれに家族を見つめ直すことになる。
映画.comより一部抜粋
理子は、母親の愛を独り占めする兄を「いなくなればいい」と思っていた?

当時、幼かった理子にとっては、母親の寵愛を受ける兄が疎ましかったのです。
さらに理子を苛立たせたのは、兄は成人してからも、散々、母親を頼って生活させてもらっていたのに、母ががんになると逃げ出したこと。
母の最期を看取った理子は、兄のことを冷たい人間だと思っていたが、なぜか母親は「理子は冷たい人間で、兄は優しい」と言っており、それがますます理子を傷つけることに。

物語の前半では、理子にとって最低だった兄との想い出が語られ、彼の突然死によって生活を乱される煩わしさが、生温かいリアリティとともに描かれます。
警察署での追加料金のやりとりは、実に生々しかったですね。
自分の親ならいざ知らず、恨んでいた兄のためにお金を出す悔しさといったらないでしょう。
こいつは死んだ後にも自分から金をせびるのか、と(笑)
理子にとっては最低な兄でも、他の誰かにとってはそうじゃなかった

理子からすると、いい歳した兄が母親に寄生して金銭的な援助を受けていながら、病気になった母を見捨てたように見えていました。
でも、もしかすると母親にとっては、理子は結婚したらちっとも実家に寄り付かなくなった冷たい娘で、ずっと側にいて顔を見せてくれる兄は優しい息子だと感じられたのかもしれない。
がんになった母親を見捨てたのも、好意的に受け止めるなら、兄は優しいからこそ、弱っていく母親の姿を側で見続けることができなかったとも解釈できてしまう。
理子にとっての兄、母にとっての兄、妻にとっての兄、娘にとっての兄、息子にとっての兄は全部違う。
「兄」の存在を通じて、人間の多面性が鮮やかに描かれていたのは見事でした。

そんな結末を示唆するように、冒頭の理子と夫との会話で、「十何年いっしょに暮らしてもまだ知らないことってあるんだな」という会話がなされていたのは、良い暗示になっていました。
あとから思い返して、良く出来ているなと思わせられたところです。
序盤の理子が無視していた、兄からのお金を無心するメールが、方便だと思いきや、実は嘘じゃなかったことが、終盤で静かに示されるのも粋な演出でした。
理子視点での印象が語られる前半では、「兄」が最低で小憎たらしいダメ男にしか見えなかったのですが、後半に色んな角度から見た「兄」の姿が浮かび上がることで、ダメな兄のダメじゃない側面が見えると、彼に対する印象が劇的に変化していきます。
そんな掴みどころのない「兄」を演じたオダギリジョーはさすが。
彼のまとう雰囲気が、兄の存在に説得力を与えていました。
「兄」が、ちゃんと良い人にも最低の人にも見えて、実にはまり役だったと思います。
家族とは、支えであり呪縛ではない

ラストの改札で、理子が寄りかかって倒れそうな夫を子ども2人が支えるシーンは監督らしいいたずら心に満ちていました。
その姿はラグビーのスクラムのようで、兄の骨壺がボールの見立てになっていたのには笑いました。
その少し前の場面、列車のシートの間から骨を出すところも笑いましたけど、個人的には改札のシーンのほうが好きだったなぁ。
中野監督らしい不謹慎なジョークが、作品から無用な「重さ」を取り払うことで、笑いながらもじんわり心温まる雰囲気になっていました。
家族の関係を、呪い的に描いた作品が世の中にはたくさんあります。
本作も前半は呪い的な方向に話が振れますが、途中で大きく迂回して、最終的に、理子の言葉であり、原作者の言葉でもある「支えであり呪縛ではない」に立ち戻ってくる流れが、物語をホンモノにしていました。
周囲に迷惑をかけまくって死んだダメな兄なのに、なぜかその兄を中心に、家族の絆が結び直されていく様は矛盾だらけ。
家族とは不思議で面白いものだと再発見させてもらいました。
ラストの理子や加奈子たちの「兄」との邂逅シーンは、オダギリジョーの佇まいが、コミカルでありながら哀愁にあふれていました。特にタキシード姿は素晴らしかった。
その佇まいは、ダメだけど憎めない家族そのもので、何か印象的なセリフのある場面ではないのですが、懐かしいような寂しいような感情が刺激され、感動してしまいました。
中野監督が、長年こだわって描き続けてきた「家族」の絆が強く感じられる、素敵な作品です。
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