愛鳥が虹の橋を渡る日
親友のかわいがっていた愛鳥が、日曜の朝に虹の橋を渡った。
それまで元気でいたのに、二週間前になって突然足の力が弱くなり、
止まり木にも止まれず、立つことも出来なくなった。
病名は「癌」だった。
あれよあれよという間に、身体で呼吸をするようになり、鳴くこともあまりなくなった。
それでも、飼い主の親友が帰ってくれば、抱っこをせがんで羽をばたつかせたり、
甘えて胸元を甘噛みしていた。
こんな小さな体に宿った命は、とてつもなく重かった。
飼い主の人徳か、それとも鳥徳か。
鳥飼いの仲間が、仕事終わりにかわるがわる立ち寄っては、
飼い主が仕事から帰ってくるまで、様子を見ていた。
わたしは、彼女の周りの人間のうちで仕事が上がるのがいちばん早いから、片道二時間弱の距離を何度となくいったり来たりした。
鳥飼いでもない自分が出来ることなんて限られているけど、それでも人の手があった方がいいと思ったからだ。
小さな体で、二週間をなんとか生き延びて、この日曜にもう一度病院へ行って投薬治療に入る予定だった。
でも、お休みの朝に虹の橋を渡っていった。
朝起きると、さっそく抱っこしろと羽をばたつかせて暴れるので、
飼い主の親友が抱っこすると、甘噛みをしたまま静かに逝ってしまったそうだ。
小さな命の火が、自分の手の中で消えていくのを見守るなんて、
一体どれほどの重さだろう。
LINEで「逝っちゃった」と淡々と打ってきた彼女の心のうちは、どんなだったろう。
察しても余りある・・・。
SNSには、自慢の家族の愛らしい写真や絵がたくさん流れてくる。
そしてまた、かわいがっていた猫や犬や鳥、大切な家族が
その小さな命を終えて、虹の橋を渡る投稿も多く流れてくる。
その時も、ずいぶんしんみりした気持ちになるものだけど、
身近に起きると、こうも重さが違ってくるものか・・・。
手の中に包み込めるくらいの小さな体でも、
その命は限りなく重い。
柔らかな布に包まれた彼は「笑ってるみたいでしょ?」と親友がいうように、
とでも穏やかで幸せそうだった。
一時は仕事中に逝ってしまうかも・・・と気が気ではない日を幾日となく過ごしたが、
日曜の穏やかな朝、彼女の温かい手の中に包まれて彼は虹の橋を渡った。
軽くなった身体と、自慢の器用な足で元気に渡って逝った事だろうと思う。
定年後のパートナーとして、これからも末永く楽しく暮らしていこうと思っていた親友と離れて、意外とうっかりモノの本人は今頃「あれ?」と思っているかもしれない。
そして、タッチアンドゴーで、慌てて戻ってくるかもしれない。
気丈にふるまっている親友に、そんな妄想を抱かずにはいられない。
虹の橋を渡ったばかりでなんだけど、早く元気に戻っておいで。
彼女が待ってるよ。
昔のことをよく思い出すようになった、って感じたことある?
ふとした時に、昔のことを思い出すようになった。
父が連れて行ってくれた川遊びで見た木漏れ日。
夏休みに帰る母の実家へと降りていく緑の坂道。
いつもと変わらない日常に、急に湧いて出てくる景色や感覚。
50代前半くらいまでは、こんなことなかった気がする(;^_^A
寿命の折り返し地点を回ったということなのか、
これからやってくる未来の時間より、
過去の時間の方が長くなってきたということなのか(;^_^A
今日も駅を出たところに停まっている車を見たら、
帰省のたびに駅まで迎えに来てくれた父を思い出して、
懐かしくもちょっとしんみりした。
大事にされてたなぁ。
愛されてたなぁ。
それなのに、ずっと親不孝な娘でごめんね。
そっちに行ったら、謝るから。
目を上げると、春らしく少し霞んだ青空が広がっていた。
結局、始めてみるしかない。
ぶっちゃけ、お金が欲しい。
なにも、贅沢をしたいからというわけじゃない。
切実に、日々の暮らしに最低限必要な生活費が欲しいだけなのだ。
正社員ならいざしらず、パートで、しかも一日の労働時間が6時間しかないと、
月収の手取りが13万に届かないことだってある。
「年収260万」のタイトルを眩しく感じるくらいだ。
メインの仕事で収入が足りないなら、バイトをすればいいじゃない。
なんて簡単に言うけど、年齢が60近くにもなると応募できる職種も少なくなる。
そして、バイトといえども時間縛りが結構あって、メインの仕事をしながら掛け持ちできる条件で見つけることは至難の業だ。
そうなると、考えるのが「副業」ということになるのだけど。
「副業」と聞いて思い浮かべるのは、
「メルカリ」を使った物販とか、
「ブログ」とか、
「動画制作」とか。
簡単なようで、難しく感じる。
「成功者」を謳う人間が、そのノウハウ自体を「高い受講料」で売り物にできるくらいだ。
「副業」をするにも、学びは必要になる。
そして学ぶには、時間と気力がいる。
だから、副業を始めるにしたって、やっぱり若い方が断然有利だと思う。
ああ、若さが欲しい。
とはいえ、気力はともかく、若さを取り戻すことは不可能なのだから、
いま持っているもので始めるほかない。
と、ぐるぐる考えて昨日も終わってしまった。
今日は始められるだろうか・・・。
悲しむ友人に寄り添ったこと、ある?
やっと春らしくなってきたというのに、
明るくないタイトルが続いて申し訳ない。
実は、友人の飼っているインコが突然、余命宣告をされた。
数日前まで元気にしていたのに、足の力が弱くなった感じがして病院に連れて行ったら、癌と診断され、そこから転がるように悪くなったのだ。
止まり木にとまるどころか、立つことも出来なくなり、
心音がどんどん小さくなっていく。
そう簡単に仕事を休むこともできず、一人暮らしの彼女は何度も「間に合わない」「帰ったら冷たくなってる」と覚悟したという。
だから、フルタイムで働いている友人に変わって、仕事帰りに様子を見に片道二時間弱の彼女の家までしばらく通って様子を見に行っていたのだ。
もっぷは鳥飼いではないから適切な面倒を見ることは出来ないかもしれないが、
傍にいれば対処できることもある。
なにより、万が一の時にひとり(一羽)にしなくてすむ。
どんなに気丈にふるまっているように見えても、
「大切な家族がいなくなってしまうかもしれない」という悲しみは、胸を押しつぶす。
悲しみに向き合っている友人に、少しでも寄り添いたいと思う。
出会いより別れが多くなって来た・・・と思ったのは、いつごろから?
「春は出会いと別れの季節」
良く聞くこの言葉も、これまで結構軽く聞き流していたけれど。
ここ1-2年で、身につまされるようになってきた。
なぜって、圧倒的に「別れの季節」の方が身近になってきたから。
平均寿命を考えても、曲がり角をとおに過ぎた今。
昔なじみの友人と顔を合わせれば、
「足が痛い」
「腰が痛い」
「高血圧の薬を飲むようになった」
なんて、身体の不調の話で盛り上がるようになり、
しっかりしてると思っていた母は、いつのまにか頑固で我儘で笑顔が少なくなり、
昔なじみだった店がオーナーの高齢を理由に閉じていく・・・。
幸せだった時間が、まるで風化するように時に流されていく気がする。
結婚して家族を作っていれば、今頃は孫にも命が繋がれていたかもしれないけど。
でも、それを選ばずにきたのは自分なんだよね。
今生で、自分は本当にこれを経験したかったんだろうか?
この先の人生を、どう生きていくのが正解なんだろうか?
眩しい春の光を見上げながら、ふつふつと思いあぐねている。
ソニー・タイマーって知ってる?
家電って、ひとつ壊れるとなんだか順番に調子悪くなったりしない?(;^_^A
もしくは、一定の年数が経ったら図ったように壊れるとか。
むかしは、ソニーの製品が人気だったころ。
何年か経つと、まるで図ったように調子が悪くなったり壊れたりして、
「これは一定の年数になったら壊れるように、あらかじめタイマーがセットされているのでは??」
なんて言われたものだよね。
そう。
「ソニー・タイマー」とか言われてた。
iPhoneSE愛用者のもっぷは、いまだに有線イヤホンを使っているんだけど、
そのイヤホンが、それはもう繁茂に壊れるわけよ(;^_^A
最初は公式の製品じゃないものをAmazonで買って使ってから、そのせいかな?と思ったんだけど、公式のものでもすぐ壊れる。
使ってるうちに、急に片方が聞こえなくなっちゃうの。
それで、一年に一回は買い換えているような気がする(;^_^A
だもんだから、今は「アップル・タイマー」があるんじゃないかと思って疑ってる(;^_^A