マネジャーの休日余暇(はてなブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介しています。 すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

いま民俗学とは~民俗文化の変容に直面して

博物館の役割を広く普及させようと1977年に制定された国際博物館会議。 日本では2002年に初めて参加したそうで多くの博物館は記念事業を実施している。 県立民俗博物館では10年目という節目にあたるこの年に、昭和47年に同館建設に携わり、その…

野遊び②in矢田丘陵

目覚めたときには雨が降っていた。 予報では午後から雨が降り出すことだったが集まる時間では雲間から晴れ間もみえる怪しい天気である。 雨が降っても自然観察会は実施する。 過去もそうだった。 雨天では観察もできんじゃろと思われるが雨であろうが自然に…

久しぶりの顔ぶれに

一か月前のことだった。何年ぶりだろうか、久しぶりの声を聞いた。電話口から聞こえる声はYさんだった。前々職の先輩にあたる。2年半ほど前の新年OB会でも会っている。それ以来になる。なんでもOさんが会いたがっているのでこっちに来ないかというお誘…

野依五月観音講

雨が降って昼間の温度からぐっと下がった大宇陀の夜。 かつて仏母寺(ぶつもじ)があったとされる野依の社務所は村の人たちが集まった。 農作業を営む人も多く田植え作業も忙しかったというから今夜の集まりは正月に比べてやや少ない。 本尊の前の祭壇に神饌…

地デジのアンテナ

昨年4月に購入した地デジチューナー付きトリプル録画ができるデッキ。 ところがそれは地デジがまったく受信されない。 設置された人が言うにはアンテナの劣化か向きが悪いということであった。 費用もかかることであるが地デジ化はまだまだ先のことだったの…

稲作文化と農耕儀礼-大和の民俗にみる-

ここんところ聴講に出かける機会が増えている。 先月もでかけた県立橿原考古学研究所附属博物館の5月例会講座。 今回は弥生時代の稲作と農耕儀礼について2題である。 長年取材してきた民俗行事に関して示唆されるのではないかと思ってでかけた。 参加者は…

立ち話で仮採用

4月はのんびりと暮せる。 5月に入ればそうはいかない。 毎週日曜日は新聞のチラシに目を落とすかーさん。 それを見ては切り取って私に手渡す。 取材に影響を与えないような職種ってあるのか。 週2、3日程度で構わないような仕事ってあるのか。 あること…

西波多下津の差し苗

GWの期間は田植えが真っ盛りの東山間。 山添村では5月3日に神野山でツツジ祭りがあることからその後の日にされる場合が多い。 西波多下津でもそうであった。 帰郷した息子たちが応援してもらえないと田植えが始まらないという農家は少なくない。 8日の…

地域で行事解説

平成21年9月に建て替えられた地元住民のための自治会集会所。長年に亘って建て替え費用を貯めてきた。その内覧会はその月の6日にあった。2年ほど前のことだ。ここで地元住民になにかができないかなと思っていた。そのころと言えば県立民俗博物館で2回…

矢田丘陵周辺の遺跡と農耕儀礼にふれる

先月から始まった県立橿原考古学研究所附属博物館春季特別展の「弥生の里-くらしといのり―」。 ふとしたことから行事の写真で協力することになった。 それは3月11日に遡る。 そう、大地震があったその日だ。 初めて訪れた博物館でK・Y両学芸員と打合せ…

北野の春花模様

山添村の北野で田植え初めを取材したおり、咲いているお花が目についた。 農家のお家の庭に咲く白い花。 「この花はなに」と聞けば「ムベ」と答える。 アケビに似た実がついて、食べても同じような味だという。 そのアケビが家の畑に紫色の花で咲いていると…

かつての農具

5月12日頃には池の水を引いていた。 冬場は田んぼの水をあげてナタネやムギを栽培していた。 いわゆるウラ毛である。 ナタネは油屋にもっていって絞ってもらってナタネ油にしてもらった。 ムギは大きな茶壷に入れて保管していた。 ウラ毛をしていた田んぼ…

北野の植え初め

田植えを8日に予定していた山添村北野のI夫妻。 その日は所用で訪れることができないと伝えたら前日に植え初めをしてあげましょうとお誘いがかかった。 ご夫妻には度々お伺いし北野の暮らしの様相をお聞きしている。 「いつでも来てや、そうして私らの話し…

北白木さびらきの松苗

正月初めに行われていた北白木のオコナイ行事。 五穀豊穣を祈って元安楽寺とされる公民館で祭った松苗は再び田植えの時期に登場する。 北白木の田んぼは山間特有の狭い谷あいの様相をみせる。 軽トラック1台がすれすれに通れる山道だ。 そこから眺める風景…

野依白山神社御田植祭

かつては旧暦の5月5日に行われていた野依白山神社の御田植祭。 田植え時期の真っ最中で、神様の田植えとされる当日は作業をしてはならない、牛を使ってもならないとされていた。 それでは不都合だと大正時代の初めごろに新暦で営まれるようになった。 5月…

蛾の仲間

石川町で祭礼を取材していたおりに見つけた昆虫。 石柱にへばりついていた緑模様が気にかかりシャッターを押した。 その文様はまるで擬態をしているかのように見えた。 体長5cm弱ぐらいだ。 触角をみれば蛾の仲間。 おそらくスズメガの一種だと思われる。…

石川町八坂神社節句

節句につきもののチマキがある。 米粉を熱湯でこねて、蒸しあげて搗く。 それをチマキの数の大きさに分けてチマキの型にして串に挿す。 茅の葉で下包みして、それを菰草で包む。 さらに藺草で編んで括る。 下は長さを揃えて切り3本か5本の化粧縄で縛る。 …

水口祭を求めて

水口祭の様相調査は大和郡山だけに限っていない。 各地の在所でも見られる水口祭は行事によってそれぞれに様相が異なる。 この時期に度々訪れる天理市櫟本町南小路。 といっても帰り道に通過するだけなのであるが、いつされているのかどうしても気になるので…

大和郡山の水口祭の様相

4月中旬から5月GWにかけて、行事でたばったオコナイの祈祷札やオンダ祭の松苗などを苗代に立てる水口祭がが県内各地で行われている。 私にとっては田畑を見渡し苗代作りをされている田んぼを探し回る季節でもある。 行事取材地への行き帰りや買い物に行…

新泉野神祭り

N家は4度目のトーヤ(当屋)である。 今年こそまちがいなくヒキドーヤ(曳き当屋)を勤められる。 昨年が最後の行事になろうかとしていた新泉の野神祭り。 子供はたった一人になってしまえば行事が行えなくなるはずだった。 それがだ。 隣家が初の参加を表…

8カ月ぶりに

節目節目にやってくるおふくろ。 GWは毎年のことだが今年は転勤地の東京から駆けつけた長男も合流、というか帰省だ。 家族が揃ったら食べに行くのは「わらじや」。 次男はくるくる寿司に行きたかったようだがわらじやもにぎり寿司があるのでと無理やりレッ…

向渕高堂の花まつり

向渕(むこうぢ)は北の奥山から西出、上出、大垣内、中村、馬場出、宗脇の6垣内。 南の峰には堀越頓宮跡がある竜王淵。 40年ほど前は雨乞いで登った山(堀越神社)だという。 松明を手にした人たちは山頂まで登って淵の周りを巡ったそうだ。 囃し言葉は…

向渕正定寺の花まつり

室生の向渕(むこうぢ)は都祁から室生寺に向かう県道にある。 その上の古道は高樋の五カ谷から伊勢へと通る街道で宿屋もあったそうだ。 その道沿いにある正定寺(しょうじょうじ)本堂に子供たちや檀家がこの日に行われる花まつりに集まってきた。 本来は4…

一本木のオンダの牛馬作り

5月3日に行われる新泉の野神祭りの役道具が作られるこの日は今年が最後になったヒキドーヤのN家の倉庫で作業が始まった。 朝から夕方までかかる道具作りだ。 麦藁は昨年に作られた残り物。 対象の頭屋の子供は卒業し、その年が最後の行事になるはずだった…

日笠の水口祭

田原の里の田んぼに水が入った。そろそろ田植えの時期だ。日笠では既に水口祭りを終えた田んぼがある。この日だったのか判らないがお花やシキビと思われる木が挿してある。その中には松苗をウルシ棒が見られる。この年、茗荷天満神社の祈年祭でたばってきた…

津越・西村のこと

津越のヤッコメの出発地である大橋。 かつてはこの地を五軒屋と呼んでいた。 ダムができあがる前のことだ。 お店のご主人の三代前というから60年以上も前のことどころか、明治末か大正時代のころだと思うという。 五軒屋は津越の出店だった。 井倉家が地主…

津越のヤッコメ

桜井市の小夫で聞き取った話に水口祭りの際に『ヤッコメやキリコを子供が貰いに来た』とある。 田んぼの水口に松苗を挿せばやってくる子供たち。 「ヤッコメくれな ドンガメはめるぞ」といって囃したて、村中の苗代を狙っていたそうだ。 ドンガメは石のこと…

矢田山の水口

今月中旬には水口祭りが始まっていた矢田山。 その後は増えているだろうと思い自転車で回ってその様子を伺ってきた。 17日に見たのは北村地区の1軒。 Gさんの家だとN氏は話す。 そのNさん家では24日の日曜にされた。 息子さんとともに作業をされて午…

三位一体のくらしといのり講座

4月16日から県立橿原考古学研究所附属博物館で開催されている春季特別展「弥生の里-くらしといのり―」の研究講座があった。展示初日に拝観させていただいたがお話を聞かなければ深みを得ることはないと思って県立橿原考古学研究所へ出かけた。講演は1.…

番条町お大師さま参り

毎年4月21日は大和郡山市番条町集落一帯で祭られるお大師さんの日。 江戸時代末のころに始まったと伝えられている。 昭和8年(1933)に残された由来書によれば文政13年(1830)に村で流行病いコレラが広く発症した。 そのことがあり申し合わせ…