ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

夫処置後8日目ー一般病棟へ

夫が救急病院に転院したのが21日(金)。
その日を0日として処置後で8日。
一週間以上が経過しました。

今日は一般病棟に移ったとの知らせがあって初面会。
この一週間を回顧していたのですが、褥瘡の処置以降、徐々に意識レベルが下がっています。
一週間前は、発語ができて会話もどうにかしていたのが、嘘のようです。
あの頃より、バイタルデータは全然今の方がよいのに、
意識レベルは下がっている。いや意識はもしかしたらもっとはっきりしているのかもしれませんが、しゃべる体力や脳機能が落ちているのかも?
その辺のデータがみえず、なんともいえないところです。

以下娘と息子へ報告したlineより。
ーーーー

11/29 血圧は82-44。これまでの中で一番高い。
血糖値対策の点滴のおかげ?抗生剤も入れていた。
今日も酸素マスク。
一昨日より酸素の数値は安定してる気がするけどすぐ92とかに落ちたりする。
呼吸が相変わらず荒い。

看護師さんが点滴の様子を見に来られたので、
「一昨日よりは口からがーがーいうのが少なくなったみたいなんですけど」というと、痰がすぐ絡むので、鼻から痰引きをしたところだったのだそう。
なるほど。痰が口から吐けなくなってるので助かる。
ただ本人は鼻からの処置は嫌だろうなぁ。鼻血が出ていたし。鼻は苦手っぽい。
でも吸わないともっと苦しいはず。

意識はあるのだろうけど、今日はずっとうとうとという感じで、ほぼ会話はなし。一瞬、目を開いてすぐ帰ろうとするw

4人の家族写真見せると、その時だけカッと目を見開いて観る。
焦点が合わなくて???と混乱してるので「家族みんなで撮った写真だよ」というと顔が穏やかになって、そのまま寝たので?静かに出てきた。

途中体位変換に看護師さんが来られたけど、
その時には大声で「痛い〜!」と叫んでた。
元気があるのだと思いたい。


看護計画表にサインをした。いまのところ退院は未定としてある。
もう少しこちらでケアを受けたい。
徐々にダウンするとしても。

夫処置後6日目-帰ろう

夫処置後6日目の11/27(木)。

朝から歯医者の定期検診とチェック。右奥のポケットが深い。右利きだからうまく磨けないのもあるらしいけど。タフト使うか。

今日は夫の前に居た病院に荷物取りと書類関係。
またこの病院に戻る可能性は大きいのだけど、一旦取りに来なければとのことで。思う以上に荷物は多い。車を出してくださったTさん、ありがとうございました。
うちに荷物を下ろしてもらって、途中で降ろしてもらおうと思っていたのだけど、大雨になってしまい、病院まで送ってもらった。非常にありがたかったです。
しかし、最近はゲリラ豪雨みたいな雨が多い。秋だよ?冬だよ?

夫の面会。
上に上がる途中で主治医の先生とバッタリ。後で行きますね~と声をかけられた。
もうすっかりなじみになってしまった感。
救急病院の先生って、お忙しいし、病室に来られることも少ない感じがするのだけど、それって今まで以上にCCUやHCUに居る期間が多いからかもしれないなと思ったり。

ーーー
今日の夫、血圧68-33。
血圧の数字自体は結構高くなってて、良いのだけど、
本人の状態はなんだか安定せず。

先生がやってきて、説明してくれる。今日も朝から低血糖だったそうで、
点滴を早めてたくさん入れているそう。でもその分水分が体内に入っている。
透析患者は水分摂取の調整は命に関わるくらい大事な部分。
彼の腕や足はパンパンになってきている。
明日の透析時にはその分水を引こうかということを腎臓内科の先生と相談すると言われていた。うまく調整できて、少しでも楽になれればいいけれど。

酸素の数値が低め92くらいなので酸素マスクをつけている。昨日までは鼻のチューブだったのだけど、鼻血が両方から出ているみたい。看護師さんに聞くと、痰を取る時に血が出たとのことだけど、そうなの?もしかして本人がちぎったりしたのかななんても思ったり。
マスクはあった方が良いのだけど、外したいようで、でもマスクに手がかかるだけ。
身体についてるチューブも取ろうとして、
「帰ろう!」と何度も言う。他にも何か言ってるけど聞き取れない。
帰る!ではなく帰ろう!なので、私だというのはわかってるんだろうね。
他にもなにかに吠えていたり。すごく興奮しているので、よしよしして「大丈夫だよ」「怖くないよ」と何度も声をかける。
これが何度もあって、なかなか帰ることができなかった。

きっともう嫌なんだとは思う。
でも、今はこの状態でしか維持が出来ないんだよ。帰れないんだよ。でも帰れないという言葉は酷すぎるから言えない。
「もう少しここで頑張ろうよ」と言ってしまった。
頑張れという言葉も辛いだろうから言いたくないのに。
身体も心もいい感じで保てて行ければ嬉しいけど、
いいタイミングって難しい。どっちかだけがいいというものもない。
いい着地が出来ればいいのだけど。
最近、神仏に祈る時にはそれしか言えない。

今日はとても疲れてしまった。

明日は面会は休もうと思ってる。仕事しなきゃだ。


夫処置後5日-低血糖だった

夫褥瘡処置5日目は11/26(水)。

午前中、病院からの電話。焦る。
ソーシャルワーカーさんからだった。ちなみにこの方は以前の入院時にもお世話になった方のようで、前に居たリハビリ病院への転院をねびしてくださった方でもある。
リハビリ病院に送った時と今回くる直前の病棟が違うことに違和感を感じて聞いてくださった。
夫は救急のS病院からの転院でリハビリ病院に移ったが、その時の病棟は「地域包括ケア病棟」。ここは以前も使ったことがあり、基本的に自宅に帰れるようにリハビリや治療、看護、生活支援等を包括的にケアする病棟で、期限がマックス60日。
夫はココで頑張って何度も自宅に帰ってきたが、前回は重度の熱中症で運ばれ、その時はまだ7月中旬。退院予定となる9月中旬では、おそらく自宅に帰ることができない。(夫の病気ファブリ―病は、暑さに弱いのが特徴。汗が出ないので中に熱がこもり、すぐ熱中症様の症状が出てしまう。今年の夏は患者じゃなくても過ごしづらい夏だった。本人は5月の段階で自宅ですでに熱中症でダウンしている。そのことももう7月の状態で想像できたので、病院の先生と相談し、ゆくゆくは療養病棟でという話をしていた。病院はいつ空きが出るかわからない。たまたま今回早く空きが出たようで、早い段階で療養病棟に移ることができた。これで熱中症に怯えなくて済むと喜んでいたのだけど、その実リハビリはほとんど行われなくなった。本人の血圧が低すぎることもあったのだと思うのだが、療養病棟のリハビリとは名ばかりなのが実情だ。
国の医療方針なので仕方がないのだが、彼の身体の状況とはそのシステムのサービスがうまくかみ合わなかったのは否めない。
そんな話をした。(今回は状況も説明で入れたので、会話以上に書いている)

ソーシャルワーカーさんは、結構淡々と「うちでの治療が落ち着けば、元の病院にまた戻るということになると思うので」と言われる。
でも。前にも書いたかもしれないが、夫の状況は、以前そのリハビリ病院に居た時とは状況がかなり変わっている。血圧は確かに低いが、褥瘡が出来る前は意識レベルはそこまで低くなかった。褥瘡が出来たのはそしてそれが酷くなったのはなぜか。それが一概には言えないが、褥瘡前後のケア、例えば数時間おきに体の位置を変えるとか、傷の状況確認とか、心身状態の確認等のケアができていないことが大きくあるのではないか。
療養病棟に変わってからの、とにかく人手の足りてなさやナースコールを押してからの対応のひどさについては、こちらがもうあきらめざるを得ないようなレベルだ。
言ってみれば「尊厳を軽く観られている」感じがありありする。
また褥瘡が出来る可能性は十分にあり、正直なところ、転院は積極的に進めたくないと強くお伝えした。
もちろん救急病院が、ずっと居られる場所ではないことはわかっているが、
彼の血圧や意識レベルが今かなり落ちていることをみれば、「前の病院に帰って前の通り」なんてことはできないはずだと、素人目では思うのだ。

ソーシャルワーカーさんは、私の話を聞いてくれて、一応皆に申し送りをしてくれるとは言ってくれた。担当が階で別れているそうなので、もし夫が一般病棟に移ればまた別のワーカーさんになるそうだ。それでも記録として共有してもらえればそれでよい。

今日は透析日なので、15時過ぎにという感じで家を出た。
前回、透析の後は血圧がかなり低くて、意識レベルも低く、意思疎通はできなかった。
それを想定しつつ行く。
過度に期待しない。つい、少し良くなっているんじゃと考えてしまい、実際になかなかハードな状況を見てしまうと、ダメージが大きいので。
ーーーー
今日はまた部屋が微妙に変わっていた。なぜかはわからない。

今日の夫は血圧68-50。これまでにない高さ!透析後なのに。
酸素マスクはしてたけど、呼吸も安定してる。すごいことだ。

主治医K先生はおやすみで、一緒にチームでみてくれていて、前回も対応してくださってたらしいY先生から状況説明。

これまでの数日は低血糖が大きく影響してそうとのことで、
点滴で栄養補給したら、血圧をはじめ状況改善されているよう。
これまで食べれてないのが問題だったかも。
そうか、そういうことが。確かに食べれなくなって数日。身体も顔もげっそりしていたけど、数字的にもそうだったんだね。気づいてもらえてよかった。

口から栄養を摂れるのが一番良い。が、誤嚥の危険性もあり、現実的には鼻から胃に繋がるチューブを入れて、直接栄養を入れるのを勧める。が、違和感はあるため過去引っこ抜くような人もいる。
点滴ではカロリーやらは摂れるがタンパク室のようなものが摂れず、傷を治したり全身状況を整えるには少し不足があるとのこと。

その説明時に,激しく反応して首を振る夫w
実は私が行く前に先生が本人に説明したら、鼻チューブには抵抗して嫌だという意思表示をしていたらしく、「ご本人が嫌と、先程話して言ってあったんですが、一応話しました」と苦笑されてた。
彼が嫌なことはしたくない。
先生からは、「今後やっぱりしてくださいっていうのもありですから」的なことは言われた。

褥瘡のCTは撮ったが、彼の場合、両足に人工関節や金属が入っている関係で、綺麗に見えない。概ねよくはなっているが、確実とはいえないので、今後も経過観察が必要そう。そういうこともあり、転院という話も出ていたが、もう少し経過観察をしようということになったよう。その方が安心です。少し安堵。

話は血糖値の話に戻るが、最上級のケアをしています的なことを先生は言われていた。血糖値の上がり下がりを何時間かに一回計測するということだろうか。
まあ頻繁に良く観てくださるというのはありがたい。

先生が帰られた後、さて状況は良いとはいえ、彼自身が発語することは今はない。(酸素マスクをしているということもある)私の声に反応することもあればしないこともある。それでもこちらは話しかけるしかない。
「今日は少し数値がよくてよかったね。透析後なのに血圧も高いよ」というと、こちらをみて頷いているのかわからない感じの表情をする。
「昨日は眠れたの?」と言うと、今度は確実に頷いた。「そう、よかったね。眠れたんだね」と言うと、少しにっこりする。ああ、ちゃんと意思疎通ができた。よかった。
嫌なことは嫌と言えるというのは、ものすごく大切なことのように思える。
彼の意思表示がなければ、私も悩んでいた。彼の性格上したくないだろうなと思ったが、あれだけ強い意思表示をするとは思わなかった。
まだ本人がそれができるうちは、頑張って伴走するしかない。

ーーー
今日、先週WEB面接を受けたところから連絡があり、なんと面接に受かってしまった。
来期からにはなるが、事前にトレーニングが始まるようだ。
得意分野ではないが、私も苦手意識が強い方なので、デモでやったらできたということに気をよくしてやれそうな気がしている。微妙だけど。
まだお返事もしていないし、稼働は月5日程度なので、大した稼ぎにはならないまでも、ゼロではないというのが私をどうにか保ってくれる。

今日のエンジェルナンバーは1つだけだったけど「9999」という結構強烈なナンバー。
ライトワーカーの数字らしい。どうにか道を照らしながら生きていきたいものだ。


今日のTMI.定期的にあるマンションの排水溝点検。台所、お風呂、洗面所、洗濯機からの排水をチェック。いつも掃除がなかなかできていないところもあるし、そもそも上っ面しか掃除はできないので、管の方をやってくださるのはとてもありがたい。すっきりした感じ。それにあわせて少し掃除もするしね。やっぱり他者の力は大きい。自力だけでは保つことはできないのだとつくづく。

さて、今日は少し早めに寝ます。さすがに連続して疲れている。
明日は元居たリハビリ病院に荷物取りと書類関係で。

仕事をする時間がない💦
さすがに毎日面会に行き過ぎだろうか。
でも行く用事が結構あるのだ。書類関係が主だけど。
それからやはり毎日状況が変わるので、キャッチアップするには行くのがよい。
とはいうちの経済的なこともやらなければならない。
夫の通帳での支払い額をみてしまい、また絶望感を感じている。
世間的に観れば大した数字でもないかもだけど、今の私には大きな数字だ。
といいながら、どうにかなるとも思っている。
全く根拠はないんだけど。どうにかするのは私なんだけど、
一人の人間として動けることには限りがあって。
いろいろやったら、少し待って状況を観てみるということも大事。
焦ってはいけない。でも焦る。
相反しっぱなしの感情の揺れが辛い。

夫処置後4日目

夫の褥瘡処置後4日目は25日。
朝から仕事。仕事場に着くと病院から電話。
え~ってなりながら電話を取ると、
看護師さんから「お部屋が変わりました」という連絡でした。
ほっ。
CCUからHCUへ。少し安定しているけど、一般病棟に移るにはもう少しという人が入る病棟だとの説明を受けました。

授業の前に、担当の先生から「後で10分程ちょっといいですか?」と声をかけられてビビります。
いい話じゃないからですね、この手のって。

私の勤務先での関わり方はある種特殊らしく、今年は担当出来ましたが、来年はどうか?まず意思を聞かれます。現場を持っておきたいという気持ちは大きくあるので、その旨をお伝えしましたが、こちらの希望が届くかどうかはわからないよう。徐々に守られなくなってくる感じがあります。
おそらく今日の会議で承認されるかどうかで決まるんでしょうが、組織に属していない(一部だけ属している)立場の私には何をすることもできません。
連絡を待つのみです。

いきなりの大雨に降られつつ、地下鉄の駅まで雨宿りをしながら進み、駅前のコンビニで傘を買いました。一部ではひょうが降ったり雷が鳴ったりしたようです。秋冬にもこんな天気があるのね。

いつもは外食はあまりしないのですが、少し元気が出るようにとまちなかならココといううどん屋さんへ。私の好きな釜揚げうどん。卵とわかめのトッピングで。おうちでも作ろうと思えばできますが、こちらの麺はつるつる独特なんです。

お隣のテーブルは関西からの旅行客のようでしたが、この麺を気に入られたよう。豊前裏打ち会の麺です。「いつもは讃岐ばかりだから」と言われていました。そうか。

そんな他者の会話をちらっと聞けるのも、まあいい息抜きです。

夫の毎日の面会や日々の状況の変化に、身も心も緊張して固まりがち。だから、上手く揺らぎながら自分を保つ、レジリエンスを意識してはいます。

夫の病室前、お部屋が変わったので待合室で待ち、その間に事務の方とのやりとりをして、お部屋に案内されます。
以前一般病棟にいた時と造りは同じで、看護師さんやお医者さんが結構頻繁に行き来していて、安心です。

この前に居た療養病棟は、期限がない代わりに手が足りないというか、ほぼ手をかけてくれませんでした。ナースコールを押しても怪訝そうに「もう少し後でもいいですか?」で1時間以上待つような。それって尊厳が守られるのかという点で疑問です。なんでも即来いと言っているわけではないのです。状況を説明してお願いしても無理で、そりゃもう嫌になっちゃうし、あきらめちゃうよねって思ってしまいます。
その点、救急病院は、そりゃあ救急なわけですからしゃかしゃかされています笑
でも、今のうちの夫の状況には、そちらの方が安心。
何ができないにしても、見守ってくださっている安心感があります。

14時過ぎの段階として、60-33くらい(下はいまいち記憶があやふや)。これまでの中では安定しています。
本人の状況はというと、口開けてあーあー言ってます。意識があって言う時とそうでもない?って時があってよくわかりません。
口を開けているのは口呼吸の為かな。だからかくちびるがかなりかさかさになっています。
意思疎通はほぼできずで、目を開いているのでたまに目があうのですが、ちゃんと認識されているかどうかは?です。

先生がいらっしゃればと思い、連絡してもらって来ていただきました。
褥瘡の処置はして化膿したところは流したが、後ろの方の褥瘡の膿がちゃんと流れているかどうかをもう一度ちゃんとCT取って確認するとのこと。それをここ数日合間を見て行うそう。
現状は血圧も低いが安定しているので、昨日は透析を回した。透析後は低くはなったけど48くらいでセーブできてるので、このままいけるとよい。
本人の希望、家族の希望を考えながら、自分たちも最適な提案をできたらと思っているとのこと。家族で話したこととして、「何かが出てくればその都度考えるが、出来るだけ本人にも家族にも無理のないよう着地できるのが望み。本人に辛い思いはさせたくない。」ということは伝えました。本人が頑張りたいと思ってると思うので伴走したいって言葉は、今回ちょっと言えませんでした。

先生は、今後の状況により、前の病院に戻ってもらうことも検討してもいいのかなと言われています。基本的にS病院(救急)で診るのは褥瘡なので、褥瘡の状態が落ち着けば、元のH病院もしくは他の病院にという流れにはなるらしい。

「ただ経口で薬が飲めないと思われますし、前に向こうに居た時より状況は悪い、向こうは人が本当に少ないので、褥瘡防止の体位変換もされるかどうかわからない。また褥瘡が出来る可能性もあることを懸念している」という話もしました。
こちらの先生にもどうすることもできないことでもあるけど、一応言っておきました。「こうしてほしい」という希望だけではなくて、「これは嫌だ」ということも一応伝えることって大事な気がしている。我慢は確かに必要な時もあるが、今はまだ希望や思いを伝えてもいいんじゃないか、もう夫は自分では意思を伝えられないのだから、その代わりに伝えることくらいはしたい。
先生は「そういう状態になればという話であることと、先方が受け入れるかどうかもあります」と言われていました。方向としてはそちらに流れるのは仕方ないんだけど。

ベッドサイドで先生と話をしていたので、たまに夫が「はっ!」と声を出すので見ると「うんうん」とうなずいていたり笑
「先生の話を聞いてたんやね。わかった?」と聞くと頷きをやめるので、聞こえてはいそう。「まあ、何か話してるのはわかるのね?」と言うとまたうなずくので、わかってはいるっぽい。内容が理解できるのはたまになんだと思うけど。

ぶどうは、先生に聞いたけど、「多分今は飲み込もうとしてむせたりする可能性があるから、今日はむりかなー」と言われて断念。

帰り際はそんな感じで、だいぶ理解できているのかな?みたいなところが出てきた。
「じゃあまたくるね」と言うと、彼独特のいつものスマイルで、にかっと笑っていたので、あれは反射じゃなさそうに思う。

ーーー
今日のTMIとしては、看護師さんに「娘さんですか?」と言われたので「はっ?!」と声が出てしまったことです笑
「妻です」というと「あ、すみません。お若いので」と、言わせたようになってしまったので「いえ、すみません」とこちらも謝る羽目に笑

こんな風にくすっと笑えるようなことがあると、心が少しだけ救われます。

もうひとつTMI.
この日はやたらと4ケタのエンジェルナンバーを目にしました。トータルで1時間半ほど歩いた中で確実に見た記憶があるのは「3333」「5555」「6666」「8888」「9999」。あまりにもたくさん見すぎてよくわかっていないのは2と7.1と4は見ていない。
車のプレートなので在りがちな数字ではあるのだけど、でもこんなに続けてみるなんてなかなかない。
天使が「守ってるからね!」って合図を送ってくれてるんだと思うことにしました。


さて今日は5日目ですが、透析が終わるくらいに行こうと思っています。書類出しも必要もある。
ようやく、これまでの記録が書けました。

お仕事関係noteもたまっているので、そろそろ日常にモードを戻したい。そもそも日常なんてあるのか。

夫処置後2日目3日目

書いても書いても終わらないのは、私が毎日面会に行き、情報を仕入れてきてしまうからです。
そして私自身の記憶も上書きされてしまうので、「その当時」のことは書いておかないと忘れちゃう。忘れてもいいものはいいんだけど、残しておかねばならない気がする。きっと私自身のために。

ということで、
11/23の記録です。
息子が帰ってきたので、日曜は息子と一緒に面会に。
CCUでぶどうをむくわけにはいかないので、ブドウは皮をむいて4つにカットしてタッパに入れて保冷剤入れて持って行きます。お湯も忘れずに。
息子の顔が一番のお土産だと思っていたんですが、「ブドウは?」というのに笑。
昨日よりも枕に頭がちゃんと載っています。
看護師さんが居ない時を見計らってぶどうを一口口に含ませたけど、目ざとく見つかってしまいました…ごめんなさい。
聞けばダメだと言われると思ったので、、、確信犯です。
看護師さんは「寝たままの姿勢だとのどに詰まりやすいから」とは言われていました。実際そうなんですが、本人の強い希望なんですよ…。
まあ一口食べたので、ずいぶん収まった気はします。

昨日より痛みが随分落ち着いているようで、たまに波は来ますが、昨日程顔をしかめることはなくなりました。
ただ血圧が低い。最高48.金曜日にこちらに来ているので、透析は水曜から回せていないのです。透析自体はまだ機能しているようなので、やれば疲れは出るけど水は引けます。身体を保つことはできる。
先生は連休なのでお休みとのこと。月曜の朝、主治医と腎臓内科の先生の判断で透析するかどうかは決めるとのこと。

夫はたまに意識がふっとどこかに行きますし、途中で眠ったりもしますが、ふと目を開けて息子に韓国の話をせがみます。「韓国の土産がほしい」ともおねだり。息子は「まだ先生に食べていいかどうかきけてないから、先生がいいって言ったら持ってくるね」と言います。うまい言い方です。
息子があちこち行くときにはいつもお菓子を買ってくるので、それを食べるのは楽しみな人です。食欲がない時も食べちゃう。彼の土産にはそういう魔力的なものがあるのかもしれません。夫限定ですが。
ひとしきり韓国道中の話や、昔行ったことの話を、ほんとかなということもありつつ、会話をしました。正直会話になっていないことも多く、私たちがその言葉を受け取って「○○ってことね?」と確認したりしながらです。

息子が、「今、お父さんの身体は血圧が低くって、透析ができるかどうかわからないって状態なの…」と彼の状態について話します。目をきょとんとさせながら聞く夫。「透析ができないと体の機能が落ちて行って、命に関わることになる。」返事はしませんが、少し頷くようなそぶりをしている感じはします。
この辺のことは、正直あまり私も覚えていません。
昨日娘にはシェアしたけど、電話でだったので文字情報が残っておらず。
ただ私と息子は、「なんとなくだけど多分今の精一杯な感じで、状況理解していると思う」という共有をしました。

しばらくして、主治医ではないおそらくその日の担当の先生が声をかけられました。
血圧の低さがやはり問題だが、今日は抗生剤が効いているようですねということ。再び透析ができると良いねという話と、ぶどうの話笑
「先生に話を通しておいていただけませんか?本人がとても希望しているので」とお願い。なぜか夫が大きな声で「はいっ!」という笑
ぶどうにご執心なのか、たまたまなのかわからない…。
時間は15分と決まっている面会時間なのだけど、結構許容してくださるので、長居しちゃう我々ですが、さすがに1時間は、と退室することに。「そろそろ帰るね」「僕は今度は日曜までこれないから、また日曜にね」と顔を撫でて部屋を出ようとすると大きな声で「ばいばい!」。もう涙が出てきちゃいます。

帰りは息子とナーバスな気分を引きずりつつ、歩いて帰宅。途中スーパーに寄り鶏モモを買って、息子が作りたかったという韓国風チキンを揚げてくれた。私はヤンニョムソース担当。このソースほんとにおいしい。元気が出る。

娘とやっと連絡がつき、8時半頃なら会話ができるというので、8時半からlineで3人での情報共有。今日の様子、これまでのこと、今後のこと。
息子が言った。「2年前に心臓の発作が出た時、救急車で運ばれる中で苦しくてたまらなくて、もう死にたいと息を止めてみたが、結局死にきれなかった」という夫の言葉を言った。私は知らなかったのだが息子にはそんな話をしていたらしい。
2年前、心臓発作が頻繁に起こり、医師からも余命という言葉が出て、本人含め私たち家族はお別れを一人一人したのだった。「もしこれで死ななくても、後で「あの時お別れしたけど早かったね」っていえばいい事やん」って言い、彼が妙に納得したのだった。その位に、死はあの時近くにあった。
幸運にも、彼はまた動けるようになり(転院やリハビリを経て)家から送迎付きの透析病院へ変わっての透析の日々に戻った。埋め込み式の機械も手伝ってくれ、心臓発作は起こらないようになった。調子が良い日が続くわけではない。透析に行った日にはもう疲労困憊で、自力で階段を上がってくるのも辛い日々。階段下まで迎えに行き、付き添って上がる日々が続いた。それでも今思えば、あれは元気なほうだったのだ。杖を突きながらではあったけど、自分で歩けていたのだから。
…話がそれてしまったけど、息子が言うには、夫は自分から死ぬというのはその時しか考えてない。今でも頑張っている。本人が頑張るつもりなら、頑張らせるしかない。と。
頑張ろうと思っているわけでもないとは、彼をみていて思うことだ。でも結果的に頑張ることをしなければ彼は生きていけなかった。だから彼が生きることを望むということは頑張るということなのだ。

とはいえ、なかなか決められないものだが、「もう決められないでいい。最後まで付き合おう。その都度またみんなで考えよう」となった。通話時間は3時間36分。
ーーーー
24日は振替休日。夫の病院は面会は土日祝でも変わらず面会できる。ありがたい。でもキーパーソン2名のみ限定という条件付き。
この日は息子は彼女とデートで、私だけが面会に。
透析があるなら朝からで、遅くとも15時までには終わっているというので、15時過ぎを狙っていく。
家からの時にはできるだけ歩いていくようにしている。
運動も必要だ。家から歩けば40分弱。
でもつい考えすぎちゃうので、ほどほどの方がいいんじゃという気もしている。

ベッドの場所がまた変わっていた。透析はできたらしい。血圧は

48-33。透析したらやはり低くなるよう。それでも安定はしているそうで。
今日はほとんど意思疎通できず。
喉がスッキリできないようで、口を開けて「おう」と何度も発声するけど、
これが何か言いたいのかどうかは不明。
今日はぶどうどころではない。

「しぇんざいこん」みたいな発言が2回。なんだろう?

「私はわかる?」と聞くとうごめくのでわかってる?
上の方をしきりに気にする。何がみえているのだろう?

見回りの先生が来て、「今日は透析したので血圧下がっていますが、まあ安定しているのでこのままで行ければ」と言ってた。
またぶどうの話をして、話を通して欲しいとお願いしてOKもらった🙆‍♀️
主治医に通してもらえるといいなぁ。
夫に「先生にぶどうが食べられるようにお願いしたよ」と言うと「はいっ」って言ってた。よっぽど食べたいんだな。
ーーー


夫処置後1日目―「愛してる」の言葉ー息子帰宅ー

その夜には、病院からの連絡はなかった。
目覚めたのはいつもと同じくらいの時間。電話を確認して一息。
自分の病院からレンタルされていた睡眠時無呼吸のテストのための機材を外し、
少しベッドの中でごろごろする。
昨夜は寝付くのに時間がかかり、睡眠時間が十分にとれているわけではない。身体を休めておかねばと思う気持ちと、また戦場に出ねばというような気持ちが相反する。

身体を軽くストレッチして布団から出ることにした。
病院からの電話がなければ、面会は13-17時の間に行けばよい。その間に家事やらなんやらやってしまおう。

いいタイミングで、ネックレスの修理が上がってきたとの連絡が入る。この受取と一緒に靴を購入しようと思っていたので、その旨を連絡する。このお店は、今回夫がお世話になっている病院に近いところにあるのだ。先に病院に行き、お店に行こう。その方が多分気分転換になる。
急いであれこれ済ませる気になった。

ーーーー
夫に面会。
昨日と同じCCUだが、ベッド位置が変わっている。奥の個室スタイルのところだった。非常にきつそうだ。柵の方に頭を向けて、手は柵を掴もうとする感じでいる。
痛い時には何かを持つようにするスタイルを私たちはするが、あれはなんでなんだろう。
血圧は47-33とかなり低い。
意識はあり、声をかけると痛みが弱い時に目をあけ、ああという感じ。
開口一番「ぶどうはないと?」。
今日はまさか食べられると思っていなかったので持って行ってなかった💦

痛みは波が来るような感じでくるので「子どもたちを産んだ時の陣痛みたいやね」というと「記憶にない」というので大笑いしました。そりゃあ、あなたの身体の記憶にはないでしょう。

息子が韓国に遊びに行っているので、「今日の夜帰ってくるよ」というと「韓国土産話が聞きたいなぁ」という。「じゃあ、ぶどうと韓国がえりの息子は明日のお楽しみやね」というとにっこり笑ってた。

波の時にはかなり痛そうで、話をするのも大変そうだし、
実際話が通じているところを書いているだけなので、話しかけても反応がないとか、心がここになさそうな表情をすることも多い。
それでも、何かの時には意思表示ができている。

追記:ココに書くのはどうかと思ったけど、
いつのタイミングなのかわからなくなりそうなので、書いておく。

痛みの中で意思疎通がなかなかできにくいながらも、
痛みがない時には会話はできた。
顔を近づけて、耳元で会話する。

彼が「愛してる」と言った。
彼の前で涙を見せてしまうと彼の死期が近いと言っているような気がして泣くまいと思っていたのに、不意打ちされて涙が出る。
私も「愛してるよ」といい、顔をなでる。
そして「ごめんね、優しくしてあげられなくて」と謝った。

パソコン事件の後、ぶどうを持って行って食べさせてあげたことで、
まあ事実上は仲直りした感じではあった。
私から「もういいよ」とは言ってはいないが、それを求める人でもない気がする。
私の正直なところは、もういいと思う気持ちでもなかった。
実際にうちの経済は厳しいし、勝手にパソコンを買われては困る、
その思い自体は彼の今の状況からは仕方ないのだろうとは思いつつも、私の思いが届いてないことの残念さがぬぐえなかった。
だからもういいではなかったのだが、私も鬼ではない。
今命の危機に必死で立ち向かっている人にこれ以上自分の気持ちを引きずって対応してはいけないと思った。ぶどうを持って行ったのはそんな感じだった。

「愛してる」は、きっと彼のもう最後の言葉だったのだろうと思う。
そこにはきっと私への感謝の気持ちがあったのだと思う。
そして彼の愛してるは、私の「もういいよ、じゃないよ」という思いを溶かしていった。
私も許さねばならない。
なにより、この30数年一緒に歩んでくれたことに感謝している。
でも「愛してるよ」の言葉は正直照れ臭い。こんな段になってもね。

・・・この翌日息子が帰国し、3人で韓国土産の話をにぎやかに?語り、彼が大きな声でバイバイ!と言った、それが会話らしい会話の最後になった。23日。

ーーーー
面会後、件のお店へ。
電話で対応してくださった店員さん、ポップアップのところで接客してくださった方、別店舗をまたいで対応してくださった方と楽しく談笑しながら、靴選び。
その後中敷きを買いに行き、隣にあったお店でまた先ほど対応してくださった方とお話したり。夫のことを考えない時間というのがやはり私には必要なのだろう。夫のことを考える時間ももちろん必要なのだけど、下手するとそればかり考えてしまうから。
バスを待つ時間で、夫との面会の状況を、娘息子にシェア(lineで報告)。
ーーー
息子が夜遅く帰宅。
向こうではバスタブがなかったらしく、帰宅してすぐに「早くお風呂に入りたい」と入浴。かなり長風呂。やっと上がってきたと思ったら、そこからお土産披露大会がはじまった。会社に配るもの、彼女から頼まれていたコスメ系がほとんどを占めている笑
その間に3日間でどこに行ったかの話が時系列になされる。
楽しかったならいいことだ。せっかくの初海外だから、その土地の食べ物をいっぱい食べてくるとおもいきや、彼らにとっての韓国は「チキン」だったり韓国発のフードだったりで、韓牛の焼肉とか海鮮とかって話ではないらしい。話を聞いていると、国内旅行の延長的な雰囲気で出かけているんだなぁと感じる。コンビニご飯でもあまり気にならないよう。
私がお土産にお願いしていたのは、韓国の口内炎薬「アルボチル」。ものすごく痛いけど、1分で治るという噂のもの。ちなみに息子がちょうど大きな口内炎を2つ持っていたので、寝る前に1つだけに綿棒で塗ると、朝には痛みがなくなっていたそう。
出来ないに越したことのない口内炎だけど、期待が高まる笑

そしてお土産大会がだいたい終わったのが、11時半くらい。それから2時くらいまで、話をしていなかった詳細を話し、私たちはどう決断するかを話し合った。
結論は出ず、息子が「お姉ちゃんも交えて話したい」。そうだよね。
わたしと息子は状況を看てきているので理解できることもあるのだが、遠方の娘は感覚的に理解できていないこともあるだろう。
そういう立場の彼女とも情報共有したいし、意見も聞きたいところだ。

なんでこんなに結論がでないのかというと、
ひとつに私たちが医学的な所見を持たないからというのも大きくある。
いくら私たちが「こうしてほしい」と願っても、それが医療従事者や病院という組織において、できないこともあるだろう。私たちにしてみれば願いとしては、「苦痛を和らげてほしい」なのだが、痛み止めを使えば血管が開き血圧が下がる。そうなると意識がなくなる可能性と透析が回せなくなる可能性がでてくる。そういう理由でそれは却下される。ここで「本人の意思ですから延命治療をせず、痛み止めを打ってください」といえば、もしかしたらGOだったかもしれない。処置の時に何度も聞かれたあのタイミングでいえば。
でも言えなかった。家族で話し合ってもなかった。そういう緊急状態であれば私が判断することに子どもたちは納得してくれるとは思う。でも私が踏み切れなかったのは、夫本人の意思がどうなのかがわからないからだった。
ここで本人にきいたところで、その問いに本人が答えられるかもわからない。彼自身も決めきれないだろうし、その思考力ももうないかもしれない。
その辺で私と息子の考えはなかなか着地しない。
最後の最後で、「今の状態が思考できない状況であったとしても、彼の尊厳を大事にしよう」「明日、彼に今の彼の状況を話そう。」ということだけを決めた。

私たちももう考えすぎて疲れ果てている。



事態は動いたその後。

今日は連投です。
書ける時に書いておかないと、忘れてしまいそうで。
ーーー
F先生の診察が終わり、会計を待つ間に、夫病院主治医から電話がありました。
「S病院(救急)が診てくださるそうです!」なんと!
「すぐ準備して救急車で送りますので、奥さんは直接S病院に行ってください」
「え?そちらに行かなくていいんですか?保険証とか全部彼のところにあります。」
「こちらにきてると時間なくなりますよ。保険証とかはどこにあります?貴重品と保険証等だけ持たせて、後はゆっくり取りに来てもらっていいですから。もしその後安定したら返されることもありますからね。」
え?そうなの?

普通なら救急車だとかなり早いけど、どのくらいでつくかわからない。
会計を済ませ、お薬は処方箋だけもらって、とにかく急いでみる。
直通のバスがないので、途中までバスに乗って乗り換えを…と思って歩いていたのだけど、私も気持ちが動転してて、以前まで行ってたN病院(救急)のつもりで歩いてた💦
S病院はそこから徒歩圏内だった。気づいてよかった。

病院に着くと、まだ救急車は届いていない。
なので、事の次第を娘にメッセ。
息子は旅行2日目なので、まだ知らせない。
でも一人で待つ待合室はとても心細い。
これまでも、母や夫を何度も待ったが、今日は息子がいないのがやたらと寂しい。
でも娘がお休みだったこともあって、チャット相手になってくれて助かる。

ーー
事務の方から「保険証は・・・」と聞かれるも「本人と一緒に来ます」と答える。
することがない。
不安だけが湧く。前の病院の先生は、救急搬送もリスクですと言っていた。何事もなく到着しますように。
目の前のひとつひとつをクリアすることを願うしかない。

かなり時間がたったように思うが、タイムスタンプ的に記録していないのではっきりとはわからない。
救急車が立て続けに3台入ってき、そのうちの1台にいるようだ。
中に入って処置するにあたり、救急医や看護師さんからあれこれ聞かれる。CTは向こうで撮っているので、今回はヨード入りの血管がうつるCT(ヨード造影)を取るという同意書を書く。
断るような雰囲気でもない。
3時間くらいかかりますとのこと。今日は入院ですと。はい、そのつもりです。

処置の間、許可を得て近くの調剤薬局へ。
15分位。もうすっかり暗くなっていて、近くの公園はキラキラのイルミネーションと大音量のクリスマスソング。全くそんな気分にならない私。

充電が48%。フリースポットの充電池を借りるか悩む。
気を紛らすために音楽に没頭したい気もするが、いざという時に連絡ができるよう電池は温存しておきたい。娘の助言もあり、充電池を借りに。ついでにコンビニでおにぎりも買って食べた。そういえば昼を食べていなかった。

看護師さんがきて,延命治療をするかどうかの確認。
今は彼の意識ははっきりしていて、自分の名前や生年月日は言える状態。(まあ今日は10月とか言ってたらしいけど、ずっとお日様を見れない病室にいるので、その前から月日や曜日感覚はなくなっている)
延命治療は、以前は本人は拒否していたが、今はわからないと答える。形成外科の先生待ち。

そんなことを娘に報告している間に、形成外科の先生到着、すぐ処置に入ってもらい、褥瘡の膿切除の処置は終了。
が、その報告とともに再度延命治療のことを聞かれる。
前の病院からの申し送りで、血圧を上げる薬は使わない、延命措置はしないと聞いているらしいけど、血圧上げないと透析はできない。
でも、本人の意識があるのに全体状態が悪いからと投薬やめるのは、ちょっと抵抗がある。

この処置中や今後状態が悪くなって昏睡になるとかならわかる。

本人が頑張るつもりならと思って今回この病院に来た。本人が頑張るとは直接聞いてはいないけど、これまでの経緯から彼は決してあきらめていないことはわかる。

血圧を上げるには首を切開して管で入れることになるようで、これがいわゆる病院的には延命になるらしい。
私たちにすれば、これまでも首を切開してそこからの治療というのは何度も経験してきたので、それが延命治療になるとは思えないのだが。。。
という話を先生とはした。

まあ、当の本人の状態が非常に悪いので、助ける措置というのは限定的になるというのもよくわかる。
落ちていくのを上げるような処置はできないと言われた。
私たちにしても、無理にそうすることが延命になることはわかっている。
本人に選ばせるのは酷。でも私が判断するのも酷。というか難しい。
せめて息子が帰ってくるまでか?娘にどう思う?と聞くと、娘もあれこれ考えてくれたが、答えを出すのは難しい。本人がどう思うかがやはり一番気になるところだ。

処置室に呼ばれる。
夫に「頑張ったね」というと「大変な目にあった」と言っていた。
そうだよなぁ。本人何をされているのかわからない可能性もある。
「足のところに2つ傷があったのが酷くなっていたから、悪いところを取ってもらったよ。」と説明。でも痛がっている。
痛みがとても強く感じるのは、彼の難病ファブリ―病の特徴でもある。
これが本当にかわいそう。
血圧は上が60.これ以上下がったら呼びますと言われる。
血圧を上げるためには、先ほどの首切開ではなく、経口で口からか、難しければ鼻から入れるというのも検討するという。
鼻にはすでに酸素の管が入っていて、苦しくなって嫌がるだろうなと想像する。

上階のCCU(救急病棟)に移動。
本人は痛がっている。
先生からの話としては、血圧が低くて痛み止めが容れられない。
痛み止めは血管を広げるので、血圧がさらに下がり意識がなくなる可能性があるという。
そこで先生に「どうしますか?」とさらに聞かれる。
今、決断はできない。少しでも痛みは取ってあげたいが、手がない。
抗生剤を使い始めて3日目だから、それが効いてくれることを祈るしかない。
血圧を上げる薬を経口しているかどうかもわからないので、(前の病院では飲んでいると思われるので)更に薬を足すこともできないよう。
ベッド脇に来てから、また血圧が下がった。CCUにきた当初51だったのが48.怖くてたまらない。
息子が帰ってくるのが明日夜なので、少し相談させてもらいたい旨伝える。


急変するかもしれないと念を押され、病室を後にする。
22時を過ぎていて、バスがなく、タクシーを拾えるところまでと歩いていたら半分くらいきてしまった。どうにか拾って帰宅。

娘とチャットしつつ、息子に簡単に状況のみ報告。
急いで帰ってくる必要はなく、予定通りでと伝える。

金曜日の夜はこんな感じで更けていった。
なかなか寝付けない。いつ連絡があるかもわからない恐怖。
2時位にやっと眠りに落ちた。