川西町へ
西城キョウの蛇農具作りを撮らせてもらったお礼に訪問する川西町の下永。 この年も苗代に立てていた御符にイロバナを撮っておく。 伺った方々が話してくださった下永の行事。 取材時、西城のトーヤ(当屋)を務めていたHさんは昭和14年生まれ。 出垣内で…
午前中は奈良市押熊町。 夕方は大和郡山市の南。 大和川を越えたらすぐ、川西町の吐田に着く。 昨年の5月19日である。 隣村になる下永でされている松苗、イロバナの分布調査に訪れていた。 ふと思い出して急行した地は吐田の北吐田。 8年ぶりにお会いし…
田んぼハンターの〆に選んだ下永の苗代に立てる唐招提寺の魔よけの宝扇。 昨年同様の日に伺ったら、その日にしなくて、寒冷紗を取り払ってからと・・。 お電話くださったその日の夕刻に、なんとか間に合った時間帯。 田主さんの心遣いが助かります。 (R1…
西城の雄蛇を見届けて東城の雌蛇を拝見する。 東城のノガミの場もまたヨノミの木がある。 ノーガミサンの塚とも云われるその地(※小字瀬屋垣内塚)にセンダン(※栴檀)の枝葉で覆った籠がある。 昨日に調えた雌蛇の籠の内部にカワラケの眼がある。 そこにお…
西城の蛇つくりを見届けてから再び立ち寄った東城の公民館。 午前11時の段階にしていた作業は、ほとんど出来上がり。 ジャジャウマの形を整えるコモグサにセンダン(※栴檀)の枝葉。 いずれも近場で採取してきた自生する植物が材である。 コモグサは真菰。…
かつては、西のほうにあったという川西町下永・西城のノガミの場(※小字野神)。 大和郡山市額田部町が所在地の奈良県浄化センター(※昭和49年6月供用開始)建設に伴い、敷地内にある公園外れの一角になる東側に移った。 この日は朝から取材続き。 宇陀市…
この年、川西町下永を訪れること度々。 伝統行事の取材機会にご縁繋がりが次々と。 1月4日に行われた五人衆による牛玉宝印書の護符つくり。 その護符は後日の成人の日に配られる。 その護符を苗代に立てる農家さん。 5月12日の地域調査は1カ所、2カ所…
この日もまた訪れた川西町下永。 明日香村の上(かむら)で取材した帰り道に立ち寄った。 上(かむら)で同行取材していた写真家のKさんに見せてあげたい豊作願い。 育った稲が虫に喰われんようにしておく虫除けのまじない。 田主のFさんが数日前に立てた…
この日は下永で行われるキョウの蛇作り。 東城、西城ともにほぼ同じような時間帯でされるから、両地区とも拝見するには2年もかかる。 顔出ししたのは東城地区。 唐招提寺の「うちわまき」に行かれて入手された魔除けの宝扇を苗代に立てたご主人にお礼がてら…
一週間前の12日に訪れた際に話してくれたFさんは、唐招提寺に出かけて魔除けの宝扇を手に入れてから苗代に立てると話していた。 うちわまきは午後3時から始まる。 先着400名であれば朝早くからでかけなくてはならない。 それを避けた抽選若しくは一般…
ほとんどの苗代田にイロバナ、松苗護符を立てている川西町下永の田園地帯。東城地区は8カ所。西城が7カ所。圃場に2カ所もあった。これほど多くの処にしているとは・・思っても見なかった事例である。調査の最中に出会った男性。さっきまで草刈りをしてい…
東城、西城地区の在り方を拝見して、ふと思った。 集落北を流れる大和川の向こう岸。 広がる田園圃場がある。 エリアとしては相当な広さであるが、その圃場は下永が圧倒的な広さを確保しているが、隣村の大和郡山市の宮堂町や天理市の二階堂南姿町の領域もあ…
東城地区の苗代田を拝見して西側になる西城に向かう。 東城から西城へ行くには三つのルートがある。 八幡神社・融通念仏宗派の正念寺前の狭い村道を行くか、一旦は北に出て大和川堤防沿いの道を行くか。 それともぐっと南下して近鉄電車踏切を越えて結崎信号…
時季的には一週間遅れになったが、現状はどうであるのか、確かめたくて帰路に立ち寄った川西町の下永。 かれこれ10年前、いや、もっと前に来たことのある川西町下永の苗代田。 そのときは何も見つからなかった。 時季的に合わなかったのかもしれない。 と…
この年の正月初め。 久しぶりに訪れた磯城郡川西町の下永。 大和川左岸の東城(ひがしんじょ)八幡神社行事の牛玉作りを拝見した際に教えてくださった仏事行事がある。 宮座五人衆の一老のKさんと二老のNさんの二人が寺行事にお世話をする。 実質は行事が…
知人が所有していた史料映像。 平成11年10月吉日改定の川西町下永八幡神社の行事覚書帳である。 1月4日に行われる行事に座五人中が集まって作る苗末に牛玉。 両方とも村各戸に配布する日は1月15日。 午前7時に営む行事は正月を飾った門松などを焼…
川西町結崎・糸井神社で御湯作法に使われている古い湯釜を拝見した。 判読できた刻印は「和式下郡・・・御中宮・・二十五人 春日大明神御湯釜 五位堂杉田鋳之 天保十四癸卯歳(1843)十二月」だ。 江戸時代末期の172年前。 三本脚であったが二本はど…
梅の花が咲き誇る上吐田。 青空を美しく染めていた。 かつて中世荘園として栄えた吐田庄は時代を経て上吐田(かみはんだ)村と呼ばれていた。 明治時代の地租改正を契機に東の上吐田、西隣は北吐田、さらに西の南吐田村と合併して現在の川西町吐田になった。…
川西町上吐田の大とんどは雨天であっても決行される。 前年のとんど組みは雪が降って積もった。 とんど組みする竹の伐採、運搬にひと苦労したと一昨年に勤めたトーヤが話す。 この日は夜半から降った雨は朝になっても止まない。 公民館の公園に設えた大とん…
川西町の上吐田でとんどが行われる15日。 前日は宮十人衆や五人衆が集まって公民館の公園でとんど組みをする。 吐田地区の竹林に出かけて伐採してきた竹は数台の車に積み込んで運んだ。 氏神さんの春日神社に飾っていた門松なども焼き納める。 地区住民た…
融通念仏を唱える金福寺の住職。 2メートルほどの高さの石仏地蔵尊。 立派な形は舟形光背をもつ。 ゴザを敷いた場に座っているのは上吐田の尼講たち。 「なんまいだぶっ なんまいだぶつ」を唱える地蔵尊の法要だ。 この日は暑かった。 西日が射しこむ時間に…
県内にはいたるところに大神宮と彫られた石塔がある。 かつてお伊勢参りが流行ったときに建てられた石塔。 横大路は伊勢街道。要所要所に建てられたが旧村にも同等の塔が各地で見られる。 辻であったり集落内であったりする。 お伊勢参りに旅立つときには石…
川西町の吐田(はんだ)。 大和郡山市との境界は大和川。 板屋ケ瀬橋を渡ると吐田である。 今では大和中央道が南北に貫く道路。 そこに架かっている橋が板屋ケ瀬橋であるが、かつての橋は西に数百メートル向こうだった。 安堵町の安土墓地から南下して堤防に…
天保十二年(1841)、建之の狛犬の台座に左三つ巴の巴紋が見られる川西町保田(ほた)の六縣(むつがた)神社。 かつては六所明神・保田神社と呼ばれていた。 境内にある富貴寺は神宮寺であろう。 永正元年(1504)に寺への田地寄進状、大永八年(1…
御遷座祭のこの日は当家相撲が行われる。 分霊を祀り神さんとなった当家への奉納相撲である。 土俵を作り終えて相撲を始めるのは10時ころだというMさん。 数年前に当家を勤めた人で今年は親族として支援される。 当家の奉納相撲は各垣内単位で行われてい…
春日大明神、事代主命、大国主命、住吉大神、稲荷大明神。 それぞれ五垣内(市場、中村、辻、井戸、出屋敷)の氏神さんを崇める川西町結崎の五組の当家。 二週間ほど前に当主の家でオカリヤ(お仮屋)を祀ったあと当主を先頭に稲霊「ミキイナイ(柳、神酒、…
大永三年(1523)に造られたとされる川西町北吐田の地蔵菩薩は願かけに油を掛けた習わしがあることから黒光り。 古来から塗られてきた年代を表す油であろうか。 舟型光背を持つ石造り立像は泥田の中に埋まっていたものを引き上げて祀ったという。 クサ(…
莊厳儀式を終えた宮座衆は次の頭屋を決める籤を引く。 二老が持つコヨリ籤。一老から順に呼ばれた座人が籤を引いていき、当たり籤を引き当てた頭屋、トーニン名を読み上げる。 一老が謹んで口上を述べると座衆は一斉に「ワーィ」と大きな口を開けて唱和する…
ゴボウとシオアズキアン。 (H20. 2. 3 Kiss Digtal N撮影)
せりあがりのころ。 (H20. 2. 3 Kiss Digtal N撮影)