マネジャーの休日余暇(はてなブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介しています。 すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

榛原笠間桜実神社の御田植祭の祈年祭


桜実神社の御田植祭に特殊な形をした苗を奉ると教えてくださったのは宇陀市榛原の笠間に住む男性。

出会いは宇陀市大宇陀の平尾であった。

平成27年6月14日
のその日の行事は平尾の田休みの植付奉告祭だった。

行事が始まる前にお会いした男性は村から頼まれた神社に住み着くハチ退治のためのお仕事だった。

立ち話ならぬ座り話しに盛り上がった男性は、住まいする笠間の桜実神社の行事を教えてくださった。

なかでも驚いたのは奉る苗の形状であった。

材料は杉の実である。

何十個というか大量に集める杉の実。

実だけでなく枝付きの状態のものを丸めて酒屋の印しの杉の実の御田苗のような形にする、ということだった。

その杉の実の御田苗のような形のものを春の祈年祭に奉るという話しに飛びついた。

平尾の植付奉告祭行事は夜の時間帯。

始まるまで数時間の余裕もある。

笠間の鎮座地も再確認しておこうと思って車を走らせる。

大宇陀の平尾から榛原の笠間の距離はそれほどでもない。

片道10分程度なので走ってみた。到着した神社境内に大杉がある。

杉の実を付けた枝はいくらでもあった。

たぶんにこれらを採取して奉納する杉の実の御田苗を作るのであろう。

ハチ退治をしていた男性は奉った杉の実の御田苗は苗代ではなくハウスに立てると話していた。

神社行事は春の祈年祭

杉の実の御田苗を供えることから御田植祭であるとも話していた。

田植えの所作はないが、杉の実の御田苗は、これまで取材した県内事例にはまったく見られない不思議な形である。

見たことはないが、話してくれた様相でそう思うのだった。

できれば早いうちに訪れて、その形状を確かめたい。

そう思って翌年の平成28年3月19日

17日辺りの日曜日と聞いていたからその日に訪れたが影も形もなかった。

行事はすでに終わっていたことを知って愕然とした。

氏子の話しから推測するに固定日から日曜日に移ったが、年によっては第一週目か二週目にしているようだった。

いずれになるのかは出仕される神職の都合もあって変動するらしい。

立ち寄ったその日。

杉の実の御田苗をハウスに立てると話していた男性のハウスを訪ねた。

男性はほうれん草栽培農家だった。

この年はおばあさんを亡くしたから神社へ出かけることはできなかった。

本来なら杉の実の御田苗を作って神社に奉るのであるが、服忌の場合は穢れになるから参ることさえできない、と云っていた。

で、奉る杉の実の御田苗は果たしてどのような形状であったのか。

出荷作業が忙しい毎日。

作業の手を止めて話してくださった作り方は・・。

杉の実の御田苗を外れないように括る材も要る。

その材はフジツル(藤弦)。

柔らかい皮を剥いで細い紐状にする。

杉の実の枝伐り作業もあればフジツル採りも。

これらの材があってこそ奉納もできるし、豊作願いにハウスにも立てることができるが、服忌であればなにもない。

他にも数軒の人が苗代にしているようなことも話していたので翌月の4月15日にも訪れた。

数か所に亘って見つかった苗代。

そこにはなにもなかったが、訪ねたほうれん草農家の婦人が云うには・・。

昔は農家が多かったからこそ杉の実の御田苗を奉る家も多かった。

枝成りを束ねた杉の実の御田苗は神社玉垣にずらりと並んでいたという。

うちもしていたが、今はもう・・という杉の実の御田苗は苗代作りの際に立てていたという。

稲藁を束ねたものを苗代田に横たわす。

その藁束の中央に立てていたそうだ。

行事も苗代立ても見つからなかった笠間の豊作願いの在り方。

宇陀市榛原笠間に鎮座する桜実神社に初めて訪れたのは平成18年3月16日だった。

今から11年も前のことである。

その年から11年目になってようやく笠間の御田植祭を拝見できる。

杉の実の御田苗の話しを教えてもらってから数えること2年目である。

ここに至るまでの経緯はもう一つ。

村の代表者でもある氏子総代や宮総代にやっとのことでお会いできた行事は平成28年の10月2日に行われたツイタチ座である。

マツリの形態にも興味をもっていた。

「座」の行事の一つでも拝見できればと思って訪れた。

お会いした宮総代が云うには御田植祭には私も苗を奉っているというのだ。

なんと、なんとであった。

探し求めていた奉納者は二人も揃ったのだ。

桜実神社に着いたときにはすでに奉ってあった。

これは杉の実で作った御田苗。

初めて拝見した形に感動ひとしお。

拝殿階段上の欄干に吊っていた。

想像していた形はまん丸い杉の実の御田苗のように思っていたが、個体によっては若干の違いがあることがわかった。

右に吊った一対の杉の実の御田苗は平成27年6月14日に出会って話してくれたSさん。

束ねた実成の杉を括っている材がフジツル(藤弦)であるから奉納者がわかる。

杉の実が多ければ多いほど豊作になるという御田祭に奉る苗である。

実成の枝は傾きがある。

束ねたすべての実成枝を逆向きにする。

そうすればふっくらと盛り上がるようになる。

実際に生えている状態を見ればわかるが、外側に向いているのである。

その向きを逆にすれば内側になって反りかえるようになる。

実物をもって説明はできたとしても文字では表現が難しい。

形を調えて吊るす部分の枝をフジツルで括る。

写真を見てもらえばわかるが実成の枝は割合太い。

15本にも満たない本数であるが、雄花である杉の実は相当な数だ。

今にも弾けそうな状態のある実。

手でぽんぽんと払ったら杉花粉がぶぁーと飛び出した。

触るだけでも危険な状態である。

私はスギ花粉症ではないが、カメラレンズに被ってしまうかもと思って、さっと身を翻した。

Sさんがいうには実成状態は最高だという。

スギ花粉を浴びるぐらいに実成が良いというわけである。

つまりは稔りの形が豊作の願いを叶えてくれる、というわけだ。

さて、左側に奉ったのはどなたであろう。

青々とした生木の杉枝である。

反り返りは戻さず生えていたままの状態の傾き。

つまりはすべてが外側向き。

しかも束ねた道具はpp紐。

二つ並んでいるから、その違いがよくわかる。

杉の実の御田苗を奉る人はもう一人おられた。

反対側の欄干にも一対の杉の実の御田苗を奉っていた。

束ねていた道具はSさんと同じくフジツルである。

「F」に名前を書いていたから持ち主がわかった。

先に聞いていた氏子総代長兼宮総代のKさんである。



Kさんはスギ花粉症。

とてもじゃないが、実成の杉の実の御田苗を奉ることはできない。

そういうことからこれもまた青々とした杉枝である。

ただ、じっくり拝見していると杉枝は反り返っているように見える。

先ほどの杉の実の御田苗もそうであるように思えてきた。

さて、神事である。

主斎は桜井市等彌神社の佐藤靖夫宮司

初めてお会いしたのであるが、前にもお会いしたことがあると思った。

それもそのはずで叔父さんとそっくりな顔立ち。

息子さんの神職も存じていただけに話しが弾む。

佐藤靖夫宮司は63年間に亘って神職を勤めてきた。

ここ笠間も長きに亘って務めてきた。

御田祭に奉る杉の実の御田苗は昔からもあった形。

若いころから見ていた御田苗の多さ。

欄干どころから神社玉垣のすべてが埋め尽くされるほどに多かった。

今ではこのように少なくなってしまったという。



手水をした氏子、一人一人は拝殿向こうに建つ本社殿に向かって頭を下げる。

この日の参列者は8組それぞれの組長に3垣内のトーヤ、自治会長、農家組合員である。

拝礼を済ましてから境内に並ぶ氏子総代に宮総代。

そして氏子たちは低頭。



佐藤宮司が祓ってくださる。

宮司は奉った御田苗も祓う。

そして献饌である。



社務所に準備していた神饌御供を一つずつ手渡す。

丁寧に頭を下げて受け取って運ぶ。

献饌をする人数は偶数人でなく、奇数人で受け取らなければならないという。

そして拝殿に登って所定の位置に座った氏子たち。

本社殿は一段と高い位置に鎮座する。

平成25年10月のゾーク(造営事業)によって塗り替えた朱塗りの本社殿が美しい。

寄進奉納された幕もその年に新調されたから美しい。

宮司一拝、御扉開扉に「オォォォーーー」。



春日神社本社殿の右に建つ素盞男神社も左側に建つ水分神社も同じように開扉に「オォォォーーー」の警蹕。

ちなみに拝殿の左右にある小社もある笠間の神さん。

右から稲荷神社、八幡神社

拝殿左の愛宕五社に鹿島天社であるが、これら小社には開扉という行為は見られない。



恭しく祝詞を奏上されて玉串奉奠



氏子たちも順に一人ずつ本社殿の前に座って奉奠する。

閉扉、そして撤饌。



献饌と同じように頭を下げて御供を下げる。

宮司一拝によって神事を終えた。

神事を終えた氏子たちはツイタチ座と同様に公民館での直会に移った。

神事に奉った杉の実の御田苗は供えた人が持ち帰る。

4月10日辺りにハウスに立てると云っていたKさんとSさん。

その時期が来れば取材させていただくことになったのが嬉しい。

ちなみにこの日は村の宇陀市消防団の式典日。

なんの式典であるのか、尋ねる時間もなかったが、宇陀市消防署長らしき制服姿の人もみられた。

消防団の前に掲げる幟旗の文字は「火災予防運動実施中」とある。



団員の点呼をとる団員に敬礼をする署長、団長。

きびきびした動きに村から火を出さないという意識が伝わってくる。

このあと消防車に乗り込んだ団員たち。

なんらかの出陣式であったようだ。

(H29. 3. 5 EOS40D撮影)