Rui's Diary

よろしくお願いします

報道の不在と私たちの無力感

 

1. メディアが「権力の監視者」でなくなったこと

本来、報道の使命は「権力の監視」と「市民の知る権利の保障」です。
ところが近年は、政府発表をほぼそのまま流す「広報的報道」や視聴率重視の「娯楽報道」が中心になっている。

特にテレビはスポンサーや政権との関係が深く、批判報道を避ける傾向が顕著です。
新聞も経営的に追い詰められ、政権との距離を取れなくなっているケースが増えています。


 

2. 分断を煽る構造

SNSの影響もありますが、メディア自身が「対立構造」を作り出して視聴者を引き付けることも多いです。
「右か左か」「敵か味方か」という単純な図式で語ることで、冷静な議論や共感の余地が失われていきます。
その結果、人々の感情が過激化し、社会全体が「怒りと疲労」で覆われてしまう。


 

3. 報道しない自由と諦めの空気

さらに深刻なのは、重要なことを報じないことです。
軍拡、貧困、労働、教育、差別といった社会の根幹にかかわる問題は、ほとんどのメディアで扱われません。
そうすると多くの人は「そんな問題は存在しないのか」と錯覚し、少しずつ諦めてしまう。
その沈黙が、権力にとって一番都合が良いのです。


 

4.問いを手放さないために

今のようなメディアが報じる情報を鵜呑みにしている国民が殆どであれば、故安倍元首相の意志を継ぐと公言する高市政権の罪深さ、悪政に疑問を感じることもなく、支持者が増えてしまうのも理解できる。

「なぜ?」と問い続けていくことが、この国の理性をかろうじてつなぎとめている気がする。



— 苦しくても、理解されなくても、書き続けていくしかありません —