心のままに〜自分の人生の歩き方

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

自分を満たそう!

 

 

 

去年は、一年かけて

いろんな自分を許してきた年でした。

 

ジャンクフードを食べる自分を許し

波動の低い自分を許し

何もしない自分を許し

人に稼いでもらう自分を許し

家族のごはんを完璧に作らない自分を許し

高級食材を食べる自分を許し

実家に帰らない自分を許し

無理をしない自分を許し、と

いろんな自分を丁寧に許してきました。

 

今まで許せなかった

上記のようなことが許せると、もはや

「もうどんな自分でもそのままでいいじゃん」

という気持ちになってきました。

 

 

 

そうして自分を許せたら、自然と

自分が周りのすべての存在に

生かされていること

=命をいただいていることや

母が私を否定するのは母の自由で

それで問題なかったのだという

(この気づきに関してはいつか書きます)

大きな気づきを得ることができました。

 

それにより、私は解放されて

どんどん自由になっていきました。

 

 

 

すべての始まりは自分との関係。

 

自分を許しているか。

自分を労い、かばっているか。

自分の今までの頑張りを認めて

誇りに思い、褒め称えているか。

自分を愛しているか。

 

自分との関係が良好になると

自分を取り巻く世界は

勝手に優しくなっていくって

本当だなぁと実感しています。

 

 

 

 

 

そんな昨年でしたが、今年は

「自分を満たそう!」というのが目標です。

 

昨年は「自分を許そう!」で

今年は「自分を満たそう!」です。

 

自分を楽しませ

自分を喜ばせ

自分の望みを叶えてあげて

自分を満たしていこうと思います。

 

そして、この地球を遊んで生きよう!

遊びに来たのだから

思う存分遊んで帰ろう!

 

 

 

自分を満たそうとすると

抵抗が起こることがあります。

 

自分勝手なんじゃないか?

わがままなんじゃないか?

人の迷惑になるんじゃないか?

などなど。

 

でも、自分に喜びや豊かさをあげて

自分を幸せにするのは

自分に与えられた使命です。

 

みんな楽しみたい。幸せになりたい。

それをやりに来ているのですから。

 

だから、そうすることは

使命を果たしていることになります。

 

逆に、自分に我慢や無理をさせ

やりたくないことをやらせ続け

喜びを与えず、頑張ることを強要するのは

使命を果たさない怠慢です。

 

辛くても頑張っているのに

「怠慢」というパラドックス

おもしろいですね。

 

「いやいや、怠慢っていうのは

楽することでしょ?

楽しんだりいい思いすることでしょ?」

と言いたくなりますが

これからの世の中はそうじゃないようです。

 

 

 

これからの世の中は

みんなが自由に軽やかになって

各々が自分の楽しみを生きる世界。

 

その世界の流れに乗っていくために

頑張る、耐える、我慢、無理、などは

重すぎるのです。

 

その重すぎるこれまでのやり方に

しがみついているのは

変化を恐れて動かないという怠慢なのです。

 

 

 

「自分を満たす」という方へ行動する時

それまでと違う選択をするならば

それはやっぱり怖いです。

 

だからちょっとの勇気は必要。

「自分を幸せにする!」という覚悟も必要。

 

幸せそうに楽しんでいる人は

ある意味、苦しそうに耐えている人よりも

「頑張って」いるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

何を選んでも自由。

どう生きても自由。

みんな自分が経験したいことを

経験しているだけ。

 

楽しむ自由もあるし

楽しまない自由もある。

 

なので、人のことはいいから

考えるのは「自分はどうしたいか?」だけです。

 

 

 

私は、今年は

自分を満たしていこうと思っています。

 

 

 

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手術から一年経ちました

 

 

 

去年の12月23日

私は乳がんの手術を受けました。

 

そして、その翌日

去年のクリスマスイブは

病院のベッドで過ごしました。

 

夜ごはんの時、病院で出された

3センチ角のクリスマスケーキを

食べたことを思い出します。

 

もう一年も経ってしまった。

なんて早かったのだろうと思います。

 

 

 

あの頃の入院、手術、放射線治療などの

一連のことを思い出すと

今でも憂鬱な重い気分になります。

 

それほど、私にとっては嫌だったこと

辛い体験でした。

 

今もホルモン治療は続いていて

副作用があったりしますが

それでも、ほとんど普通に

穏やかな暮らしができることは

とても嬉しいことです。

 

「本当に、よく乗り越えてきたね。

頑張ったね。」と

自分を褒め称えてあげたいです。

 

 

 

絶望するようなことが起こっても

過ぎてみれば、まだ普通に生きている。

 

絶望したり、希望を見出したり

上がったり、下がったり

バタバタしながら過ぎていく。

 

そして過ぎてみれば、苦しみの中で

宝石のように大切なものを拾っていて

今の自分に確かに残っていたりする。

 

私は、自分の過去の経験を

何か温かい気持ちで慈しみたくなりました。

過去の経験を抱きしめたくなりました。

 

これが私の人生で

「すべての経験は宝もの」

そんなふうに思います。

 

 

 

この先、あとどのくらい生きられるのか

わかりませんが、今、生きていること

今、命があることを喜んでいたいです。

 

そして、生かしてもらっていること

命をいただいていることを忘れずに

自分の体と周りのすべてのものに

感謝していたいです。

 

朝、目覚めた時に言うのは

自分の体に

「目を覚ましてくれてありがとう。

私を生かしてくれてありがとう。」

周りのすべての存在に

「私を生かしてくれてありがとう。」

という言葉。

 

 

 

命があるって嬉しいな♪と思います。

 

 

 

メリークリスマス♡

 

 

 

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タバコの匂いが許せない

 

 

 

私の家はマンションで

24時間換気設備がついています。

 

各部屋には小さな通気口があり

そこから常に外の空気が入ってきて循環し

24時間換気をしている状態です。

 

 

 

とてもいいシステムなのですが

数年前、お隣に新しくマンションができて

状況が変わりました。

 

お隣のマンションの換気扇が

こちら側についていて

時々、タバコの匂いが

部屋に入ってくるようになったのです。

 

お隣のマンションの建物は低いので

目の前に壁があるという状況ではないですが

煙は上に上がってくるので

通気口を通ってタバコの煙が入ってきて

部屋が臭くなります。

 

 

 

これがものすごく不快で

腹立たしくて

私は許せない気持ちになりました。

 

特に、その臭くなる部屋は

私の寝室なので

「なぜ人が吸ったタバコの煙の匂いで

不快な思いをして寝なければならないのか。

なぜ人の吸ったタバコの煙で

無関係の私が健康を害さなきゃならないのか」

と怒り心頭でした。

 

 

 

私は、この状況を許せず

なんとかしようと躍起になっていました。

 

タバコの匂いが入ってくるという出来事は

私にとっては「悪」で

すぐに改善しなくては、と思っていました。

 

私は、状況を変えよう変えようと

していました。

 

 

 

 

 

でも、ふと気づきました。

 

私は、自分に起こった出来事を

良い悪いと判断して抵抗している、と。

 

「嫌なことが起こった。すぐに排除しよう。」

という在り方。

起こった出来事に抵抗している在り方。

 

「善」はいいけど

「悪」は存在することを許さない。

 

「悪を排除する」という

二元性の分離意識がここにあります。

(分離を超えた世界は良い悪いはなくて

全受容全肯定の世界です)

 

 

本当に、無自覚に、ナチュラルに

分離意識を生きている。

 

タバコの匂いは

私の分離意識に気づかせてくれました。

 

 

 

 

 

では、絶対に許せないと思っていた

タバコの匂いに対して

私はどう対処すればいいのでしょうか?

 

もしかしたら、タバコの匂いを

お天気のようなものとして

捉えればいいのかな?と思いました。

 

例えば、雨が降ると

ちょっと不快に思ったりするけれど

そのことを「絶対に許せない!」と

降らせないようになんとかしようとしたり

抵抗したり、戦ったりはしません。

 

お天気とケンカしようとはしない。

「ああ、今は雨が降っているな」と

部屋の窓を閉めたり、傘をさすだけです。

 

寒い時はコートを着て

日差しが暑かったら日傘をさす。

 

お天気の状態を辛く思うことは

あるかもしれないけれど

本気で怒ったりしない。

 

お天気とはそういうもの、と

ある意味諦めて、受け入れる。

 

そして、「じゃあこの環境の中で

どうすれば自分は快適?」と考える。

 

 

 

タバコの匂いも、匂ってきたら

「ああ、タバコの匂いがするな」と

窓も通気口も閉めればいいのだと思いました。

 

そこに感情は必要なくて

匂いをどうにかしようと考えることも

しなくていい。

 

抵抗を手放し

良い悪いというジャッジも手放す。

 

淡々と、自分に起こることが

目の前を通り過ぎるのを

見ているだけでいい。

 

それが

「起こる出来事を良い悪いと判断しないで

そのまま受け入れる」

ということなのだと思いました。

 

 

 

こう思い至ってから、一回だけ

タバコの匂いがした時がありましたが

淡々と通気口を閉めたら

問題は何もなくなりました。

 

「なんだ、こんなに簡単なことだったのか」

と拍子抜けでした。

 

でも、出来事に抵抗している時は

自分が通気口を閉めなきゃならないことも

不愉快だったのです。

 

 

 

自分にとって許しがたいと思う問題も

見る角度を変えると

もう問題ではなくなる、ということは

よくあることですね。

 

おもしろいなぁ〜と思いました。

 

 

 

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幸せの涙

 

 

 

床暖房がついていて

足元が暖かいのが幸せ。

 

ストロベリーフレーバーの

温かいデカフェ紅茶がおいしくて幸せ。

 

ビーリーフにしらすトッピングのサラダが

体に心地よくて幸せ。

 

ソファに横になって

毛布に包まれているのが幸せ。

 

静かな部屋が幸せ。

 

隣の部屋から

息子のリモートワークの声が

かすかに漏れ聞こえてくるのが幸せ。

 

 

 

 

 

そして、夕日の中

風に揺れている洗濯物を見て幸せ

と思ったら涙が出てきた。

 

何の涙かわからない。

でも幸せ。

 

 

 

 

 

「やっとここまで来れたね」

と声がした。

 

私は、魂とともに

歩んできた道のりを振り返り

「よくやってきたな。

よく乗り越えてきたな。」と

喜んでいるのかもしれない。

 

魂とともに

ここまで来れた自分のがんばりを

誇りに思い、お互いに褒め称え

抱きしめ合っているのかもしれない。

 

 

 

 

私は、降り注ぐ祝福を

全身に浴びている。

 

 

 

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長年の悩みの答え

 

 

 

今日、ある情報に出会いました。

 

それは、大体こんな感じです。

 

「心がモヤモヤしたり不安になったり

焦ったりするなら、その時

脳は働いてない状態で、すでにある

思考回路をぐるぐると自動再生しているだけ。

 

そこには自分の意識はない。

意識は眠ったまま。思考は

自分でパターンを変えることはできない。

同じ回路を繰り返すことしかできない。

 

新しい状況を創り出すことができるのは意識。

だから、自分がぐるぐるしていると気づいた時

意識を使う。意識を『今ここ』に戻す。

今、自分ができていること、選択できること

すでにある豊かさ、今もうある幸せに気づき

そこに意識を置くことを選択する。

それが、思考の自動ループから抜け出し

目覚めた意識で今ここを生きるということ」

 

 

 

私は、これを読んだ時

「ほんとそう!」と

頭の中の明晰度が上がった気がしました。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

私は、もう何十年も前から

自分の健康に対する不安と恐怖に

悩まされてきました。

 

前回のブログに書いたように

ちょっと何か不安なことがあると

一気に奈落の底に落ちた気分になって

怖くて仕方なくなります。

 

これが本当に苦しくて

私はこの不安と恐怖から解放されたくて

なんとか安心したくて画策してきました。

 

ホメオパシーヒプノセラピー、瞑想

心理カウンセリング、エネルギーワーク

スピリチュアルカウンセリング、など

いろんなものに救いを求めてきました。

(もっとあるかもしれないけど忘れました)

 

立派なセラピー難民で

どれもその時は良くなった気がするのですが

しばらく経つと元に戻ってる、の繰り返し。

 

でも、前回ブログに書いたように

自分で「起こってもないことを恐れている」

と気づいて「今ここ」に戻るということを

繰り返していたら

昔よりはだいぶマシになった気がします。

 

 

 

 

 

この私の「健康に対する不安と恐怖」は

まさに自動的に考えてしまっていること

習慣化しているいつもの考え事でした。

慣れ親しんだお馴染みの思考です。

 

そこに意味などなくて

ただ、ある時出来上がったパターンを

ぐるぐる繰り返していただけ。

自動再生で勝手に湧き上がってきていただけ。

 

だから、そこに

「どうして?」と意味を求めたり

トラウマやブロックを見つけて

なんとかストップしよう、排除しようとしても

うまくいきません。

 

そうやって対処しようとしていることが

もう思考を使っているのです。

思考では現実は変えられません。

 

 

 

 

私が、体調不良や何か不安な出来事で

自分の健康が不安になる時

思い返してみると

いつでも未来のことを考えています。

 

「これからどうなるんだろう」

「この先◯◯になってしまうかも」

「老後◯◯になってしまうかも」

「電車に乗った時◯◯になったらどうしよう」

などです。

 

意識が「今ここ」にいません。

だから不安はなくならず繰り返されました。

 

 

 

 

 

私は、ずっと悩まされてきた

「健康に対する不安と恐怖」の

答えと巡り合った気がしました。

 

「健康に対する不安と恐怖」が今起きる時

そこに深い理由や意味などなく、たぶん

幼少の頃、具合が悪くなった時に感じた

不安と恐怖が、私の思考回路に定着して

それが自動的に再生されているだけなのです。

 

 

 

もちろん、それが定着したということは

とても苦しい思いをした、とか

具合が悪いのに母に嫌な顔をされた、とか

強く不安と恐怖を感じたのでしょう。

 

だから、そういう意味ではブロックであり

トラウマです。

「苦しかったね。怖かったね。」と

癒してあげなければなりません。

 

苦しかった感情、怖かった感情は

感じきって流して癒した方がいいと思います。

 

でも、「こうなったらどうしよう。

ああなったらどうしよう。」という思考は

自動的に再生されているもの。

そこには意味はありません。

 

 

 

だから、私の長年の悩みの答えは

「その思考が再生され始めたら

『あ、これ、いつものやつだ』と気づいて

意識を今ここに戻すこと」です。

 

今ここにいながら

不安になることはできません。

それは同時にはできないのです。

 

現実は「今」しかありません。

今ここにないということは

それは幻想なのです。

 

 

 

 

そして、その思考の自動再生は

繰り返しやってきます。

 

だから、その都度、何度でも

意識を今ここへ。

 

また同じこと繰り返してる!と

自分を責めたり、ガッカリしたりしないで

淡々とやっていきたいです。

 

 

 

 

 

「意識を今ここへ」

ずっと前から知っている言葉。

でもなんだかストンと腑に落ちました。

 

思考の自動ループから抜け出し

目覚めた意識で

今ここを生きていきたいと思いました。

 

(なるべく…笑)

 

 

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恐怖からの脱出

 

 

 

去年の年末、乳がんの手術をしたのですが

その定期検診が先日ありました。

 

私はホルモン治療中なのですが

その副作用で骨密度が

かなり低下していることがわかりました。

 

私は50代なのに

「骨年齢80代 危険」という文字を見て

ショックでした。

 

またホルモン治療をしている人は

子宮体がんのリスクが上がるということで

子宮体がんの検査もするように

勧められました。

 

子宮体がんのリスクが上がることも

気が重くなる話でしたが、それプラス

子宮体がん検査を受けなきゃいけない

ということが私には恐怖でした。

 

「子宮体がんの検査は痛い」と

婦人科の先生から聞いていたからです。

 

 

 

「また痛い思いをしなきゃいけないのか。

嫌だなぁ。」と気が重くなり

「もしかしたら今度は子宮体がんに

なってしまうのか?」

「骨もこの先どうなるかわからない。

私は将来寝たきりに

なってしまうのではないか。」

「私は長生きできないかもしれない。」などと

一気に落ち込み、暗い気持ちになりました。

 

自分が進んでいく未来が

暗く苦しいもののように感じられ

何よりまた痛い思いをしなきゃならないのかと

思うと絶望的な気分になりました。

 

私は不安と恐怖でいっぱいで

実際に気分が悪くなってくるレベル。

それほど私は恐怖に苛まれていました。

 

私はすっぽりと

三次元の世界へと入り込んでしまいました。

 

(三次元の世界とは、恐れの世界

競争の世界、不足の世界です)

 

 

 

 

 

私は夜、布団に包まりながら

「怖い。怖い。怖い。怖い。」と

震えていました。

 

恐怖に圧倒されながら

私は、ふと「今のこの私は

本当の私だろうか?」と思いました。

 

愛を感じない世界

喜びのない世界にいる私。

不安と恐怖にどっぷりハマり

光は見えず薄暗い世界にいる私。

この私は本当の私だろうか?

 

 

 

私は、三次元という狭い箱の中で

怯えている私を箱の外側から見ました。

箱の中で怯えている私は

本当の私ではない。

 

本当の私は、三次元世界の箱を

外側から見ている私なのです。

 

 

 

 

 

私は何を恐れているのだろう?

 

私の世界は私が創っているのに。

私がこの世界の創造主なのに。

 

未来は何も決まっていなくて

私が恐れていることは

何も起こってないのに。

 

自分の未来を決めるのは自分なのに。

 

まるで自分が不幸になるのは

決まっているみたいに

そこから逃げられないかのように

悲観しているのは何なのか。

 

また三次元の恐怖ごっこ

夢中になっていました。

また魂が遊んでいた。

怖いよ怖いよごっこをして。

 

 

 

 

 

存在しているのは今この瞬間だけです。

 

今、私は温かいお布団に包まれて

体を横たえている。

お布団の中、隣で大好きな猫が

すやすやと眠っている。

温かくて柔らかい感触。

 

誰からも邪魔されない。

攻撃もされない。

圧力もかけられない。

静かで心地いい。

 

私は、今この瞬間、安全で穏やかです。

 

ここには幸せしかない。

そして、この世は

今この瞬間しかないのだから

幸せしかないのです。

 

 

 

 

 

私は、起こってない幻想に囚われて

あたかもそれが確定かのような

気分になるのはやめようと思いました。

 

私には自由意志があります。

 

不安で頭をいっぱいにして

暗い気分で恐れていてもいいし

必要な対処だけして

明るい未来を信じていてもいい。

 

どっちを選んでもいい。

 

さあ、どっちにする?

どういう在り方でいる?

どういう人生にする?

 

 

 

 

 

私は、自分が望む人生を

自由に創造しようと思いました。

 

喜びのある人生を生きるに決まっている。

自分の人生を信じよう。

自分を信じよう。

 

 

 

 

 

先のことは何も決まっていません。

だから怖いです。

 

でも、何も決まっていないから

自分で創っていくことができるのです。

 

そうやって自分の人生をデザインしていくのが

ここで生きている醍醐味なのかもしれません。

 

ほとんどの人はその力を忘れてしまい

すると起こる現実に翻弄されてしまいますが

「自分には現実を変える力がある。

現実を創造する力がある。」と思い出せば

すぐにでも現実を創造する側になれます。

 

三次元世界の箱には鍵はかかっていません。

気づいた人から自由に出ることができます。

 

自分には力があると

自覚することが大切なのだと思いました。

 

 

 

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北欧食器からの砂糖依存

 

 

 

買っちゃいました!

北欧食器♡

 

 

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アラビア ポモナシリーズ(復刻版)の

マグカップ、ブルーベリーと

リンゴンベリーです。

 

もうこの絵柄がかわいくてかわいくて…

一目惚れとはこのこと。

 

このポモナシリーズは

1960〜1970年代にフィンランド本国で生産され

今回初めて現代に復刻されました。

 

「北欧、暮らしの道具店」が世界先行で発売し

日本国内では、今のところ

ここでしか買えないそうです。

(宣伝ではありません!)

 

 

 

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同じシリーズのボウルも

買ってしまいました。

 

もうウキウキが止まらない♡

トキメキが止まらない♡

 

自分が「かわいい!」と思うものを

手に取って使ったり

視界に入ったりするだけで

気分爆上がりですね。

 

うふふ、うふふ、と

笑いが止まりません。

 

こんなことで幸せになれるのですから

自分を幸せにするのって案外簡単かも♪

 

 

 

 

ちょっと自分には高価かな…?と思っても

えい!と思い切って買ってしまえば

そのあとはただ幸せでしかない。

 

これを買ったから今日餓死します

なんてことは起こらない。

 

それどころか、これだけ幸せを感じて

いい気分振りまいているのだから

それと同じ波動の「幸せなこと」が

さらにやってくるのです。

 

やっぱり

自分をいい気分にさせてあげるのって

本当に大事ですよね〜。

(欲望のまま買ってしまった言い訳では

ありません。笑)

 

 

 

ちなみに、このシリーズは

ブルーベリー、リンゴンベリーのほかに

ストロベリーもあります。

 

 

 

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ボウルは、私が毎日お昼ごはんの時に

使うのに大きさがぴったりです。

 

毎日食べているお昼ごはんは

↑この日は蒸したかぼちゃ、バナナ

冷凍ブルーベリーにA2ミルクをかけて

セイロンシナモンをかけたもの。

この季節はミルクは温めて。

 

その日によって

蒸したさつまいもや茹でたもち麦など

あるものをテキトーに入れます。

 

普段は甘味は加えずに

フルーツやかぼちゃなどの

自然な甘味だけで食べますが

たまに「甘いものが食べたい!」と思うと

これにてんさい糖や黒糖、はちみつを

かけていただきます。

 

ちょっと甘くなると満足感が違いますね。

 

 

 

 

 

やっぱり私は甘いものが好きです。

子どもの頃からずっと。

 

子どもの頃、愛が足りなかった人は

甘いもの好きな人が多いそうです。

「甘さ=愛」なのだそうです。

 

愛が足りないから

甘いものを食べて補おうとするのです。

 

これすごくわかります!

甘いものを食べてる時って幸せですものね。

自分が満たされていくように感じるのです。

 

本当に欲しいものは愛なのに

甘いもので代用しているのです。

 

子どもの頃から

甘いもので自分の機嫌を取って

なんとか自分が崩れないように

保ってきました。

 

だから、甘いものには感謝なのですが

その代償に砂糖依存症になりました。

 

 

 

毎日毎日お菓子を食べないと落ち着かない。

健康に良くないと思って

何度もやめようとしましたが

お菓子を断って1週間くらい経つと

必ず、頭痛、倦怠感、気分の落ち込みが

やってきて、その辛さに耐えられず

また食べてしまう、ということを

繰り返していました。

 

お菓子を食べると

それまであった不快な症状は

スッキリとなくなるのでした。

 

完全に砂糖依存症じゃないかと

今は思うのですが

当時はその自覚はなかったように思います。

 

「なんか具合悪いなぁ」からの

「いいや、お菓子食べちゃえ。ああ幸せ。」

の繰り返し。

 

 

 

でも4年前に、お菓子だけではなく

小麦粉、白米、乳製品、豆類などをやめて

大幅に食生活を変えた時に

砂糖依存は克服しました。

 

小麦粉と砂糖の依存性が一番すごくて

その時も断ってからしばらくすると

頭痛、倦怠感、気分の落ち込みが

やってきました。

 

その時もすごく辛くなって

「こんなことやる意味あるのかなぁ」と

元に戻そうとするエゴが囁いてきました。

 

でもその時、それまでと違ったのは

「私には今、小麦粉と砂糖の離脱症状

起きている」と自覚があったということです。

 

その自覚があったから

「辛い。でもこれは仕方ないんだ。

当然の体の反応なのだ。

このまま耐えていればいずれ抜けていく。」

と見通しも持てて耐えられました。

 

確か、2〜3週間したら

スッと体が軽くなったのを覚えています。

 

それからは、それまで生きてきた中で

一番体調が良くなりました。

 

頭痛持ちだったのにほとんど頭痛にならない

寝起きが悪かったのに朝起きられる

睡眠時間が短くても目覚めがスッキリしてる

気持ち悪くなったりお腹痛くならない

体が軽い、アレルギーがなくなった

などなど。

 

 

 

辛い時に

自分が置かれている状況を自覚することや

この先こうなっていくという

見通しが持てることは大切だなと思います。

 

自分で実際体験してみて

何が起こっているのか理解してない時は

とてもじゃないけれど耐えられなかったけれど

理解していると意外と耐えられる

と実感しました。

 

 

 

でも、これは本人だけの力ではなく

周りの環境にもよると思います。

正しい知識や周りの優しい励ましがあると

いろんな問題から立ち直れることも多いでしょう。

 

そういう環境に出会えない人は不運で

立ち直れない人だけの責任とは思えません。

 

「知っている」と「知らない」の差は

とてつもなく大きくて

その差がとても悲しいなと思います。

 

 

 

なので、私はこのブログでこれからも

自分の知っていること

体験したこと、感じたことなどを

書いていきます。

 

必要な人に届きますように。

 

 

 

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