2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧
江戸時代に流行った疫病。その身代わりとして人形を立てた説、或いは中世に「見立山武士」と呼ばれた土豪細井戸氏が元禄年間に名残を惜しんで武者人形を立てたとか。諸説がある広陵町三吉(みつよし)の立山祭は8月の地蔵盆の主役になる。奈良県内でこのよ…
突然の雨にも負けずに設営して参拝者を待ちうける馬司町の長老たち。 杵築神社の十人衆だ。 同町には北と南に地蔵尊がある。 7月は南の地蔵さんの地蔵盆があった。 翌月の8月は北の地蔵尊で地蔵盆がされる。 以前は両地蔵盆とも8月に行われていたと話す長…
石仏地蔵尊の土台に「板屋瀬利 荒廃世過 人面棟地 佛像凌地 今澧樢境 新安索○ 永住三寶 確乎不桅 享保○○和妙寺・・・」の刻印が施されている大和郡山市額田部南の板屋ケ瀬地蔵さん。かつて大和川の堤防の竹やぶにあった。それは川から流れ着いたという。その…
この日の午前中に地蔵盆を終えた三輪高宮。 観音講の婦人たちが三巻の般若心経、そして西国三十三番のご詠歌を唱えられた。 それは毎月17日の営みとおなじであるが地蔵盆のときには延命地蔵の前に座って般若心経を三巻唱えていたそうだ。 その後はひっそり…
お盆を過ぎるころには各地で風の祈祷と呼ばれる行事が行われている。 その多くは神社でみられる行事であるが奈良市中ノ川町では仏の行事。 氏神さんである三社神社下の建物の社務所内は旧観音寺。 そこに集まってきた村人たち。 中ノ川町は市内から佐保川の…
平成23年度大淀町伝統文化シンポジウム 「大淀町の民俗 ~継承と活性化~」 日時 平成23年9月25日(日) 13時開演 <入場無料> 13時10分 基調講演「吉野山に沿う農村と山村の交差する民俗」 14時20分 スライド解説「大淀町の民俗調査20…
その日は朝から雨が降っていた。 雨天の場合は屋外で行事を行うが難しいと、村人たちは決断に悩まされる。 この日は風の祈祷。 二百十日がくる前に行われる行事だが村人がその日に集まることができる日で毎年替る。 急坂を登りつめた地に鎮座する奈良市長谷…
山添村桐山・和田の観音寺で毎月18日にお勤めをしている桐山の観音講。6人の婦人たちに男性が一人。講中の世話人をしているという。毎月のお勤めだが5月は休む。「5月だけはお茶の収穫で一番忙しい時期だけに拝んでられへんのや、9月は宮さんのコモリ…
「その昔のことだ」と前置きされて話された南田原町のお寺。 南福寺と呼ばれているお寺は、それは広い堂宇であったそうだ。 「宝永元年(1704)7月17日」の棟札が残されている南福寺。 鰐口も古く延宝六年(1678)のものだという。 明治時代まで…
東京から帰省した長男。 母親は大阪から来た。 次男は海外で仕事をしているのでいないが家族が揃った。 いつもなら居酒屋の「わらじや」に行くのだがたまには違う味も食べてみたいと探したのが「な・ら・らの豆仙坊」。 その屋号のとおり手作り豆腐料理がメ…
13日の朝に家の餓鬼棚をこしらえた菅生のN家。 石の周りには四方を囲った竹。 それは頂点で結ばれている。 それはまるで屋根のように感じる覆い屋の形態だ。 棚には昔使っていた竹カゴを伏せて置き、その上に餓鬼に食べてもらうようにとお盆に盛ったナス…
ミーン、ミーンと鳴くミンミンゼミ。 ヒグラシも鳴き始めた山添村の菅生。 村の氏神さんである十二社神社参籠所では毎月当番が入れ換わる月ドウゲ(充てる字は道化)と応援する4人のネンヨウ(年用と書きネンニョとも呼ぶ)が忙しく動き回っている。 ネンヨ…
かつて春、秋の二度の彼岸のときや葬式の際に唱えていた池田町の六斎念仏。 彼岸の日、念仏を唱えたあとは公民館で会食をしていた。 アブラアゲ、ゼンマイ、ドロイモ、コンニャクが入ったイロゴハンを食べていた。 葬式のときには鉦を3回鳴らした。 早朝に…
年当番の輪番にあたる北、巽、西城(にしんじょ)垣内の人たちが行事の準備や世話にあたる奈良市池田町のタイマツ行事。タイマツの材料集めから会所の支度、念仏鉦なども。この年は北垣内が世話人にあたった。タイマツの竹は縄で縛って簾状にする。それに藁…
白土町の子供のチャチャンコを勤めるのは6年生以下の男児。 足りない場合は講中の親戚筋から男児を借りてでも行われている。 7日から毎日行われている太鼓打ちと鉦叩きの念仏は14日で幕を閉じる。 前日までは浄福寺の門下、本堂の前、かつて仲家の玄関先…
津越の大橋にある商店。サシサバを売っているお店だ。ご主人が朝から塩干もののサバを2尾。頭から差しこんで作ったサシサバは当家でも供えてお祭りをされる。新盆であれば縁側にヒノキ(スギの場合もある)の葉で覆ったヤカタを立てる。そこにはオガラのハ…
午前中の取材を終えて時が経つ。 午後からの取材には時間があるが飯どきが近づいてきた。 同行取材していた知人らと相談した結果、近くの「トンネル」はどうかという。 そこは度々お邪魔する食事処のトンネル。 先々月はショウユ味のラーメンにした。コクが…
13日の夕方になったら十輪寺の住職がお念仏を唱えに来てくれるのでそれまでに先祖さんのタナを設えておくと話す南田原のSさん。 ご先祖さんは位牌になっている。 それを祭壇にずらりと並べておく。 祭壇にはゴザを敷いておくS家。 新仏の家ではそこに白…
7日に盆入りの六斎念仏が営まれた奈良市八島町。 その夜は公民館であったそうだ。 それから一週間後の13日はオショウライサンを迎える日だ。 その夜はそれまでに亡くなられた新仏の家を巡って念仏を唱える鉦講の人たち。 この年は奇しくも講中の会長と前…
大橋で商店を構えている以上、家の盆の準備はままならない。 ひっきりなしに来る購買客の応対に忙しく動き回る店主は陽が落ちる遅い時間帯になって藁に火を点けることができた。 ご先祖さんを迎える火だ。 家への入り口にそれは2本立てている。 家の門口に…
山添村の的野で行われているご先祖さんの迎え火。 流れる布目川に沿って掛けられたガードレール付近に設えた藁がある。 それは竹の棒に挿してある。 藁は一折りしている束で2本もあり、既に火を点けたものもあればまだのものもある。 時間帯は夕刻ではある…
サシサバを食べる風習があると今春に聞いていた。北野津越にある大橋の商店ではそれを買いにくる客があるといって80尾を注文しておいた店主。サシサバは開き。それを頭から頭を挿しこんで2尾を一対ものにしたのがサシサバ。頭から挿しこむからそう呼んで…
ときおり訪問する山添村の北野。 ここへ来て住民のI夫妻の家にお伺いすれば何かと道具が登場する。 「こんなものがあるで」と蔵から出てきたのが御幣。 昨年末の12月31日の祭りでたばったもの。 ヒラヒラは「奉書は切り込みを入れて、手前にこう折って…
天文九年(1540)といえば大和郡山百万石で名高い豊臣秀長が尾張で生まれた年にあたる。 その十年後の天文十九年(1550)には筒井城主の順昭が病気で亡くなり、琵琶法師の杢阿弥を城主にしたてあげ三年間もそのことを隠した時代だ。 そのころはまだ…
二日目のお勤めになった白土町の子供の念仏講。 都合で初日は5人(実際は途中で1人が加わる)になった子供たち。 この日は一人が増えて6人。 長男は大学生になったK家は男児が4人いたことからずっと見守り続けてきた。 この年で付き添いは18回(年)…
夜8時、子供の念仏講が行われた浄福寺の山門前に集まってきた男性たち。 三つの組からなる念仏講の集団である。 子供の念仏講とは別に組織されている大人の念仏講の人たちだ。 かつては子供の念仏講と同じように7日から14まで毎日行われていたという。 …
白土町の辻々や墓地などを太鼓と鉦で叩いて厄を祓っているのは子供の念仏講。 同町には大人の念仏講もある。 それぞれの講に属しているお家で亡くなられた新仏の家にも講中が巡って鉦を叩く。 それぞれの家では亡くなられた人を祭る「タナ」が設けられている…
大和ではお盆の時期に鉦を叩いて町内を巡る念仏講の集団がある。 旧村にはそれぞれの地区であったそうだ。 無形民俗文化財に指定されている安堵町の大寶寺六斎講や奈良市八島の念仏鉦講が知られている。 大和郡山の井戸野町でもかつて存在していた。 それを…
山添村大塩には八柱神社と観音寺の年中行事がある。 それには含まれない「ゲー」と呼ばれている行事がある。 先月に大般若経転読が営まれた観音寺に集まってきたのは夏講と呼ばれている10軒の人たち。 「ゲー」の営みは「いったい何のことなのか判らない」…
山添村菅生の盆踊りに出番を待つ踊り子たち。 管生のおかげ踊り保存会の人たちで16人が集まった。 この夜は十二社神社参籠所で踊りの練習をされる。 盆踊りに練習をされるのはいずこもそうなのだろうか。 プロの踊り子ならばそれは当然なのであろうが村の…