2022.11.8
今回は教科書を読んで理解できる内容なので、
説明をかなり少なくしてみました。
60分バージョンです。
今日のテーマ
当時の社会・文化を大きく変化させたのはどんな動きだろうか?
[授業の流れ]
P.Icebreaker:頭の体操と対話
A.探究の入口:Critical Reading 重要点や疑問点の掘り出し →「探究出発シート」に記入
B.知識の習得:自分で調べ、解説を聴いて知識を共有し、疑問も解決。
C.技能の習得:資料の読み取りをし、ペアで共有。
D.活用=思考・判断・表現力の育成:「アプローチ」の解答を考えて共有
R.振り返り:学習内容をメタ認知(具体⇒抽象)→「探究出発シート」を提出
P 対話の準備 Icebreaker (5分)
次の写真からどんな社会変化が読み取れるだろうか?
☛ p.105資料5・7・8
女性の社会進出が進んだ。
女性普通選挙の要求、職業婦人となることなど。
A 探究の入口 Critical Reading (15分)
〇教科書熟読
大正デモクラシー(p.106)
「日本の社会運動」
「日本の都市化と大衆文化」
「日本のマスメディア」
〇疑問点抽出
テーマやアプローチに沿った重要点と疑問点を掘り出し、「探究出発シート」に記入
B 知識の習得 ポイント解説 (10分)
◎大正デモクラシー
・護憲運動:憲法に基づく政治を擁護し藩閥などを打破しようとする運動
第一次護憲運動(1912)
大衆の力も利用して内大臣の桂内閣を打倒
= 大正政変
第二次護憲運動(1924)枢密院議長の清浦内閣を打倒、普通選挙を要求
→ 政党内閣(加藤高明内閣)を組織
・首相の決定方法:元老の推薦 ⇔ 議員内閣制:国会議員の中から国会が議決
◎日本の社会運動
・マイノリティ:社会的弱者=労働者、女性、被差別部落民、在日外国人など
・労働運動:労働争議や小作争議が多発
・女性運動
平塚らいてうらが青鞜社を結成(1911)
平塚、市川房江らが新婦人協会を結成(1920)
☛ p.83写真
・反差別運動:全国水平社を結成(1922)
→ 被部落差別からの解放
⇒ 政府の政策
アメ:普通選挙法(1925):満25歳以上の男性
ムチ:治安維持法(1925):言論・結社の統制
・天皇制の廃止や私有財産の否認などの取締り
◎日本の都市化と大衆化
・職業婦人:自分の意思で職を選んで働く
☛ p.80 写真4・5・7、p.110 資料12
・モダンガール(モガ):アメリカの影響を受けた消費文化
☛ p.108 資料2
◎日本のマスメディア
・マスメディア発達の背景:教育水準の向上(1920年に義務教育の就学率が99%超、大学令が1918年制定)
・大衆雑誌、ラジオ放送、新聞
☛ p.81 写真9、p.80 資料3、p.111 資料14
〇政府による統制:出版法(1893)、新聞紙法(1909)、治安維持法(1925)など
宣伝・広報活動を利用して大衆を操作する面も
C 技能の習得 (10分)
・資料14 p.107 ⇒ 平塚らいてうは何を呼びかけたのだろうか?
女性も男性と同様に輝く存在であるはずだ!
男性ばかりが活躍できる社会でなく、女性も能力を発揮できる社会にしたい!
・資料14 p.111 ⇒ 新聞の発行部数をのばしたAやBの背景は何だろうか?
Aは1913~14年
1912年に第一次護憲運動が起こり、大衆運動によって桂内閣が倒れた後である。この大正政変によって大衆の関心が政治に向けられ、新聞が読まれるようになった。
Bは1922~23年
1923年に関東大震災があり、朝鮮人の放火が原因だというデマが流れたことで、社会的関心が高まった。翌年には第二次護憲運動がおこり、政党内閣である加藤高明内閣が成立したことで、新聞の発行部数が延びた。また、1925年には普通選挙法が出されたことも、社会的関心を高めることになった。
D 思考・判断・表現力 = 知識の活用 (10分)
「テーマへのアプローチ」
どんなことが、大衆社会や文化を広げる後押しとなったのだろうか?
これはほぼ「今日のテーマ」と一緒なので、クラスによってはカットしました。
R 振り返り 新たな発見や学びは? (10分)
感想でなく「メタ認知」し、何を学んだかを具体から抽象化して「探究出発ノート」へ
抽象化とは...
・どんな歴史的な意味があるのか?
・当時の社会はどう変わったのか?
・現代社会にどうつながっているのか?
などを、自分で考えて文章化する
G 今日のゴール = 知識・技能の活用
☛ 次回の探究の時間で(グループワークで)
当時の社会・文化を大きく変化させたのはどんな動きだろうか?
Keyword:大正デモクラシー、社会運動、マスメディア、大衆の力 ☛ Google Classroomで提出
解答例
当時の日本では欧米諸国に影響され、労働者や女性、社会的弱者(マイノリティ)が社会を変えようと、運動を盛んにおこした。これが大正デモクラシーであり、主にロシア革命の影響で労働争議や小作争議がおこった。平塚らいてうや市川房枝を中心にして女性運動も起こり、社会運動が活発になった。政府は運動の激化を懸念し、1925年に治安維持法を出して社会運動(特に社会主義運動)を規制した。だが、新聞や雑誌、ラジオ放送などのマスメディアの発達により、情報の飛び交う社会に変化し、大衆の力が強まって彼らの要求を実現しようとする社会に変わっていった。
世界で戦争が行われていた中、日本ではますます経済が発展し、大正デモクラシーといった大衆の力を感じさせる時代となった。政党内閣や男性普通選挙などが実現し、政治的民主化が進展した。また、大正後期になるにつれて社会運動が活発化していき、小作争議、労働争議といった労働運動がさかんになった。新聞、雑誌などのマスメディアが発達していき、世の中の様々なことがわかるようになった。初等教育の普及による識字率が向上し、20世紀のはじめには新聞の発行数が伸びるなど、社会が大衆化した。
大正時代の民主主義の運動を大正デモクラシーといい、原内閣のもとでは男性普通選挙の実現を求める声が高まり、度々デモが起こっていた。1924年には衆議院の憲政会、立憲政友会、革新倶楽部が護憲三派を結成し、枢密院議長の清浦内閣を打倒した第二次護憲運動を経て新たな内閣を組織され、男性普通選挙を実現させた。またこの頃はマイノリティが社会を変えようとする社会運動が盛んになり、過酷な労働条件を改善するために労働争議や小作争議が多発し、平塚らいてうらが青鞜社を結成した。このことは日本の女性運動の出発点となった。また被差別部落の人々は、差別からの解放を自らの行動で勝ち取ろうとし、部落解放運動を展開した。この頃のマスメディアは現在も残っている雑誌やラジオができて、政府は大衆の力を利用して言論を統制し、政府の宣伝や広報活動を盛んに行った。