
ベランダの植物の元気がなくなっている。
掃除もしていない荒れ地のようだ。
4年ほど前から購入し始めて、手間をかけて大事に育ててきた。専門店の店員さんにアドバイスをもらったり、本で調べたり。
いつも声をかけながら可愛がっていて、その声に応えるように葉を伸ばしてくれる気がしていた。
風通しをよくするために室内に移動させて、サーキュレーターを回したり。
土や環境にも気を配っていた。

本来、報道の使命は「権力の監視」と「市民の知る権利の保障」です。
ところが近年は、政府発表をほぼそのまま流す「広報的報道」や視聴率重視の「娯楽報道」が中心になっている。
特にテレビはスポンサーや政権との関係が深く、批判報道を避ける傾向が顕著です。
新聞も経営的に追い詰められ、政権との距離を取れなくなっているケースが増えています。
SNSの影響もありますが、メディア自身が「対立構造」を作り出して視聴者を引き付けることも多いです。
「右か左か」「敵か味方か」という単純な図式で語ることで、冷静な議論や共感の余地が失われていきます。
その結果、人々の感情が過激化し、社会全体が「怒りと疲労」で覆われてしまう。
さらに深刻なのは、重要なことを報じないことです。
軍拡、貧困、労働、教育、差別といった社会の根幹にかかわる問題は、ほとんどのメディアで扱われません。
そうすると多くの人は「そんな問題は存在しないのか」と錯覚し、少しずつ諦めてしまう。
その沈黙が、権力にとって一番都合が良いのです。
今のようなメディアが報じる情報を鵜呑みにしている国民が殆どであれば、故安倍元首相の意志を継ぐと公言する高市政権の罪深さ、悪政に疑問を感じることもなく、支持者が増えてしまうのも理解できる。
「なぜ?」と問い続けていくことが、この国の理性をかろうじてつなぎとめている気がする。
— 苦しくても、理解されなくても、書き続けていくしかありません —

私は子供の頃から文章を書くことが苦手で、特に読書感想文が苦痛だった。確か理由は単純で「内容がここまで完璧なのに感想なんて書けない」だったと思う。
なので本の最後にある「あとがき」を見ながら感想っぽく書いたつもりでも、当然先生にはバレた。
読書は内容にもよるけれど、どちらかと言えば純文学よりも、ドキュメンタリーに近いものが読みやすく、好きかもしれない。作家の自叙伝的な本とか。それか自分の興味のある分野ならば医学書(薬学系)も読んだ。これはうつ病を治したい。元気になってまた動けるようになりたいという執念からだった。
でも子供の頃から読書を習慣にしてこなかった事に、今とても後悔している。
子供の頃、親は良い本も沢山買ってくれたけど、偉人物語系だけはいただけない。後々になって当然のごとく「事実と違うじゃないか」ということで卒業した。