『浮雲』 by 林芙美子 

浮雲
林芙美子 
新潮文庫
昭和28年4月5日発行
平成15年12月22日 79刷 改版
平成23年11月30日 85刷

 

先日、高峰秀子さんの『渡世日記』を読んで、高峰さんが出演していた映画の原作として、読んでみたくなった本。

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林芙美子さんは、(1903-1951)福岡県門司区生れ。1918(大正7)年尾道高女に入学。1922年卒業すると愛人を追って上京。翌年婚約を破棄され、日記をつけることで傷心を慰めたが、これが『放浪記』の原形となった。手塚緑敏という画学生と結ばれてから生活が安定し、1928(昭和3)年「女人芸術」に「放浪記」の副題を付けた「秋が来たんだ」の連載を開始。1930年『放浪記』が出版されベストセラーとなる。他に「風琴と魚の町」「清貧の書」「牡蠣」『稲妻』『浮雲』等があり、常に女流作家の第一線で活躍しつづけた。

 

林芙美子作品、ひとつも、読んだことがなかった。『放浪記』といえば、森光子さんが2000回以上上演した舞台の原作、としては知っているけれど、観たこともないし、読んだこともなかった。本人の手記のようなものだったということも、知らなかった。
浮雲』といえば、二葉亭四迷があまりにも有名だし、高峰さんが二葉亭四迷浮雲 を演じたの??と、最初思ってしまったくらい。

図書館で借りて読んでみた。

 

裏の説明には、
”第二次大戦下、義弟との不倫な関係を逃れ仏印に渡ったゆき子は、農林研究所員富岡と出会う。一見冷酷な富岡は女を引きつける男だった。本国の戦況をよそに豊かな南国で共有した時間は、二人にとって生涯忘れえぬ蜜の味であった。そして終戦。焦土と化した東京の非情な現実に弄ばれ、ボロ布のように疲れ果てた男と女は、ついに雨の屋久島に行き着く。放浪の作家林芙美子の代表作。”
とある。

 

感想。
わぁ、、、、昭和初期だぁ。
そして、面白かった。

文庫本だし、あっという間に読める。

 

この、どうしようもない男と女。昭和の女は熱かったなぁ、と思う。まさに、高峰さんが『渡世日記』のなかで、
”敗戦を境にして、女が強くなったと私は思わない。けれど、敗戦によって、女がはじめて男の正体というものを識ったのは事実だと思う。男は闇市をぶらつくだけ、、、”
と書いていた時代が伝わってくる。

 

以下、ネタバレあり。

 

物語は、幸田ゆき子(女)と富岡(男)を中心に、それに絡んだ女と男の愛憎。戦後、ゆき子が独り身で帰国する様子から始まる。戦後の混乱の中、住むところのないゆき子は、実家の静岡に帰ることもせず、東京で様々な男と関係を持ちながら生きていく。でも、富岡との腐れ縁は続き、富岡の妻が死んだことで、初めて一緒になるつもりで富岡の新しい就職先、屋久島に一緒に赴任する。が、ゆき子は、病気に倒れる。物語の中、富岡が関係をもった女は、死んでいく。妻との間に子供はいなかったが、ゆき子のお腹に宿った富岡の子供は、ゆき子が一人で堕胎してしまう。ベトナムでいいようにした女中のニウは、富岡の子供を産んだはずだが、二度とベトナムに行くことがないであろう富岡は、自分の子供を見ることはない。 
そして、妻・邦子の死後、ゆき子の情熱に負けたかのように、二人でそろって屋久島に向かうのだが、ゆき子は何の前触れもなく、南へ向かう途中で病に倒れ、屋久島で亡くなる。ゆき子は、最後に富岡との暮らしにたどり着き、そこで死ぬ。富岡は、ゆき子に死なれて、またひとり孤独の中で酒と女に溺れていく。死で終わった女の幸せと、どうにも煮え切らない男の自爆のものがたり。女にだらしがないとしか言いようのない富岡に、罵詈雑言をあびせながらも、結局は富岡と別れられないゆき子。
どうしようもない、二人の物語。


登場人物
幸田ゆき子:主人公。特に美人でもないが、熱い性格。 戦争中にタイピストとして仏印(フランス領インドシナ、今のベトナム)に渡り、ダラット(山間の田舎町)で働く。そこで、富岡と出会い恋仲に。戦後、帰国して先に帰国した富岡の元を訪ねるが、妻と別れる気がない富岡とのズルズルとの恋愛、別れ、を繰り返す。一人で生きていくために、伊庭(義弟)の荷物をかってに使ったり、売りさばいたり。あるいは、街でしりあったジョウ(アメリカ兵)を家に連れ込んだり。別れるといいながら、富岡との関係も断ち切れずにいる。伊庭の元から60万円の金を盗み、富岡と出奔するつもりで逃げ出したものの、煮え切らない富岡。が、とうとう二人そろって屋久島にいくが、屋久島で病に倒れ、死亡。

 

富岡兼吾:パスツウル研究所のキナ園栽培試験所で働く公務員。日本に妻を残していた。ベトナムでゆき子と不倫。帰国後、官員をやめ、林業関係の事業を試みるが失敗。金に困って家を売るはめになる。「妻とは別れる」とベトナムでゆき子に言っていたものの、帰国してみれば自分を待っていた妻を放り出すこともできず、かといって、愛情もわかない。仕事も、家庭もどん底。どんどん、やさぐれていく。酒浸りの中、ゆき子と心中しようと伊香保に行く。が、そこで、出会った女(おせい)と関係を持ち、死ぬ気もなくす。ゆき子と東京にもどった富岡だったが、思いがけず、一晩の関係でしかなかったはずのおせいは、富岡をおって東京にでてくる。そして、おせいは、内縁の夫・清吉に殺されてしまう。富岡は、清吉に申し訳ないつもりで、裁判のサポートをする。落ちぶれ続ける富岡。ゆき子も愛想をつかす。ベトナムでの経験を文章にするようになり、少しずつ、生活費を稼げるようになる。が、その間に妻は病で死亡。とうとう、ゆき子と一緒になる障害はなくなった。そこに、ゆき子の60万円。新しい職場、屋久島にゆき子を連れていく決心をする。

 

邦子:日本に残した富岡の妻。元人妻で、友人から奪ったのだった。富岡の浮気を知っていたのか、知らなかったのか。ゆき子は、何度も富岡の家に押しかけて、邦子と顔を合わせている。最後は貧しい生活の中、栄養不足もたたって病で亡くなる。

 

加野ベトナムで、富岡とともにパスツウル研究所のキナ園栽培試験所で働く公務員。ゆき子に惚れる。まっすぐな正直者。しかし、既婚者である富岡にゆき子を取られてしまう。二人の道ならぬ恋への怒りに、つい、ゆき子に刃物を立て、ベトナムで一時収監される。帰国後、田舎に帰っていたが、病に倒れる。ゆき子は加野の消息を富岡から聞いて、一人で加野の元を訪れる。が、もう回復する見込みのない加野だった。

 

篠井春子:ゆき子と一緒に、ベトナムタイピストとして派遣され、サイゴン(都会)で働いた若い女性。美人。帰国後、偶然街中でゆき子と再会。パンパンのような暮らしをしているゆき子だったが、「タイピストをしている」という春子の言葉には、何の感情もゆさぶられないゆき子だった。言葉とは裏腹に、春子も派手な様相で、おそらくはパンパンなのだった。戦後の女の生きる道の厳しさの象徴。

 

ニウ:安南人(今のベトナム人)。言葉は通じないが、富岡の女中で、富岡の子供を身ごもる。子供が生まれる前に、富岡は帰国。

 

伊庭(いば):東京に住むゆき子の義弟。戦前ゆき子は、伊庭の家に住み込み、伊庭に貞操を奪われ続けていた。が、帰国後に東京で頼れるのは伊庭しかいないので、伊庭の元へ行く。伊庭は、疎開中で、家を別の家族に貸していたが、戻るつもりで荷物を送り届けていた。ゆき子は、その荷物をかってにあけて、生活の足しにする。後に伊庭は、怪しい新興宗教で大儲けをする。伊庭に呼ばれてゆき子はそこで働き、信者からのお布施の金60万円をもって、逃げる。良心を感じさせない男。

 

おせい:ゆき子と富岡が年末年始を挟んで出かけた伊香保温泉で、飲み屋を営む清吉の内縁の妻。21歳。清吉は48歳。親子のような年齢差の二人で、おせいが本気で清吉を愛していたのかはわからない。富岡は、清吉の店で時計を売って、一泊のつもりが長居になった伊香保温泉への宿代を捻出する。富岡はつい、おせいにも手をだす。そして、東京に戻った富岡を頼りに、清吉のもとを出てしまう。ゆき子は、なんとなく富岡がおせいとただならぬ関係になったのではないかと怪しむ。おせいを探しに上京してきた清吉に、おせいは殺されてしまう。


戦後の物語だけれど、ゆき子と富岡がベトナム時代を懐かしむ描写に、たくさんのベトナムの風景がでてくる。仏蘭西語(フランス語)と安南語(ベトナム語)の文字がまじる風景。美しい山、街並み、湖。チーク材の家具、白いテーブルクロス。木炭自動車。なんとも、異国情緒漂う中で、ゆき子と富岡が一時の恋に燃え上がった様子が感じられる。敗戦で帰国した日本の現実の厳しさと、思い出のベトナムの風景の美しさ。ベトナムにいった人々も、日本に残った人々も、もちろん、兵隊として戦った人々も、みんなが戦争の犠牲者だった、という空気が伝わってくる。

 

富岡と加野はともに森林業の研究家だけれど、文学好きという共通点があった。富岡はトルストイのファンで、加野は夏目漱石信者であり武者小路の心酔者だった。気の合う二人だったのだが、ゆき子をめぐって、三角関係。富岡は、時々、トルストイの『悪魔』と自分を重ねる。

『悪魔』も読んでみたくなった。

 

ゆき子は、屋久島に渡る前、鹿児島で病に伏せる。そこで、ラジオから流れるドヴォルザークの『新世界』にしばし、心を奪われる。ゆき子には何の曲だかわからなかったのだが、医者がドヴォルザークの『新世界』だと教えてくれた。親切な若い医者は、医者のいない屋久島に渡ったあとに何かあればいつでも連絡してくれるように、と言ってくれたのだが、レントゲンを拒み、治療を積極的に受けなかったゆき子は屋久島で亡くなる。

 

ゆき子が危篤だという連絡を山の中で受け取った富岡は、ゆき子の臨終には間に合わなかった。駆けつけたときには、既に冷たくなり、固くなりつつあるゆき子だった。

 

なんという、悲劇だろう、とも思うし、ゆき子にとっては悔いなく生き抜いた人生だったのだろうとも思う。

 

最後は、鹿児島に一時戻った富岡が、やはり酒におぼれて、身の破滅をもたらすのだろうと思わせる様子。

これが、林芙美子の世界かぁ、、、、。

戦後の女の激しさ、男のだらしがなさを描いた一冊、って感じかな。

そりゃ、映画とかドラマにしたら面白かったろうと思う。

 

面白いけど、なにか虚しさの残る読後感。

主人公があっさり死んじゃうからね。

希望に燃えるおしまいではない。

それでも生きていく、、、という人生のセツナサ、かな。

 

人は、思い出だけでは生きていけない。

『放浪記』も読んでみようかな・・・・・・。

でも、今じゃない気がする・・・・。

 

読みたい本があるって、幸せ。