「観るだけ美術部」部長のブログ

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[企画展]★外山卯三郎と三岸好太郎 ふたりの『悪童』展」

(ふたりの『悪童』外山卯三郎と三岸好太郎展)

★外山卯三郎と三岸好太郎 ふたりの『悪童』展

 北海道立三岸好太郎美術館、2025年12月6日(土)-2026年3月26日(木)

(WEBサイト→)

artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp

 札幌に生まれ、」幻想的イメージの世界を切り開いた画家・三岸好太郎(1903年-1934年)。その画業は、新しい表現への果敢な挑戦の連続でもありました。その挑戦に示唆を与えたと考えられるの存在のひとりが、外山卯三郎(1903年ー1980年)です。外山は、北海道帝国大学(現在の北海道大学予科に学び、ダダイズム的絵画を発表したり、詩と創作版画の雑誌『さとぽろ』創刊に関わるなど、札幌画壇に忘れられない足跡を残しました。

三岸好太郎『海洋を渡る蝶』(『筆採素描集』)、1934年)

 ふたりは東京で、独立美術協会の創立会員と、同協会を支援する美術史家として出会います。『詩と詩論』に拠る詩人であると同時に、同時代のヨーロッパの画家から日本近世の円山応挙まで、幅広く視野に収める外山卯三郎。好太郎は、外山邸を訪ねては書斎の蔵書を読みふけったと伝えられています。

 「悪童」とは、三岸好太郎が自らの小学生時代を振り返って自筆年譜に記した言葉です。過去のスタイルにこだわらずに作風を変えていく三岸好太郎の姿は、他の画家からは「悪童」に見えていたのかもしれません。また、札幌に20世紀前衛美術の旋風を巻き起こした外山卯三郎もまた、北海道帝国大学の教授陣には手の焼ける「悪童」であったのかもしれません。「新しいものに挑戦する」というスピリットにおいて、ふたりは共感しあえる存在だったのではないでしょうか。

三岸好太郎『蝶と貝殻』、京都国立近代美術館、1932年)

 三岸好太郎の代表作『筆彩素描集『蝶と貝殻』』には、外山卯三郎が序文を寄せており、ふたりの親密な交友がうかがえます。三岸好太郎と美術史家・外山卯三郎との交友を跡付けながら、代表作『蝶と貝殻』の連作へと至る画業の軌跡をご覧ください。

三岸好太郎『素描筆採集「蝶と貝殻」』、北海道立三岸好太郎美術館)

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道立三岸好太郎美術館さま(HP)よりお借りしました。

 

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