『STOIC』90日目:内面の泉を掘り続ける

昨日続き、2025年1月に読んだ本からのOUTPUT。

『STOIC 人生の教科書  ストイシズム』

90日目:内面の泉を掘り続ける

2025年の最後の日に、最後の振り返り。

megureca.hatenablog.com


90日目:内面の泉を掘り続ける

「自分の内側に目を向けよ。
内側は善の泉であり、
あなたがつねに掘るなら、
それはつねに
湧き出るだろう。
ーーマルクス・アウレリウス 『自省録』第7巻59ーー

「自分のなか」にあるもの
幸福、充実感、自由は、どれも自分の内側に目を向けたらえられるものだ。
しかも、その供給に終わりはない。

 

課題1:困難なときに活用できる「あなたの内面に蓄えているもの」のリストを作成する。 今日それらを積極的に 日常生活に生かすにはどうすればいいか?

課題2:本書を通じてあなたが書いたノートに目を通し、どれか一つの記録を破り捨てて、完全に消去する。 次にやる気を出したり責任感を保つために、後から読み返したい記録を一つ選び、ページの端を折る。 ストイシズムでは常に執着を捨てることと、意志を貫くこととのバランスを意識する必要がある。

 

最後の90日目の課題はどちらも、簡単ではないけれど、それこそ「完璧な答え」への執着をすてれば、意外とぽろぽろと答えが出てくる。

 

そして、やはり私の中では
自分で考えて、自分で決める
の言葉に尽きる。
困ったときに活用するというよりも、「困ったことに陥らないために」自分の頭で考えることが大事なように思う。

 

繰り返し考えて行動しているうちに、無意識の行動に変わることがある。デフォルトネットワークで働くようになったら、それは、習慣化したものと言える。内面に蓄えられた力って、そういうものではないだろうか。無意識に行動できることは、判断力を必要としないので、脳の負荷が軽くなる。脳の負荷を低減するための習慣として有名なのは、スティーブ・ジョブズの服装。

 

洗顔や歯磨きのようなことだけでなく、日常生活で無意識の行動になっているものは年の数だけ増えていく、そんな気がする。

 

声をだして挨拶すること。マンションのエレベーター、レストランの入り口で、ジムのトレーナーへ、おはようございます、こんにちは、こんばんは。そして、ありがとうございます。声を出したって、なにも減りゃぁしない。ちょっと、声を出すだけで、挨拶が気持ちよくなる。

 

最近読んだある記事によると、スーパーの万引き対策でもっとも効果のあった取り組みは「従業員が、怪しい行動をとっている人に ”こんにちは” の挨拶の声掛けをする」だった、とか。

やはり、挨拶は人間関係の基本です!

 

行動なら、席を立つときには椅子をしまう、後ろから来る人のために扉をちょっとだけ抑えておく、といった外での行動の習慣化だけでなく、家の中でも、玄関の靴を整える、いらないものはゴミ箱に、部屋の床には物をおかない、という「整える」という習慣がついていると、良い流れができるような気がする。

何事も、流れているというのは大事。

 

時は、誰にも同じ速さで、同じだけ流れていく。
年を取るほどに1年がアッという間になるのは、「新鮮さ」が薄れていくからだとか。

年末の挨拶に、「早いねぇ・・・」がすっかり口癖のようになっている大人たち。一生懸命過ごしているうちに、あっという間に時間がたつのは悪いことではないけれど、時間を大切にしよう。

 

2025年も色々なことがあった。新鮮なこともたくさんあった。でも、やっぱり、あっという間の一年だったな、と思う。学び続けていく中での出会いもあった。故人と書の中での出会い、あるいは、その末裔の方との出会い。ありがたい。やっぱり、「人」との出会いが、何よりの財産だと思う。

 

今月のとある雑誌の齋藤孝さんの記事で『成瀬は天下を取りにいく』の成瀬の言葉が名言として取り上げられていた。

megureca.hatenablog.com

成瀬の「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」とのセリフ。

他人の眼を気にせず、自分のやりたいことを徹底的にやるということ。好きな○○にささげる一時があっても良いのではないか?と。

 

自分の時間を捧げたいと思えるほど好きなもの、熱中できるもの、私はたくさんありすぎてやり散らかしがちなのだけれど、来年も、本を読むことに自分の時間を捧げたいと思う。今年買ってよかったものの一つは、ベッドで使える読書灯。あれこれ迷った挙句、本に挟める安価なものにした。これが、結構いい。明るい部屋で点灯してみると、こんな弱い灯り?とおもうけど、部屋の電気を消したベッドの上なら、読書するのにちょうどいい明るさ。

 *WESTBERRY ブックライト 読書灯 『最大80時間バッテリー ¥ 1,980

ま、布団に入ったら、たいてい1ページも読まずに寝ちゃうのだけれど、、、。携帯やタブレットを眺めて寝るよりずっとよい。

 

晦日の今日も、私は紅白を見ることもなく、早寝の良い子で新年を迎えようと思う。

心身共に、健康的に新年を迎えよう。

 

さぁ、今年最後の片付けをして、綺麗な部屋で新年を迎えよう。

やり残し懸案事項もいっぱいあるけど、、、執着しない、、、、っていうことで。

 

 

『STOIC』89日目:反省を習慣にする

2025年1月に読んだ本からのOUTPUT。

 

『STOIC 人生の教科書  ストイシズム』
ブリタニー・ポラット
花塚恵 訳
ダイヤモンド社
2024年11月26日 第1刷発行 

megureca.hatenablog.com

 

本書には、90日目まで、毎日の課題が書いてある。読み終わった後に、1日ずつ、気がついたときにOUTPUTをしていたのだけれど、年末になってそのノートを見返すと、1月から4月までかけて67日目までOUTPUTして、5月に1日、8月に1日、そして、、、、69日目で終わっていた。

 

本日は、12月30日なので、2025年も残り2日ということで、後ろから2日目の課題のOUTPUT。

 

89日目 反省を習慣にする
「わたしは自分の前で今日という日を振り返り、
自分が口にしたことや 行ったことを
すべて思い起こす 
何一つ 隠さず、何一つ 省かない。
 自分の至らなさを恐れる理由などない。
『今回は許す。 同じ過ちは二度と繰り返さない』
と自分で口にすることができるのだから」
ーーセネカ『怒りについて』第3巻第36賞3~4ーー

 

結局のところ、この世のすべてのことにどう反応するかを決められるのは自分

 

課題1:就寝時の儀式として、自問して答えを記録する三つの問いを考えよう。
「 今日、 自分が上手く出来事は何か?」
「 今日 改善できたはずのことを一つあげるとしたら何か?」
「 明日は何をどう改善するか?」

課題2: 自分を責めるのをやめて、自分を思いやる方法を3つあげる。 無料試用期限切れそしてその思いやりを周囲の人たちにも広げて、 彼らの人生をより良くするためにできることがないかを考えよう。


さて、これらの課題を、一年の課題としてみたらどうだろうか?

今年一年で、うまくできたことは何か?来年改善できそうなことは?

 

この一年でうまくできたこと、、、、本は、およそ200冊読んだ。本当は、300冊くらいは読みたかったけれど、まぁ、新たなインプットもそれなりにできた気がする。

 

改善できそうなことと言えば、、、、、なんだかんだ2025年は、「頼まれたら断らない」と、色々な仕事を引き受けていたら、ちょっと忙しくなり過ぎた。来年は、仕事のペースを少しスローダウンしてもいいかな、と思う。

 

仕事も、物も、すこし断捨離していいかな。

1日は24時間しかない。24時間もある。

何に時間を使うかを決められるのも自分。

個人事業主として仕事をしている今、全ての時間は自分で決められる。

 

年末年始は、懐かしい人と会う時間ができるのは、嬉しいこと。

友人たちとの時間を確保するために、自分一人の時間の使い方を考える。

 

さて、何はともあれ、2026年に向けて不要なものを片付けよう。

ふと視線をあげると、でもやっぱり捨てられない、、、、ってものが目に付く。

いったん保留箱に入れてみよう‥‥。

 

 

『源氏物語 4』 角田光代

源氏物語 4
角田光代
河出文庫 古典新訳コレクション
2024年2月20日 初版発行
2024年10月30日 2刷発行
*本書は2018年11月に小社から刊行された『源氏物語 中』(池澤夏樹=個人編集、日本文学全集05) より「初音」から「藤裏葉」を収録しました。

 

3巻の続き。

megureca.hatenablog.com

 

目次
初音(はつね)   幼い姫君から、母に送る新年の声
胡蝶(こちょう)   玉鬘の姫君に心惹かれる男たち
蛍(ほたる)   蛍の光がみせた横顔
常夏(とこなつ)   あらわれたのは、とんでもない姫君
篝火(かがりび)   世に例のない父と娘
野分(のわけ)   息子夕霧、野分の日に父を知る
行幸(みゆき)   内大臣、撫子の真実を知る
藤袴(ふじばかま)    玉鬘の姫君、悩ましき行く末
真木柱(まきばしら)   思いも寄らない結末
梅枝(うめがえ)  裳着の儀を祝う、女君たちの香
藤裏葉(ふじのうらば)  夕霧、長年の恋の結実

 

初音は、元日の朝、六条院の様子で始まる。光君は、大事にする女たちを六条院を中心にそれぞれの邸へ落ち着かせる。西北(冬)には明石の御方、南西(秋)には秋好中宮、北東(夏)には花散里、玉鬘をすまわせ、南東(春)には、光君、紫の上、明石の姫君が暮らした。光君は、年始の挨拶に、それぞれの邸を訪れる。夕霧(光君と葵の君の子)には、花散里の面倒を見るように言う。そして、光君は、尼になった空蝉や、末摘花のことも思い出す。娘としてひきとった玉鬘は、いかにも美しい。

 

胡蝶は、美しい玉鬘に、内大臣(かつての頭の中将・本当の玉鬘の父親)の息子・柏木、光君の弟の兵部卿宮(蛍宮)、夕霧(中将の君)、右大将(鬚黒ひげくろ)など、男たちがこぞって惚れ込む様子。玉鬘大人気。可憐な玉鬘を、光君も娘として育てているけれど、手放すのを惜しく思っている。

 

は、玉鬘にあいたくて仕方がない男たちの話。筑紫の大夫監からにげてきたのに、ここでも男たちに追い回される。みんな手紙を送ってくるのだ。光君まで、おまえをはなしたくない、みたいなことを言うので、玉鬘は気苦労が増えて、どうしたらいいのかと思い悩んでいる。『住吉物語』『日本書紀』などを読んでも気が晴れないし本当のことは書いていない。光君は、物語は現実よりも本当のことが書いてある、伝えたいから書いたのが物語の始まりだ、などという。夕霧もまた玉鬘の美しさに惹かれるのだが、紫の上がさらに美しいと思い、それでも幼なじみの雲居雁がやはり可愛かったと思う。内大臣は、玉鬘のうわさを聞くにつれ、自分にも美しい隠し子がどこかにいるのではと思うようになる。本当は、玉鬘が内大臣の子なのに・・・。

 

常夏では、内大臣が柏木に自分の子を探してきてもらう。つれてきた近江の君は、はねっかえりのとんでもない娘だった‥‥。が、引き取ってしまったために、返すわけにもいかず。末摘花は美しさの点で他の女と違うけれど、近江の君は育ちがひどい…。

 

野分は、はげしい野分で邸が雨風にさらされ、心配した夕霧が六条院をあちこちと駆け回り、風にひらりと舞い上がった隙に、父と玉鬘が身を寄せ合うところを目撃してしまう。まさか、女のうわさの絶えない父とはいえ、自分の娘と?!?!と夕霧が疑心暗鬼に。

 

行幸は、冷泉帝(母は藤壺、本当の父は光君)の大原野への行幸の機会にまつわる話。玉鬘が冷泉帝を目にすることで宮仕にでることを決心するように仕向ける光君。が、その前に裳着の儀(平安時代の女性の成人式)を執り行う。その前に、光君は玉鬘の本当の父が内大臣であることを大宮を通して内大臣に打ち明ける。若い頃は遊び仲間だった光君と内大臣だったが、最近では内大臣のライバル意識から縁遠くなっていた二人だったが、再び近づく。柏木は、美しい玉鬘が実のきょうだいであると知って、つらくも、うれしくも思うのだった。裳着の儀のあとも、兵部卿宮は熱心に玉鬘に求婚する。近江の君は、自分はだれにも相手にされないとドタバタと騒ぎ立てる。挙句の果てに、「天の岩戸を閉じて引きこもっていた方が無難だろうね」なんて言われちゃう。

 

藤袴は、まさかの玉鬘の結婚。玉鬘は宮中へ参内することがきまったが、あまりに玉鬘にほれ込んだ鬚黒の大将は、一目だけでもとむりやり玉鬘の部屋に張り込む。見るだけと思っていたけれど、見たら自分をとめることができず玉鬘を自分のものにしてしまう。そうなっては仕方がないと、鬚黒と結婚することを決意した玉鬘。光君もびっくり。が、その結婚はすんなりいったわけではなく、鬚黒の北の方は、そのことに腹を立てて癇癪を起し、子供たちをつれてぷりぷりと実家に帰ってしまう。いたたまれない、、、玉鬘。

 

真木柱は、北の方の娘が、父と離れたくないと泣いて手紙を真木の柱に託す。北の方は、癇癪を起して鬚黒に火鉢の灰を浴びさせる。

北の方の実家では、娘の出戻りが面白くない。光君は須磨にいたころの恨みつらみをもって、いま、こんな仕返しをしているのだ、と被害妄想。式部卿宮は、光君を悪く言う妻に悪口を言うのはやめなさい、といいつつも「あの賢いお方は、前々から深くお考えになって、こうした仕返しをしてやろうと思っていらしたのでしょう。そうおもわれているこの私が不運だということだ」などという。光君、とんだとばっちり。

 

藤袴~真木柱は、まるで昼ドラのコメディ版のような場面が続く・・・・・。鬚黒の北の方、内大臣が娘にした近江の君、キャラの濃い2人の女性が、明るいコメディにしている。
このあたりは、紫式部も書きながら楽しんだに違いない…。

 

梅枝は、明石の姫城の裳着の準備。朱雀院の皇子である東宮も同じ2月に元服の儀があるので、姫君は東宮妃となるみこみ。色々な人が香で競い合う。

 

藤裏葉では、玉鬘が自分の本当の娘であることを知った内大臣が、かつて光君の息子だからといって夕霧と雲居雁内大臣の娘)を引き離したことを、もうそろそろ二人の仲を許してもいいかと思い始める。まだ幼いうちに引き離されてしまった二人だが、夕霧の心の中には常に雲居雁がいた。そして、幼い恋は、とうとう実った。

 

娘として育ててきた明石の姫君や玉鬘がお嫁に行ったことで、光君は自分もそろそろ出家したいと思う。でも、紫の上を残して出家する決心もつかないのだった。 

 

 

 『ブッダ 【第4巻】旅立ちの朝』  by 手塚治虫

 ブッダ 【第4巻】旅立ちの朝
手塚治虫
潮ビジュアル文庫
1992年12月25日 第1刷
2014年1月1日 第60刷

 

第3巻の続き。

megureca.hatenablog.com

 

目次 
第2部 
第9章 旅立ちの朝 
第10章 バンダカの死 
第3部 
第1章 苦行
第2章 弱肉強食
第3章 老婆と浮浪児

 

主なな登場人物、地名

シッダルタ:のちのブッダ、釈迦。シャカ族の王子

ヤショダラブッダの妻

ラーフラ:シッダルタとヤショダラの息子

バンダカ:コーリヤ国のあばれんぼう勇士。ブッダが気に入らない。が、カピラヴァストゥの城に入り、ブッダを特訓。カピラヴァストウを支配したいと野望を持つ。

ダイバダッタ:バンダカがシャカ族の女に生ませた息子。

コーサラ国:シャカ族を支配しようとする敵国。

デーパ:苦行を第一と考えるサモン(バラモンではない僧)。タッタとミゲーラにつかまったときに、自分の眼を焼いて見せたため、片目がつぶれている。

アッサジ:親から見捨てられたはなたれ小僧の幼児。

 

第4巻では、シッダルタの出家の話と、ダイバダッタ(バンダカの子)の話。

 

ヤショダラは王子の息子を生む。ラーフラ(障碍)と名付けられた。シッダルタの出家の覚悟は変わらず、子供がうまれ7日後、王位継承を拒んで密かに城をでる。そして、頭を丸めると一人で修行の道をめざした。

 

シッダルタが城を出てまもなく、コーサラ国のシャカ族への攻撃が激しくなり、王はやむなくバンダカに王の座を譲る。バンダカは懲りずにヤショダラに妻となるよう迫るが、ヤショダラはバンダカを拒む。とにかく自分の子が欲しかったバンダカは、別のシャカ族の女を嫁にして、子供を生ませる。王位と子供を手にしたバンダカだったが、コーサラ軍との戦いで戦死。うまれたバンダカの子はダイバダッタと名付けられた。

 

一人修行の道をもとめて歩いていたシッダルタは、途中でデーパにであう。そして、様々な苦行を経験させられるが、断食の苦行中に死んだ仙人の姿をみて、苦行することに疑問を持つ。だが、デーパは、苦行して死ぬことが偉大なのだという。

デーパとシッダルタは、タッタとミゲーラに再会する。タッタはシッダルタを国に連れ戻そうとする。帰りたくないシッダルタは、デーパと逃げ出す。そして、途中の民家で押し付けられたアッサジというはなたれ小僧と苦行の道を歩き続ける。

 

一方、ダイバダッタの話。バンダカのおきさきが生み落とした子。生まれてすぐにバンダカは戦死してしまったので、再婚した母と義理の父、そして、その二人の間の子と育つが、母以外は愛情を注ぐこともなく、周囲の子供ともうまくやっていけない。人は、バンダカの子だから乱暴ものだと思っているし、事実我儘で、乱暴者だった。ある時、子供達だけでピクニックに出かけるが、象に襲われて子供たちは全員洞穴に落ちてしまう。子供の力で洞穴から出ることはできず、岩の間からしたたる水のしずくだけで命をつないだ。が、ダイバダッタは、自分で水を独り占めしたいがために、他の子供を石で殴り殺す。数日後、捜索にでた大人たちが見たのは、洞穴の中の子供の死体と、ひとり生き残っていたダイバダッタだった。ダイバダッタは、子供たちの殺人の罪で国から追放される。まだ幼いダイバダッタは、オオカミに育てられる。が、食べもしない動物を殺したことで、オオカミのお母さんに怒られる。虎だって、お腹がいっぱいの時は虫一匹も殺さない、と。

 

乾季がくると、動物たちは水をもとめて北へと移動し始める。オオカミとダイバダッタも北を目指すが、途中で母オオカミは亡くなり、一緒に育った子オオカミはヒョウに食べられてしまう。一人ぼっちになったダイバダッタは、さまよっているうちに、ナラダッタと出会う。ケモノのように暮らすナラダッタになついたダイバダッタだが、ナラダッタにおまえに修行は無理だから人間の社会へ帰れと言われる。一人さまよっていたダイバダッタは、老婆に救われるが、その老婆に人殺しを依頼される。
動物も、人も、簡単に命が終わってしまうことを知ったダイバダッタ。最後はその老婆に毒をもってしまう。そして、一人ガンジス河をくだっていくのだった。

 

ダイバダッタのキャラが、いまいちわからなかったので、調べてみた。手塚治虫のサイトによると、

”バンダカの息子だが出生前に実父は死去。幼いうちに友4人を殺して死刑となるが、狼に助けられ彼らの家族に。狼の“母”と“兄”を失ってからはナラダッタのもとで暮らし、のちに人里に戻る。成長後にタッタと出会い、彼を剣士に仕立ててそのマネージャーとなってマガタ国へ売り込む。そこで出会ったルリ王子の心を次第に掴み、後にそそのかして父王を幽閉させた。その間に彼はブッダに帰依しているのだが・・・。”

ダイバダッタ|キャラクター|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL

とあった。

かつ、提婆達多(だいばだった)という名前がウィキペディアにあった。

”釈迦の弟子で、後に違背したとされる人物”だそうだ。

生れはともかく、そのような人物がいたというのは史実らしい。

 

さて、ブッダはどっかで苦行に見切りをつけるはずだけれど、4巻ではまだまだ苦行の道を行っている。なにがブッダを苦行から見切りをつけさせるのか、、、続きは、また今度。

 

 

『斜陽』 by 太宰治

『斜陽』

斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 他7篇
太宰治
文春文庫
2000年10月10日 第1刷
2012年8月1日 第12刷

 

図書館で借りた本の中の一作。

megureca.hatenablog.com

 

没落貴族の家庭を背景に、滅びゆく高貴な美を描く『斜陽』。と、文庫本の後ろの説明にある。『斜陽』は、大学生くらいのときに読んで、こんなつまらない話、と思った記憶がある。

57歳で読んだ感想は、ちょっとちがった。


そういう時代だったんだな、、、、ということ。太宰治もまた、そういう時代の家の重さを感じていたのかもしれない。戦争、貴族、とは無関係に育った私でも、50年以上生きてきたことで、多少は想像力がひろがったのかもしれない。

 

主人公は、離婚歴のあるかず子。貴族の令嬢を絵にかいたような美しい母と二人ですんでいる。弟の直治は大学の途中で召集され、南方の島に行ったきり消息がたえ、終戦になっても行先不明。

 

日本が無条件降伏をした年の12月に父が亡くなり、かず子と母は、母の弟に経済的面倒をみてもらうこととなった。戦争が終わって世の中が変わり、貴族だからといって生活が豊かなわけではなく、叔父のすすめで東京の家を売り、伊豆の山荘へ引っ越してきた二人。母は、引っ越してすぐに熱をだしたり、少しずつ衰弱の様子をみせる。

 

かず子は、離婚や死産したことを自分の暗い過去だと思っている。母は清らかな人で、自分のような暗い過去をもたない。母には美しいままで、生きていてほしいと願う。そんな母だが、伊豆にきてから少しずつ弱っていく。

 

かず子は、庭に蛇の卵を見つけ、マムシだと怖いからと卵を焼いてみたけれどなかなか焼けず、土に埋めているところを母にみられ、すまない気持ちになる。

父が亡くなったとき、枕元に黒いひものような蛇がいた。かず子にとって、蛇は死を連想させた。

 

蛇のことがあってしばらくしたある日、かず子はお風呂のかまどの灰の不始末から、ボヤ騒ぎを起こす。警察や消防もきて一時大騒ぎとなるが、ボヤですんだためにお咎めなし。近所の人たちも火消しを手伝ってくれた。翌日、謝罪のあいさつ回りに行くと多くの人はボヤですんでよかったといってくれたが、ある若いお嫁さんには、東京から出てきてままごとみたいなことしているから、と責められる。

 

東京の叔父が母の見舞いにきて、直治が生きていると聞かされる。が、以前と同様、アヘン中毒になっているという。

 

だんだんと家計が厳しくなり、二人が着物などを売ることで生活している中、直治が帰ってくる。シナ風な伊豆の山荘をみた直治はいきなり、
「わあ、ひでえ、趣味の悪い家だ」という。そして、夜は酒を飲みに出かけてしまう。叔父曰く、薬漬けよりは酒の方がましだ、と。

 

直治は酒浸りの生活をする。母はだんだんと衰弱していく。かず子は、年を取っていく。家計もいよいよ厳しくなるし、いずれ母は亡くなる。かず子は、見合いするなり、どこかに女中にでることを叔父に薦められる。母もそれがいいという。

 

伊豆にくるときは、「かず子と一緒だから東京を離れてもいい」といっていた母が、直治がかえってきたら「私をじゃまものにするんだ」と母を責めるかず子。かず子は、29歳になっていた。来年はもう30。

 

かず子の独白、
”女には29までは乙女の匂いが残っている。しかし、30の女の体には、もう、どこにも、乙女の匂いがない、というむかし読んだフランスの小説の中の言葉がふっと思い出されて、やりきれない淋しさに襲われ、外をみると、真昼の光を浴びて、海がカラスの破片のようにどぎつく光っていました。”

 

そして、秋のしずかな黄昏、母は亡くなる。日本で最後の貴婦人だった美しいお母さまは、亡くなった。

そこから、かず子の「戦闘、開始」。いつまでも悲しみに沈んではいられないと。

 

トカトントン』と同じ、マタイ10章、28節がかず子を駆り立てる。
「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂をゲヘナにて滅ぼし得る者をおそれよ」

 

そして、かず子は、むかし直治が世話になっていた上原という小説家へ手紙を書き、会いに東京に出かける。直治の姉であると名乗り出て、関係を持つ。上原は、貴族を理解できないし、直治のこともつき合いきれない小生意気な男と思っていたというが、かず子の「あなたの子を生みたい」の願いにつき合う。上原には死がせまっていた。

 

そのころ、直治はかず子に遺書を残して自殺した。遺書は、数ページにわたる長い長い手紙。「姉さん。だめだ、さきに行くよ。」とはじまり、自分の生きざまを長々と振り返り、貴族として生きることができなくなった家を嘆き、「僕は、素面で死ぬんです。もういちど、さようなら。姉さん。僕は、貴族です」と結ばれていた。

 

直治が逝き、一人になったかず子は、上原の子供を身ごもっていることに気が付く。それは、かず子の希望だった。そして、「直治の子供だ」といって、「あなたの奥様に抱かせていただきたいのです」との手紙で小説は締めくくられる。

 

私生児を生んだ、元貴族のかず子は、この先どうやって生きていくのだろうか。。。

 

蛇は、母の死の前に庭にやってくる。母は、かず子が卵をやいた蛇のお母さんだという。父の死、母の死、蛇の卵の運命。

直治の死、上原の死の予感、暗いモチーフだらけ。そんな中で、かず子に宿る新しい命。見合いを断ったかず子が選んだのは、私生児であろうと自分の血を残すこと。

 

当時の貴族の生きづらさ、とそれにあらがうかず子の決意の話ってことだろうか。

蛇の卵を焼くなんて、考えただけでも忌。それを場面としてありありと描く太宰の図太い神経。薬浸りになって、酒浸りになって、自殺していく直治の遺書は、太宰の遺書なのだろうか。

 

こんなに暗いのに、読む人を惹きつける筆力。実は、最初は『斜陽』は読まずに本は図書館に返すつもりだった。でも、読み始めたら止まらなくなってしまった。

 

太宰治。不思議な人だ。

 

それにしても、30の女の身体には乙女の香りがしないとは、よく言ったもんだ。まぁ、そりゃそうかもしれないけどさ‥‥。そんなこと言ったら、30すぎた男には、おっさんの香りがする、、、、だろう。あんまり、文学的でない感じがするのはなぜだろう?!

 

やっぱり、もうちょっと、太宰治が読みたくなった。本は一度返却して、また、太宰の文庫本でも探してみよう。

 

 



映画 『新解釈 幕末伝』

映画 『新解釈 幕末伝』
監督・脚本 福田雄一
配給:東宝 

(上映118分)

 
前に、何かの映画を見た時に予告編をみて、ちょっと気になっていた。ドタバタコメディ幕末。


朝、ベッドの中で、今日は映画が1300円の日だと気がついた。比較的時間のある一日。何か映画を観たいと思った。本当は、『ズートピア2』が観たかったのだけれど、自宅から徒歩圏の映画館は吹き替え版ばかりで、字幕版は11:50からのスケジュール1本のみ。観るならぜったい字幕版がいい。午前中に到着予定の宅急便が11:40までに届けば、、、と思っていたのだけれど、年末繁忙期のせいか、佐川急便が届いたのは12:30だった…。佐川急便って、ほんと、時間通りに来ることがない…チッとか思いつつ、じゃぁ、午後に何かを観に行くか、、、と思ってさがしたら、『新解釈 幕末伝』が目についた。まぁ、1300円ならいいか、、、と観に行った。

 

ポスターにあるのは、「教科書には載っていない英雄たちの物語」との一文。

ネットでチケット購入し、映画館の450円のコーヒーを買って、上映開始1分前に着席。平日昼間なので、座席は半分も埋まっていない。

 

感想。
くっだらな~~~い!けど、おもしろ~い。
これは、コメディだと割り切って、観ないと楽しめない。

 

ムロツヨシ演じる坂本龍馬が、「超チャラ男」だった、という設定の新解釈。冒頭に歴史研究家がでてきて、「私の解釈はこういう風です」といって解説をする。歴史研究家・小石川二郎(こいしかわ じろう)に扮しているのは、市村正親さん。そして、幕末の場面が展開されつつも、ときどき小石川博士の講義の語りのようなナレーション場面が挿入されている。つまり、幕末の新解釈講座を映像にしました、って感じ。ゆえに、教科書にある幕末をしっていないと、十分には楽しめないかもしれない。え、そういうキャラにしちゃうの?とか、実はこういう成り行きだったとかいう新解釈。

 

登場するのは、幕末の英雄と言われる人々、総ぞろい。ムロツヨシの演技は、もううざい!!!と言いたくなるくらい、うざい!!!徹底したチャラ男ぶり。佐藤二朗演じる西郷隆盛が、はまっているのも笑える。「足がでかい、顔がでかい、体がでかい、げじまゆ」とさんざんないじられようだけれど、ちょっとシャイで物静かな西郷どん山田孝之演じる桂小五郎は、一生懸命ぶりがそれっぽい。加えて、チャラ男龍馬に木戸孝允と名前がかわったことをいじられる。ただ、映画の中ではキドタカヨシの下の名前は違っていた気がする。わすれた。

 

勝海舟吉田松陰近藤勇沖田総司土方歳三岡田以蔵大久保利通、、、明治維新
を語るには欠かせない人物が次々と出てくるので、人びとの関係の勉強になる。薩摩と長州との関係、幕府との関係、あぁ、裏にはそういうこともあったかもしれない、と歴史の総復習。

 

昨今、歴史の研究が進むにつれて、坂本龍馬については昔ほどの英雄的評価ではなくなってきているという。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』がつくったイメージが強すぎたのだろう。でも、、はだかのままお風呂から飛び出したおりょう寺田屋襲撃から救われる場面、おりょうと新婚旅行に行く場面、船中八策西郷隆盛大久保利通に披露する場面など、よく知られる龍馬像はそのまま描かれていて、やっぱり、チャラ男だったかもしれないけれど、幕末~明治維新の日本を動かした一人であることは間違いないだろうと、感じる作品。

 

ちなみに、おりょうは、恐妻家というキャラで描かれている。演じるのは、広瀬アリス。これがまた、怒った顔も美しい。裸で寺田屋へ飛んできた場面は、「モザイク」入り。べたな演出が笑える。

 

それぞれの役者が、それぞれにはまっているところがなお面白いのかもしれない。渡部篤郎演じる勝海舟だけが、最後までポーカーフェース。まぁ、「忍茶屋」という「くノ一コンセプト茶屋」では、最後に「領収書ください」というボケもあるけど。松山ケンイチ土方歳三も、クールでお似合い。

 

映画の最後は、徳川慶喜がすんなり大政奉還をして、それを「なぜすんなり大政奉還したのか?」と疑問を呈する西郷隆盛に、坂本龍馬が「朝廷に具体的政治運営能力はないから、実権は自分がにぎるつもりなのだろう」と言わせる。そのあたりは、教科書的解釈と似ている。

 

西郷隆盛の解釈は、鹿島茂さんの『ドーダの近代史』の解釈に、ちょっと近い気がする。

megureca.hatenablog.com

 

人間、「ドーダ」の気概で生きるっていうのも大事かもね。

 

幕末に何が起きたのかを知りたい人には、教科書副読本的にお薦め。真面目な歴史を知りたい人、坂本龍馬西郷隆盛を崇拝している人には薦めない。ざっけんな!龍馬に失礼だ!ってなる。

 

ちなみに、主題歌は福山雅治の「龍」。エンディングロールで流れるのだけれど、坂本龍馬を演じるなら福山雅治だよねぇ、、、という古き思い出も思い出されてよい。かつ、やはり、福山雅治の歌で綺麗に締める、って感じがいい。

 

幕末から明治維新。もっと知ると、もっと日本史が楽しくなる大事な日本の転換期。だれも徳川幕府を倒せるなんて思っていなかった。幕末の英雄たちを信じていたのは、じつは彼らの母親や妻だけだったろう、って最近どこかで目にした一文。そういうすごいことをした英雄をコメディにしちゃったんだから、まぁ、賛否両論かもね。

 

私は、歴史家でもなんでもないので、コメディとして楽しんだ。かつ、そうだ、日本にも人を動かす力のある人もいたんだ、と思い出させてもらった。

 

幕末、もっと知りたくなる。

映画も楽しい。

 

 

『権力犯罪』 by 黒田清、大谷昭宏

権力犯罪
黒田清
大谷昭宏
旬報社
2000年12月23日 初版第1刷発行


『リーダーの言葉』で紹介されていた黒田さんの著書。

megureca.hatenablog.com


気になったので、図書館で借りて読んでみた。

 

黒田さんは、1931年大阪生まれ。ジャーナリスト。2007年7月23日、69歳ですい臓がんのために逝去。

大谷昭宏さんは、黒田さんとともに読売新聞を退社したジャーナリスト。1945年生まれ。

 

黒田さんの意思を継いで、大谷さんが出版につなげた一冊。本書の「序」は黒田さんが執筆。黒田さんは途中で逝去とのこと。

 

目次
はじめに 権力犯罪の「系譜」から見えてくるもの  大谷昭宏
序 権力犯罪の読み方 黒田清
第一部 権力犯罪の系譜
1 政・官・財癒着のはじまり
 隠退蔵物資事件(辻嘉六つじかろく事件)
 昭和電工疑獄事件
 造船疑獄事件
 吹原産業事件
2 政・官・財癒着の完成
 日本通運事件
 ロッキード事件
 KDD (国際電)事件
3 バブル経済下、マネー ばらまく新興企業
 リクルート事件
 佐川急便事件
4 バブル崩壊で噴出、金融不正事件
 イトマン事件
 野村證券損失補てん事件
 金丸信脱税・ゼネコン汚職事件
 東京協和・安全信組事件
5 露呈する官僚組織の腐敗
 岡光厚生次官特養ホーム事件
 大蔵・日銀接待事件
 神奈川県警事件
第二部 権料k犯罪ファイル
おわりに
【写真提供】朝日新聞社毎日新聞社

 

感想。
なんとまぁ、、、、あきれたというか、情けないというか、、、こうして権力者の犯罪、犯罪疑惑を並べると、悲しくなる。日本人はそこまで落ちたか?!

 

ここに出てくる犯罪は、1945年以降の権力者(政治家、官僚、裏権力者)の犯罪であり、事件の名前を聞けば、私でもなんとなく聞いたことがある。政治家の名前も田中角栄鳩山一郎竹下登金丸信など、顔が思い浮かぶ人たち。本は、ほぼ時代を追って事件が書かれているので、そうか、後に首相になった人たちも汚職疑惑のまったくない人なんていないのではないのか?と、順を追って人の経歴が見えてくる。

始まりは、戦後処理のどさくさにまぎれた右翼団体闇のフィクサーが 内閣参与嘱託の委員に選ばれたこと。隠退蔵物資事件は、戦時中の日本の物資をGHQに没収されないように政治家も右翼団体といっしょになって隠蔽に走ったといっていい。隠退蔵物資は、旧陸海軍が軍需工場が敗戦時に保有していた物資で、敗戦後にその存在が秘匿されていた。ある意味、「日本のため」を思っての汚職だったのかもしれない。ただし、隠蔽された物資が必ずしも庶民の元に届いたわけではないところが、やはり汚職の始まり。

ロッキード事件田中角栄が逮捕されたのは、当時小学生だった私でも記憶にある。1977年にロッキード裁判が始まり、田中角栄の犯罪が確定したのは19年後の1996年だったそうだ。途中、93年に田中角栄は他界している。アメリカから発覚したロッキード社の世界各国への賄賂バラマキ事件だが、政界人が逮捕されたのは日本だけとのこと。それも、田中角栄が石油に絡む日本の介入を計画していたために嵌められたとの見方もあるらしい。

 

リクルート事件や、佐川急便事件になると、私も社会人になったころなので事件の詳細もある程度記憶にある。でも、バブルに浮かれた日本、そして、崩壊してドタバタの日本だったので、みんな自分のことに夢中で、政治の世界の汚職なんて、ある意味他人ごとだったように思う。

 

本書によれば、保守政党右翼団体との蜜月は戦後から始まり、当初は裏世界での金の行き来だった。それが、バブルになってみんなが金持ちになったことで、裏社会も「会社」の顔をして表社会に出てくるようになった。バブルの間、金で親密度をあげた権力と裏社会は、バブルが崩壊すると、当時のネタによる「ゆすり」「たかり」で、権力者を裏社会と離れられなくさせた。

 

そして、野村證券損失補てん事件、ゼネコン汚職事件、とバブルの浮足だった世界から泥沼の世界へ。金融不正事件では大蔵省の「ノーパンしゃぶしゃぶ接待疑惑」や、信用組合の私物化のような無担保融資とその後の組合破綻。その後は、「官官接待」と呼ばれる、公務員の公務員への賄賂、接待が社会問題となっていく。

バブル最中は、検察庁の検察首脳会議メンバーが全員京大卒、という異常な体制もあったとのこと。ちょっと反対意見をいえば、はい、左遷…。学閥は間違った道に人を走らせることもある。

 

う~ん、あったなぁ、、、そういう時代、という感じ。
今は、国公立大学の教授たちも、企業や生徒からの贈り物をもらうと接待になるからといってうけとれない。なんか、いき過ぎじゃないのか?とおもうこともある。

 

公務員も、事件を起こした企業の従業員も、ある一部の人が不道徳なことをしたことによって、組織全体のイメージダウンのダメージを一緒にうける。不祥事を続ける会社というのは、やはり会社の体質に問題があるのだろうと思うけれど、過去の過ちでいつまでも白い目で見られるのもかわいそうだよな、と思う。


不正が起こりやすい社会というのがある。国や地方の許認可が多い業界や公共事業に関わる領域は、賄賂疑惑は起きやすい。最たる例が、建設業界や運送業界。でも、当然清廉潔白な事業を展開している会社もあれば、不正をした会社であっても全員が不正をしているわけではない。それって、ロシア人が全員ウクライナ人を殺戮しているわけではない、ということとちょっと相似。

 

一人じゃないから、不正をしちゃうのではないだろうか、とも思う。「だれかのため」になるとおもって働く犯罪。それが不正なのだろう。それを権力者が犯したとき、正しく裁かれずに無罪放免になるというのが、権力犯罪の恐ろしさ。

 

「権力犯罪は、権力が起こす犯罪ではなく、犯罪によって権力がつくられたのではないのか?」とまで言っている。

 

右翼の指示による選挙当選。選挙の買収。う~ん、道徳心はどこへいってしまったのか?
富や権力が人間を堕落させるというのは、やはり正しいのか?

メディアの報道の仕方にも問題がないわけではない。会社の方針との対立があって、黒田さんと大谷さんは読売新聞を退職している。直近ではオフレコ取材を記事にするという、報道側の紳士協定破りも。権力者だけでなく、ジャーナリストたちの道徳も問われる気がする。ちなみに、朝日新聞は素晴らしいすっぱ抜きをしておきながら、「サンゴ事件」でその功績を台無しにした過去もある、と。

 

清く、正しく、美しく生きたいものだ。 

「信頼」は、お金では買えない。